From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
突然ですが、以下は何の順位かわかるでしょうか。
①舛添要一 23.7%
②鳩山由紀夫 8.3%
③菅直人 7.4%
続いてこちらの順位も。
①前原誠司 8.9%
②岡田克也 7.2%
②石破茂 7.2%
前者は「次の首相にふさわしい人」は誰かという共同通信の2010年3月調査の結果、後者は時事通信の2011年2月調査の結果です。鳩山由紀夫氏を首班とする民主党政権が誕生して半年後には、なんと舛添氏が鳩山氏の3倍近い支持を得て「次の首相にふさわしい人」のトップになっていたのです。
そして、翌年3月の東日本大震災前に行われた時事通信の調査では、いまや「どこにいるの、その人?」といった感のある前原誠司氏がトップ。震災発生時の首相は菅直人氏で、菅氏の資金管理団体が在日韓国人系金融機関の元理事長から計104万円の献金を受け取っていたことが発覚した日に大震災は起きました。ちなみにその5日前には前原氏が在日韓国人から合計20万円の献金を受け取っていた問題で外相を辞任しています。いずれも政治資金規正法違反ですね。
さて、さまざまなメディアが政治や社会に関わる世論調査を行って「民意」なるものを問い、その結果をもって評論を展開しますが、「民意」とは一体何でしょう。広辞苑(第六版)を引くと、「人民の意思」と書かれています。
で、民主主義は何かというと、端的には「人民」と「権力」とを結合したもので、「権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態」ということになります。
新聞を〈民意反映の機関〉〈民意を進歩の方向に導くための理想をもって始められた「文明国」らしい仕事〉と書いたのは宮本百合子ですが、民主主義は「民意」に耳を傾けることが大切だと、新聞はじめメディアが口を酸っぱくして言うのは、この「民意」を信じているからなのですね、きっと。
ところが民意は、いかにも気まぐれというほかない様相を再々呈します。無責任であり、身勝手であり、移り気で掴みどころのないものです。昨今新聞、テレビで取り上げられぬ日のない「森友学園問題」や「豊洲市場問題」などを眺めていると、それを痛感せざるを得ません。
もちろん、メディアを通じて伝えられる民意が、どれほど「人民の意思」を実際的に反映しているかにも注意が必要です。メディア個々の〈進歩の方向〉性や〈理想〉、あるいは情報や意見の商品的価値をどこに置くかによって発信される内容に偏りが生じるからです。
私見ですが、この場合メディアは「よりスキャンダラス」で「より刺激的」、そしてより不安にさせ、より不満を抱かせる方向に流れがちです。近年顕著だったのは、東日本大震災時の福島第一原発事故にともなう放射線の影響に関する報道だったと思います。科学的根拠の極めて乏しい「煽り」記事や放送が健康被害の恐怖や農海産物への風評被害をもたらし、それはいまも続いています。
「煽り」がどんな「民意」となって現れるか。東日本大震災が被災者の救援から復興へと向かいつつあるとき、被災地を応援しようと企画されたイベントが「放射能が拡散する」という「民意」によって相次いで中止に追い込まれました。
たとえば同年9月18日、愛知県日進市は「にっしん夢まつり・夢花火」で予定していた被災3県の花火を含め計2千発の打ち上げを「汚染された花火を持ち込むのか」などという市民からのクレームを受け福島県産の花火の打ち上げを中止しました(このときクレームは約20件だという)。
同8月16日に京都市で行われた「五山送り火」でも、津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の国の名勝「高田松原」の松で作ったまきを燃やす計画が「放射能汚染が心配」などとする市民の声を受け、二転三転したあげくに中止されました。他にも福島県の生産者を支援するため福岡市の商業施設でオープン予定だった福島県産品の販売所が「汚染された農産物を持ち込むな」「不買運動を起こす」などという抗議メールを受けて出店断念に追い込まれました。
被災3県の瓦礫処理の問題でも、東京都が9月末には東北の自治体以外で初めて処理の受け入れを表明しました。実際に岩手県宮古市の瓦礫第一便約30トンが到着し、処理を開始した11月3日までの間に都には3328件のメールや電話が寄せられ、うち2874件が反対や苦情で、賛成などの声は200件だったという。
当時の石原慎太郎知事は同年11月4日の会見で、「みんなで協力しなければしようがない。自分のことしか考えないのは、日本人がダメになった証拠の一つだ。(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」と語りました。
環境省によると、平成23年11月の時点で瓦礫処理の受け入れを実施した市町村は東京都と山形県内の6カ所だけ。震災直後の4月の段階で受け入れを表明していた572市町村はどうなったのか。一度は受け入れに挙げた手を下ろさせたのは、「放射能をばらまくな」「汚い」といった「民意」に議会などが反応したからで、「民意」がそこに向かえば、それを説き伏せる指導者は稀ということですね。
「民意」が形成される過程においてメディアが果たすべき役割は何かを改めて考えねばなりません。「放射能をばらまくな」「汚い」と叫ぶだけが「民意」でないことをメディアはきちんと伝えたか。
平成23年8月19日付の産経新聞【談話室】という読者欄に〈セシウム牛肉、私は食べる〉と題する一文が掲載されていました。投稿者は大分県に住む77歳の男性です。
〈日本国中、セシウムが検出された牛肉でパニックである。
農林水産省は放射性物質を含んだわらを食べた疑いのある牛の肉をすべて食肉流通団体に買い上げさせ、焼却処分するという。もったいない話である。
今までのところ、セシウムが検出された牛肉の最高値は1キロ当たり4350ベクレルとのこと。
