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2019年10月6日

【三橋貴明】日本人はどこから来たのか?

From 三橋貴明

【近況】

経世史論の特別コンテンツで、
なぜ長浜先生に
「邪馬台国はどこにあったのか?」
「日本人はどこから来たのか?」
についてご解説頂いたのかと言えば、
我が国の古代史には、

1. 自虐史家(戦後の日本の歴史学者の
 多数派)が日本書紀、古事記を全否定し、
 神武天皇から開化天皇までの諸天皇は
 「いなかった」と決めつけている

2. 狩猟採取が中心だった縄文時代の
 日本に、紀元前200年頃に大陸から
 渡来人が多数襲来し、水田稲作を伝え、
 渡来人の子孫の「弥生人」となった

という、完全に間違った「通説」が、
あたかも真実のごとく流布して
しまっているためです。

特に、「邪馬台国畿内説」
「邪馬台国東遷説」は、
日本の建国を「邪馬台国」としているため、
建国時期を200年以上も
後ろ倒しにできます。
卑弥呼の死は西暦247年頃ですが、
卑弥呼と何と「天照大神」を同一視する
論調までもがあり、しかも結構広まって
いるのです。(井沢元彦らによる)

実際には、
邪馬台国は九州の「旧・山門郡」にあり、
卑弥呼の時代の三世紀ほど前に、
神武東征が実際にあった。
大阪平野の変遷が、神武東征の時期
(紀元前50年以前)を特定したのですが、
相変わらず邪馬台国畿内説や東遷説が
消えません。
開化天皇以前の天皇(特に神武天皇)を
否定したいという、自虐史家たちの
政治的意図があるとしか思えないのです。

また、日本人は縄文時代から稲作をしており、
水稲にしても紀元前930年「より前」に
始まっていたことが確定しています
(菜畑遺跡による)。

それにも関わらず、
紀元前200年頃に渡来人が水稲を伝えた
という通説が消えない。
そもそも、Y遺伝子を見れば、
日本人が大陸の人々とは全く
似ていないことが明確なのです。

結局、「縄文人+渡来人=弥生人」という
おかしな(しかも各種データや遺跡を無視した)
発想は、日本人に、

「お前たちは結局、大陸から来た
 中国人や韓国人の子孫なんだよ」

と、嘘の情報を植え付けようとしている
風に感じられ、率直に言って、
気持ち悪くて仕方がありません。

財政破綻論者同様に、
「嘘」を広める自虐史家たちも、
日本国の繁栄を妨げる邪魔者なのです。
とういわけで、今年から来年にかけ、
さらに「歴史系コンテンツ」を
強化していきたいと考えておりますので、
皆様も「事実」を広めることに
ご協力くださいませ。

◆【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※特別コンテンツ、長浜浩明先生の
「日本人はどこから来たのか?」が
視聴可能となりました。
※12月12-13日、邪馬台国視察ツアー
「歴史に魅せられて、マイと辿る
 邪馬台国への道」開催決定!
(三橋貴明、長浜浩明先生、
 高家望愛さんも同行します)
取材の光景は、映像で記録し、
特別コンテンツとして配信したいと思います。

◆JAcomにインタビュー記事が掲載されました。
2019.09.27
【クローズアップ・消費増税10%】
国民を貧困化させる税 アベ・ショックが
日本を襲う【三橋貴明・経世論研究所所長】
https://www.jacom.or.jp/nousei/closeup/2019/190927-39219.php

◆ビジネス社
「国民を豊かにする令和の政策大転換」が
刊行になりました。
https://amzn.to/2ZadNvr

◆経営科学出版
「知識ゼロから分かるMMT入門」が
刊行になりました。
https://38news.jp/38MMT/MT_TV/

◆週刊実話 連載
「三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』」
第339回 合成の誤謬
なお、週刊実話の連載は、以下で
(二週遅れで)お読み頂くことが可能です。
http://wjn.jp/

