From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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●これは経済学者のルサンチマンの結果なのか?「EUの闇」
とは?
https://www.youtube.com/watch?v=DID9wg3PIVo——————————
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おっはようございま〜す(^_^)/
「従軍慰安婦強制連行」についての虚報を朝日新聞自身がやっと認めた件が、いろいろと世間を騒がせていますね。最近では、池上彰氏の連載コラムの掲載問題でも、ごたごたしていましたし。
問題となった吉田清治氏の証言が信用に値するものでないことは、ずっと以前から保守派のメディアやネットの言論空間では常識でしたので、正直、「何をいまさら」という気がします。
加えてもう一つの「吉田事件」とでもいうべき、福島原発の吉田昌郎元所長の命令に反し、部下の大部分が現場から逃げ出したという朝日新聞の報道の真偽も問題になっています。
私は、これらの問題は、朝日だけに限らず、日本のインテリというか、いわゆる「進歩的知識人」の心理の問題もあるのではないかと感じます。
つまり放っておけば、「従軍慰安婦」や吉田調書だけの問題に限られず、同じように日本を貶める報道が繰り返されるのではないかと危惧します。
なぜ、日本の「リベラルな知識人」は、
日本をわざと貶めるような報道を好むのでしょうか。
たとえば以下の二つの理由が挙げられると思います。(1)「知識人」は、「俺は一般人とは違う。かしこいのだ」
と思いたい。そのときに「自己批判的」=「知的」
という日本的な図式を利用するから。日本では、他者に感情移入し、他者の観点から自分を批判し、
厳しく自身を見つめることができるか否かを「知的」、あるいは「
道徳的に高潔」であることの基準としてみる傾向があります。
この傾向自体は大いに結構だと思います。
しかし戦後の知識人の場合は、
下記のGHQの過去の政策なども影響し、
歪んだかたちで自己批判の美徳が現れてしまっているように思えま
す。「知識人」は、他者に感情移入し、
自己批判的であることを示そうとします。その際、「
自分たちを批判するのであれば、少なくとも「他者」
には迷惑をかけないから、事実関係が少々おかしくても(
つまり謝りすぎたとしても)問題ない」と考えてしまうのです。
ここから、「従軍慰安婦」問題で表れたように、
事実の検証が疎かになってしまうのではないかと思います。
おまけに、日本の「知識人」は、考えている内容は反日的であっても、思考パターンは非常に日本的ですので(それ以外のあり方は知らないし想像力が及びませんので)、「(事実と反していたとしても)自分が自らの誤りを厳しくとりあげ、自己批判し、真摯に反省すれば、相手は細かいことにこだわらず、こちらの誠実さを理解して敬意を払ってくれるはずだ」などと考えてしまいます。もちろんこれは非常に日本的な思考法であり、海外の多くの地域ではほとんど通用しないようです。
つまり、朝日的な典型的戦後「知識人」は、「俺は馬鹿な一般的日本人とは違ってインテリで繊細な人間だから、他者の痛みがわかり、自己批判できるぞ。知的でカッコいいだろ。それに、少々謝りすぎだとしても問題ナイ。自分が我慢すれば誰にも迷惑をかけないし、相手はきっとわかってくれる」と考えてしまうのだと思います。
しかし実際は、こういう無責任な従来の「知識人」の態度は、一般的日本人にとって大迷惑です…。海外在住の日本人は、慰安婦などの「歴史問題」で不当な嫌がらせに合うことが結構あるようです。
(この点については以前、本メルマガで書きました。)
【施 光恒】大迷惑な「良識人」(『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2014年3月7日配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/03/07/se-34/
