日本経済

2019年4月28日

【三橋貴明】経済学者を怯えさせるMMT

From 三橋貴明

【近況】
いよいよ平成最後のメルマガ執筆です。
日曜日、月曜日と配信され、
三橋の平成のメルマガは終わりです。

現在、MMTの本を書いているのですが、
改めて考えるとMMTは「恐ろしい存在」です。

いや、別に三橋や日本国民にとってではなく、
経済学者や財務省、財政破綻論者にとって。
特に決定的なのは、以下の「事実」になります。

MMTは「政府は国債発行で
国民の貯蓄を借りているわけではない」
事実を明かしてしまったのです。

【政府の国債発行と、銀行預金増加の仕組み】
http://mtdata.jp/data_63.html#yokinzou

図の通り、政府が国債発行で
「日銀当座預金」を銀行から借り(①)、
政府小切手で企業に支出し(②)、
政府小切手が銀行に持ち込まれると、
銀行預金が発行される(③)。

誰が見ても、
「政府の国債発行が、新たな銀行預金を生み出す」
が正しいのですが、経済学者は、
「政府は国債発行で銀行預金(国民の貯蓄)を借り入れる」
と、説明していたのです。

いわゆる「おカネのプール論」ですが、
おカネのプール(国民の貯蓄)から政府が借り入れるならば、
「財政赤字⇒金利高騰」はあり得ます。
とはいえ、おカネのプールは存在しません。

何しろ、おカネとは債務と債権の記録、
貸借関係が成立した時点で「発行される」
データに過ぎないのです。データのプールは作れません。

まさに、天動説派が地動説という
「事実」を突き付けられ、

「いかに誤魔かすか」「いかに落としどころを見つけるか」
という話になってしまっているのです。

出鱈目な理論の下で発展した経済学が、
追い詰められようとしています。

同じように、嘘つきの学者が蔓延しているのが「歴史」の分野です。

無論、歴史的な「解釈」はあっても構いませんが、
基礎資料を無視するなど言語道断です。

冗談でも何でもなく、
日本の歴史学者は日本史の基礎資料である
古事記や日本書紀の記述を思い込みで否定するのです。
その割に、なぜか中国の史書は妄信する。

皮肉なことに、科学の発展が
「日本書紀の間違いが、実は正しかった」
といった事態を招いています。

例えば、神武東征に際し、
浪速(大阪)に到着した一行が、
「三月の十日、川をさかのぼって、
まっすぐに河内の国の、草香(くさか)の村の、波静かな白肩の津に着いた。」

と、日本書紀に地形的に
あり得ないルートが記載されていたことを受け、
歴史学者が神武天皇を全否定していたところ、
その後の地形学の発展で、

「河内潟」(-紀元前50年まで)の時代、
潮が引くと川が現れ、
「川をさかのぼり、白肩の津(生駒山の麓)に着く」
ことが可能だったことが証明されるといった話です。

それでも、歴史学者たちは相変わらず
「神武天皇の実在を信じる説はない」などと平気で書く。
まさに、財政破綻論者と同じく、
最低な人間たちでございます。

令和の御代では、
この種の「最低な人間」を駆逐しましょう。
日本は言論の自由が保障されている国ではありますが、
「嘘つきの学者」はダメです。

情報発信で所得を稼ぐ以上、
製品の品質(=情報の正しさ)を真摯に追求することは、
最低限、必要な姿勢だと思うのです。

「嘘」で所得を稼いでいる連中を排除するためにも、
日本国民が正しい知識を身に着ける必要があります.。

というわけで、三橋初の本格的な
歴史的なコンテンツ「経世史論」をリリースしました。

【経世史論~「正しい祖国の歴史」を学び、「現代」を読み解く~】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※5月15日(水)までに新規お申込み頂いたお客様に、
三橋貴明:著「99%の日本人が知らない明治維新の大嘘」
のサイン本をプレゼント致します。
(送料も不要です。また、サイン本にはお名前が入ります)

是非、ご入会下さいませ。

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◆週刊実話 連載「三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』」 第318 MMTとインフレ率
なお、週刊実話の連載は、以下で(二週遅れで)お読み頂くことが可能です。
http://wjn.jp/article/category/4/

◆メルマガ 週刊三橋貴明 Vol518 MMTの歴史的な意義(後編)
http://www.mag2.com/m/P0007991.html
MMTが政府に受け入れられた場合、国家は予算制約なしで「経済力(モノやサービスの生産能力)の強化」や「国民の所得拡大」「安全保障の強化」に乗り出せることになります。詳しくはメルマガで!

