From 平松禎史(アニメーター/演出家)
————————————————————–
●三橋貴明の公式YouTubeチャンネルができました。毎日更新中!
https://www.youtube.com/user/mitsuhashipress
————————————————————–
◯オープニング
おはようございます。
今年の春から新しく執筆陣に加えていただくことになりました。平松禎史(ただし)と申します。
アニメーター・演出家で、イラストの仕事もしております。
最近サボリがちですが趣味でウクレレの練習もぼちぼちと(^_^)
新参者ですがよろしくお願いします。
自分の拙ブログのスタンスには…政治経済も文化の一部であり、アニメ表現を考えるヒントを探れるのではないか…というものがあります。メルマガでは順序を逆にして、アニメや実写映画を入り口に政治経済、文化について考えていければ、と思います。
専門的な理論に照らした論説・具体論は諸先生方にお任せしまして「一般人が思うところ」でいってみたいと思います。
第一話『「供給制約」の贈り物』
◯Aパート
アニメーターの仕事を説明するとそれだけでメルマガが埋まってしまうので簡単に書きますね。
アニメーター(絵描き)の仕事は、人物・動物や自然現象、メカニックなどを絵に描いて動かすことです。
日本のアニメーターには「動画」「原画」という大まかな役職が存在します。(デジタル作画の普及でこの発想も変わってきていますが)
「原画」は画面の設計図と動きのポイント(1ー5ー9…という風に)を描いて芝居を作り出す仕事。
「動画」は「原画」で示された動きのポイントを滑かに動くよう原画の間に絵を入れて(123456789…という風に)完成させる仕事です。
アメリカでは原画をキーアニメーター、動画をインビトウィナーと言いますが「キー(Key)=鍵」と「インビトウィーン(in between)=その間」ということなのでわかりやすいですね。
日本の「原画」は、分業化が徹底しているアメリカでの「キー」の考え方より幅があります。
監督・演出の指示に従って構図を取り、芝居を付ける。カメラマンであり役者でもあるのです。
このような制作過程の違いに日本製アニメの独自性があると思うのですが、機会があればいつか掘り下げてみたいですね。
_ _ _
近頃、公共事業での「供給制約」の存在が問題視されています。
公共事業を行うにあたって、人手不足、資材の需要増による価格高騰で事業が不調をきたしている。事業予算を上げれば参加できる民間企業が制限され民業圧迫になる…。ざっくり言えばこういうものですね。
東北地方太平洋沖地震・津波による東日本大震災の教訓は、地域ごとに適した防災・減災事業の拡大。全国的にはミッシングリンクの解消で被災地域を孤立させない事業の必要性が求められています。
ハード・ソフトの両面でそれら取組みに政府がコミットした計画が「国土強靭化」なわけですね。
長期的に見れば、毎年毎季節やってくる災害に対して国民の生命財産の被害を最小化すること。継続的な取組みによって経済基盤をも盤石にしていき、自然災害と付き合うことによって育まれた日本の技術、伝統文化を継承すること。それが目的ですね。
災害はある程度予測できるものからまったく予測出来ないものまで様々あり被害の様相も然りで人間ごときにコントロールできるものではありません。ゆえに「今は必要ないかもしれない」ものでも「いざという時に命を救う」可能性があるものならば「作るべし!」という考え方が必要になってきます。
その時、手段の中に「供給制約」の問題が生じる。
さて、どうするか?目的は何で、手段をどうすればよいのか?
_ _ _
アニメ制作現場に供給制約のようなものは生じるのでしょうか?
