昨日こんなニュースがありました。東大が新たな学部を設置するとのことで、修士課程の1年分も加えた5年間で、文理融合、授業は英語で、半分が留学生、半分が日本人、入学は秋とのことです。従来の縦割りの学問領域では解決が難しい地球規模の課題に対して解決策を導くことができる人材を育成するのだそうです。そして、秋入学とすることや授業を英語で行うこととする理由は、世界中から優秀な学生を集めるためだそうです。
呆れ返りますね。まず、大学の役割を間違えていること。将来的に課題の解決ができるに人間になるとして、それはしっかりとした基礎的な能力を身につけているのみならず、善悪の判断や平衡感覚を持って物事を考えることができるためのクライテリオンを身につけているから。そのためには大学の教養課程が極めて重要で、その上に専門課程と、考える力と専門的知見を段階的に習得していくということが必要です。
そもそもこれまでの大学、それも我が国の教育や高等教育の改悪が行われる前の大学出身者たちが試行錯誤しながら様々な問題、課題の解決を行ってきています。したがって、この新学部設置の問題意識も間違っているということですね。
次に、英語で授業というところ。なぜ英語で授業をすれば能力が高まったり、優秀な学生が集まってきたりするのでしょうか?大学で英語で授業を受け、英語で論文やエッセイを書き、議論や発表をした経験がある者としてはっきり言いますが、全く関係ありません。そもそも高等教育で使用される英語は、日本語の場合と同様に特殊かつまさに高等なものですから、その専門の訓練を受けなければ使い物になりません。論文やエッセイの書き方一つを取っても全く異なりますし、海外からの留学生が皆それが出来るとも限りません。しかも、海外からの留学生と言っても、英語圏からとは限りませんし、おそらく英語圏よりも非英語圏、中国や韓国からの留学生が多くを占めることになるのではないでしょうか。
端的に言って、英語=グローバルで、グローバルに対応するためには英語でなければといった程度の発想なのでしょう。それでは使い物にならない学生を量産するだけになるのではないでしょうか。
それから、秋入学、以前東京MXテレビのモーニングクロスや、三橋TVの三橋先生との対談で解説したとおり、欧米といっても入学の時期は三者三様ですし、世界全体で見渡してもまたしかりです。おそらく多くの日本人が、「世界は9月入学で日本だけが4月入学のガラパゴス」と思っているのでしょうけれど、そうした考え方の方がよっぽど「ガラパゴス」です。
東京MX:
https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202005270650/detail/
三橋TV:
https://www.youtube.com/watch?v=MuncY4NnwyM
ツッコミどころ満載で、指摘すべき点は枚挙に遑がありませんが、この新学部は東大のレヴェルを更に落とすことになるでしょうね。
そろそろ幻想の「グローバル脳」から脱してはいかがでしょう・・・
【室伏謙一】勘違いのグローバル脳から脱しようへの2件のコメント
2024年2月27日 4:49 AM
東大「授業を英語で行うことで問題解決能力の高い人材を育成しる!」
イギリス人「君の言う『英語』というのは、アメリカで話されているソレと我が国で話されているもののどちらのことを言っているんだい?」
東大「アメリカ英語のことです」
イギリス人「君の言い分だとアメリカ英語を話せない人間には問題解決能力がないかのように聞こえるが?」
東大「…(宗主国のアメリカ商工会議所の方から「日本で商売したいけど、契約書や公文書を翻訳するコストがかかるから日本人がアメリカ英語を話せ」って言われてんだよ)」
