From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
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「日本が国債破綻しない24の理由 ~国の借金問題という<嘘>はなぜ生まれたか?」
http://www.keieikagakupub.com/sp/38DEBT/index_mag2.php
p.1 日本は「国の借金」でなぜ破綻しないのか?
p.13 ”国民1人当たり817万円の借金”を広める財務省の記者クラブ
p.20 日本国民は債務者ではない、「債権者」である
p.36 かつて、本格的なインフレーションが日本を襲った時代があった
p.42 “日本は公共投資のやり過ぎで国の借金が膨らんだ”は全くの嘘
p.55 グローバリストから財務省まで、消費税増税を訴える人々の思惑
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1万8000人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災から5年が経ちました。私たちはこの間、戦後最大の被災経験から何を学んだと言えるでしょうか。
福井県高浜町にある関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを、隣接する滋賀県の住民29人が求めた仮処分で、大津地裁(山本善彦裁判長)はこの9日、「住民らの人格権侵害の恐れが高いにもかかわらず、関電は安全性確保について主張、説明を尽していない」として運転差し止めを命じる判決を出しました。
今回の大津地裁の判決は、原発の「ゼロリスク」を求めるものですが、そもそもこの世の中に存在するものでゼロリスクがあり得るか。マッチは火事の元にもなり、自動車は交通事故の元凶ともなって、これまでに日本国内で数十万人の死者を出しています。それでもマッチをなくせ、自動車を走らせるな、と真顔で意見する人はいない。
「安全性」を追求することは不可欠ですが、「安心」という人間心理を完全に満たすことはできない。それが現実の世の中でしょう。人々は、それを本当は理解しているはずです。
東日本大震災という国難に立ち向かう力が日本には十分あるはずなのに、いまだにそれを発揮できていないのはなぜか。この機能不全は何によるものか。突き詰めれば、「国家」や「非常事態」というものを考えずに、忌避して過ごしてきた戦後日本人の怠惰を未曾有の自然災害に衝かれたということでしょう。その意味で、日本人に覚醒を求める歴史的な出来事だと私は思っています。
福島第一原子力発電所の事故の教訓が、「ゼロリスク」を証明できないかぎり運転は認めないというのであれば、これはまことに幼稚な退行と言わざるを得ません。
恐怖心であれ、偏ったイデオロギーであれ、それに囚われた心理状態からは、観念の世界はともかく、現実を生きるうえに必要な教訓を導き出せないでしょう。
そもそも東京電力は法令に違反して福島第一原発を建設し、運転していたのか。ならばその罪過はきわめて大きい。法によって定められた危機管理を行っていなかったら、その点に弁解の余地はない。東電には過去に“事故隠し”もあり、事故当時、先入観を持って見られたのは自業自得の面もありますが、問われるべきは、彼らが法治国家の民間企業として法の遵守を怠っていたかどうかです。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではいけない。
私はあのとき新聞社にあって、「想定外の震災を想定していなかった。それによって“深刻な状況”を招いた」という結果論から、一方的に非難の“紙つぶて”を投げつける側に立ちたくないと思っていました。この思いはいまも変わりません。
震災から5年、この間のマスメディアの報道の中に、東京電力の社員も被災者だったという視点から報じた記事、テレビ番組があったかを振り返ると、ほとんど目にした記憶がありません。加害企業に同情を寄せられるか!ということなのか…。
被災者の感情に寄り添う必要性を否定するものではありませんが、マスメディアに「席をかえれば、咎めた人が咎められた人と同じことをする」という自戒が薄いことに私は嫌な感じがします。
誤解を恐れずにいえば、東電を一方的に糾弾する側にも……。
自らを“審判者”の高みに置いた無謬性の傲岸さを感じざるを得ないからです。私は、東電を庇いたいわけではありません。批判する側の姿勢について述べています。
これまでマスメディアが誤報や虚報、捏造を指摘され、真相を読者・視聴者から問われたケースで一体どれほどの対応をしてきたか。かりに捏造の意志や悪意がなくとも、混乱をきたし、不正確な情報提供をしたことはなかったか。またその責任を明瞭に取った者がどれほどいたか。たとえば朝日新聞の慰安婦報道しかり。珊瑚落書き事件しかり。珊瑚落書き事件では、処分された朝日新聞の編集幹部の多くが、後に経営幹部に昇進しました。
あまり知られていないと思いますが、平成23年4月3日のMSN産経ニュースに《福島原発で不明の20代東電社員2人、遺体で発見》という記事が載りました。