◆メルマガ 週刊三橋貴明
Vol541 MMTと為替レート
http://www.mag2.com/m/P0007991.html
MMTの「自国通貨国は財政破綻しない」は、
実は変動相場制を前提にしています。
なぜ、固定相場制ではダメなのでしょうか。

◆メディア出演

三橋TV、続々リリースされています。

三橋TV第144回
【ブレグジットと民主制の本質】
https://youtu.be/Gy6glGAMPv0
三橋TV第145回
【財務省のADAMSⅡと貨幣の真相】
https://youtu.be/ESnIiF0oqTY
三橋TV第146回
【消費増税対策で日経新聞を解約しよう!】
https://youtu.be/jpyHLeb2soM

10月7日(月) チャンネル桜
「Front Japan 桜」に出演します。
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1651

10月12日(土) チャンネル桜
「日本よ、今…「闘論!倒論!討論!」」
に出演します。
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1655

◆三橋経済塾

令和元年9月21日(土)
三橋経済塾第八期、第九回対面講義が
配信になりました。
https://members8.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=700
ゲスト講師は安藤裕先生(衆議院議員)でした。
インターネット受講の皆さま、
お待たせいたしました!

令和元年10月19日(土)
三橋経済塾第八期、第十回対面講義
申込開始致しました。
ゲスト講師は 上島 嘉郎先生
(元正論 編集長)でございます。

◆チャンネルAJER 
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【三橋貴明】日本人はどこから来たのか?への10件のコメント

  1. 歴史で平気で嘘を書く人間は経済の話も信用できない より より

    >実際には、邪馬台国は九州の「旧・山門郡」にあり、

    邪馬台国は弥生時代の中国鏡が出土するのが条件だけど、九州の「旧・山門郡」からは見つからない。 従って「旧・山門郡」説は間違いだとわかっている:

    漢鏡の伝播経路からすると邪馬台国九州説は可能性が低い

    伊都国と邪馬台国  柳田康雄

    私は伊都国とは深い関わりがある。平原遺跡を始め数多くの遺跡の発掘に携わり、平原遺跡の巨大鏡を始め120枚以上の鏡を発掘した。

    平原遺跡については発掘後20年以上になるが、ようやく報告書を刊行することができた。

    今日は、これらの経験を踏まえて、邪馬台国に入る直前までの北部九州(福岡、佐賀)の状況について解説する。

    ■ 弥生時代のクニと国の出現

    弥生時代の集落を村とすると、それを束ねているのを考古学で、カタカナで「クニ」 という。そして、この「クニ」が「国」に発展する。

    現在、発掘が進んでいる早良(さわら)平野に、弥生中期の初め(紀元前200年前後)に 出現した遺跡があり、朝鮮半島の青銅器がはじめて副葬品として現れる。

    そのなかの吉武高木遺跡は青銅器が副葬される率が高い。なかには、1人で銅剣、銅戈4本を持ち、小さいが「多鈕細文鏡」という鏡を持ち、勾玉を持つものがある。

    銅剣を1本もっている集落が周辺にいくつか散らばっている。 この地域ではこのような銅剣は合計15~16本出ているので、これは、吉武高木遺跡を中心に付近の村を統率した「クニ」が出現していたと考える。

    弥生時代初期からある板付遺跡は福岡平野の拠点集落であるが、ここには弥生中期の初めに銅剣、銅矛7本が出てくる墳墓が出現する。しかし福岡平野の他の地域からは出てこない。

    少し後の弥生中期の中ごろ以後、春日平野の須玖岡本遺跡に青銅器が集中する。青銅器を作る工房も集中する。ここでは銅鏡30枚、銅剣、銅矛が8~10個出土した甕棺が出現する。

    福岡平野は、中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

    発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

    30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

    須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。

    比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6~7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

    吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。

    弥生中期の段階で首長墓が出てくる。弥生中期の終わりに、いままでは朝鮮半島との 交流ばかりであったが、福岡平野の首長墓から中国の鏡が出てくる。

    これは全部前漢時代の 鏡である。三雲南小路遺跡からは1号甕棺と2号甕棺の合計で57枚の前漢鏡が出土した。

    三雲南小路の1号甕棺は、金銅製の埋葬用の飾り金具(下図の8)が発見されている。これは、皇帝が王侯クラスに下げ渡した物で、1号甕棺が王墓であることを示している。

    2号甕棺は22枚の小型鏡が出ているが、ペンダントや勾玉が多数出ていることや、武器がないことから女性の墓と考えられている。

    なお、昔に発掘されたもので、金ぴかなものなど価値のありそうなものは持ち去られたりして申告されていない可能性がある。 このようなことも考慮しないと、出土物についての研究では誤る可能性がある。

    井原鑓溝遺跡は江戸時代に発掘され、鏡の鈕が21個あったことから少なくとも21面の鏡があったとされる。鉄刀や鉄の鎧なども発見されていることから王墓級の墓である。ただし、大型鏡がない。

    最近の発掘では、井原鑓溝遺跡から割竹型の木棺墓が発見され鏡やガラス玉が多数出土している。割竹型木棺は4世紀の前期古墳からしか出ないと言われていたが、伊都国では弥生時代後期のはじめから出る。

    九州では甕棺が注目されるが、甕棺と同時に木棺がある。大阪の場合は河内湖があって、木材が水に浸かって残るので発見しやすい。しかし九州では大地の中だと木棺が腐ってしまうので発見しにくい。しかし、最近は技術の進歩で木棺が分かるようになった。

    このように、弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。

    後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。

    吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。

    ■ 平原遺跡

    平原遺跡の1号墓は王墓である。寺沢薫氏などの近畿の一部の考古学者も王墓と認めるようになった。

    王墓もランクがある。鏡の大小や数だけでなく、いろいろな要素で決まる。

    王墓には鏡がなければいけない。4世紀までの初期の前方後円墳の副葬品は鏡が主体である。

    鏡を副葬品の主体とする墳墓は、弥生時代では三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡、平原遺跡だけである。

    棺の主軸近くにある柱跡と、少し離れたところにある大柱の跡を結ぶ線を延長すると、日向(ひなた)峠に向かっている。

    10月20日ごろの収穫の時期に日向峠から日が昇るので、何か関係があるかも知れない。

    墓には長さ3mの刳抜式木棺があり、大量の朱が蒔かれていた。

    頭と足の付近で大量に見つかった鏡の破片のうち、頭付近の破片は全て元の鏡に復元できた。

    墓坑のコーナに柱穴の跡があり、木槨があった可能性がある。ホケノ山古墳と同じよう、副葬品は木槨の上から落ちてきているように見える。

    出土した前漢鏡(上図左)は直径16センチもあり、この型式の鏡としては中国でもトップクラスのもので、楽浪郡でも見つかっていない。平原の王が中国の外臣の中でも上位として扱われた証拠であろう。

