From 平松禎史@アニメーター/演出家
昔話や古来からの伝承には、地名起源譚や植物の由来などを物語にして伝えたものがたくさんあります。大蔵流狂言を知って台本を読んだり、柳田國男の本を読んでいると、現代に対する教訓をたくさん見つけることができます。
今回は、その中からいくつかあらすじでご紹介し、現代との接点を考察してみます。よく知られた物語もあろうかと思います。
狂言『金津』
自称、志の高い金津(福井県)の里の者が、建立した持仏堂に収める地蔵を作ってもらうため仏師をさがして都へ上ってくる。都で「すっぱ(詐欺師)」と出会い、明日作れるというのでお願いする。「安阿弥の流れ某(それがし)ただ一人」とかもっともらしい説明をされるので金津の者はすっかり信じてしまうのだ。しかし、すっぱは仏師ではないから地蔵など彫れません。翌日すっぱは自分の息子を地蔵に化けさせて渡すと、金津の者は喜んで背負い帰るのであった。里に着くと人々も喜んで迎え、花を供える。すると地蔵が「香花は嫌なり、饅頭をこそ食ひたけれ」としゃべる。人々は驚くが、これは生き地蔵に違いないと一層ありがたがって、地蔵の言うがまま饅頭を供え古酒をふるまい、一緒に酒を飲み交わし歌い踊りながら退場していく。
…詐欺師のもっともらしい説明を鵜呑みにし、地蔵ではないことが明らかなのに疑うこともせず、仲間同士で「そうだ、そうだ。」と浮かれ踊る人々。認識共同体、集団浅慮の成れの果てです。
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豊後国風土記『餅の的』または『的餅(いくはもち)』
肥沃な大地があり豊かな収穫があった「田野」の村。
余った米で餅を作って保存食にしたが、それも余ってしまうので、弓矢の的にして射る遊びを思いつく。ところが、射抜いた瞬間、餅は白鳥になって飛び去ってしまった。それ以来、田野ではさっぱり米がとれなくなってしまいましたとさ。
…先人が長い年月をかけて土地や人に働きかけて作り上げた国土や技術、文化などの価値を顧みない。外国人観光客を呼込む商品としか思っていない政治が、日本を根底から破壊している。
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昔話『湖山長者』
田植えを一日で終わらせようとして、沈みかけた太陽を金の扇であおぎ上げ、無事植え終わるのだが、翌朝田を見ると、広大な湖が出来上がっていて台無しになってしまいましたとさ。 これが湖山という地名につながっている。
…実質GDPを-1.6%まで叩き落としておきながら、「景気は緩やかな回復局面にある」とうそぶく安倍政権。昭和の遺産にあぐらをかいて日本を台無しにする安倍政権。ここに「日本」という地名があったと、将来言われるようになるでしょう。
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昔話『灰まき爺』
岩手県江刺郡に伝わる昔話で「花さか爺」とよく似たお話です。
むかしむかし奥州に、良い爺と悪い爺が隣り合って暮らしていました。川魚をとろうとカゴを仕掛けておいたら、良い爺のカゴには魚がたくさん、悪い爺のカゴに子犬が入っていた。先に来た悪い爺は中身を入れ替えて知らぬ顔で魚を持って帰っていきました。良い爺はカゴに入ってた子犬を持ち帰って大切に育てた。育った犬は鹿(しし)のいる場所を教えてくれたので捕まえておいしい鹿汁にして食べた。それならと悪い爺は真似をするが、蜂の大群に刺されて酷い目にあう。怒った悪い爺は犬をぶち殺して木の下に埋めてしまいます。良い爺はその木を切って持ち帰り、臼にしてひきますと、金や米が出てきた。それならと悪い爺は臼をとりあげて真似をすると汚いものが家中に溢れ出た。怒った悪い爺は臼を燃やしてしまいます。良い爺は灰をもらってきて空にまくと、雁がバタバタ落ちてきた。持ち帰っておいしい雁汁を作って食べた。それならと悪い爺は灰をとりあげ屋根に登って真似をしてまきますが、灰が自分の目に入って屋根から落ちてしまいます。待ち構えていた悪い婆は、落ちてきた悪い爺を雁だと思い込んで大きな槌で打ったというおはなし。
…良い爺の真似をする悪い爺は、表面だけを見て本質を見ず、しかも思い込みで間違いばかりして酷い目にあいます。外国でやられていた新自由主義政策で改革や規制緩和を日本の国情や国民性を無視し、さらにデフレ状況なのも考えずにおこなった結果、日本社会は「今だけカネだけ自分だけ」になってしまった。酷い目にあっているのは国民です。
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昔話『飯食わぬ女房』
ある村に1人の桶屋が住んでいた。貧乏暮らしなので「飯を食わぬ女房がほしいなあ」とつぶやいたところ、その晩、見たこともない女が訪ねてき、自分は飯を食わぬ女です、よく働きますから女房にしてください、と言う。家におくと、言うと通り物を食わずによく働く。しかし、知らぬ間に米がどんどん減っていく。不審がって、ある夜こっそり覗いてみると、女の頭に大きな口が開いて米でも味噌でもどんどん食べてしまう。こりゃとんでもない山母(山姥)を嫁にもらってしまったと驚いて、それとなく追い出すことにする。女はおとなしく出ていくと言うが、桶を一つ作ってくれと頼まれる。その通りに作ってやると、男を桶に放り込んで山奥へ連れ去っていくのだった。男は木の枝をつかんで逃げ出すが、恐ろしい形相で追ってくるので、菖蒲と蓬(よもぎ)が茂った原に飛び込んだ。追いかけてきた山母は菖蒲と蓬が目に刺さって死んでしまいました。その日が五月五日だったので、桶屋のような酷い目に合わないように、その日は節句として必ず菖蒲と蓬を屋根にふき、菖蒲の葉を風呂に入れるようになったそうな。
…内需を興す財政拡大は嫌だから外需に頼ろう、外国人や外国企業に頼ろう。そう言ってせっせと招き入れたら国民は貧困化、格差は拡大、少子化になり、企業は買収され、食料安全保障は崩壊、取り返しのつかないことになりました。今さら出ていってくれとも言えない日本政府は、国民が頭からガリガリ食われても知らん顔。せっかくの教訓も生かされず、伝える人もいなくなってしまいましたとさ。
おしまい。
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【平松禎史】「霧につつまれたハリネズミのつぶやき」第六十六話:『昔話や伝承の教訓を忘れた日本』への1件のコメント
2020年2月23日 10:31 AM
我が国の文化は営みそのものですから、先人達の人権やら人道に対する考え方も否定されるものは全くありません。つまり先の大戦でも話題のコロナ騒動に不当に言及するマスメディアは消えるべきです。またそれに対する国際社会と国連安全保障理事会を含めた全ての国際機関は、破綻していることになりますから世の中から消えてなくなるべきです。
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