◆メディア出演

三橋TV、続々リリースされています。

三橋TV第81回【MMTへの藁人形プロパガンダを打破せよ!】
https://youtu.be/rAPl-gF6ZyY
三橋TV第82回【MMTの国会議論を取り上げたら、とんでもない展開に!】
https://youtu.be/EQnqFcU8kzk
三橋TV第83回【財務官僚や御用学者についてぶっちゃけてみた!】
https://youtu.be/SDbvIB7_ylU

4月22日(月) チャンネル桜「Front Japan 桜」」に出演しました。
1/2【Front Japan 桜】続 MMT(現代貨幣理論)税金の真実を知ろう (他)
https://youtu.be/VW8krqEC2Is

5月4日 チャンネル桜「闘論!倒論!討論!2019 日本よ、今... 希望の未来・子供を産み育てること」に出演します。
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1655

◆三橋経済塾

三橋経済塾第八期 第四回対面講義を配信致しました。
https://members8.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=468
ゲスト講師は 佐藤健志先生(作家・評論家)でした。インターネット受講の皆さま、お待たせしました。

第五回のゲスト講師は、いよいいよ「中野剛志」先生! 第五回対面講義の申込受付を開始しました。
https://members8.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=463

対面講義のゲスト講師がアップデートされました。
https://members8.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=210
8月のゲスト講師が長浜浩明先生に決定し、全スケジュールが確定しました。

◆チャンネルAJER
『修正エンゲル係数(前半)』三橋貴明 AJER2019.4.23
https://youtu.be/RPV2H_AOStY

—発行者より—
御代替わりを迎え、新たなる時代において
日本人が正しい「歴史」を知ることのできるよう、
『経世史論』を開設しました。
「現代」を読み解くには、過去の歴史を
正しく理解する必要があります。
正しい歴史を子どもたちやその先の世代に語り継ぐために、
まずは私たち自身が正しい歴史を学びませんか?
こちらから詳しい内容をご覧ください。
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

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【三橋貴明】経済学者を怯えさせるMMTへの11件のコメント

  1. 嘘は許さない より

    妄想はもういいよ:

    >神武東征に際し、 浪速(大阪)に到着した一行が、 「三月の十日、川をさかのぼって、まっすぐに河内の国の、草香(くさか)の村の、波静かな白肩の津に着いた。」

    と、日本書紀に地形的に あり得ないルートが記載されていたことを受け、 歴史学者が神武天皇を全否定していたところ、その後の地形学の発展で、「河内潟」(-紀元前50年まで)の時代、 潮が引くと川が現れ、 「川をさかのぼり、白肩の津(生駒山の麓)に着く」ことが可能だったことが証明されるといった話です。
    >それでも、歴史学者たちは相変わらず
    「神武天皇の実在を信じる説はない」などと平気で書く。
    まさに、財政破綻論者と同じく、 最低な人間たちでございます。

    河内湖の存在は戦前から常識だったから、そんな事を言っていた歴史家も考古学者も過去に一人も存在しないよ。

    石器や土器の分布から弥生時代・古墳時代の河内湖の位置は歴史家も考古学者もみんな知っていた。

    以前は神武紀に出て来る河内湖の地名の分布から、神武天皇が河内に来たのは2世紀代だと言われていた。

    但し、文献学の研究から神武天皇は崇神天皇と同一人物だという意見が有力になった。

    その後、放射性同位元素や木の年輪による年代判定の進歩と唐古遺跡と纏向遺跡の発掘が進んでから、神武天皇(崇神天皇)が河内に来たのは3世紀初めだというのが有力な説だ:

    唐古・鍵遺跡 : ナガスネヒコ・ニギハヤヒノミコトの本拠地

    弥生時代中期後半から末にかけての洪水後に環濠再掘削が行われ、環濠帯の広さも最大規模となる。洪水で埋没したにもかかわらず、この期に再建された。ここに唐古・鍵遺跡の特質がみられる。
    集落南部で青銅器の製作。

    古墳時代前期 集落の衰退 大環濠の消滅。

    環濠の一部再掘削。弥生時代を通しての環濠集落を放棄したにもかかわらず、古墳時代の初めに再度環濠集落をも形成する。ここに唐古・鍵遺跡の特徴があると、考えられている。
    弥生時代前期と同様に、三個所の地区(西・北・南)を中心に居住遺構が検出されている。次の時期には遺構数も増加する傾向にある。
    井戸などの遺構が減少していることから、居住域が規模が縮小していることがわかる。