    この鏡は、カドが丸くなっていて、周りがすり減っている。前漢末に作られたものが、平原の王の時代まで伝世されたものと思われる。

    また、直径21センチの方格規矩四神鏡(上図右)は、京都大学の岡村秀典氏の編年では、漢鏡4期から5期の鏡で、1世紀前半から中頃のものとされる。

    しかし、後漢の始めの鏡とすると、銘文は鏡の上から始まるのだが、この鏡では下側から始まっているのはおかしい。

    また、後漢の鏡では四の文字を横棒四本で現すのが特徴であるのに、ここでは四の文字を用いている。

    つまり、この鏡は岡村氏の言うような中国の鏡ではなく、日本で作られた製鏡である。

    平原からは40枚の鏡が出土しているが、直径46.5cmの超大型内向花文鏡や、直径27cmの内向花文鏡も中国にはなく、製鏡と思われる。

    平原王墓から、楽浪郡などでも出土するガラス耳(じとう:ピアス)が出てくる。

    耳は女性の墓からしか出ないので、平原王墓の被葬者は女性であると判断できる。

    耳は時代が降るに従って端部の広がりが少なくなり管玉のようになる。

    平原出土の耳は端部の広がりがほとんど無く、後漢の終わり頃のものと考えられている。発掘主任の原田大六氏はこれを琥珀の管玉としていた。

    平原王墓からは、ガラス連玉、ガラス小玉、細型ガラス管などが多数出てくる。

    右図上段左の連玉は直径5ミリ長さ2センチほどのものだが、高度な技術で作られており、内側は薄い空色で外側が紺色の二重構造になっている。

    平原王墓を始め伊都国の地域からは、加工途中のものを含め大量のガラス玉や小玉が出てきており、この地域が高い技術でガラス飾りや玉を製作していたことがわかる。

    三雲の弥生終末の遺跡からファイアンス(ガラスの釉薬をかけた焼きもの)が出てきている。

    ファイアンスは地中海地域が起源で、エジプト・メソポタミアや中国にもあるので、海のシルクロード経由で南方からもたらされた物である。

    伊都国地域のガラス玉の技術も南方から海を経由して入ってきたものであろう。

    ■ 弥生終末から古墳時代

    福岡市の那珂八幡古墳は九州で最も古い時期の前方後円墳である。前方部がやや長めだがその形から纏向型前方後円墳であろう。

    このような古墳は小さいものを含め、福岡県には多数あるが、唐津を除くと佐賀県にはない。

    弥生時代の福岡県の王墓・首長墓を、副葬品の数などの要素から5段階のランクを付けて表に整理してみた。

    この表を見ると弥生後期では圧倒的に伊都国の地域に権力が集中していることがわかる。

    北部九州の地域では、弥生王墓から初期の前方後円墳に権力が繋がっているのである。

    近畿地方でもこのような表を作って検討して欲しい。近畿で前方後円墳が発生したとするなら、福岡地域のように弥生時代から繋がっていないとおかしい。

    近畿地方の前方後円墳は、主体部の構造や副葬品については九州の影響を受け、円形に突出部がでた輪郭のデザインは吉備から東瀬戸内の要素である。

    近畿の古墳は、独自に発展したものではなく、これらの地域の影響を受けて出来たものである。

    弥生終末と古墳出現の時期はAD200年頃と考える。卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。

    考古学者の中には、邪馬台国は弥生時代にあったと考える人がいる。邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。

    平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。平原の被葬者は卑弥呼と親子関係なのではないか。

    2.柳田先生の論点                             安本美典先生

    邪馬台国論争そのものは、いずれ別の機会に行いたいと思うので、今回は論点の整理をしてみたい。

    ■ 考えの一致する部分と異なる部分

    柳田先生は著書『伊都国を掘る』のなかで、原田大六氏の発言を引用して「考古学的事象は日本の原始・古代に関するかぎり、古事記や日本書紀の「神代」神話をさけて通ることは出来ない。」と述べているが、これについてはまったく同感である。

    また、「これまで、多くの研究者が平原王墓を無視してきたが、そのために邪馬台国問題や古代国家形成で避けて通れない古墳出現期の諸問題の研究に多くの時間がかかった。今後は、古墳出現期の研究に対して、平原王墓を正面から評価し、その研究に取り組んで欲しい。」とする考えについても賛成である。

    邪馬台国に関連する部分では、柳田先生の考えは「伊都国東遷説」ともいえるような内容である。すなわち、邪馬台国は大和朝廷の一時期の姿であり、大和朝廷は九州で発生し、邪馬台国時代以前に畿内に移ったと考えておられる。邪馬台国は畿内にあったことになる。

    いっぽう、安本先生は、九州勢力が畿内に移ったのは邪馬台国時代の後であり、邪馬台国は九州にあったとする。

    北九州勢力が畿内に移ったとする点では、柳田先生と安本先生の考えは同じであり、中山平次郎や和辻哲郎が述べていた「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性」や「大和の弥生文化を代表する銅鐸と、古墳文化の非連続性」は、このような考えと整合するものである。