私なりにネットで調べて計算してみたが、この肉200グラムをステーキにして年間に10枚食べても、年間の被曝量は0.1653ミリシーベルトだった。この量ならば、私は全く安心である。
東北の人たちの汗の結晶である牛肉を捨てないでほしい。ぜひ店頭に並べてほしい。ラベルで、セシウムの検出量などを表示してくれさえすればよい。そして、少し安くしてくれると、なおありがたい。
その牛肉を買うかどうかは消費者が自分で決める。子供や若い女性が控えるのも自由だ。
私は買って食べる。〉
これも「民意」の一つです。この男性は自分が食べることを前提に、“わが身”の問題として考えています。他者に押し付けていない。かつて日下公人先生とある本をつくる折にこの投稿について話したところ、日下先生は、「見事だね。日々の暮らしでの中では、喫煙やアルコール摂取の影響もある。放射線はそれらと比べてどうなのか、という比較があってよい。“正しく怖がる”ことの難しさだが、案外庶民はちんと判断しているのではないか。風評被害など問題をややこしくしているのは、責任逃れをしたい政治家、役人、学者、マスコミと、ここぞとばかりに“反原発”の機運に油を注ぎたい“プロ市民”である」と述べました。
さてここで、私はスペインの哲学者オルテガの言葉を思い出します。
オルテガは「大衆」とは階級的概念でなくて人間の区分である、と述べています。人間には二種類あって「自分に多くを要求し、すすんで自分の上に困難と義務を背負いこもうとする人間」と「自分になんら特別の要求をしない」平均的な人間で、これを「大衆」的人間であるとしている。
その本質は自ら属する共同体への責任や義務を自覚しない「慢心した坊ちゃん」のようなもので、オルテガは19世紀から20世紀にかけての時代の特徴を、こうした「大衆」的人間の「凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする点である」としました。
「民意」がこうした「慢心した坊ちゃん」の意思に堕しないよう心したいものです。
〈上島嘉郎からのお知らせ〉
●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する
『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)
http://www.amazon.co.jp/dp/4569827268
●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/484706092X
●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
(3月8日「小池劇場と浮遊するメディアの無責任 / 実録 フリーランスへの道」)
https://www.youtube.com/watch?v=leKDiUU8cjA
(3月17日「政治とメディアの狂想曲 / 政治家までの距離(ディスタンス)」)
https://www.youtube.com/watch?v=XeDJYsUdO9g
●『Voice』(PHP研究所)4月号に寄稿しました。
(3月10日発売)「戦争とテロを分かつもの」
http://www.php.co.jp/magazine/voice/
【上島嘉郎】「慢心した坊ちゃん」の時代への2件のコメント
2017年3月24日 12:17 PM
上島さんのおことば、まことに心強い。
学生時代を阪神沿線で暮らした後、移り住んだ当地で6年前に被災、そのまま暮らしている身だが、福島県産の水産農産品を厭う人の気持ちはわかる。ふだんから曲がったキュウリ、あばたのあるリンゴを嫌わず、トレーサビリティにこだわってこなかった人だけが、大上段から連帯を説く資格があると思う。
被災地の農水産物は他県にまわさず地産地消してくれという意見には、浴びせたいことばが山ほどあるけれども、この程度の無邪気な独善は私にもないわけではない。福島から岩手にかけての魚は本当にうまい。原発の立っているところは大抵うまい魚が獲れる。前々からあまり流通させてほしくないと思っていたので、願ったり叶ったり、召し上がらないのならよそに回さず、みんな持って来てほしい。
インバウンドもほとんど増えておらず、温泉地観光地、相変わらず日本人だけでのほほんと落ち着いていることも、よそには知られたくない。イギリス人のALTに、日本でここが母国の気候風土に一番近い、川伝いに多くの大学が集まっているのもケンブリッジに似ている、とまで世辞を吐かせてしまったのは当方の不徳の致すところだが、そういった口コミもむやみに発信せず、知る人ぞ知る別天地でちっとも構わないと思っている。
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2017年3月24日 8:18 PM
>私見ですが、この場合メディアは「よりスキャンダラス」で「より刺激的」、そしてより不安にさせ、より不満を抱かせる方向に流れがちです。
何故こういうことになるのかは、非常に興味深いですね。
ラーメン二郎というラーメン屋があります。
ここで出されるのはただのラーメンではなく、猛烈に脂っこく、量が多く、人工調味料が大量に入っていることが特徴です。
肥満と疾病に大きな影響を与えるこの食べ物ですが、妙にリピーターが多いことが知られています。
きっと病みつきになる食べ物なのでしょう。
店主へのインタビューによると、「人工調味料を入れるのをやめたら客が減った。この人工臭い味が受けているんだ」とのことです。
自分が厚生労働省の人間なら、タバコよりもまずラーメン二郎を取り締まるんじゃないか…と思うほどなのですが、妙な人気を得ているという不思議があります。
おそらくああいうのを好んで食べる人と、スキャンダルを喜んでみる人というのは、本質的に同じなのではないかと思うわけです。
病的なものを欲する人と、それに向けて商品を開発する人とがセットになっているわけです。
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