From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授
さて『通貨論 第一』の白眉に触れましょう。
福沢は、国内での通貨の安定を保つ方法にも
言及しています。
紙幣と同時に少し金貨銀貨を混ぜて通用させ、
これを通用の目安とします。
そして絶えず通貨量に対する監視と
コントロールを怠らないようにします。
金銀の一円と紙幣の一円とがだいたい同様に
通用している時には通用している紙幣量は
適切であると判断し、
紙幣の相場が金銀に比べて下落した時には、
紙幣過多とみて回収するというのです。
この場合金銀は物価の代表を意味することになり、
ただの商品として扱われていることになります。
これは当時のインフレ対策としては、卓抜に思えます。
前回、福沢が金本位制度を飛び越して、
現在は当然とされている管理通貨制度の考え方を
先取りしていたと書きました。
ここで本位貨幣制度と管理通貨制度の違いについて
簡単に説明を加えておきましょう。
金本位制とは、一国の金の保有量に従って
通貨量を決める制度で、
商品価値もこれによって決まります。
本来は金を通貨として流通させる建前ですが、
実際には一国の経済活動にとって
金の量が十分とは限らないので、
金と交換可能な兌換紙幣や補助貨幣を発行して
間に合わせる形を取ります。
そのため政府は常に相当量の金を
準備しておかなくてはなりません。
それが政府に対する国民の信用を保証するからです。
紙幣は国際的には通用しませんから、
国際取引は普通、金で行われます。
すると、金の保有高の多少が一国の経済力にとって
決定的となり、それによって物価は
常に不安定にさらされます。
稀少にしか存在しない金の争奪戦も起きます。
先に述べた金属主義とは、
こうした貴金属に価値決定の基準を置く考え方で、
人々の経済的価値観は、
金銀という「モノ」に依存することになります。
どの国もずっと昔から
この社会心理に支配されてきましたが、
これは、貨幣というものの本質を
理解しない間違ったあり方です。
経済学者のケインズは、
福沢がこの論考を書いてから約50年後に、
金本位制復活を唱えたチャーチルを批判して、
「金本位制度は未開の遺物だ」と喝破しました。
これに対して管理通貨制度は、
「モノ」の保有にいっさい依存せず、
通貨当局(政府及び中央銀行)が、
物価、経済成長率、雇用状態、国際収支など、
自国の経済情勢を常ににらみながら、
それに応じて通貨の発行量を決める制度です。
この制度は、貨幣価値が貴金属などの
「モノ」に拘束されるのではなく、
経済活動をする人々(政府も含む)の
相互信用にかかっているという考え(表券主義)
を徹底させたものです。
この制度では、原則として通貨当局は
いくらでも通貨を発行できます。
国民が政府・中央銀行を大筋で信用し、
政府・中央銀行が極端なバカ政策に走らない限り、
この制度が揺らぐことはありません。
これは貨幣価値の源は「モノ」に宿るのではなく、
人間どうしの関係のあり方に宿っている
という正しい経済哲学が基本になっています。
福沢は、管理通貨制度の原理を周囲に先駆けて
展開していたばかりではありません。
本当は金準備は必要ないのだが、
長きにわたる習慣からくる民衆の人情を忖度して、
若干の金準備は必要だとまでことわっているのです。
そのフォローの手厚さには舌を巻かざるを得ません。
こういう考え方を
当時の政府の財政事情の苦しさに鑑みて、
楽観主義と批判する経済学者もいるようですが、
楽観主義かそうでないかといった政策論的な批評は
問題になりません。
福沢がここでなしていることは、
通貨とこれを管理する政府との関係に関する
「原理」の展開であり、
それゆえ、普遍的に当てはまる理論なのです。
少し長くなりますが、
ここはぜひ原文を味わっていただきましょう。
《かくのごとく内外の事情に注意して、
紙幣と金銀貨との間に大なる差もなくして
いよいよ安心の点にあれば、
準備金はほとんど不用のものなり。
元来通貨の行わるるゆえんは、
