From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
戦後日本の欺瞞と虚無に抗い続けた「思想の侠客」西部邁先生が「自裁」されました(「思想の侠客」とは、記者・編集者として先生の謦咳に接するようになって二十数年を過ごした筆者の印象です)。
西部先生の遺作は昨年12月刊の『保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)になります。同書のあとがきの前半部分は、口述筆記をつとめた娘さんへの「遺書」になっています。
先生は〈ある私的な振る舞いの予定日〉を決めていたのですが、衆議院選挙が行われることになったので繰り延べ、予定を決行したのが1月21日ということになります。
週刊誌などが報じる「拳銃もあるから」云々の話は、筆者も酒場で杯を重ねながら幾度か先生に聞かされましたが、先生は、早朝、多摩川に飛び込み、厳寒の流水に果てました。仄聞するに、ご家族や警察などにかける厄介を十分に考え、周到に「自裁」のための準備をされたようです。
正直、今の筆者に整理された話は書けそうもないのですが、思い出すまま西部先生の発せられた言葉をご紹介し、先生への追悼と敬愛の念に代えたいと思います。
思えば、昨年6月刊の『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)のあとがきに〈利き腕である右手が動かせなくなり、これが私の書記としては最後のものになると思われる。……私のあれこれの著作に目を通して下さってこられた読者諸賢に「有り難いことでした」と挨拶させて頂く〉と述べられたのは、「自裁」が明瞭なる形で先生の前に像を結んでいたのでしょう。
同書は、〈(大東亜戦争の)「敗北」を目の当たりにした少年の「鬱勃たる憂鬱」〉から始まります。
書き手ははじめ「少年」を描き、次いで「青年」、「壮年」、「熟年者」、さらに「この男」と、「この老人」が混在して、生を受けてからの歩みを率直に、世の出来事と己の思惟とを重ね合わせて描いてゆきます。それはあたかも西部邁の人生譜を絵巻物のように、具体的な描写によって読む者の頭に映像を結びます。
そこには筆者が編集者として立ち合った現場も幾つかあり(恐縮ながら西部先生と議論したことも一再ならず…)、同時代の群像の端役の一人ではあっても、自らを確認出来る喜びがありました。
西部先生の著述にはカタカナ文字がたくさん出てくるので、敬遠する読者もいるでしょうが、それは先生の「言葉の定義」へのこだわり故で、「思想が言葉」であることを揺るがせにできないという姿勢であったと思います。
『ファシスタたらんとした者』は、「武士道」の潔さ、「任侠」の世界、「夫婦の情愛」などを描いた日本的な小説の趣もあり、つねに周囲を巻き込む魅力と磁力を持っていた先生とその時代の群像劇でもあります。
小林秀雄はかつて吉田満の『戦艦大和の最後』に寄せた跋文で〈正直な経験談の出来ぬ人には、文化の批評も不可能である〉と述べました。この意味で、ファシスタたらんとした男は、「正直な経験談」を綴り、物議を醸し続けた所以を語って、それを「最後のメッセージ」としたのだと思います。ご一読を乞うものです。
西部先生が『保守の真髄』で〈自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装〉で、その実態は〈病院死〉であり、〈生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない〉と述べられたのは、単に肉体の始末に関わることではなく、生涯かけて貫こうとした「価値」を守ることであったと筆者は確信しています。
それは何か――。
お付き合いのあった方々が同様に語るように、西部先生が「自裁」について言及されるようになったのは最近ではありません。保守思想を自らに迎え容れられてからずっとそれは内包していました。
21世紀を目前に控えた平成12(2000)年、筆者は『正論』誌上に「ニヒリズムに立ち向かう心」と題して一文書いていただきました。先生は当時61歳、そこには〈生涯かけて貫こうとした「価値」〉が語られています。長文ですがどうかお付き合いください。
〈今からちょうど四十年前、私は一介のニヒリストであった。正確には能動的(アクティブ)ニヒリストを気取って、いくつかの政治的犯罪に加担し、さらにはそれらを率先するといった振る舞いに明け暮れていた。(略)
その翌年に政治から離れて独りになって、三つの裁判所に八年間かかわり、経済学をはじめとするいくつもの専門の社会諸科学に広く浅く触れてみても、私に巣食ったニヒリズムは、能動的なものから受動的なものに退歩しこそすれ、一向に衰える気配はなかった。(略)