アニメ制作現場でかかるコストのうち、最も大きいのは人件費だろうと思います。デジタル化された現代では「セル」(初期はセルロイド、’50年台からはアセテートの透明な薄い板)を使わなくなったので紙と電気が人件費に次ぐ大きなコストを占めていると思います。24時間体制で動いてる自動車のガソリン代もきっとスゴイでしょうね。
たとえば「劇場作品の制作を開始します。大規模なSFメカアクション大作です。予算はたっぷり!」という場合。
この時点で制約が生じています。劇場作品には熟練スタッフが多く必要です。そして「SF・メカ・アクション」のそれぞれに精通したスタッフも多く必要です。
いくら単価を上げても思うような人材が来るとは限りません。単価の高い仕事は「一定以上の質」を要求されますから若手や自信のない人にとって制約になり得ますし、時期によっては良い人材の取り合いになりスタッフが揃えられない可能性が生じます。
アニメ業界では春秋の新番組、劇場作品が複数立ち上がる度に実際に起こる現象で、週70本ほどのテレビ番組制作は供給力の限界を超えているのが現状です。
さらに「日本の伝統的な神話・民話を題材にした、日本ならではの作品を作りましょう。(たとえば「わんぱく王子の大蛇退治」のような。)」となれば、さらに制約はきつくなります。
経験則だけではなく、作品のために情報収集し取材し勉強し工夫することが全スタッフに求められます。(どんな仕事でも当たり前のことですけどね。)。
ちなみにそのようなプリプロダクションにはギャラが発生しないことが多いので別な仕事をやりながら時間を捻出する必要があるのです。そのような要求は「誰でもできる」仕事ではないですから受ける側にとって強力な制約になり得ます。日本文化から題材をとろうとした場合「日本人であること」あるいは「日本文化に興味があるかどうか」でさえ制約になってしまいます。
同じことは「メカもの」「学園もの」「美少女・美少年もの」とジャンルごとに発生します。
現実に、質の向上やよりリアルな表現、あるいは個性的な表現を求めてしまうと「描ける人がいなくなるから控えめにしよう…」なんていう会話がよく交わされます。
供給制約に屈しているのです。
予算規模が比較的大きく話題性があり高品質で個性的な作品を一言で「意欲的な作品」と言うことにしましょう。たぶん毎シーズン、一社に1本はそのような「意欲的な作品」に直面していることでしょう。
そこで生じる供給制約を回避するために
意欲的な作品作り、やめますか?
仕事を断って制作本数を減らしますか?
品質のハードル上げるの、やめますか?
日本ならではの作品作り、やめますか?
外国へアウトソーシング、増やしますか?
外国にも優れたスタッフはたくさんいますけど、誰もが安くてもどんな仕事でも受けてくれるわけではないのは国内外で変わりません。
何でも良いからと安く海外に出していれば質の低下だけでなく国内スタッフのギャラも上げにくくなってしまいます。(デフレ継続)
供給制約を解消する時に必要な考え方、基本的な思想は何でしょうか?
そもそも、意欲的なアニメ作品を作る《目的》は何でしょうか?
◯中CM
アニメーターになって今年で三十年目になります。そうそう、ホントに三十周年なのです\(^o^)/
最初に動画マンで参加したのが1984年の「レンズマン」「ゴッドマジンガー」だったので、もう30年。
「10年なんであっという間ですね。」という台詞も三回目です。
「アキラ」を最後に動画マンから原画マンになりまして、初めての仕事は「ミスター味っ子」1987年(参加したのは’88年から)でした。ご存じですか?
この作品に出会わなければ今の自分はない、と断言できるほど印象深い仕事でした。
亡き父の跡を継いで下町の食堂を切り盛りする中学生、味吉陽一君が日本料理会の重鎮「味皇」こと村田源二郎と出会い、数々の名人奇人変人料理人と味勝負を重ねながら成長していく物語。
味皇が美味い料理に感激すると「う〜〜〜ま〜〜〜い〜〜〜ぞぉ〜〜〜!!」といって走りだしたり飛んだり巨大化したりする「トリップシーン」が受けてたようです。
若い内にインパクトのある仕事に出会うとその後に大きな影響を及ぼすものですが、「ミスター味っ子」は監督の今川泰宏さんはじめメインの演出陣とキャラクターデザインの加瀬政広さんはじめとする作画陣の「バカバカしいことこそ真剣に、リアリズムをもって表現する」姿勢(私の主観ですが…)にとても影響を受けました。
「味っ子」の内容は常に派手な方向にインフレを起こす傾向だったために、新人の原画マンとしては勉強することが多く毎回が腕試しといった感じで、シリーズ通して参加したアニメ作品ではあれ以上の試練は未だにないと言っても決して大げさではありません。
料理アニメなのに爆発やメカを描き、「回り込み」という画面全体を手描きでグリングリン激しく動かすようなアクションまで描かねばならないんですからね。まったくもって想定外の連続で、最高で7回描き直しを食らったことがあります。描き直しには、させる方もする方にも追加のギャラは発生しません!
