From 佐藤健志
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【おことわり】
今週の記事には、飲食中にお読みになるには不適切な内容が含まれています。
食事の直前や直後にお読みになるのも、避けたほうが良いでしょう。
以上の点にご留意のうえ、ご覧くださいますようお願いいたします。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』のキーワードの一つとなっているのが、「キッチュ」(Kitsch)の概念。
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とりあえず「思考停止を伴った自己絶対化」と考えていただいて構いませんが、実際にはもっと微妙な含みがあります。
キッチュには以下の特徴が見られるのです。
1)明らかに無理のあるタテマエを、「誰でも理想として信奉している(はず)だ」という理由で美化・絶対化する。
2)したがって、当該のタテマエに疑問を差し挟むことを許さない。
3)そのような姿勢を取るうえで都合の悪い一切の事柄を、汚物のごとく見なして排除の対象とする。
注目すべきは、(1)と(3)が矛盾すること。
キッチュにおいて持ち出されるタテマエには、もともと明らかな無理があるのです。
それを美化・絶対化したがるのですから、かえって無理が際立ってしまうのは避けられない。
すなわちタテマエを脅かす「汚物」は、当のタテマエを信奉する自分(たち)の中から出てくるのです。
「身から出たサビ」ならぬ「身から出たクソ」ですな。
とはいえ、この点を認めたら最後、キッチュが崩壊するのは確実。
裏を返せば、キッチュは「自分(たち)の中から汚物が出てくるはずはない」という前提なしに成立しません。
けれども人間、誰しも排泄せずには生きられない。
同様、無理のあるタテマエを絶対化したら、かえって無理が際立つのも避けられない。
汚物は否応なしに出てくるのです。
このジレンマに直面させられたとき、キッチュな人間はどうなるか?
チェコ出身の作家ミラン・クンデラは、傑作『存在の耐えられない軽さ』で、ヤーコフ・スターリンという人物の死を通して、この点を的確、かつ痛烈に描き出しました。
ヤーコフは旧ソ連の独裁的指導者ヨシフ・スターリンの長男ですが、幼い頃から心身ともに虐待されて育ったうえ、第二次大戦ではドイツの捕虜になってしまう。
おまけにスターリンは、捕虜になるのは祖国への裏切り行為だとばかり、ヤーコフを公然と見捨てるんですね。
当時のソ連は、世界初の社会主義国家として「地上の楽園」を建設するというタテマエを謳っていましたが、そこにひそむ闇というか、ダーティな側面をさんざん突きつけられたわけです。
しかるに。
クンデラによれば、ヤーコフは捕虜収容所のトイレを自分の大便で汚しまくります。
たまりかねた仲間の捕虜は、便器を清掃するよう何度も要求するのですが、ヤーコフは断固として拒否、収容所の司令官にまで直訴しました。
むろん、司令官は相手にしません。
当たり前でしょう。
収容所はホテルじゃないんですから、自分で汚したトイレくらい自分で清掃しろ、です。
するとヤーコフはどうしたか?
ロシア語でさんざん天を呪ったあげく、収容所を取り巻く有刺鉄線に走って行ったのです!
鉄線には電流が流れていたので、彼はそのまま感電死しました。
自分の中から汚物が出てくると認めるぐらいなら死んでやる!!
この発想に、クンデラは究極のキッチュを見ます。
たしかにそうでしょう。
戦時中の極端で例外的な事例、そう片付けたくなるところですが・・・
さて、お立ち会い。
朝日新聞の政治部次長・高橋純子さんは、さる2月28日、こんなコラム風の記事を発表しました。
「『だまってトイレをつまらせろ』 あなたならどうする」。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ2V54CGJ2VUTFK00L.html?_requesturl=articles/ASJ2V54CGJ2VUTFK00L.html
それによると高橋さんの頭の中では、このところ、何かにつけて「だまってトイレをつまらせろ」というフレーズがこだましている。
さすがに本人も困っているとの話ですが、女性の新聞記者が、なぜトイレをつまらせることに執着しているのか?
きっかけは、ある本でこんな問いかけに接したことらしい。
ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。
記事において、高橋さんは自分の反応をこう記しました。
(1)代表団を結成し、会社側と交渉する。
(2)闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。
まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。
(表記を一部変更。以下同じ)
引用文中の「実力闘争」が、具体的に何を指すのかは、正直よく分かりません。
「トイレにはトイレットペーパーを置け!」という要求を掲げて、ストライキでもするつもりですかね?
お笑いじみてくるものの、それは不問としましょう。
高橋さんが読んでいた本には、第三の選択肢として、こんなことが書かれていたのです。
(3)新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。
この戦術を提唱した人物は船本洲治さんといって、1960年代末から1970年代初頭にかけて、山谷や釜ヶ崎(どちらも日雇い労働者の多いスラム街)で名を馳せた活動家だそうです。
とまれ、高橋さんはこれにいたく感動しました。
いわく。
私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。
生かされるな、生きろ。
私たちは自由だ。
・・・失礼ながら、ますますもって意味不明です。
持参したポケットティッシュで尻を拭くと自由ではなく、そこらに落ちている新聞紙で拭くと自由だと主張したがっているようですが、なぜそういう結論になるのか、私にはサッパリ理解できません。
ついでにこの論法に従った場合、会社側の用意したトイレットペーパーで尻を拭いたら最後、「社畜」として隷属させられるハメになるんじゃないですかね?
とはいえ、これも不問とします。
ポイントは高橋純子さんが、クソまみれの新聞紙で詰まったトイレ(のイメージ)に「きらめくなにか」を感じてしまったこと。
この発想が、自分の大便でトイレを汚しまくったあげく、清掃を命じられるや死を選んだヤーコフ・スターリンのそれと瓜二つなのは明らかでしょう。
私は自由だ、汚物まできらめいている!!
朝日新聞では目下、たんなるキッチュを通り越した〈ヤーコフ化〉とも形容すべき現象が発生しているように見受けられるのです。
これが意味するところについては、次週の記事で考えてゆきましょう。
ではでは♪
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4)「崩壊の危機に直面した国家にはさまざまな腐敗がつきものだが、フランスの新たな共和制は、なんと誕生の瞬間から腐敗にまみれている」(216ページ)
〈ヤーコフ化〉の原点は、フランス革命にあったのではないでしょうか。
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5)「イギリスとの縁をあと五十年も切らずにいたら、どうなると思うかね? 向こうの法律、慣習、および国民的品格は、ことごとく腐敗のきわみに達するだろう。まさに腐れ縁」(268ページ)
アメリカ独立も、キッチュへの抵抗だったのです。
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