〈東京電力は3日、福島第1原子力発電所4号機タービン建屋で行方不明になっていた同社社員2人が遺体で見つかったと発表した。
東電によると、死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。
2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。現場は放射性物質で汚染された水がたまっており、1人は水面に浮いた状態で見つかった。翌31日に運び出して除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。
2人は震災当日の3月11日、4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたという。死因は多発性外傷による出血性ショックで、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。津波に巻き込まれたとみられる。
東電の勝俣恒久会長は「地震・津波に襲われながらも発電所の安全を守ろうとした若い社員を失い痛恨の極み。深くご冥福をお祈りする。二度と悲劇を繰り返さないことを誓い、福島第1原発の事故収束に向け全身全霊をかたむけていく」とコメントした。〉
この記事は4月4日付の産経新聞(東京朝刊)でも、〈東電社員 2人死亡/地震直後不明 津波警報中 なぜ地下へ〉という見出しでより詳しく報じられましたが、なぜか社員の死を悼む勝俣会長のコメントは削られています。
「席をかえれば、咎めた人が咎められた人と同じことをする」とは、故山本夏彦翁の言葉です。
〈古人は、地を易(か)うれば皆然(しか)り、といった。席をかえれば、咎めた人が咎められた人と同じことをするというほどのことである。それでいて新聞沙汰になると正義漢に豹変して、居眠りはもとより役人は勤務時間中ゴルフをしているなどと、仰天したふりをする。
自分もゴルフをして居眠りして、他人のゴルフにあきれるまじめ人間が多いから、コラムもあきれたふりをするのである。なに君だってと書けばいいのだが、書けばぶちこわしになるから、毎日迎合してつい迎合していることを忘れるのである。〉(「コラムの言葉」)
平成17年から5年間、東京電力の女子サッカー部「マリーゼ」に所属していた丸山桂里奈さんは、福島第一原発に勤務し、双葉町にある寮に住んでいました。「発電所長付」という部署に所属、事故の収束を指揮した吉田昌郎所長は上司でした。
桂里奈さんは震災後、自身のブログに〈私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない〉と書いたことでバッシングを受けました。
当時の心境を直接、桂里奈さんに聞いたことがあります。彼女はこう語りました。
「私は、現場で踏ん張っている人たちを励ましたかった。あのとき、事態をどうにかできるのは発電所の中で働いている人たちだけです。その現場の人たちを思い浮かべたとき、非難するよりは応援しなければと思ったんです。でも、すごくバッシングされて…、軽率じゃないか、取りあえず謝れ!とも言われました。」
そして、「私は周囲にいてくれた人たちに本当に恵まれたと思っています。その人たちのお蔭で頑張れた。辛いときにこそ本当の人間関係が浮き彫りになる。こちらの調子のいいときには身近にいた人が、悪くなったらいつの間にかどこかに消えていたり(笑)、あれっ思うこともずいぶん経験しましたけれど、今振り返ってみると、実にならない経験はないと思います。」と。
東日本大震災は、まことに多くの人間に自らを省みることを求めたものではなかったか。改めてそう強く感じています。
日本列島は環太平洋火山帯に乗っかっています。
「日本人は災難を食って生き残って来た種族」だといったのは物理学者の寺田寅彦ですが、こうした逞しさと、「正当にこわがる」難しさを知る、真に知的な姿勢を保ちたいものです。
〈上島嘉郎からのお知らせ〉
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』
(ワニブックスPLUS新書)
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『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』
(PHP研究所)
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ーーー発行者よりーーー
「国の借金が1000兆円を超えた」「一人当たり817万円」
「次世代にツケを払わせるのか」「このままだと日本は破綻する」
きっとあなたはこんなニュースを見たことがあるはずです。一人の日本国民として、あなたは罪悪感と不安感を植え付けられてきました。そうしているうちに、痛みに耐える消費税増税が推し進められ、国民は豊かにはならず、不景気のムードが漂い続けています。本当に増税は必要だったのか? そもそも「国の借金」とは何なのか?