(2)よく指摘されることですが、戦後のGHQの「日本がすべて悪かった」という政治宣伝の影響もあるでしょう。
評論家の江藤淳氏がかつて『閉ざされた言語空間』(文藝春秋、1989年)で明らかにしたように、戦後、GHQは、新聞や雑誌から個人の私信に至るまで日本中で検閲を行っていました。
GHQは、戦後2,3年間は事前検閲、つまり新聞や本の試し刷り(ゲラ)、放送の台本などをすべて提出させ、GHQが設定した出版・放送コードを遵守しているかどうかチェックしていました。チェックを通らなければ、出版や放送は不可能でした。
その後、事後検閲に移行しますが、事後でも(つまり出版や放送のあとでも)コード違反がGHQ側に見つかれば、出版社や放送局は、出版物の回収や営業停止処分を受ける恐れがありました。
この事前・事後の検閲の影響で、日本人の意識に(特に出版や放送に関わる日本の「知識人」の意識の奥底に)、GHQ的な歴史観や世界観が刻印づけられてしまったようです。
いまでも、多くの日本人は、「太平洋戦争」という米国側呼称を用い、「大東亜戦争」という日本側呼称を公の場で口にすることにさえ各種の心理的抵抗感を感じます。これはGHQの政治宣伝や検閲の影響が今でもけっこう色濃く残っていることの表れでしょう。
他にも多々あるでしょうが、主にこれら(1)、(2)の理由のため、変な話ですが、マスコミや教員などの自称「知識人」業界では、「愛国無罪」ならぬ「日本批判無罪」「自虐無罪」の空気が出来上がってしまい、日本や日本人に対する批判であれば事実関係が少々怪しくてもかまわないということになってしまったのではないでしょうか。
事実関係の怪しさを云々するのは野暮であり、「普通の日本人とは違い、自己批判的で日本の悪さを深く認識できる知性や倫理を備えた俺達ってエラくて知的だろ」というわけです。
(_・ω・`)
ところで、戦後の「知識人」の典型的心理を表しているなあと、強く印象に残っている朝日新聞の社説記事があります。「井戸の水をかき回そう」と題された1997年の元日の社説です。(元日の社説ですから、朝日は自社の主張をいつにもまして気合を入れて書いています)。
だいぶ以前のものですが、改憲問題や安全保障論議やグローバル化などをめぐる現在の「リベラル派」の議論を考えるうえでも非常に興味深い社説です。(本メルマガの最後に、この社説をコピペしますので、興味のある方はご覧ください)。
この社説では、「井戸」や「地層」の比喩を借りつつ、
日本の伝統文化の連なりを三層構造からなるものと捉えています。一番表面的な「第一の層」は、
西洋の影響のもとに近代化した市民社会の層です。
しかしこの層は非常にもろく不安定だとされています。「第二の層」は、「封建的といわれる古風なサムライ的、
儒教的な日本文化の層」です。そしてさらにその下には、もっとも深いところにある「第三の層」
として「ドロドロとよどんだ、想定しがたい、
古代からの神社崇拝といった形でつたわるような、
シャーマニズム的なものを含む地層がある」と論じています。
この社説によれば、日本社会は普段、近代的な第一の層が表面に現れているが、何かのきっかけで「かねては眠っている封建的な、あるいは原始的などろどろした意識が目覚める」とします。つまり、第一の層を突き破り、第二、第三の層が噴出し、復古主義的かつ軍国主義的な憂慮すべき動きがでてくるというのです。
非常に興味深いのですが、この社説では、第二、第三の層の噴出を防ぎ、そうした危険な動きを押し留めるために必要なのは、「この国をさらに国際化し、相互依存を徹底させることだ」と断じています。「日本という名の井戸の水を十分に撹拌」し、閉ざされた井戸に喩えられる日本の「一つだった井戸の湧き口をもっとふやし、井戸水が川へ流れ、海に至るような水路も用意しよう」というのです。
つまり、日本の伝統文化の基底にある危険な前近代的、古代的な層が何らかのきっかけによって吹き出し、恐ろしい事態を招かないように、国際的相互依存の度合いを増大させ、つまり「グローバル化」を推し進め、日本が自らの意思で自由に動けないようにすることこそ、必要なのだと述べるのです。
この社説、どう思います?