今からちょうど二十年前の厄年のとき、私は、自分のニヒリズムを思想の次元で健康なものに転換すべく、保守思想を迎え容れようと決意した。
つまり、信じ望み愛する対象も方法もまだみつからねども、自分の感性や理性には何ほどか確かな根拠がありうるのだということ、その根拠を私ごときものにまで運んでくれるために歴史が(そして、その実体化としての慣習とそこに内蔵されている英知の形式化としての伝統とが)あったのだということ、歴史・慣習・伝統への解釈は真や善や美にかんする疑念と信念の相克という形で進むであろうこと、その相克を経巡るうちにニヒリズムからの脱出口が仄見えぬともかぎらぬこと、などを私は知るに至った。
それから二十年、限られた心身の能力をほぼフルに稼働させて私はニヒリズムと戦ってきた。で、ニヒリズムからの脱出口はすぐそこにあると判明したのであるが、そこに実際に達するのが不可能であるとも判明した。なぜといって、時代状況がますます深くニヒリズムにのめり込んでいるからである。(略)
かくて私は、新世紀の初頭、たぶん十年かそこらで終わるのであろうが、ニヒリズムにたいする最後の戦いを、負けるとわかっていながら仕掛ける以外に生き方も死に方もみつからぬといった仕儀に立ち至っているわけである。(略)
「死に値する徳」が具体的に何であるか、それは、ある戦争状態では特攻であり、ある平和状態では家族に迷惑をかけないことであるというふうに、具体的状況が与えられなければ論じ切れないものではある。はっきりしているのは、尊重に値する生命は、(動植物のを含めた)生命一般などではありえようがなく、精神的動物としての人間の生命だという一点である。そして精神なるものの結構が「死に値する徳」によって保たれているとするならば、生命の尊重は自死の選択と表裏一体となる。
「死に値する徳」が簡単にみつかるなどといおうとしているのではない。(略)明白なのは、そうした徳は伝統の精神の精髄たるの位置にあるということ、そして歴史慣習のなかにそれが発見されるのである以上、「ナショナルなもの」への配慮なしにその最高位の徳への接近は不可能であるということである。
ナショナリティ(国民性)を超えた普遍的な徳への考察が不要だといっているのでもない。国際関係は、昔も今も、相手のナショナリティへの配慮なしには安定しえず、その配慮が「人権をはじめとする」普遍的な徳への考察を促す。ただそうした普遍性は無限遠の抽象的な理想として夢想されるのがつねであり、具体性を帯びたものとしての徳は、強かれ弱かれ、ナショナリティに結びついている。
逆にいうと、グローバリズムは徳の観念からの、あるいは抽象的な徳への、逃避という意味で、不徳の思想なのである。そうと察知すればこそ、大衆人たちはこぞって国境を超えようとしている。いや、たまの旅行ややむをえぬ仕事を除いては、国境を超えて生きることなど叶わぬようなちっぽけな存在であるにもかかわらず、自分が国境を一またぎで超えることのできる巨人であるかのように偽装し、そして自分の帰属する国家(国民とその政府)に忘恩の徒よろしく反逆の言葉をあびせかけている。
こうした大衆の挙動は、新世紀初頭の十年間くらい、ますます猛威をふるうであろう。ナショナリティとモラリティを失っているのであるから、彼らはサイボーグ(人造人間)にしてサイコパス(人格破綻者)である。この不気味な軍団が徳ある生にたいする大がかりな出征を企てているのであるから、それへの一撃のためには、当方も自死の覚悟でいかざるをえないのではないか。
自死のことをいうからといって、政治的テロルのことを連想しないでいただきたい。私にはそんな大仰なこと、もしくは酔狂なことを企てる気力も能力もない。
私がいっているのは、生き延びるために徳に眼をつむるのは、とくに十二分に長生きした私のような人間にあっては、「現代における最も気味の悪い訪問者」(ニーチェ)たるニヒリズムを生の奥座敷に招じ入れるようなものだということである。ニヒリズムは、自死よりもはるかに恐ろしいものを、つまり自分の精神が生きながらにして錆びついたり腐ったりしていくという状態を当人に強制する。一回かぎりの自分の生がそのような死と張り合わせになっていると知るのは戦慄に値することである。〉
ニヒリズムとグローバリズムとの関係性をも喝破して、それに抗う西部先生の姿がここにあり、その後二十年近く戦い続けられたことになります。先生は二十世紀初頭の十年かそこらと書かれましたが、〈現代における最も気味の悪い訪問者〉との戦いは終わる気配を見せません。筆者は、西部先生の「遺志」を受け止め、心に刻みたいと思っています。
〈上島嘉郎からのお知らせ〉