イギリス人「我が国はもちろんのこと、非英語圏の教育機関にも問題解決能力の高い人間はいくらでもいると思うが?使う言語と問題解決能力は関係ないのでは?」
不☆思☆議なことに、なぜか日本の政治家官僚はアメリカの提案を片っ端から飲み込むことにばかり熱心なんですよね(苦笑い
<年次要望改革書に書かれた内容⇔数年後に行われた日本での法改正>
1999年 人材派遣の自由化⇔労働法の改正
2000年 大店法の廃止⇔大店法の廃止
2002年~2004年 司法制度の改革⇔弁護士業の自由化ロースクール制度導入
2003年 アメリカ型の経営形態の導入(株主資本主義)⇔商法の改正
2005年 アメリカ企業の日本参入会社合併手続きの簡素化⇔新会社法の成立
1998年~2005年 保険業の自由化⇔保険業法の改正
2005年 郵政民営化⇔郵政民営化6法案の成立
2005年 独占禁止法の強化⇔独占禁止法の改正
2006年 医療制度の市場化⇔混合診療の拡大 医療機関の株式会社化
いや~不思議だな~(すっとぼけ
室伏謙一さん、いつも重要な情報をありがとうございます。ついでに、以前、施光恒教授と行った対談の内容をサラッとご紹介しておきます。
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室伏謙一の霞が関リークス 室伏謙一×施光恒 対談
ドイツのビーチェル教授「『アラブ社会がなぜ発展しないのか』アラブ社会は中世ヨーロッパのようにエリートの言葉と庶民の言葉が離れてしまっているからだ」
中世はラテン語の世界だった。難しいことを考えるためにはラテン語が出来なければいけなかった。スキルを磨きたいと思っても専門書はだいたいラテン語で書かれているので一般人には読めなかった。宗教改革以降のヨーロッパは徐々に俗語(日常語)で本が出版されるようになっていった。
宗教改革以降、土着の言語が鍛えられていった。これによって多くの一般人が「勉強がしたい」と思った時に、土着の言語(母国語)で手軽に勉強ができるようになった。そこで一人一人が能力を磨いて勉強ができる環境が整った。
中世はエリートの言葉(ラテン語)と庶民の言葉(俗語・母国語)が分かれていたため、能力を磨ける人間自体が限られていた。
アラブ世界のエリートは古典アラビア語を使っていてそれが出版言語でもあるが、庶民はその土地その土地の方言的なものを喋っている。庶民は古典アラビア語が読めない人がほとんど。構造としてはヨーロッパの宗教改革以前の状況と似ている。だから経済的な発展をしにくいのではないかと言うこと。
英語が話せる人がエリートで話せない人は非エリートということになって言語で国民を分断してしまうと国力を削ぐ結果につながる。
”英語が出来ないと専門書が読めないとかビジネスの言葉が分からないとか、そういうことになると日本のかなりの数の人が社会に参加できなくなってしまう。そうなると能力を磨いて発揮できる人が減っていくということにつながる”
日本の英語化の流れをみると語学を簡単なものとなめてかかっているように感じる。
大学教員でも日本研究をしてる外国人教授は沢山居るが、彼らが自由自在に日本語で講義ができているかというと、なかなかそういうレベルの先生は居ない。日本語でしっかりした論文が書ける外国人教授となるともっと少ない。
これと同じで外国語でネイティブに負けないくらい仕事をしようというのは、よっぽど能力があり、その能力がある人が「人生の大半の時間をかけて」ようやくネイティブと同等程度になれるというもの。
「私は今も英語で仕事ができています」
そういう人もいるのかもしれないが、それって決まり文句を使えば何とかなる程度の仕事しかしていないのでは?
