From 佐藤健志
1968年に発売され、日本のスナック菓子の先駆けとなった明治製菓の「カール」が
8月生産分をもって全国販売を中止、西日本のみの限定販売となることに決まりました。
ここで言う西日本とは、滋賀県・京都府・奈良県・和歌山県から西の地域を指します。
上記四府県に隣接していても、福井県・岐阜県・三重県では、カールが手に入らなくなるんですね。
販売される種類についても、「カール チーズあじ」「カール うすあじ」の2種のみとし、
「カール カレーあじ」
「大人の贅沢カール」
「小つぶカール」
の3種については終了するとのこと。
♪それにつけても、おやつはカール!
のCMソングに親しんだ世代としては、何とも寂しいかぎりです。
明治製菓の広報部いわく。
長きにわたってご愛顧いただきましたが、ニーズの変化などで収益性が悪化していました。
スナック菓子市場はジャガイモを原材料とするポテト系スナックの優位が続き、長期的に販売が低迷していました。
3年前からブランドをどうするか検討し始め、一時は「カール」の全面的販売中止も考えましたが、
「長きに渡ってご愛顧いただいた商品なので、なんとか残せないか」と社内で検討し、
収益性などを鑑みて、西日本限定での発売とさせていただきました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/25/karl-meiji_n_16798910.html
ツイッターには、映画版『風の谷のナウシカ』の有名な場面をもじった、こんな秀逸な投稿もなされています。
https://twitter.com/omiyayou/status/867916665475878912
そして
ランランララ ランランラン ♪ pic.twitter.com/7pi5Xw0Rmy
— dejiko2010 (@dejiko2010) May 26, 2017
菅義偉官房長官も5月26日の定例記者会見において、ある記者から
「カールロスについてどう思うか」
「菅長官は召し上がったことがあるか。お好きか」
と質問されました。
長官は困惑した笑みを浮かべつつ
「私、食べたことないんじゃないかなと思います」
と返答したとか。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/27/story_n_16834338.html
半世紀にわたって国民的に親しまれたカールですが、こんな方もいらっしゃるわけですね。
他方、平松禎史さんはこうツイート。
カールって毎日食べることはないが
年に何度か狂ったように食べたくなる一種の精神安定剤で、食の安全保障だ。
しかし、民間企業は消費が減って採算が取れなければ撤退する。
デフレ脱却を早く!
明治「カール」、東日本での販売終了へ:日本経済新聞 https://t.co/r5t6L8qyYL カールって毎日食べることはないが年に何度か狂ったように食べたくなる一種の精神安定剤で、食の安全保障だ。しかし、民間企業は消費が減って採算が取れなければ撤退する。デフレ脱却を早く!
— 平松禎史 (@Hiramatz) May 26, 2017
カールの存在が〈食の安全保障〉に該当するかどうかについては、議論の余地があるかも知れません。
ただし「長く続いてきたものは、長く続いてきたこと自体に価値がある」というエドマンド・バークの発想にならえば、
「カールが全国販売されつづけるようでなければ、社会の保守が達成されていることにはならない」
とは言えるでしょう。
詳細はこちらをどうぞ。
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平松さん、続いてこうもツイートしています。
主力商品ではないが(、)一定の需要があるものを継続するには
全体の売上が十分確保され余裕が必要。
不採算部門のカットはデフレ不況で起こりやすい。
アニメにしても売れる題材に集中してニッチな題材は失われていく。
個性や多様性を継承するために、デフレ脱却を。
政府の負債拡大で投資の拡大を!
(読点の追加は引用者。明らかな誤記を一字修正)
主力商品ではないが一定の需要があるものを継続するには全体の売上が十分確保され余裕が必要。不採算部門のカットはデフレ不況で起こりやすい。アニメにしても売れる題材に集中してニッチな題材は失われていく。個性や多様性を継承するために、デフレ脱却を。政府の負債拡大で投資を拡大を!
