From 室伏謙一@政策コンサルタント/室伏政策研究室代表
俄かに注目を集め始めた現代貨幣理論、いわゆるMMT、これについては読者諸氏は既に十分ご理解されていると思います。私も先日出演した東京MXテレビの情報番組「モーニングCROSS」で解説させていただきました。私が強調したのは、⑴自国通貨を発行できる政府はデフォルトすることはありえない、⑵銀行が貸し出しをすることで預金が生まれる(信用創造)ので、政府の財政赤字は民間貯蓄の制約を受けることはなく、政府の赤字財政支出が民間貯蓄(預金)を生む、の2点でした。しかし、⑵については少々理解しにくかったのか、番組での私の説明は東京MXのニュースサイトで後日取り上げられたものの、⑵には触れられていません。(東京MXのニュースサイト「MXプラス」の記事についてはこちらから。「財務省も警戒する「MMT」とは…?政策コンサルタントが徹底解説!」
https://www.tokyomxplus.jp/article/201905220650/
そんなことをTwitterでつぶやいたところ、「それを国民に知られるとまずいからではないか?」といった反響・コメントをいただきました。そうした「知られたらまずいこと」、「事実だし正しいが知られたくないこと」というのは、「不都合な真実」と呼ばれています。
さて、そのMMTについて、財務省は否定、反論等のための「MMT叩き」に躍起になっています。今回はMMTについて述べることが目的ではないので、その内容について詳しく触れることはしませんが、要するにMMTは財務省にとっては不都合な真実、それも極めて不都合な真実だということでしょう。
しかしなぜMMTは不都合な真実なのでしょうか?それはとりもなおさず、「国債とは国の借金であり、その金額が積み上がって膨れ上がり、借金が返済できなくなって日本が財政破綻する。」、「それを避けるためには歳出を抑制し、緊縮財政で財政健全化を実現させなければならない」、「社会保障等の必要な財政支出に充当する経費を賄うのみならず、将来世代にツケを残さないためにも、消費税増税が必要。」、「無駄な事業は廃止したり民営化したりしなければならない」といった主張、考え方、そしてそれらに基づいて進められた政策が間違っていたことが明らかになってしまう、はっきり言えばバレてしまうからです。
政策が間違うこともあるでしょう。それを避けるために十分に検討し、議論するわけですが、人間が完全ではなく、間違うことがありうる以上、仕方がないことではあります。間違っていたら、間違いに気づいたら、早いうちに政策を修正をするか、その政策を止めればいいはずであり、本来であればそのための政策評価、PDCAサイクルだったはずです。(ところが政策評価はそうなっていなかった、というのは前回お話ししました。なお、数は少ないながらも総務省による政策評価の結果、実際に政策の大幅な見直しが行われたものもあります。その例としては、リゾート法関連政策があります。)
しかし、間違いを認めない、間違っていたことを認めたら自分たちに対する信頼が失墜する、叩かれて新しい政策を打ち出しにくくなる。だったら自分たちは間違っていなかった、絶対に間違わないということにしておこう、これを「無謬性の神話」と呼んでいますが、この「無謬性の神話」、財務省のみならず霞が関全体に蔓延してしまっています。したがって霞が関に正攻法で正面決戦を挑んでも、ノラリクラリかわされてしまうことが多いわけです。
ところが困ったことに、「無謬性の神話」は霞が関だけではなく永田町にも蔓延してしまっているのです。政権と政府(官庁)は一体ですから当然と言えば当然に聞こえるかもしれません。ただ、間違っていたものを間違っていたと認める、間違いを正す、その決断をするのは政治の重要な役割の一つであり、臆することなくそうすべき時はそうすべきなのですが、なぜかそうしない。その背景の一つとして、野党側の柔軟性を欠いた対応があるように思います。
具体的には、ある政策が間違っていた場合、それを所管の大臣が認めた場合、即辞任を求めるという考え方、やり方です。野党、特に旧民主党系はこれを大臣の「首取り」と呼んで、何か失言でもしようものなら責任追求、辞任要求に躍起になります。