自分のような新人が悩みながらやる必要あるのか?もっと上手くて得意な人にやってもらえば早くて良いものができるじゃないか。なんて非合理で非効率な仕事なんだ〜…とジタバタしたりしましたが、そこそこ努力した結果、そこそこ強靭なアニメーターが出来上がったのではないかしら?と思います(^_^;)
◯Bパート
意欲的なアニメ作品を作る《目的》は何か。
日本独自の作品を高品質で作り、その技術を将来へ継承させていく。文化の継承。
これは長期的・大局的に見た目的。
娯楽の一つであるアニメといえども文化を担っていますが、個々の作品の目的は様々ありますね。
商業作品ですから多くの人が観てくれて「おもしろい。感動した。」と感じてくれなければ、制作会社や関連企業、スポンサー様の収益にならず、作り続けることは出来ません。個々の目的の累積が長期的・大局的な目的とズレていなければ尚良いと思います。
_ _ _
意欲的で高品質で予算の潤沢なアニメ企画。「前向きな取組み」それ自体が「供給制約」を生み出す状況がある。
Aパートで書いたように、意欲的な作品企画はスタッフ集めの制約になり得ます。しかし、安い予算や人手不足を理由に作品企画を縮小、簡易化したり、アウトソーシングすることが常態化すればアニメ制作技術は衰退し、日本独自のアニメ作品は作られなくなってしまう。大きな制約を前に「今はしかたがない」と妥協し続けてしまえば、意欲的で高品質で予算の潤沢な企画を立ち上げられるようになるまでに「我々は全て死んでいる」ということになりかねません。
長期的・大局的視点、目的を見誤ればそうなるでしょう。
現状、かなり危うい所まで来ていますが…。
制約の解消方法は「どうやって作るか」に主眼を置かねば目的を達成することは出来ないでしょう。
制約に対して、工夫し努力することで、計画以上、想定以上の強靭化が実現すると思います。時間がかかる事、すぐにできる事、規制を緩和した(慣例を崩した)方が良い部分、目的を見据えて個別の工夫・努力をし続けることで、失敗に簡単に萎れない、落ち込んでも速やかに立ち直って仕事の山に立ち向かえるアニメーターが育っていきます。
それが本当の強靭化につながることであり、その取組みの継続が将来のスタッフを育てるのだと考えます。
アニメ業界では多くの場合、監督が「やる!」という意志を示すことによって個々の工夫や努力が重ねられ、終わった時には個人個人が当初は到達できないと思っていた地点を軽く超えている、ということがよくあります。「成長できていた!」「気が付いたら強靭化されていた!」…ということがよくあるのです。
精神論かな?と自覚するところもありますが(^_^;) 多数決民主主義でなく少々独裁的な決定がなされるアニメ制作ならではかもしれませんが、誤解を恐れずに書けば、日本の古くからの組織運営、共同体運営に近いのではないかと思います。
シビアな話。アニメ制作環境は、予算や時間が少ないからという理由だけで、労働環境が悪くなっているわけではないと思います。この状況を改善する方法としては以下の様なものがあると思います。
費用対効果を厳格化する…つまり全スタッフを社員化もしくは作品契約し作業時間の規律を設けノルマを課して作業させる。
分業を徹底して自分の工程にしか関与しない。
ノルマ、内容が満たせないスタッフは切ることでスタッフ相互の競争を促進し、効率化・合理化が図られれば費用対効果が上がるはず。
…はず、と言った通りになれば従事するスタッフの所得は「今よりは」上がって安定すると思います。
会社の拘束力が強まれば人材育成を経営に乗っけやすくなるかもしれません。良い面はあると思います。合理性を徹底すれば作品の質は安定する可能性はあります。
しかし、アニメーターの数は一時的にかなり減るでしょう。
そのように、経済合理性を押し出したやり方で、合理性とは無縁な「おもしろさ」を手にすることができるだろうか。
アニメ制作現場は一般社会の常識からすれば極めてルーズで無駄が多いのです。極めてルーズで無駄が多いのです。(二度言いました)
なので、供給制約云々を考察するには特殊すぎるかもしれませんが、逆に、むしろ、だからこそ、示唆することが多いのでは?とも思います。
例えばスポーツ選手にたとえてみましょう。
