日本経済

2017年11月11日

【青木泰樹】単位労働コストの見方

From 青木泰樹@京都大学レジリエンス実践ユニット・特任教授

先日公表された日銀の展望レポートによると2017年度の物価見通しが下方修正され、さらに物価の下振れリスクが大きいことが指摘されていました。
http://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor1710b.pdf
日銀が予想インフレ率と考える「ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)」もここ数カ月間0.5%以下で推移しており、日銀目標の2%に遠く及びません。
期待に働きかけるリフレ派政策の「実体経済への効果波及経路」は断絶したままということになります。
金融緩和頼みのデフレ脱却の道は、今後も険しそうです。

政府が重視するデフレ脱却の4指標は、消費者物価指数、GDPデフレーター、単位労働コスト、GDPギャップです。
このうち消費者物価指数は昨年の前年比マイナスから若干のプラスへ、GDPデフレーターはマイナスからゼロ近辺で推移、単位労働コストは低下傾向が続いています。
他方、GDPギャップは17年度第一四半期よりプラス幅を拡大していますが、その解釈には注意が必要です。
定義上、それは「現在の景気」が良いことを示す指標ではないからです。
現在の需給ひっ迫、すなわち「現在の総需要>現在の総供給」ではなく、「現在の総需要>過去平均の総供給(=総需要)」を示す指標にすぎません。
異なった時点の需給を比較しているのですから、プラスのGDPギャップは現在のインフレ圧力ではありません。

GDPギャップは「現在GDP-潜在GDP」と定義されますが、この定義中の「潜在GDP」とは「(過去)平均GDP」であることを以前お話ししました。
潜在GDPなり潜在成長率を日本経済の実力もしくは成長の天井と考えるマスコミ報道が散見されますが、それがとんでもない間違いであることをそのコラムで指摘しました。
https://38news.jp/economy/10751

GDPギャップは「現在と過去平均のギャップ」ですから、それがプラスということは過去平均よりも現在の総需要が大きいと言っているだけです。
ただし現在の総需要が過去平均より大きいからといって、今後これ以上の総需要拡大は必要ないという結論には至りません。
過去平均の総需要水準が、国民経済にとっての適正水準、すなわち完全雇用を維持しつつ実質賃金が徐々に上昇していく状況に見合った水準でなかった場合、過去平均の水準は目標とはなり得ません。
失われた二十年という長期デフレから未だ脱却できていない日本経済にとって、過去平均の総需要水準が、目標とは程遠い「過小な水準」であったことは説明の必要もないでしょう。
もちろん、「過去平均は常に理想的な均衡状態を意味する」と考える主流派経済学者は、その現実を受け容れないでしょうが。

さて、本日はデフレ脱却4指標のうち、マスコミであまり言及されない単位労働コスト(ULC)についてお話しします。
単位労働コストは、「名目雇用者報酬÷実質GDP」として定義されます。
1単位のモノを生産するのに必要な賃金のことです。経営側から見るとコスト。
名目雇用者報酬は、官民問わず勤務先から得られた賃金の総額です。
いま平均名目賃金(時給)をW、労働投入量(総労働投入時間)をLとすれば、W×Lと表せます。
また実質GDPをYとすると、下記の定義式が得られます。

単位労働コスト=(W×L)/Y = W×(L/Y)= W×{1/(Y/L)} = W/(Y/L)
ここで(Y/L)は労働生産性ですから、次の関係が導かれます。
単位労働コスト = 名目賃金 ÷ 労働生産性

これを変化率の形で表せば(対数をとって微分すれば)、次式となります。
単位労働コストの変化率 = 名目賃金の変化率 - 労働生産性の変化率

この式は定義式ですから因果関係を云々するものではありませんが、いま右辺が左辺を決めるという「仮説」を立てるなら、単位労働コストの動向は名目賃金および労働生産性の変化率によって決定されることになります。
実際、内閣府は単位労働コストを賃金要因と生産性要因の寄与度から計算していますから、この仮説に立脚しているといえます。
http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je17/h01-01.html#h010104

単位労働コストがデフレ脱却の指標と見なされるのは、それが上昇すれば経営側は収益が圧迫されることになりますから、それを回避するために価格への転嫁が進む、すなわち物価上昇への契機となるという理由からです。
先の仮説に従えば、単位労働コストが上昇するのは「名目賃金の上昇率>労働生産性の上昇率」のケースになります。
生産性も上昇するがそれ以上に名目賃金が上昇し、国民が豊かになり、単位労働コストの上昇を通じて緩やかな物価上昇が始まる。
これは望ましいパターンです。
逆に名目賃金が低迷し、かつ労働生産性が低下してもそれは上昇しますが、それは望ましくありません。
単位労働コストの上昇の中身が問題ということです。