高度な専門的な会話まで出来るレベルでマスターしないと低賃金労働にしか従事できないし、高度な外国語をマスターしようと思ったら、それこそ専門的に多くの時間と労力をソレだけのために使わないと無理である。
”語学を簡単なものとなめてかかってはいけない”
日本が英語教育を進めていくと英語教育に時間を割く分、その他の教育がおろそかになる恐れがある。日本語を使う能力も低下する恐れがある。
「英語の害毒」という本を書いた青山学院大学の言語学の教授で永井忠孝という先生がいるが、彼曰くシンガポールは小学校からバイリンガル(英語と中国語)教育をやっているが、どちらの言語でも新聞が読めて専門的な会話ができるレベルというのは国民の13%に過ぎないとのこと。
シンガポールで一番多いのがセミリンガル。セミリンガルというのはどちらの言語でも難しい話はできないというもの。国を挙げてバイリンガル教育をしているシンガポールですらこの有様。
日本が英語教育を推し進めていくと
”日本語も英語もどちらも十分に使えなくなるというケースも考えられる”
多少勉強をすれば皆が新聞が読めるレベルまで外国語が使えるようになるというのであれば日本も外国語教育を取り入れるのも選択肢に入ると思うが、国を挙げてバイリンガル教育をしているシンガポールですら新聞が読めるレベルのバイリンガルは国民の13%に過ぎないわけで…
学校教育というのは教育期間が限られている。(英語以外にも)勉強しなくてはならないことも多い、幅広い知識を養い教養も養うとなると日本語でしっかり学ぶ方が個人のレベルでも社会のレベルでもよいのではないかと思われる。人間の能力には限界があるのだ。少なくとも学校教育の期間には限界はある。
”英語が国際公用語だというのは大いなる誤解”
英語が世界共通の公用語であるためには世界政府が必要だが世界政府など存在しない。つまり、世界共通の公用語など存在しない。
国際機関で公用語になってるからソレが準国際公用語だと考えたとしても、国連の場合フランス語も英語もロシア語も中国語もアラビア語もスペイン語も公用語になっている。
もし、日本が公用語教育をこれからも進めていくというのであればこれらすべての言語の教育が必要になるが、その場合、言語教育だけに時間を食われてその他の教育がまるでされていない薄っぺらい人間が完成するものと思われる。
因みに、EUはすべての加盟国の言語が公用語として位置付けられていて、全ての加盟国の言語で公文書が作成されている。
今回の東京オリンピックでは、まず英語によるアナウンスがされていたが本来はオリンピックにおける一番地位の高い言語はフランス語だということ。なので、本来は国名をいう時はフランス語、英語、開催国の言語という順番になる。
これは何故かというと、フランスはブルボン朝の時代から自国の地位を高めようという活動を続けてきて、第一次世界大戦までは国際会議で使われる言葉はフランス語だったことによる。当時はイギリスの王室でさえも国際会議で会話するためにフランス語を学んでいた。
”昭和天皇陛下が折衝の宮だったときもイギリスの王室とはフランス語で喋っていた”
これが第一次世界大戦で力関係が変わったので英語の地位が上がってきたという経緯がある。
言語を国際的に使えるようにするというのは、その国の国力を示すことであって国力を高めるために自国の言語を国際的に使えるようにするし、国際的に使えるようにするために自国の国力を上げていかねばならない。
”言語と国力には相関関係がある”
これを放棄すると言うことは裏を返せば日本の国力は落ちていますと言っているようなもの。
日本はTPPの交渉の時にも日本語をTPPの正式な公用語として入れてくれという交渉はあまりやらなかったらしい。なので、TPP圏の公用語に当たるものは英語、スペイン語、フランス語になる。
TPP加盟国に現在フランス語を母国語にする国はないのではないかと思われた方も居るかもしれないがカナダは自国内にフランス語を話す集団があると言うことで公用語に含まれることになった。
遅れて交渉に参加したカナダは自国内のフランス語のマイノリティーのためにしっかりフランス語を公用語とすることを交渉しているが、日本の交渉官はその程度のことすらできなかったという。
こうした経緯があって現在TPPの正文は英語となっている。日本語は仮訳である。
日米FTAも交渉は英語で行われている。本来、二国間交渉なので両国の言語が正文として扱われないとおかしい。
”こうした国際的な条約は「解釈」の問題になることも多いため、両方の国の言葉が正文だという扱いにしないと後々色々な問題が出てきてしまう”
本来、自国に有利な交渉をしようと思ったら、その交渉で使われる言語を自国語にするべき。条約の取り決めの際、なんらかのペーパーが出てきた時それを本国に送る際は日本語に訳すが、これはどういった解釈かというのを正確に翻訳しなければならない。
これは物凄い労力になる。このためのスタッフも大量に用意しなければならない分コストもかさむ。無駄というのであればこれこそが無駄。
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2024年3月12日 4:08 PM
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