From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
おっはようございまーす(^_^)/
中野剛志さんと柴山桂太さんとの対談本『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)が発売になりました。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0886-a/
以前、もう5,6年前になりますが、中野剛志さんを九州大学にお呼びし、学生や一般の方々向けに講演をしてもらったことがあります。ちょうど、著書『TPP亡国論』が話題になっていた時期ということもあり、500人以上の聴衆が集まり、大盛況でした。
九大の学生以外の若い中野ファンも数多く来ていました。東京からおっかけの女子大生が来ていたり、制服姿の高校生も結構、来場していたりして、ミュージシャンのコンサートのような熱気がありました。
そのとき印象に残っているのは、中野さんが、サインや記念撮影をせがんできた高校生や大学生に向かって、それに応じつつ、「(学校で)しっかり勉強しろよ~」と語りかけていたことでした。
(^_^)/~ベンキョーシロヨ!
高校生や大学生に向かって勉強しろよと言うのは、当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、私には何かとても新鮮に感じられました。
親が自分の子供に対して、あるいは教師が自分の学校の生徒に対してであればめずらしくないとしても、そういう関係にない大人が子供に対して「勉強しろよ」と言うのは近頃あまりないように思ったからです。(『8時だヨ!全員集合!』のエンディングで加藤茶が「宿題やれよ!」とか子供に語り掛けていたのももう30年以上前ですし…)。
中野さんは、勉強することや、教養や知性を身に着けることを信頼し、重きを置いているのだなと思いました。
本来、学びを深め、知性や教養を身に着けることは言うまでもなく大切なことなのですが、最近は、例えばテレビをつければ、インテリぶったコメンテーターが的外れな意見を述べていたり、高学歴の政治家がしどろもどろでおバカな答弁をしていたりするのをいやというほど目にしています。そのためか、受験に有利になるといった表面的なこと以外では、「勉強すること」の大切さを子供たちに自信をもって語ることが少なくなっているように思います。
今回の新著『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』を読んで感じたのは、シンプルなことですが、まさに、学ぶこと、知性や教養を身に着けることの力です。
昨年来、ブレグジットやトランプ大統領の誕生、フランスの選挙でのルペン氏の善戦など、脱グローバル化とでもいうべき動きが顕著になってきています。しかし、識者と称される人々のコメントは、いまひとつピンとこないものがほとんどです。
例えば、ブレグジットやトランプ大統領の選出などのグローバル化に反発する動きは、ポピュリズムの噴出であり、危険だなどとよく言われますが、こうした動きが本当に危険だと言えるのか、またポピュリズムと民主主義はどう違うのかなど、納得できる説明が提供されることはあまりありません。
本書は違います。脱グローバル化の近年の動向の背景にあるものはどういう事態なのか、二人の対談を読めば、容易に理解できるようになっています。
新たな視点も数多く提示されます。
例えば、米国の大統領選で現れた「ポピュリズム」について、柴山さんは、クリストファー・ラッシュという歴史家を引きつつ、次のように述べます。
「……アメリカのポピュリズム運動の奥底を流れているのは、「服従と憐憫の拒否」なのです。エリートに服従したくないし、福祉という憐憫を受けたいわけでもない。自分の仕事と家族を大事にしながら、誰に頼ることなく自立している状態を理想としているのです。
トランプが大衆人気を獲得した理由は、自立を求める層を取り込んだからだとも解釈できるのです。おまえたちが自立できるよう、仕事をつくってやるというトランプの言葉が、彼らの心をつかんだ。アメリカ史の底流を流れるポピュリズムの通奏低音を、トランプはうまく言葉にしたんですよ。(略)一方で民主党の側は、貧困層に福祉を与えてやるという態度だった」。
なるほど、と思いました。米国庶民層の倫理の特質、クリントンではなくトランプに庶民層の指示が集まった理由について認識が深まります。
( ゚д゚)ホゥ