    ____

    纒向遺跡 : 大和朝廷の本拠地

    弥生時代末期から古墳時代前期にかけての遺跡である。
    当時としては広大な面積を持つ最大級の集落跡である。
    遺跡内に箸墓古墳があり、倭迹迹日百襲姫命(モモソヒメ)の墓との伝承を持つが、これは墳丘長280mにおよぶ巨大前方後円墳である。それに先駆けて築造された墳丘長90m前後の「纒向型前方後円墳」も3世紀においては日本列島最大の墳丘規模を持っており、ヤマト王権最初の大王墓である。纒向型前方後円墳は各地にも築造されており、政治的関係で結ばれていたとも考えられている。

    ヤマト王権の王都

    寺沢薫は、「ヤマト王権の誕生-王都・纒向遺跡とその古墳」の中で、纒向遺跡の特徴と特異性を6点挙げている。

    1.3世紀初めに突然現れた。きわめて計画的集落で、規模も大きい。

    2.搬入土器が多く、その搬出地は全国にまたがっている。遺跡規模は日本列島最大であり、市的機能を持っていた。

    3.生活用具が少なく土木具が目立ち、巨大な運河が築かれ大規模な都市建設の土木工事が行われている。

    4.導水施設と祭祀施設は王権祭祀。王権関連建物。吉備の王墓に起源する弧帯文、特殊器台・壺など。

    5.居住空間縁辺に定型化した箸墓古墳、それに先行する纒向型前方後円墳。

    6.鉄器生産。(纒向遺跡では鉄器は見つかっていない)

    ____

    つまり、神武天皇(崇神天皇)がナガスネヒコ・ニギハヤヒノミコトの連合軍を倒したのは3世紀初めだよ。

    もし神武東征が紀元前50年より「前」のことだとしたら、銅鐸の祭りをしていた時代だから、鏡信仰の大和朝廷では有り得ない。

    崇神天皇については各種の説がこれまでに提出されています。

    事実上の初代天皇である。
    三輪王朝の創始者である。
    騎馬民族系の渡来王である。
    『魏志倭人伝』の卑弥呼をたすけた男弟である。

     複雑な性格をもった天皇であったことが推測されますが、いずれにしても祭祀王であったことは『日本書紀』の以上の記載からあきらかです。

    ▲△▽▼

    天皇が行う祭祀のルーツ

    民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

    同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

    「知らない方が良いこともあるのだ」

    と答えたという研究者の話が伝わっています。

    この話はあるメディアに流れました。

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  2. たかゆき より

    神は 死んだ か。。

    ケイザイガクという 神話
    あのような
    出来の悪い物語

    なのに

    信者になるかたの 首から上の構造
    病理解剖の対象かと、、、

    ノーベルケイザイガク賞とか
    冗談にしても 質が悪い

    ちなみに 記紀

    登場する神々に比定される
    人物が実在したという説に
    小生は与します

    疑問は 天皇家の姓

    もともと 姓を有していないのか?
    それとも 姓を有していたとしたら

    それは 何??

    そもそも
    天皇家が chin kor 由来とするなら
    姓を捨てた理由は 何故華否 

    理由は簡単
    古代の倭人には姓がなかったからである
    という説に

    小生は 与する者で ございます ♪

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      1. たかゆき より

        小松格『日本史の謎』に迫る
        から 引用

        『隋書』倭国伝の記事
         八世紀の『隋書』倭国伝には次のような記事がある。「倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌」(原文は「比」は「北」となっている)。これによると倭王の姓は「阿毎」(アメ)、字(あざな)は「多利思比孤」(タリシヒコ)、「阿輩雞彌」(オホキミ)と号すとある。この時、倭国は推古天皇の時代(600年)であったので、これは大和政権の王ではなく、九州にあった別の国の王のことだと主張する人まで現れた(古田武彦の九州王朝説)。
         

         はたしてそうであろうか。最初に私が述べたように、倭人には個人を特定する姓はなかった。この姓「阿毎」も倭王固有の姓ではなく、中国の皇帝に朝貢したとき「倭王の姓は」と尋ねられて、倭王の信仰する天の思想から「アメ(天)」と便宜上答えたにすぎないと考えられる。おそらく、使者はそう答えるように倭王から指示されていたのであろう。
        『古事記』高天原神話初代の神は「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)であり、「天(アメ)」を冠した神々は数多い。これは北アジアの騎馬民族トルコやモンゴルにも共通した信仰であり、彼らが中国に行ったとき、王(可汗)の姓を聞かれて「テングリ(天)」と答えるようなものである。もう一度言うが、「アメ」も「テングリ」も王姓ではない。倭人も北方騎馬民族も「姓」はなかったのである。