その正体とは、、、
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『三橋さんは過激な発言をする人だと思っていましたが…』
By 服部
“私は今年退職をして、世間から離れて行く様に感じていました。
そんな時、月刊三橋をインターネットで見つけ、三橋先生の
ご意見を聞くようになり、世の流れに戻る感じがしました。
月刊三橋を聞き始めて3か月になります。
最初は過激な発言をする人だなあと思って聞いていましたが、
今回の国債破綻しない24の理由を聞いて、
今まで何回も聞いていた内容が、私のように頭の悪い者でも
やっと理解出来るようになりました。有り難うございます。
これからの日本の為にも益々頑張って頂きたいと思います。”
服部さんが、国の借金問題について
理解できた秘密とは・・・▼▼
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【上島嘉郎】東日本大震災から私が学んだことへの6件のコメント
2016年3月12日 12:28 PM
自分のFacebookで引用させていただきました。https://www.facebook.com/nami.nami3/posts/836240096487046仰るとおりなんです。東電社員も被災者だし、仙台平野があんなになる津波が襲ってくるのも人類としてどうにもできないと思うんです。ダメだったことを殊更針小棒大に言ってみたり、避難している人達だけ取り上げて一緒に寝泊まりしているであろう男衆の日中の働きぶりには目もくれないこととか、伝えるべきことが偏りすぎだったと思います。
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2016年3月14日 12:04 AM
上島先生の文章とても好きです。願わくば多くの若者が読み、感じて頂きたいと思っております。自分もささやかながら経済塾に参加し勉強したいと思います。
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2016年3月14日 4:42 PM
拙文が及ばぬことを寄せていただきました。ありがとうございます。
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2016年3月15日 6:54 AM
「正義」は 要らぬ「正義」という名の下にいかほどの 不正義が かつて行われそして いまも 行われているか枚挙にいとまがありませんね。。。「正義」に 替わるものとしては、、 [便利] と 心理学者の野田俊作さんがおっしゃってました。今般の大津地裁の判決朝日新聞社の「正義」日本中に渦巻く バッシングの嵐などなどを見るにつけあの日 目の当たりにした光景、、、もの凄い勢いで 川を逆流していく真っ黒い水の塊 を ぼくは連想してしまうのだ。
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2016年3月16日 5:48 AM
上島さんの言う通り、東日本大震災の物語として映画とか本とか作品見るとほとんどが東電が悪い原発が悪いばかりの薄っぺらい物ばかりでもうちょっと深い物語というか、あの3.11での震災と人間の本質とかに迫る物が無いのが大いに残念です。
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2016年3月17日 11:18 PM
ひとには誰でも自分でも、単純なことばの熱情に突き動かされ、集団になることで政治的攻撃に没頭する本質がある、という諦念を持つことが、もしかすると、平和や平等のような観念を強迫することよりも大事なことかもしれない、そんな感性が大人の常識となってほしいものだと思いました。そうならない、青臭いまま年老いて暴力をふるう方々は、実は幸せな、つまり現実との激しい闘争に磨かれることなく、苦心した前人の話も感じられず、ひとのなにか大事なことを見ず知らず、歴史の置石になってしまったのではないか。そんな残念なしあわせな方を、どうしたら今後生まずにすむのか、伝え方というものこそ、時代で進歩してほしいと思いました。昨日は東京大空襲の日でしたね。
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