コラム

2018年6月22日

【施光恒】園芸からみえる日本

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

おっはようございまーす(^_^)/

だんだん蒸し暑い日が増えてきましたね。

以前もメルマガで書かせていただきましたが、昨年から私はなぜか園芸にハマっています。
今の季節は、やはりアサガオですね。

たしか、いとうせいこう氏の本だったと思いますが、朝顔のタネまきは浅草の三社祭が終わった5月20日過ぎがいいと書いてありました。「なるほど~そうなのか~」と思い、今年はその時期を待ちわびて、タネまきをしました。

新しく買ってきた市販のタネ半分、昨年の朝顔からとったタネ半分ぐらいの割合です。
順調に芽がでてフタバとなり、現在、やっとツルが伸びてきたあたりです。

園芸に興味を持って以来、日本の園芸文化についての本をけっこう読んだのですが、面白いですね。日本は世界でも有数の園芸大国であり、特に江戸時代の園芸文化の発展は世界でも例を見ないほどだったということです。

園芸を通して、日本文化の特徴がいくつか見えてくるような気がします。

例えば、江戸時代には、園芸文化の中心地として染井や巣鴨がよく知られていました。「染井」というのは、今の駒込の辺りです。桜の「ソメイヨシノ」は、ここで開発されたと言われています。江戸の半ば頃から徐々に、植木屋の一大密集地になっていったそうです。

江戸時代の末期(1860年頃)に来日したプラント・ハンター(植物商、植物学者)のロバート・フォーチュン(1812~1880)は、染井を訪れ、広大さを目の当たりにし、その驚きを記録しています。

「交互に木々や庭、恰好よく刈り込んだ生垣がつづいている公園のような景色に来たとき、随行の役人がやっと着いたと知らせた。村全体が多くの苗木園で網羅され、それらを連絡する一直線の道が、一マイル以上も続いている。

私は世界のどこへ行っても、こんなに大規模に、売物の植物を栽培しているのを見たことがない。

植木屋はそれぞれ、3、4エーカーの地域を占め、鉢植えや露地植えのいずれも、数千の植物がよく管理されている」(フォーチュン/三宅馨訳『幕末日本探訪記――江戸と北京』講談社学術文庫、122頁)。

一マイルが約1.6キロ、1エーカーが約1224坪(4047平方メートル)ということですから、非常に広大ですね。

建築評論家の川添登氏の著書によると、フォーチュンが目にしたのは、団子坂から染井にかけてだけであり、当時のこのあたりの植木街のごく一部に過ぎないそうです。その背後の巣鴨にはさらに広大な植木や花卉の栽培地が連なっていました。

川添氏は、「染井・巣鴨は、花卉・植木栽培の文字どおり、世界最大のセンターだった」と記しています(『東京の原風景』NHKブックス、1979年)。

染井の話、日本らしいなあと思いませんか。現在でも、秋葉原の電気街(いまはアニメやアイドル関係の店も多いようですが)、神田の古本屋街など、世界でもまれに見る規模の専門商店街が形成されています。

江戸時代中頃辺りから今日までの日本は、都市の人口が多く、庶民が比較的豊かで格差が小さく、社会の上層部だけではなく多数の一般庶民も自分の興味に従っておカネを使える環境が整いやすいからなのだと思います。(最近はこの環境がくずれつつあるかもしれませんが。)

染井の植木街の形成は、もともとは武家屋敷や寺社の庭園の植木需要を満たすためだったのでしょう。ですが、江戸時代は、園芸文化が庶民まで広がりました。園芸植物に対する需要がさらに大きくなったことが、世界最大規模の植木街が江戸に出現した理由でしょう。

新しもの好きの江戸の人々は、外国との貿易が非常に限られていたにもかかわらず、外来の植物に結構親しんでいました。

フォーチュンも、幕末の日本でアロエやサボテンのような南米の植物を目にしたと書いています。フォーチュンは、中国・北京にも植物を集めに行きましたが、中国ではそれらを目にしなかったため、アロエやサボテンなどの外来植物を取り入れている様子を見て「識見ある日本人の進取の気質を表している」(123頁)と記しています。

江戸時代の浮世絵には、当時の園芸文化の発展を示すように、鉢植えなどたくさんの植物が描かれています。手元に、日野原健司、平野恵『浮世でめぐる江戸の花――見て楽しむ園芸文化』(誠文堂新光社、2013年)という、植物が描かれた浮世絵を集めた本があるのですが、この本に掲載されている浮世絵にもサボテンが多数出てきます。かなり普及していたようですね。

(例えば、リンク先の歌川芳虎「座しき八景の内 上漏の松の雨」(下から二番目の左側)にもサボテンが普通に出てきています)。
太田記念美術館の『江戸園芸花尽くし』展(2009年)のHP
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/2009_edo-engei

