From 三宅隆介@川崎市議会議員
文部科学省の最新調査(2024年度)によれば、小・中学校における不登校児童生徒の数は35万3,970人。12年連続で過去最多を更新しました。高校生を含めると、すでに42万人以上、約1,400校分の子どもたちが学校から姿を消している計算です。これはもはや教育の危機であり、国家の危機です。
こうした中、不登校の子どもが自宅でオンライン学習に参加すれば出席扱いとする制度が存在しています。制度自体は2005年に文科省通知で導入され、その後、要件整理が進められてきました。
ところが昨今の報道は、「制度が浸透していない」「参加率が低い」といった論点に終始しています。果たして、それが本質なのでしょうか。
不登校は「状態」ではなく「症状」です。本質はいかに登校率を回復させ、子どもたちを“社会の縮図”たる学校へと戻すかにあるはずです。
言うまでもなく、学校は社会に出るための訓練の場です。嫌なことから逃げない精神力、仲間との摩擦を乗り越える力、集団生活のなかで責任を果たす覚悟。これらはオンラインでは決して身につきません。
ところが、リベラリズムに基づく「不快は悪であり、個人の自由が最優先」とする教育姿勢が広がり、社会で必要な力を育てるという視点が置き去りにされています。
オンライン授業出席制度が象徴しているのは、「子どもの努力」ではなく「大人の無責任」に合わせた政策です。行政としては、不登校増加による学校の負担軽減や統計上の改善を図りたいという思惑も透けて見えます。しかし、それは制度運営上の“効率化”であり、教育そのものの改善ではありません。問題に真正面から向き合うことをやめ、制度と言い訳で誤魔化しているだけではないでしょうか。
大人社会の甘さが、結果として子どもたちの未来を奪います。教育基本法第1条は「国家・社会の形成者にふさわしい人格の完成」を教育の目的として掲げています。人格は、困難に立ち向かう中でしか鍛えられません。
にもかかわらず、「辛ければ無理に学校に来なくていい」「逃げてもいい」といった言葉が大手を振って語られる。大人が、子どもに逃げ方だけを教えている。そのツケを払わされるのは、将来の社会そのものです。
不登校は一時の問題ではありません。進学、就職、人間関係――人生のあらゆる局面に影響します。大人がその責任を理解せず、「優しい言葉」の仮面を被っているうちに、子どもたちは立ち向かう力を奪われ続けているのです。
教育の責任とは、子どもの「可能性の最大化」に向けて導くことです。大人が安易な妥協を選んだ瞬間、教育はその使命を放棄します。
逃げ場を増やす教育は、子どもの未来を奪う教育である。
恐怖や不安を乗り越えたとき、初めて自信が生まれます。教育の役割は、この変化を導き、強く生きる力を育てることです。その力を伸ばせるかどうかは、大人たちの覚悟にかかっています。大人の側が信念を曲げた瞬間に、教育は子どもを救えなくなります。
日本の未来を託す世代に、逃げずに立ち向かう力を取り戻すために。政治は、この問題に真正面から向き合い、歪んだ流れを正していかなければならない。
















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