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(1月17日〈韓国とは付き合わないという選択肢/おい、小池! ICANぜよ~反核幻想を振りまく人々〉)
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(1月24日〈ノーベル平和賞のご都合主義/トルコと串本町の絆~真実の歴史を未来に紡ぐ/安倍首相、平昌五輪開会式に出席~「拒否」は伝わるのか〉)
https://www.youtube.com/watch?v=gqI2lVXPrkE
【上島嘉郎】追悼 西部邁先生への4件のコメント
2018年1月26日 2:58 PM
ニヒリズムとの戦い
虚無主義思想を克服する
これはすべての人間、特に現代の人間にとっての重大な精神的問題課題であります。
実際にはそのことに気づける人間が第一に少ないでしょうが、それを感じた人間は死ぬまで抗い闘い続けることになるか、虚無そのものとなって精神を持っていかれるかどちらかになるのでしょう。
この戦いは正に日本という亡国家民族、亡故郷、亡歴史、亡将来的な状況にある国ではそれこそ未来は闇しかなく、過去とのつながりも断たれて、存在の根が掴む大地も見失い、とてつもない虚無の中で刹那的、虚無的な精神状況における絶対的不利な戦いとなってしまうものです。
敗戦前の思想家でさえ戦いに勝つことが見出せず自死しているというのに現在はこれですから、現実が見えれば見えるだけ絶望的な戦いになるのです。
最終的にこの虚無の中で幻想でも確かなものを精神に根付かそうとするならば、宗教的存在くらいしかないのかもしれません。
本当に大地のように確かなものは西部先生の言うとおり、ナショナリティというようなものの中にしか存在しないのかもしれませんが、世界的時代的虚無の潮流の中でさらに亡国家民族の加速進行する日本において、そのナショナリティを見出し確立することは絶望の中の絶望でありましょう。
しかし精神とは戦い抜いて勝てなかったとしても、
闘わずして負けてしまうよりよほど生きて存在するものだと確信しています。
それは何より敗戦後の主権を取り戻す意志も失った日本という国家が精神の死とはどういうものかを物語っているでしょう。
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2018年1月27日 9:07 PM
国家運営の基本は牧羊。そこに悪意は必要ない。危機対処の根幹はプロ意識。コントロールを失いつつある飛行機の中で、機長乗組員乗務員は、何をすべきか、どう振舞うべきか、ということ。
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2018年1月29日 12:39 PM
自分が初めて西部先生の存在を知ったのは、大学の学園祭のときの講演を拝聴したときでした。
それまで自分は自然科学ならかろうじて、社会科学はもうさっぱりわからない、という暗愚であり、たまたま友人の誘いでついていったのですが、そのときの講演で、(社会科学の)言葉と、現実の社会とが結びつき、初めて合点がいった記憶があります。
この人の話ならば、自分のようなものでも世の中で言われる政治経済問題が分かるかもしれない。
そう思い、雑誌「発言者」を読もうと頑張った覚えがあります。
その後就職して20年すこし、自分はまだ50歳手前で、子育てに忙殺され、多大な責任感から虚無どころではないようです。でも、伝える先がなくなったとしたら、と考えますと、なにか伝わるような気がいたします。
そして、同様な可能性の自他へは、期待に応えることも大事と、そう思いました。
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2021年1月13日 12:42 PM
近年やっと”グローバルな世界”と言う言葉が陳腐であり利己的な思惑から来ていることを知っりました。大統領の”フェイクニュース”と言うフレーズから半信半疑ながら調べ始め、生を受けた時からの洗脳が解け始めました。生前の西部先生の知って居るからこその苦悩が少し解って来たように思います。”何故皆んな分からないんだ気付けよ”と。腐敗し続ける日本を観ている事が辛かったと思います。しかし発信し続け上島先生のように自分に続く人々をしっかりと育ててくださっていたことに感謝いたします。ダンディだった西部先生❗️蒔いた種は芽を出しています。ご安心下さい。洗脳に気付く国民がもっともっと増えますように!!
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