本来であれば、野党にとっては、政策の誤りを正し、修正なり廃止なりさせることが国会での質疑の目的であり成果であるはずです。先ほどのMMTの例で言えば、これまでの緊縮路線の誤りを認めさせて積極財政に転じさせる、必要な分の国債をもっと発行できるようにする、消費税増税を止めさせる、税率を引き下げさせる、そうしたことが成果であり、麻生財務大臣なり関係閣僚を辞任に追い込むことが成果などではありません。
要するに「無謬性の神話」に取り憑かれて日本の国会審議もおかしくなっているということであり、奇妙奇天烈な法案や特定の勢力を利する法案、特定の方々が考えた内容が盛り込まれた法案が、ろくすっぽマトモな議論もなされずにスーッと通ってしまうのも自明の理ということでしょう。
これでは日本はダメになるばかり。政府与党の間違いを指摘するだけでなく、いかに野党がバカな質疑をやっているか、的外れなことをやっているかについても我々有権者が、場外からくどくど指摘して、「無謬性の神話」の呪縛から解き放ってあげる必要があるでしょうね。
—発行者より—
御代替わりを迎え、新たなる時代において
日本人が正しい「歴史」を知ることのできるよう、
『経世史論』を開設しました。
「現代」を読み解くには、過去の歴史を
正しく理解する必要があります。
正しい歴史を子どもたちやその先の世代に語り継ぐために、
まずは私たち自身が正しい歴史を学びませんか?
こちらから詳しい内容をご覧ください。
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
【室伏謙一】霞ヶ関、永田町に蔓延る「無謬性の神話」が日本をダメにするへの1件のコメント
2019年5月28日 12:31 PM
国民も官僚も議員も
サル以下の 白痴
そのサルの長 安倍某
以下 「内田樹の研究室」
望月衣塑子『安倍晋三大研究』から
2019-05-28 mardi
より 引用
性格的に自分の非を認めることがよほど嫌なんでしょうね。だから、明らかに間違ったことを言った場合でも、「そんなことは言っていない」「それは皆さんの解釈が間違っている」と強弁する。「立法府の長です」なんていう言い間違いは、国会で平身低頭して謝らないと許されない言い間違えですけれど、これについても絶対に謝らなかったですね。間違いを認めず、勝手に議事録を改竄した。
「立法府の長」とか「私や妻が関係していれば」発言がその典型ですけれど、不用意なことをつい口走ってしまう。その失敗を糊塗するために、官僚が走り回って、つじつまを合わせて、もともと言ったことが「嘘ではないこと」にする。首相の不作為の「言い損ない」がまずあって、それをとりつくろうために官僚たちが「シナリオのある嘘」を仕込む。第二の嘘には間違いなく「シナリオライター」がいると思います。誰か「嘘の指南役」がいて、「こういうステートメントでないと、前言との整合性がとれないから、これ以外のことは言ってダメです」というシナリオを誰かが書いている。(…)
こういう違法行為で最終的に罪に問われるのは、実行犯である官僚たちなわけですよね。政治家はあくまで「私は知らない。そんな指示を出した覚えはない」と言い張る。それに、官僚たちにしても、たしかに具体的な指示を聞いたわけではないんです。上の人間に皆まで言わせず、その意向を察知して、「万事心得ておりますから、お任せください」と胸を叩くようなタイプでないと出世できない。だから、「忖度」というのは政治家と官僚が「阿吽の呼吸」で仕事をしている限り、原理的にはなくなることはないと思います。
(中略)
ドナルド・トランプは知性においても徳性においてもアメリカの指導者として適切な人物とは思えませんけれど、とにかくそれでもアメリカのシステムは何とか崩れずに機能している。議会や裁判所やメディアが大統領の暴走を抑止しているからです。
アメリカ人は政治に大切なものとして「レジリエンス(復元力)」ということをよく挙げますけれど、たしかに、ある方向に逸脱した政治の方向を補正する復元力の強さにおいては、世界でもアメリカは卓越していると思います。そして、いまの日本の政治過程にいま一番欠けているのは、それだと思います。復元力がない。
引用終わり
というわけで、、、
ネコに小判 ブタに真珠
日本に民主主義 で ございます ♪
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