    骨組みの所で意見が異なるのは、北九州勢力が近畿地方に移動する時期の違いである。

    ■ 洛陽焼溝漢墓出土鏡の時期について

    洛陽の焼溝漢墓の鏡の年代の、日本での紹介のされ方がおかしい。洛陽焼溝漢墓の鏡の年代は平原遺跡の年代にも関係する重要なことである。

    下表は、奥野正男氏の『内行花文鏡とその製鏡』(季刊邪馬台国32号)による。ただし、後漢晩期の年代幅は、もとの報告書に基づき安本先生が訂正。

    平原遺跡から、長宣子孫内行花文鏡が出土している。長宣子孫鏡は、焼溝漢墓では、第六期に最も多く出土する鏡である。

    奥野氏は、第六期を後漢晩期として、後147~160という年代幅を与えていたが、もとの報告書では、西暦190年の年号が記された入れ物から第六期の鏡が出土した記録があり、第六期は少なくとも190年まで時代を広げるべきである。

    柳田先生は、平原遺跡を西暦200年ごろと見ておられるので、長宣子孫鏡が洛陽で190年ごろに使用されていたことと年代的には整合することになり、平原の年代についての柳田先生の見解に納得できる。

    ところが、京都大学の岡村秀典氏は、平原遺跡でも出土した長宣子孫鏡を漢鏡5期とし、紀元75年頃の鏡としている。平原を200年ごろとする柳田先生とは、100年以上年代が異なっているのはおかしなことである。

    3.対談                         柳田康雄先生 VS 安本美典先生

    ■ 平原遺跡について

    安本: 副葬品から考えると平原遺跡を卑弥呼の墓と考えてもおかしくない。しかし、『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径100余歩と記されている。魏の尺度では100余歩は100m以上になるが、平原遺跡全体に土を持った墳丘としたとき100m以上になる可能性はあるのか?

    柳田: 14m×10mくらいの方形周溝で区切られているので、まったく無理である。周溝があると言うことは、掘った土を盛り上げるので、もともとは墳丘があったはずだが、100m以上にはなり得ない。

    安本:女性の墓か?

    柳田: 弥生時代で一番大きな素環刀太刀が出てきているが、女性の墓からしか出土しない耳(じとう:ピアス)が出土しており、女性に間違いない。

    また、女性の墓とされている三雲南小路2号墳と同じように、小型の鏡に色を付けて模様を塗り分けていることからも女性の墓といえる。

    ■ 三角縁神獣鏡と庄内式土器の初現

    安本:柳田先生の著書に「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬しているのは九州の前方後円(方)墳のみである。」という文章がある。これを素直に理解すれば、三角縁神獣鏡が出てくるのは、畿内より、九州の方が早いということになるが・・?

    柳田: 土器で見ると、庄内式土器の一番新しい物と三角縁神獣鏡がいっしょに出るので、三角縁神獣鏡は九州の方が先に出現したといえる。

    ■ 庄内式土器

    安本: 庄内式土器が畿内で発生したことを疑っている。九州の方が早いのではないか?

    柳田: 庄内式土器は圧倒的な量が近畿から出る。古い庄内式土器は九州では少ないが三雲遺跡で若干出てくる。しかし、近畿の人はこれを新しいと言う。私も土器の編年についてはみっちりやってきたがどこが新しいというのか良く判らない。私が見ると古いのもあるのだが数は圧倒的にすくないのは確か。

    庄内以前の土器は単体で九州に流れてくるが、庄内式土器からは高坏や壺がセットで出現する。ここに大きな違いがあるので庄内式土器から古墳時代に移る。

    九州の古墳では、那珂八幡古墳などから庄内式土器の新しい物は出てくるが、古いものは出ない。しかし、近畿と違って、庄内式土器の新しいものと三角縁神獣鏡がいっしょに出てくる。

    ■ ホケノ山古墳

    安本:庄内式土器や画文帯神獣鏡を出土したホケノ山古墳から、布留Ⅰ式相当の小型丸底土器がでている。柳田先生も、土器の底部の形態変化は平底→凸レンズ状平底→とがり気味丸底→丸底という変化の方向であることを述べておられる。従って、小型丸底土器を出土するこの古墳は、かなり新しいのではないか?