また、巷にあふれる、事実に基づかない陳腐な物言いに対しては、二人とも的確かつ手厳しい批判を展開します。
例えば、中野さん。グローバル化すれば、経済的に繁栄すると同時に、経済的相互依存の深化のため戦争も生じなくなるというグローバル化推進派のエリートがよく用いる理屈に対して、次のように反駁します。
「経済的相互依存で平和になるという理論は、第一次世界大戦直前の英独相互の貿易依存度が実は高かったという事実を持ち出すだけで、崩れ落ちる。その程度の脆い理屈ですよ」。
そして、次のように続けます。
「それに、何が利益になるかというのは、階級や集団によって違うわけですね。だからこそ国家は、特定の集団の利益によって代表されてはならない。しかし、グローバル化はグローバルに移動できる特定のエリートたちには恩恵を与えますが、好き勝手に国境を越えて移動できない庶民には不利益を与える。そのくせグローバリストは、グローバル化があたかも国民全体の利益になるような顔をしているのです。
つまりエリートぶっている彼ら自身が、根本的に間違った理論に基づいて発言をし、その上で自分たちに有利な社会をつくっているのです」(39頁)。
明快かつ痛快な指摘です。
他にも、「日本は自由貿易で戦後成長したんだから、自由貿易を捨てちゃいけない」などと言って、TPPなども全肯定して突き進み、現在でも世界の保護主義化の盾になろうとする日本のグローバリストに対しても、二人は事実に基づき、明確な批判を提示します。つまり、「戦後の自由貿易体制こそ日本の繁栄を築いた礎である。それゆえ日本は保護主義に常に反対し、自由貿易の側につかなければならない」といったこれもよく聞く論法に対する批判です。
一部だけ、紹介しましょう。
中野「まず指摘しておきたい一般的な誤解は、1960年代の高度経済成長期でさえ、GDPに占める輸出の割合は、一割前後で推移していたということです。戦後日本は、別に貿易立国でも何でもなかった。むしろ、日本の経済は戦後一貫して内需依存型だったんです」(134頁)。
柴山「(略)戦前と戦後で分ければ、日本は戦前のほうが外需依存型だったわけでしょう。そんな経済史上の事実の前提も抜きにして「自由貿易が日本の繁栄を築いた」と言われても、困りますよね」(同頁)。
また、柴山さんは続けて次のように言います。
「戦後に貿易依存度が若干、高くなったのは、終戦直後や高度経済成長期ではなくて、日本経済が不調になってから。いわゆる「失われた二〇年」の、デフレ期に入った後なんですね。(略)小泉政権以降というか、2000年代に入って輸出がむしろ伸びています。これは決して褒められたことではなくて、内需がしぼんだから外需に頼った。外需依存型の経済というのは、非常に脆弱なんです。外部環境でショックがあったときに打撃が大きいので」(135頁)。
本書は、以上のように、「識者」やマスコミが無批判に流布してしまっているグローバリストの怪しげな通説の誤りを丁寧に指摘していきます。
お二人が、インチキな通説に流されず、世界の現状を的確に把握しているのは、政治や経済の歴史に通暁しているからでしょう。
中野さんは、「はじめに」でこの本の狙いについて次のように書いています。
「…激動の時代にあっては、もはや、周回遅れの思想にしがみついている、役立たずのエリートたちなどを頼っても、仕方がありません。我々一人一人が、これまでの通俗観念を疑い、現実を直視し、知識を洗いなおした上で、自らの世界観の座標軸を新たに設定しなおさなければならないのです。本書は、そのための試みです」(6頁)。
学ぶことの大切さ、知性や教養の力というものをあらためて実感できる本です。
長々と失礼しますた…
<(_ _)>
【施光恒】知の力をあらためて実感する本への4件のコメント
2017年6月23日 11:45 AM
>また、巷にあふれる、事実に基づかない陳腐な物言いに
>対しては、二人とも的確かつ手厳しい批判を展開します。
今朝のNHKニュースで経産省若手官僚の書いた提言文書が人気、という報道があったので実際にそのPDFを読んでみました。
抽象用語、印象、感情的表現をふんだんに盛り込みつつ、一人当たりGDPという数字を都合よく使うあたり、我田引水、答ありきと批判できそうです。
もっとも、評価するポイントはもしかするとそこではなく、このような問題意識を明らかにするため若手複数がワークショップして公開した、という行為自体なのかもしれません。
自分の感想は、日本の通産官僚ってそういうレベルなんだなー・・・と思いますが。
(このPDFを見てインテリだとは思いませんでした)