球団の収益は試合での集客がメインだと思いますが、良い試合を行うための公的私的なトレーニング(公開するサービスもありますが)そのものは収益を生みません。試合時間に対してトレーニング時間の方が多いわけですから無駄が多い?…そうでしょうか。
…趣旨に近づけます。
公共事業。
国民が(直接、物理的に)受ける便益は事業費に対して常に見合うわけではありません。交通量の少ない道路や橋梁。立ち退きさせてまで行う道路の新設、拡幅。いつ来るかわからない地震や津波のための耐震・防潮工事。予算に対して恩恵が不確定だから無駄が多い?…そうでしょうか。
無駄、コスト、リスク…不確実で非効率であっても必要なことが山ほどあるのが現実ですね。アニメやスポーツや公共事業の例は一般化出来ないものでしょうけど、ビジネスの世界でも無視出来ない要素だろうと思います。小さい声で言わせていただければ、無駄のない仕事なんておもしろくもなんともないんです。
アニメ制作現場の環境には厳格化した方が良い部分がたくさんあると思いますが、目的を考えればどんなに効率的合理的でもやってはいけない手段があるわけです。現状の追認ではありませんが、0か1かの極論でなく、特定の理論やモデルだけに頼ることなく、中間の何処かを探る工夫・努力をお怠らないことが肝要だと思っています。
「供給制約」という形で露見する問題は、その取組みの目的を気付かせてくれる効用があり、目的のための手段を考えるヒントをくれるものだろうと思います。
前向きに考えれば、それは「贈り物」と言えると思うわけです。
国政ではさらに大きく複雑な要素が入り組んできますが、0か1か、特定の理論やモデルで解決可能なのか、単純化は危険です。
供給制約があるから控えめに… 学術的理屈をつけてやめさせよう… そんなことでは(そんなことを是認させる思想に従っていたのでは)目的は達成できないでしょう。国土強靭化はおろか、デフレすら脱却できないでしょうし、戦後レジームなど永久に脱却不可能ではないのか、と思うわけです。
_ _ _
アニメ制作現場の話はあくまで示唆するかもしれない…程度の事例でしかないものです。しかし、人間や自然(現実)を相手にしている私たちは「明確」で「理論通り」の「常に正しい」答えを得ることはあり得ず、現実がもたらす示唆から受け取る力が常に試され、問われていると考えます。
こうした思考は、カントが提唱した「格率」に適っているかどうか、明確に断言はできません。藤井聡教授が「プラグマティズムの作法」で紹介されていたチャールズ・サンダース・パースの”プラグマティズムの格率”に照らしてみれば、問題にされている「供給制約」は目的に適うような解消の仕方が適切となる。その模索自体に目的達成につながる意義が生じると考えるわけです。
様々な仕事、様々な環境、それぞれの人生… 多様性の中にある普遍性(格率)として共有可能な《目的》を見据えることが大事なのではないでしょうか?
その《目的》は、おそらく国の文化(個性)によって大きく異なるわけで、グローバリズムで世界統一など到底できるものではない。否、統一してはいけないものでしょう。
さて、日本固有の、国土強靭化の《目的》は何だったでしょうか?
_ _ _
アニメ制作という極めて非合理的で非効率な仕事を続けてきて、この業界に山積する問題は「すぐに・完全に」は解消できないことを痛感します。
国内で大人も観てくれる作品が増え、海外で高評価を得るに至った理由は、複雑な問題を抱えながらも目的を見据え、少しづつ是正してきた先人・先輩方の工夫と努力の結果であり、継承しようとする意思…志…が花咲かせたものだろうと思います。
それだけは忘れたくないとつくづく思う平成二十六年、業界三十周年の春です。
「つづく」
◯エンディング
「キルラキル」というアニメがあります。
物語は三月末で最襲話を迎えました。
「服」によって世界の人々の心を画一化しコントロールしようとする悪役との戦いなのですが、とても示唆に富んでいました。
人は服を自ら選んで着るのであって、人が服に着られてはいけない。「人は人、服は服」なのだ、と。
現実が特定の理論やモデルに歪められようとする現代、グローバリズムに大きな「?」がつく現代、まさに我が意を得たりと言いたくなる物語でした。
PS
韓国大崩壊 ただ1つの理由とは?