逆に単位労働コストが低下するのは、「名目賃金の上昇率<労働生産性の上昇率」のケースです。
まさに現在の日本の状況です。
より分かり易く見るために、名目賃金(W)を実質賃金と物価水準(P)に分解しておきましょう。
W=W×1=W×(P/P)=(W/P)×P ですから、「名目賃金=実質賃金×物価水準」となり、変化率を取れば次の定義式が得られます。

名目賃金の変化率 = 実質賃金の変化率 + インフレ率
したがって、単位労働コストが低下する状況は次のように書き換えられます。
実質賃金の変化率 + インフレ率 < 労働生産性の上昇率

現在の日本では、実質賃金率が低下を続け、インフレ率も低迷している状況ですから、労働生産性が多少でも上昇すれば、単位労働コストは低下する状況にあるということです。
また単位労働コストは経営側からすればコストですが、勤労者側からすれば労働の対価、生産の成果の取り分です。
それゆえ、それは労働分配率と密接不可分の関係にあります。
以前お話ししたように、労働分配率は「人件費(W×L)÷付加価値総額(名目GDP)」でありますから、それは「WL/PY」で表されます。
https://38news.jp/economy/11049

労働分配率=WL/PY=(WL/Y)×(1/P)=単位労働コスト/物価水準

したがって、物価水準を挟んで両者は表裏一体の関係にあるわけです。
労働分配率の変化率 = 単位労働コストの変化率 - インフレ率
インフレ率をゼロとすれば、両者は連動することになります。

さて、前掲した内閣府の資料を見ると日本の特異性が際立ちます。
2000年以降、欧米諸国の単位労働コストは右上がりに上昇しているのに対して日本のそれはほぼ一貫して低落を続けているのです。
2000年を100とすると、2016年に各国は軒並み120から150程度に達しているのに対し、日本は未だ90に届きません。

デフレが続く中、実質賃金も低落を続けていたということは、名目賃金がデフレ率以上に下落をしていたということです。
先に示した仮説に基づけば、単位労働コストを上昇させる要因である名目賃金が上昇するどころか下落を続けていたのですから、日本の場合、単位労働コストの低落傾向は必然的であったと考えられます。
言うまでもなく、この間、日本国民の貧困化は続いていたのです。

それでは単位労働コストの低下傾向は、経営側にとっては好ましいことなのでしょうか。
ミクロ的に見ればその通りです。
各企業にとって労働生産性が向上し労働コストが下がれば利益が増えますから、経営側が生産性の向上を追い求めるのは当然でしょう。

政府もこのミクロの論理に基づき、「働き方改革」と称して個別企業の生産性向上のための環境を整えようとしています。
この供給サイドの強化策に一理はあるとしても、マクロ的視点から国民経済を考えねばならない政府の政策としては極めて不十分です。
ひとつ足りない政策があるのです。
簡単に説明しましょう。

前掲の単位労働コストの決定式に基づけば、マクロ的に見て、労働生産性の向上は単位労働コストを引き下げ、労働分配率を低下させる圧力になります。
それゆえ勤労者の生活を向上させるためには、生産性の向上以上の名目賃金の上昇が必要となります。
政府が為すべきことは、供給サイドの強化によってミクロ企業の利益率を向上させることではなく、国民生活を向上させるために名目賃金を上昇させる政策を実行することです。

その政策とは、言うまでもなく、緊縮財政を止め中長期的に総需要の増加を図ることです。
さらに将来の総需要の増加が見込めるならば、労働生産性も向上していくのです。
なぜなら労働生産性(Y/L)の定義式において、労働投入量(L)が一定であったとしても、継続的な総需要の増加とともに実質GDP(Y)が拡大していくのですから、そのことは明らかでしょう。

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【青木泰樹】単位労働コストの見方への2件のコメント

  1. たかゆき より

    tautology

    数理経済学もですけど、、
    経済学の数式を拝見して
    感じることは
    同語反復

    経済学とは人間の意識を解明すべきものかと、、、

    「意識の謎が解明されるのは
     重力波の謎が解明されるとき だ」と
    仰った物理学者がいらしたそうです。。。
    比喩でも冗談でもなく、、

    経済学を数式で正確に表現しようとなさるなら
    真剣に 量子力学を学ぶべき 鴨

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  2. クンメル より

    百歩譲って人間の行動が数式で計算可能だったとしても

    人間の行動を予言するには

    人体にある10^27個もの分子の初期条件を知っておく必要があり

    さらに同等数程度の方程式を解かなくてはならない

    それを解くには数十億年という時間が必要で

    敵の攻撃をかわすには少々遅い

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