最初に読んだ時の印象をいまでもよく覚えていますが、なんと病理的な社説であるかと思いました。(正月で実家に帰省していたのですが、実家は朝日をとっていましたので、元旦から読んで気分が悪くなりました)。
Σ( ̄ロ ̄lll)メシマズ
村上春樹の小説などにもよく出てきますが、ユング心理学では「
井戸」はしばしば無意識の象徴として理解されます。
この社説の文章は、自分自身の深層意識に恐怖を感じ、
それが何かのきっかけで暴走してしまわないように自分を周囲の他
者に縛り付けておかなければならないと感じる病理的な人物の心理
を描写しているように読めてしまいます。ですが考えてみれば、こういった心理のあり方は、
戦後の日本の政治的議論では常に見られるものです。
たとえば最近でもそうですが、憲法改正の議論です。
護憲派の見解のうちには、日本の伝統や文化を恐れ、
日本国憲法のような外部由来の何かに自分をしばってもらわなけれ
ば不安だという意識が少なからずあるといえます。
日本人が自分たちの手で憲法を作れば、
ふたたび軍国主義が台頭し、
破局がもたらされる恐れが大きいと考えてしまうのでしょう。グローバル化をめぐる議論でも同様です。
朝日のこの社説が書かれた97年は、「グローバル・
スタンダード」という言葉が流行り、
構造改革が本格化する頃です。朝日をはじめとする日本の「
リベラル派」「左派」が、「左派」であるはずなのに、
なぜか当時も今も市場重視の新自由主義的改革にもろ手をあげて賛
成してしまうのは、こうした自らの基底にある「日本的なもの」
を嫌悪し、恐れる心理があるからなのでしょう。自らの意識の奥底にある「日本的なもの」
が何かのきっかけで活性化し、
悪夢のような事態をもたらさないようにする必要がある。
そのためには、外部の主体や事物に自分を開き、
自分の深層意識を外部から取り入れたものと混ぜ合わせ、
薄めていかなければならない。他国との相互依存を深め、
日本が自分の意志で行動できる範囲を狭めていかなければならない
。
こういう心理があるからこそ、自称「リベラル派」の「知識人」は、構造改革でもTPPでも、あるいは最近の移民受入れの議論でも、グローバル化を推進することにやみくもに賛成してしまうのではないかと感じます。
またこういう自己嫌悪・自己恐怖の心理のあり方に合致するからこそ、「従軍慰安婦」の問題でも、福島原発の吉田所長の調書の問題でも、日本人の邪悪さや主体性のなさを裏打ちするような話を耳にすれば、事実の検証が少々甘くても、肯定し受け入れてしまうのでしょう。
日本のいわゆる「知識人」のこのような心理のあり方に着目し、是正策を考えないと、今回の朝日のような虚報は繰り返されるように思います。またグローバル化をめぐる議論も不健全かつ非建設的なもののままに留まるように感じます。
いつもながなら長々と失礼しますた…
<(_ _)>
以下、1997年元日の朝日の社説です。(本スジと関係のない部分は一部省略してあります)。
***
井戸の水をかき回そう 「二十一世紀への助走」(社説) (『朝日新聞』1997年1月1日付朝刊)
(略)○他人の声が聞こえるか(略)…あたりまえのことが、
最近ゆらぎだしているのではないか。自分だけが正しい、
あとはみんな間違いだ、といったことを、品のない日本語で、
ときには歴史的な事実や背景を無視して、
声高に言いつのる人間や組織がふえている。第一は、歴史の事実と認識にかかわるものだ。
旧日本軍による南京大虐殺など最初からなかった、「従軍」
慰安婦なるものも存在しなかった、という。あるいは、日清・
日露の戦争は全面的に肯定されるべきで、
太平洋戦争も聖戦だった、という。
第二は、人間の生き方にかんするものだ。夫婦別姓を容認すれば、日本の家族制度は崩壊し家庭は溶解するとか、要介護老人は家族が面倒をみるべきだとか、女性は家庭にかえれ、といった主張である。
いずれも概して、私人より国家を重視する立場に立つ。
(略)