    『ホケノ山古墳調査概報』には、布留式相当の小型丸底土器と庄内式土器が同時期に使用された可能性が高いと記されている。そうすると、ホケノ山の庄内式土器の年代は、かなり新しい布留式土器の時代になるのではないか。

    柳田: 当事者ではないので、確定的なことを言えない。一時、ホケノ山古墳は新しい布留式土器の時代との話もあったが、今年の2月の勉強会では、また古いとされているようである。

    一般的に言えば、古い土器と新しい土器がいっしょに出たら新しい土器で年代を考えるのだが、発掘担当者などによる最近の勉強会では、ホケノ山のものは布留式土器の古いものが見つかったと解釈しているようである。

    また、見つかった銅鏃は、普通にみれば布留式土器に伴う銅鏃であるが、これも、古い銅鏃という解釈をしているようだ。報告書をまとめる人たちは、古墳の年代を3世紀なかごろ以前と考えているようだ。

    ■ 伊都国と女王国の位置関係

    安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。

    ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?

    柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。

    大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。

    文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。

    ■ 三種の神器

    安本: 三種の神器が出てくる遺跡は須玖岡本遺跡、平原遺跡、三雲遺跡と言われたが、 すぐ南の東小田峰遺跡から璧がでているので、璧を玉と考え、剣、鏡も出土しているので、 三種の神器が出ているといえるのではないか?

    柳田: 玉というのは勾玉ではないのか?

    安本:璧という字は下に玉がついているので・・・

    柳田:ははは、それなら認めます。(^_^)

    璧を持っている三雲南小路や須玖岡本は最高ランクであるが、かけらを加工したものがその次に準じると國學院雑誌にはっきり書いた。

    東小田峰遺跡では4分割以上したものを丸く再加工して璧に見せようとしている。更に璧のかけらを再加工して勾玉に見せようとしたものもあるので、東小田峰遺跡の例も勾玉と同レベルと考えて良い。

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  2. たかゆき より

    ブンケイ は 素敵

    レキシガク にしろ ケイザイガク にしろ
    己の妄想に 浸っていられます から、、

    己の妄想に 浸っておられるだけなら
    何も申しません

    けど、、、

    妄想を 他人様に おしつけるのは
    いかが かと。。

    ちなみに 記紀

    登場なさる 神々に比定される
    人物が実際に存在した
    という説に 小生は与するものですが

    編纂された 天武のy遺伝子は

    桓武天皇の 御父上の代から
    天智天皇の y遺伝子に取って代わられ

    天武天皇ファンの小生は とてもとても
    残念

    天武天皇の y遺伝子が いまだに
    継承されて おられることを
    こころから 信じております

    返信

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  3. 大和魂 より

    残念な事に、我が国が誇れる歴史と伝統を、めちゃくちゃに破壊したのが、吉田松陰の理想を理解出来なかった低次元の長州閥の面々でした。その確信犯こそ、おバカの代表格で京都に邸宅を所持していた山県有朋に なります。でその同郷の安倍首相が五日に足を運んだ無隣庵もお金にかなりの問題を抱えていた山県有朋。さらに彼は、馬鹿げた権力の独占までやった卑劣者でしたね。つまり愚劣なそれを再現しているのが、嘘つき安倍政権なのです。それがインバウンドなりキャッシュレス化を促進して、我が国の被害を拡大させています。なので一刻も早く安倍政権は退陣させるべきです。

    返信

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