(冒頭に東大教授の名前だけ列挙している点で、もう・・)
自分は仕事の都合上、ワークショップが身近なのですが、そこで言われることに「ワークというものは、参加経験だったり、経過でのちょっとした発言が実は重要であり、最終的な結果(まとめ)は陳腐なものになりがちで後日顧みられない」
ということです。
PDFにあふれる「事実に基づかない陳腐な物言い」に手厳しい批判を、自分も与えたいなと思いますが、その批判の方向性として、「もっとよい指標があるがそれは検討したのか」一人当たり実質GDPを挙げるのならば、実質賃金はどう考えるのか?といった議論がなぜしなかったのか。それはモノを半端にしか知らないのではないか。それは読書量がたりないのではないか。
ただ自分も超遅読であり、読む書籍が少なければ良書に会える機会が減ってしまう、詰まらない書籍ばかり手に取って辟易して読書を辞めてしまってはいけないのだ。自戒を込めて、本読め、勉強しろ、ということを、大人として言い合いたいと思いました。
(さいきん戦争における人殺しの心理学と言うのを読みたいのですが・・)
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2017年6月23日 8:29 PM
欧米型の奴隷を酷使して上前を撥ねて自分たちだけが神に選ばれた選民だとするエリート意識が、
心底日本の自称エリートを蝕んでいる気が致します。
その神も大元を辿れば、
縄文⇒シュメール⇒湯田屋⇒天主教の変遷を辿ったと言う説もあるらしいですけど。
もしそうなら、白人文明ってとんだ罰当たりな連中ですよね。
何でも大陸(欧米も中華も)から来たものが正しくて、本当は日本人自身、自分達が何なのか解らなくなっている。
その事にこそ、この失われた20年と言うものの正体がありそうな気がしますよね。
ハッキリ言って、左翼と言われる人の方が、保守的な処があると感じますけどね(竹中や安倍の方がよほどグローバル左翼)。
美味しんぼでグローバル捕鯨団体と戦ってた海原雄山
日本から失われつつある義理人情を歌ってた車寅次郎
兜町で日本政府の米国盲従ぶりを警告してたマイケルムーア
日本の保守って左翼以上に下劣ですよね(笑)
バーボンでも飲みながら、三沢先生の歌でも聴いて、シコシコ寝ようと思いましゅ。
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2017年6月24日 7:54 PM
>中野さんは、勉強することや、教養や知性を身に着けることを信頼し、重きを置いているのだなと思いました
同感です。それに教養とは何かというと教養というのは
物事の本質を掴む力だと思います。流言飛語してる説に安易に乗っかる人は教養が無いと思います。
教養というのは聞きかじった知識やTVやネットサーフィンで仕入れた知識では無理だと思います。中野さんは昔の思想家や哲学者の人の言葉よく引用しますが、歴史というのは大事で、人間歴史からしかある意味学べません。でもグローバリストは中野さんや柴山さんが指摘するように、そういう都合の良い流言飛語を次々と出して来ました。そういうの見極める力が教養だと思うし
保守思想や保守のエッセンスだと思います。施先生もこれからは英語だーという英語教育だ言われてる昨今、英語は愚民化で亡国という良書出したんだと思います。
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2017年6月25日 11:57 AM
私は中野さんも柴山さんも西部先生も大好きですが(もちろん施先生も)海外の哲学者?学者?からの引用が多すぎるのが違和感というか疑問というか、外国にとらわれてない?って思ってしまう。ケインズがスティグリッツがーというのはそろそろ卒業でもういいんじゃないかと。学も教養もない私はそう思ってしまいます。あまり勉強するのも毒だなと。発想や話題のネタ元が全部そこからっていう。ずーっと外人に囚われっぱなしではないかと。それを繰り返して発言すると外人のほうがやっぱスゲエんだな!と一般人の無意識の部分に刷り込む効果はあるのではないか。日本人の言葉で外人の発言を変換して言い直してしまえばいいじゃないですか。
外人の発言は頭の片隅にほんのちょっと乗っている程度に追いやっていいと思う。
日本の宮大工の口伝に、より良き社会の構造、目指すべきところが文章化されていると思います。
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