前にも言えるごとく、
開けたる世の中に欠くべらざるの効能あるに
よってしかるものなれば、
今世間の商売に定めて入用なる数の紙幣を
発行するときは、
その通用は準備の有無に関係あるべからず。》
《しかりといえども、余は初めにほとんど不用なり
と言えり。
このほとんどの字は、
ことさらにこれを用いたるものなれば、
等閑に看過すべからず。
準備の正金は、経済論において事実不用なれども、
いかんせん今の不文なる通俗世界においては、
千百年来理屈にかかわらずして
金銀を重んずるの習慣を成し、
ただ黄白の色を見て笑みを含むの人情なれば、
いかなる政府にても、
紙幣を発行して絶えて引き替えをなさざるのみならず、
公然と布告して政府の金庫には一片の正金なし、
この紙幣は百年も千年も金銀に替えること
あるべからずと言わば、
人民は必ず狼狽して、
事実入用の紙幣を厄介のごとくに思い、
様々にこれを用いんとして無用の品物を買入れ、
物価これがために沸騰して紙幣も
いわれなく地に落つることあるべし。
これを西洋の言葉にてパニクと言う。
根も無きことに驚き騒ぐという義にして、
はなはだ恐るべき変動なり。
ゆえに愚民の心を慰むる為には
多少の準備金なかるべからず。
これ即ちそのほとんど不用にして
全く不用ならざる由縁なり。》
このほかに準備金(正金)が必要なケースとして、
福沢は、不時の災害や飢饉、戦争などのために
物資が不足して輸入に頼らなければならない時
を挙げています。
結局、政府が金銀をいくらか準備しておく必要は、
①紙幣発行額の目安として市場に少し混入させるため、
②金属主義に取りつかれた「愚民」の不安を鎮めるため、
③不時の異変に遭遇した時の輸入のため、
の三つということになります。
完全な管理通貨制度が定着している現在では、
①は主として日銀の公開市場操作
(公債の売り買いによる金利の調整)、
②は不要、
③は外貨(ドル)準備残高の維持
によってそれぞれ保障されているわけです。
この段階では、金銀などの貴金属は、
貨幣としての特権的地位を保てず、
ただの「商品」に下落しています。
こうして、140年も前の日本で、
経済の専門家でもない一人の思想家が、
貨幣の本質と妥当な通貨制度のあり方について、
ここまで考えていたのです。
福沢は、経済に関しては、
おそらくアダム・スミスとJ・S・ミル
くらいしか読んでいなかったでしょう。
しかもこの二人はいずれも金属主義者でした。
「経済学」など学ばなくても、
社会を正確に見る目さえあれば、
経済についてこれだけのことができるのです。
現代にも多くの福沢が甦ってほしいと
切望するゆえんであります。
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●ブログ「小浜逸郎・ことばの闘い」
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo
【小浜逸郎】福沢諭吉は完璧な表券主義者だった(その3)への1件のコメント
2018年4月23日 1:07 AM
学問とは何か?ということを理解していた福沢諭吉としては、行きついて当然の答えだったのかもしれませんね。
学問において、仮説を立てるというのは大事なことですが、現実社会に持ち込んだときに問題が起きたら、仮説の方を修正すべきです。
ほとんどの学問で、そのプロセスは成立しており、ゆえに学問は社会の役に立っています。
医学は、以前治せなかった病気を治せるようになっています。
建築学は、より安全な建造物を建てられるようになっています。
では、経済学は・・・?
ほとんどの学問では、現場で働く技術者・工学者たちが、教科書にフィードバックすることで、学問自体が進歩しています。
では、経済学では誰が工学者に当たるのでしょうか?
いない気がします。ゆえに経済学は進歩しない。
というより、学問として成立していない気がするのです。
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