私のベランダにもあるような現在でも親しまれている花々の多くは、江戸時代にはすでに日本に入ってきていました。

例えば、ハイビスカス(ブッソウゲ)は1609年、カーネーションは1644年、ヒマワリは1664年、ベゴニアは1851年にそれぞれ日本に入ってきたという記録があるそうです。(小笠原亮軒『江戸の花競べ――園芸文化の到来』青幻社、2008年、101~103頁)。

江戸の人々も、ハイビスカスやヒマワリを目にしていたんですね。

最も、ヒマワリは、当時の日本人の好みにはあまり合わなかったようです。大きすぎて繊細さに欠けると感じる人が多かったのかもしれません。江戸時代の儒学者・貝原益軒(かいばら・えきけん、1630~1714)は、「花よからず 最も下品なり」と評しています。

( ´艸`)ヒマワリカワイソス
http://nagoyaengei.co.jp/hakubutukan/hakubutu/honzou/yamatoho.htm

江戸時代の園芸文化は、世界一といっていいほどの水準で栄えました。

例えば、園芸学を専門とする田中孝幸氏(東海大学農学部教授)は、次のように述べています。

「…日本人のもともと持っていた優れた美的感覚や国を挙げて熱狂した園芸ブームの中で、多くの素晴らしい園芸品種群が形成された。現在ヨーロッパやアメリカなど世界中の温帯地方で栽培されている園芸植物の多くがその起源を日本の江戸時代においているといっても過言ではない」(『園芸と文化――江戸のガーデニングから現代まで』熊本日日新聞社、2012年、32頁)。

「ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、南アフリカ共和国など温帯地方の庭や街路樹に植えられている花木や庭木などの多くは、日本原産と言われている」(同書、36頁)

植物学者の中尾佐助氏も次のように記しています。

「江戸時代におけるこれらの花卉、庭木の大発達は、歴史的に見て世界的にも著しい現象であるが、日本の文化史をやっている人は全く認識不足でそれがわかっていない」((『栽培植物の世界』中央公論社、1976年、111頁)

「これらをみると、日本が今日の世界文明に貢献した要素として、江戸時代の花卉、庭木の園芸の成果は非常に大きい。日本の浮世絵が西洋文化に与えた刺激より、園芸植物の与えた影響のほうがはるかに大きいと評価してもよい」(同書、112頁)。

日本という国や日本の文化を知るために、園芸文化の歴史やその発展に着目してみると、いろいろと新しい発見があるのではないでしょうか。

…などといいつつ、趣味にうつつを抜かす自分に言い訳をしております…。
<(_ _)>

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【施光恒】園芸からみえる日本への3件のコメント

  1. たかゆき より

    朝顔

    江戸時代で朝顔といえば
    バブルかと、、

    朝顔を小判で買(かう)は江戸斗(ばかり)

    朝顔に珍花ができて五十両

    投機と園芸という切り口も 面白い

    無粋な小生は

    アサガオに バブル弾ける 心地よさ ♪

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  2. あまき より

    知らないことをたくさん教わって、とても面白かった。

    ひまわり畑のひまわりは風景として遠望する分にはいいけれど、あの中に身を没して迷うように歩くのはあまりいい気分でない。少なくとも逍遥する感じじゃないです。やはり手折り摘んで忍ばせ託せるものでないと。

    と言いながら、小学校の校庭にひまわりを見かけないと、あれっとすこし不安になる。

    同じひまわりでも、丈が25センチくらいの「小夏」は、ザンメルズフトみたいな汚部屋でも置けるし、端正でかわいくて、元気が出てきます。子どもがぎこちない手で水やりに来るのを見るのも夏らしくていいですね。

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  3. 神奈川県skatou より

    自分の家の玄関脇に、花壇があるのですが、どうしても家庭菜園
    をしたくて、先月、トマトの苗を2本植えてみました。
    一月が経ち、一本は小さな実をつけ、一本は葉が灰色になってしぼみ、葉がほとんど枯れてしまいましたが、大きな実が一個だけ成りました。

    肥料を吟味し、苗を選び、植え付けて水をやり、でも、思い通りにいきません。葉が枯れたのは病気か、先天的な異常だったのかもしれません。

    高校生のころ、生物室によく遊びに行きました。
    先生が水槽で金魚の繁殖をしていました。一回の産卵で何百匹も生まれるのですが、ある程度の割合で、ヒレが欠損したり、その他異常な体形のものがいました。これは一定割合で出ると先生は言ってました。

    情報という、だれかが言語化して整理してしまった世界は、ちょうど自分の本業、ITと同様、「理屈どおりに動くもの」で決まっています。でも、自然界は人の知らない、知りえないことわりであふれているようです。

    草木を相手に、そのむずかしさを知る。
    おのれの理屈の小ささを知る。
    生き物、命を相手にするのは、一筋縄でない故に、
    喜びであり、悲しみなのかもしれませんですね。

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