         では「多利思比孤」(タリシヒコ)はどうか。推古天皇が男性名を名乗っている。古田武彦氏の面目躍如というところであるが、漢和辞典で「字」の意味を見てみると、古代中国では「字」とは男子が二十歳になったとき本名のほかに決める通称名とある。普通、この通称名を使うとある。つまり、後世日本で相手の本名を呼ぶことは失礼であり、「小松殿」(平重盛)とか「越中守様」(松平定信)などのように、その人の住む地名とか官職名で呼ぶ文化と共通している。(現代でも、上司の名前を呼ばず「課長」とか「部長」などと言う)。
         
         「タリシヒコ」は倭王の本名ではなく、その通称名であったと考えればスンナリ理解できる。古代の天皇で「タリシヒコ」の通称名を持つのは12代景行、13代成務、14代仲哀の各天皇であり、仲哀天皇の和名は「帯中日子天皇」(タラシナカツヒコ)。他に「タラシヒコ」という称号を持つ天皇は、ずっと下がって七世紀前半に在位したことの確実な34代舒明、35代皇極の両天皇であることから、景行、成務、仲哀は八世紀の史官の捏造だとの説を主張する人もいる。しかし、「タラシヒコ」を倭王の通称名と考えれば、初期大和政権(四、五世紀)にはすでにこの称号が存在していた証拠とも言える。(「タラシ」と「タリシ」の母音の違いは時代が変わればよく起きることである)。
         このように考えると、推古天皇の時代であったとしても、倭国の使者は日本の大王(天皇)の通称名を言ったにすぎず、歴代大王は当然、男であり、たまたま女であったことがむしろ例外であったのだから。

        引用 終わり

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        1. たかゆき より

          小生 アホを売りにしております

          これくらいの説は
          コメントするまえに 入手して
          おります ♪

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          1. たかゆき より

            先帝(の骸)との添い寝

            それを なさらずに
            天皇に 即位なさる 令和陛下って
            何者に なられるんでせうね。。

            鏡と剣は 天皇家に祟る
            という説にも

            小生は 与する者で ございます ♪

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  3. 嘘は許さない より

    >疑問は 天皇家の姓
    もともと 姓を有していないのか?
    >それとも 姓を有していたとしたらそれは 何??

    天皇の姓は

    阿毎多利思北孤(アメタリシヒコ)

    だよ

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  4. 嘘は許さない より

    >「タリシヒコ」は倭王の本名ではなく、その通称名であったと考えればスンナリ理解できる。

    天皇というのは阿毎多利思北孤(アメタリシヒコ)を漢文に書き換えただけのものだからね。

    そもそも、天皇というのは霊魂が不滅で体だけを次々と乗り換えていくものだから、過去、現在、未来を通して同一人なんだよ:

    天皇霊とは、狭義にいえば天皇家の祖霊である。

    祖霊はイエの祖先の御霊の集合体で、どのイエにも個々人にも存在し、さして特別なものではないが、天皇家の祖霊は大大和のうちでも最も力の強い祖霊であるとみなされ、とくに「天皇霊」と呼んだ。

    天皇霊は天皇に即位するものに宿る。返していえば、天皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行なわれる「大嘗祭」 なのである。

    「大嘗祭」で斎王は天皇霊をその身に降ろし、
    新天皇は神降ろしの巫女との添い寝と、先帝(の骸)との添い寝
    によってその身に天皇霊を降ろす。

    ____

    今上天皇の魂は殺人鬼の昭和天皇の魂をそのまま引き継いでいるから、やはり殺人鬼のままなんだ。

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      1. 拓三 より

        昭和天皇が殺人鬼….. ?

        日本の歴史上、天皇に関わりのない戦(いくさ)ってあるの ?

        直近で言えば明治天皇は ?

        戦(いくさ)も負ければ殺人鬼 ?

        独自性の強い面白い物差しで御座いますね。

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  5. 赤城 より

    何かやばい人がこの話題だと沸いているからコメントしにくいw
    天皇陛下の異例の生前譲位という事態について勝手な感想。

    ずっとなんでだろうと考えていましたが、
    ここに来て思ったのはむしろ良く解釈することで
    このまま平成という時代を続けてはいよいよ日本民族国家が
    完全解体しそうだからというのもあるのではと。
    放り投げだしてしまったという事もいえるかもですが、
    出来ることがないと判断されたり、
    何かの知らせのような予兆もあったとかもと考えたり。
    伝統と言えばもう風前の灯というかずっと前から、
    占領属国となって天皇も皇室も飼い殺しにされるだけですし、
    潰しに来ているシナ勢力の餌になりかねない譲位であっても、
    一か八かの変化を見越す時なのかもしれません。

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