こういった風潮は、じつは日本だけのことではない。いま、地球のあちこちで「外国人労働者は出ていけ」「社会的弱者への優遇措置をやめよ」といった動きが、活発になってきている。政治的に、経済的に、社会的に、さきが見えない、不安がつのる、そんな時代になると、かならず起こる現象である。冷戦後の世界は、まさに、そんな混沌とした状況下にあるのだろう。
○上澄みだけの近代日本
そんなとき、どうやれば、不安と不信の時代を乗りきることができるか。そこが、それぞれの国の、民の、腕の見せどころだ。日本についていうならば、二十一世紀のあり方を、過去の因習や狭い民族意識に求めるか、それとも汎(はん)、つまり、広く世界につながる意識に求めるかである。
「いまの日本は井のなかのカエルではない。井のなかのクジラだ」と言ったのは、韓国の経済学者、金泳鎬(キム・ヨンホ)さんだ。日本は国際的にはクジラのような存在なのに、内なる国際化の水準は井の域を出ていない、と金さんは言う。
私たち日本人はこの一世紀、小さなカエルを巨大なクジラに成長させようと、懸命になってきた。おかげで図体だけは大きくなった。しかし、しょせんは井のなかだ。本格的に井戸を浚(さら)うこともなかったから、こけむした井戸の底のあたりはカエルのすみか時代そのままである。
井戸の水を汲むとき、人びとはふつう、太陽の光が反射してきらきらと輝く、美しい水面しか目にしない。井戸の深い底まで思いをいたすことはまずない。
今世紀の日本を井戸に見立てるならば、この太陽光は欧米の近代文明思潮だった。もともとそれは、たとえば「市民社会」といったものを基盤として、成り立ったものである。だが、明治以降の指導者たちは列強に追いつくことに忙しく、この根っこの部分に細心の注意を払うことはなかった。近代国家日本は、井戸の表面にできた上澄みだけをすくいとるような形でつくられた、と言っていいだろう。
問題は、それ以後、上澄みが上澄みにとどまり、いっこうに撹拌が起きなかったことである。この国の権力機構は、長いあいだ、市民社会的な枠組みをつくることより、人びとを「保護」し「善導」する方向を選んできた。
日本の文化現象を木にたとえ、根が地層のどこまで届いているかを考えた故桑原武夫さんは、つぎのように書いている。
「西洋の影響下に近代化した意識の層があり、その下にいわゆる封建的といわれる古風なサムライ的、儒教的な日本文化の層、さらに下にドロドロとよどんだ、規定しがたい、古代からの神社崇拝といった形でつたわるような、シャーマニズム的なものを含む地層があるように思われる」
桑原さんのいう「三つの層」は、文化にかぎらず、あらゆる分野で日本人のまえに立ちふさがってきた。古い歴史をもつだけに、この国の第二・第三層は複雑だ。そこに正面から手をつけるのではなく、自分に都合のいい部分だけを吸い取っていく。
○内からの変革進めよう
しかし、これでは市民意識は育たない。第一層が「借り着の近代」「根無し草の近代」になったのも当然である。その結果、ふだんはともかく、なにかが起きて、他人に第二・第三層的な部分を触られると、かねては眠っている封建的な、あるいは原始的などろどろした意識が目覚める。
いま、一部にそういう兆候が出てきた。方向感覚に自信を失いつつあるからか、この国のかたちを、この国の目標を、戦前のあたりに戻そうとしているのではないか、と錯覚しそうな動きすらある。
だが、こうした復古的な言動で解決できることはひとつもない。不透明のみなもとは、政治的で経済的な世界規模の混迷にあるからだ。一国だけが歴史の針を逆進させればすむほど単純ではない。
危機を乗り切る道は、この国をさらに国際化し、相互依存を徹底させることだ。
カエルとクジラの話に戻すと、まず、クジラがすむ日本という名の井戸の水を十分に撹拌することだ。一つだった井戸の湧き口をもっとふやし、井戸水が川へ流れ、海にいたるような水路も用意しよう。そのとき、それはもはや井戸ではない。クジラは、そのあいだを、自由に往来するようになるだろう。
作られた文化は、内から変革されないかぎり、ゆっくりと元に戻ってしまうものだという。この「内からの変革」をはじめ、残り少ない二十世紀中に決着をつけなければならない課題は多い。ことしは、さまざまな角度からこの問題と取り組みたい。
***
PS
なぜ、情報の歪みが危機をもららすのか?