https://www.youtube.com/watch?v=ZK5RY5rIGs8
<平松禎史からのお知らせ>
◯後CM 1
タイトルの「霧につつまれたハリネズミ」はロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインの作品です。
幻想的な切り紙アニメーションで、駆け出しだった若い頃上映会で観た作品です。
深い霧の中をさまようハリネズミくんのように、様々なものに出会いながら考えを巡らせていきたいですね。
ちなみにコラムの書式は30分枠のアニメのシナリオと放送フォーマットの形を模しています。
◯後CM 2
さかき漣先生とのコラボレーション企画が進行中です。
どんなものになるかは小出しにじわじわと公開していきたいと思います。
お楽しみに♪
◯後CM3
音楽や映画などの情報発信やイベント主催を活発に行っている「ロッキング・オン」が立ち上げたコラボTシャツブランド「Rockin’ star」から「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」のコラボTシャツシリーズが発売中。
アスカ・レイ・マリの3種ともイラストは私、平松禎史が描いております。
http://rockinstar.jp/products/248/
http://rockinstar.jp/products/212/
http://rockinstar.jp/products/268/
拙ブログ Tempo rubato :_http://ameblo.jp/tadashi-hiramatz/
【平松禎史】霧につつまれたハリネズミのつぶやき:第一話への3件のコメント
2014年4月20日 2:01 PM
珍しい業界の現場の人間の意見は非常に面白いです。次の記事も楽しみに待っています。
コメントに返信する
メールアドレスが公開されることはありません。
* が付いている欄は必須項目です
2014年4月21日 11:32 AM
本稿、非常に興味深く拝見させて戴きました。三橋貴明先生を追っかけるようになってからというもの、平松禎史先生のような、その種の業界に興味以上のものがある方でないと辿り着かない多方面の業界の先生方のご意見に接することができるようになり幸いです。また、個人的にもキルラキルは大変面白かったですし、平松先生が「まおゆう」をどうご覧になられたのか、などブログ等も追っかけてみたく思いました。
コメントに返信する
メールアドレスが公開されることはありません。
* が付いている欄は必須項目です
2014年4月23日 8:53 AM
スマホが使用できないリニア新幹線。情報端末が使用できない乗り物が実用に耐えるとは考えにくいのですが、政府の政策として施行中です。 国会提出のリニア計画書の中に意図的に情報端末使用不可の文字が消されていた? 真珠湾攻撃という政府の政策施行について敗戦後の日本国民はどれほどの公開された真実に触れることが出来たでしょうか? この政策の目的、細部にわたる政策施行計画、目的未立の場合の2次、3次の計画。爆弾を落として引き返してきただけの様な、当時のフィルムの印象です。米国太平洋艦隊の撃滅が目的であろうと推測しますが、その原因? 情報漏れ(スパイ等)? 偶然? 天皇のサイン入り命令書だから失敗するはずがない? ?によって政策目的達成と議会に報告された? ?によってマスコミを通じ全国民に大勝利と報じられた。 真珠湾攻撃という政府の政策施行の徹底解剖(立案に携わった組織、人々、そして実行の真相、施行目的未立後の政府内部の責任のなすり合いと隠匿、当時の米国側の書類は米国国会図書館に眠ったままのような?)なども情報端末の使用できないリニアと結びつきます。 風が吹いてコロッと民主党の政権が誕生したように、既成の政策施行の延長線上の統治の姿では、10年程度で限界(GDPの三倍、1500兆円の国債発行に挑戦中)が来そうな? そして主民党か? 電子マネーだから一人の手でキーボードから無限に発行できそうな気もするし?
コメントに返信する
メールアドレスが公開されることはありません。
* が付いている欄は必須項目です
コメントを残す
メールアドレスが公開されることはありません。
* が付いている欄は必須項目です