— 平松禎史 (@Hiramatz) May 26, 2017
注目したいのは
「アニメにしても売れる題材に集中してニッチな題材は失われていく」
の箇所。
平松さんにとって、カールの運命は決して他人事ではないのです。
経済が縮小し、人々が余裕を失ってゆく状況では、文化も「万人受けする大メジャー」的な作品ばかりになってしまいがち。
さもなければ「大メジャーか、アングラか」の二極分解が待っています。
その結果、
「万人受けするタイプの内容ではないため、大ヒットにはならないものの、それなりの数のファンを持ち、クオリティ的にも高いレベルの作品」
が生まれにくくなってしまう。
平松さん風に言えば「ニッチ」、私流に言えば「カルト」ですが、優れた大人向け作品の多くはここに含まれます。
つまりデフレ状況においては、大人の鑑賞に耐える文化も衰退しがちなのですよ。
現にハリウッドでも、超大作か、でなければ超低予算の映画ばかりがつくられるようになっており、中規模作品の消滅が進んでいます。
http://lwlies.com/articles/a-requiem-for-medium-sized-movies/
ここで言う中規模作品とは、製作費が200万ドル(1ドル=110円換算で2億2000万円)から8000万ドル(同、88億円)ぐらいまでのもの。
2億円以下か、90億円以上かに分かれてしまったわけですね。
製作費80億円でも「中規模」というのが、何ともうらやましいものの、それは脇に置きましょう。
なぜなら「中規模」には、
〈ある程度の予算は必要だが、利益はそこそこしか見込めないタイプの作品〉
という含みもあるからです。
かつてのハリウッドでは、娯楽超大作のヒットで得た利益を、こういったタイプの映画に還元することで
企業性と芸術性の両立をはかる傾向が見られました。
しかし上記URLの記事によれば、
リーマン・ショックによる景気後退と、ホームビデオ市場の巨大な変化(※)のせいで
そのようなビジネスモデルは消えてしまったのです。
(※)ネット配信の発達で、ブルーレイやDVDの売り上げが期待できなくなったことを指すと思われます。
このところ取り上げてきた『ツイン・ピークス』のデヴィッド・リンチ監督だって、
カルトの巨匠と呼ぶにふさわしいキャリアの持ち主ですが
2006年の『インランド・エンパイア』いらい、劇場用の長編映画はつくっていません。
それどころかリンチ監督は5月はじめ、『ツイン・ピークス The Return』の全米放送開始を前にして
〈もう劇場用映画はつくらない〉
とまでコメントしました。
いわく。
映画をめぐる状況がすっかり変わってしまい、素晴らしいのに当たらない作品が本当に多くなってしまった。
逆に、今当たっている映画は、私がつくりたいと思うタイプのものじゃない。(中略)
そう、『インランド・エンパイア』が最後の作品だよ。
http://bit.ly/2scKhQt
http://theplaylist.net/david-lynch-says-hell-never-make-another-movie-20170505/
政府はあいかわらず「クールジャパン」を謳っていますが、ハリウッドにしてこの状態です。
日本の文化を本当に豊かにしたいのなら、積極財政でデフレを脱却し、経済を成長軌道に乗せるのが必須条件でしょう。
ところがわが国では、右も左も、そろって緊縮路線に賛成とくる。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
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または
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そして『対論「炎上」日本のメカニズム』で藤井聡さんと論じ合ったように、
豊かな文化的環境は、人々の心理的なエネルギーを「肯定・統合・強調」というポジティブな方向に導くことで、
社会の安定や発展にも大きく貢献します。
私は先に
「カールが全国販売されつづけるようでなければ、社会の保守が達成されていることにはならない」
と述べましたが、
これは
「カールが全国販売されつづけるようでなければ、破壊的な炎上を制御することはできない」
とも置きかえられるのです。
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・・・あ、もっとも。
劇場用映画からの引退を表明した三週間後、デヴィッド・リンチ監督はカンヌ映画祭において、先の発言を修正しました。
いわく。
私の言葉は間違った形で伝わってしまった。
映画をやめると言ったわけじゃない。
未来のことは誰にも分からないと言っただけなんだよ。
http://theplaylist.net/david-lynch-backtracks-comments-hell-never-make-another-movie-20170526/
おいおい、ホントか? という感じですが、今後もリンチ監督の新作が観られるのであれば、とやかくは申しません。
とまれ、この世のあらゆる事柄はつながっているのです。
なお次週、7/5はお休みします。
7/12にまたお会いしましょう。
ではでは♪
<佐藤健志からのお知らせ>
1)戦後脱却が、「カールロス」ならぬ「日本ロス」をもたらしかねないことをめぐる体系的論考です。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』(徳間書店)
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http://qq4q.biz/uaui(電子版)
2)わが国の保守、および左翼・リベラルは、今やどちらも理念的基盤を喪失しています。その結果、「ニッチな題材を失う」どころか、ニッチもサッチも行かなくなっているのです。
『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は終わった』(アスペクト)
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3)貧しい敗戦国としてスタートした戦後日本が、いったんは繁栄のためのニッチを確保したものの、時代の変化とともにそれを失っていった記録です。
『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』(祥伝社)
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4)「われわれの武力がわれわれを豊かにすることに貢献し、われわれの富がわれわれを強くすることに貢献するとき、外敵を恐れるいわれは何もない」(189ページ)
トマス・ペインも「富国と強兵」論者でした。
『コモン・センス完全版 アメリカを生んだ「過激な聖書」』(PHP研究所)
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5)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
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