月刊三橋の次号のテーマは、「朝日<慰安婦>誤報問題」です。
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_sv.php
【施 光恒】朝日新聞の深層心理への12件のコメント
2014年9月5日 3:25 PM
朝日新聞社員様へ朝日新聞は周回遅れ”近代” をとっくに昔に終了させて、次の段階にすすんでいたのが夏目漱石や福沢諭吉。朝日は 「今世紀の日本を井戸に見立てるならば、この太陽光は欧米の近代文明思潮だった。」 と、いまだに西洋近代崇拝。苦笑するしかないです。尾崎豊の歌の ”バイクを盗んだり、校舎の窓ガラスを割る” ノリが朝日新聞です。ようするに、未熟なガキなんです。
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2014年9月6日 9:21 AM
当時の朝日新聞の社説、味わい深く読みました。 「きらきら輝く太陽光は欧米の近代文明思潮」と書かれていたのには、驚いたのですが、ここまでくると笑ってしまいますね。笑い事では無いと思いつつ。 日本人の「日本人らしさ」が、なかなか消えて無くならない事への焦り(?)から、もっと近代の毒みたいなものを、体中に巡らせて、早く日本人じゃ無くなって、近代人になれ、というような趣旨なのでしょうが、無理な要求ですよね。 それぞれのお国の、ありのままの国民性の違いを認めないような思想が正しいはずが無いと思う。これが本当の人権の侵害のような気がする。 朝日新聞は「左翼」だそうですね。「左翼は反米・親中」と言う方がいらっしゃいますが、この記事を読むと、その考えに疑問を感じます。 もと共産党の筆坂氏は、「日本共産党というのは一番の親米政党だと思う。東京裁判史観と言っても良いが、戦後アメリカが持ち込んだ価値観を全部、絶対に正しい、という立場に立っているのですから」と、ある討論で述べておられました。その通りだと思いました。
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2014年9月7日 11:39 AM
>朝日的な知識人知識はあっても、判断力が無い方々なのだと思います。
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2014年9月7日 4:39 PM
施先生のメルマガはいつも読み終わった後そうだよなといつも納得するんですが今回の事も全く同意致します。進歩的知識人の生態というのを鋭く指摘されてると思います彼らは民主主義が大事と言いながらまったくもって日本人の意見なんて聞かないで 常に海外とかアメリカが正しくて日本は間違ってるだから日本は海外の意見ややり方を聞くべきだ真似すべきだそれが知的なんだ進歩なんだと思ってますねだから日本的な物や日本から出てくる物否定したがる人が多いし今の移民の問題もTPPの問題も結局それが元になって賛成するのが正しいんだと思考停止してるように思います。
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2014年9月9日 2:20 AM
GHQ は自由と民主主義というプロパガンダを隠れ蓑にして、公職追放と言論統制で、権力に従順な連中を政府、マスコミ、教育の中核に置いた。組織には権力に従順な人々が必要なことは言うまでもないが、そのようなレベルの人間で国の中核となる政府、マスコミ、教育を固めるということは、もちろん国の外にある権威に支配されることを意味する。日本人がその構造を覆せないでいるのを見て、諸外国はそれを利用しない手はないと考えてきたに違いない。アメリカを乗っ取り、自由も民主主義も形骸化させるのに成功した国際金融マフィアは、TPPなどで、日本にアメリカで成功した構造改革に追従させることで、日本を簡単に攻略できると踏んでいるとしか思えない。
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2014年9月10日 7:07 PM
>実家は朝日をとっていましたので、元旦から読んで気分が悪くな>りました)。ああ、やっぱり。この記述に触れて、知識人の生育環境として朝日新聞はやっぱり不可欠なのだと思いをあらたにいたしました。論壇では威勢よくアンチ朝日をぶっておきながら、自身の子弟には天声人語の筆写を課する、そんな絵が目に浮ぶようだ。
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2014年9月12日 5:19 AM
少し前に話題になった「アイヌいない発言」についての報道に触れ、私も似たようなことを危惧しました。事実関係よりも「弱者」にたいして批判的な発言をしたこと自体が問題視されているように感じられたからです。趣旨としては「アイヌの人たちにとんでもないことを言った奴がいる!」であり、「慰安婦の人たちにとんでもないことを〜〜」と瓜二つです。ああ、何も変わっていなかったんだと思うと同時に、やはりこれではまた同じことを繰り返すのではと思いました。自虐趣味と「弱者」への有無を言わさぬ歪んだ愛情、これらを兼ね備えた「立派な知識人」たちの脳みそをこそかき回す必要があるでしょう。これら自虐と歪んだ愛は、ドロドロとした承認欲求で構成される「知識人」の脳内井戸第一層を覆い隠すための、第二・第三層となっているように思えてなりません^^;
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2014年9月12日 2:50 PM
朝火病???日本の伝統文化の連なりは三層構造ですか、、、もう一層下に「妄想」を組み込んだ状態が朝火病かと。元旦早々 何の根拠もない信念を滔々と語るなんて小心者の僕にはとても出来ない芸当です。「知識人」は朝火病にかかりやすいのかしら、、日銀の黒田総裁が「消費税を10%に上げないと市場の信頼を損なう」と仰ってましたが彼の額の血管が浮き上がっていて「バカ」という文字に見えてしまいました。朝火病の方の特徴は額の血管が「バカ」と浮き出すのかもしれません。
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2014年9月13日 8:03 AM
GHQってものは農地解放に限らず酷いものだと聞いてましたが、事後検閲は、特にひどいですね。自ら検閲することを強要したのですから。それじゃ戦中戦後と、権力に従順だった新聞はわれこそと自己検閲を極めるでしょうし、己自身がいつしか批判されない巨大権力になれば、そのままの姿で日本社会に猛威を振るうのも、わかります。でもそんな世の中も、そろそろ節目になってほしいものですね。そういや政権も「地方創生」ということだそうで、租界や外国人技術者、カジノ、優勢企業選別といった植民地受け入れ政策を、すこしは改める気になったのでしょうか。
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2014年9月14日 8:12 AM
人間の判断やアイデアというものは、無意識の深層を巻き込んで総合的に形成され、どこからともなく湧き出たり閃いたりするものです。表層の理性はそれを検証証明する機能を担っていますが、深層を否定したら、湧き出たり閃いたりしたものの基礎になっているものの価値を否定することになりますから、いざというときの自分独自の判断に自信が持てるはずがありません。ろくに他国民他民族のことも知らずに、日本的なものは悪と見なす。そういう連中に日本の世論を形成する重要な役割を与えてきたのは、やはり日本人に罪悪感劣等感を刷り込もういう勢力だったに違いありません。
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2014年9月16日 6:26 AM
まったく同意致します。結局、新聞よんでしたり顔するエリートさんは、『グローバルって言ってる俺ってかっこいい』、『英語教育って言ってる俺ってかっこいい(おれTOEIC 600点だしかっこいい(笑)』『海外から優秀な人材を受け入れるおれってかっこいい』『国の借金問題解決の為、痛みを伴うが消費税増税を支持するおれってかっこいい』と言う人が多いんですよね。こういう人にデータや事実に基づき反論すると、最初に拒否反応があり、つづけて怒ります。『とにかくそういうもんなんだよ。もっと勉強したほうが良いよ。』とか『そんな事いってるから駄目なんだよ』とかおっしゃいます。しかし、こういう人達はポリシーで言っているのではないので、大多数の意見が変われば、その意見に追従するでしょう。その証拠に、韓国製品はデザインが日本より優れているから、日本製品は駄目なんだよと言う人に、単に円高で負けてるだけじゃね?と言った所、お前は全然わかってねーなーと言われました。今、あの時僕が言った通りだったでしょ?と言うとその人は、えっ?そんな事いったっけ?と全然自覚がありませんでした。まぁ、俺ってかっこいいとか言っている人の考えなんて、そんなものかもしれませんね。
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2014年9月17日 8:49 AM
いつもながら、施先生の的確な分析に感服しつつため息をついています。日本を離れたのは1978年でしたが、そのとき芽生えていた、これから日本が世界をリードするという勢いが、どうして萎えてしまったのか不思議に思っていましたが、少し理解できたように思います。
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