東京に住んで半世紀になるが、
東京の街の変化は著しい。
丸ノ内周辺、六本木、有楽町、
虎ノ門、渋谷そして品川と
数えきれない。
品川駅高輪口の名物
大ホテルの建て替えは
静かに少しずつ高さを下げて、
今は消えてしまった。
つまらない街並み
ヨーロッパの都市を訪れると、
どの都市の街並みも
同じに見えてしまう。
30年前、初めてスエーデンの
ストックフォルムに行った時、
前に来たことがある
という既視感に包まれた。
(写真―1)はスエーデンの
ストックフォルム。
ストックフォルムでの
2日目にやっと思い出した。
ストックフォルムは前年に行った
フランスのマルセイユにそっくりだった。
寒い北欧のバルト海に面する
ストックフォルムと、
明るい地中海に面する
南仏のマルセイユでは気候は異なる。
しかし、街並みは同じであった。
(写真―2)はフランスの
マルセイユである。
共に港町であり、
建物はレンガと石造りである。
海岸通の古い建物は
ホテルに改造されている。
教会の塔がそれらに抜きんで建っている。
ストックフォルムの街を歩いても
心が弾まず、つまらなかった。
マルセイユでも
つまらなかったことを思い出した。
なぜ、つまらないのか。
その理由を考えてみたが、
時間変化がないことだと気が付いた。
マルセイユもストックフォルムの街並みも、
百年どころではなく何百年間も
同じ姿で変化していない。
変化しない街並みはつまらない。
有楽町駅前の変貌
京浜東北線の大井町に住んでいるので、
東京で一番なじみの繁華街は有楽町だ。
その有楽町周辺も大きく変わった。
有楽町駅からマリオンへ行く一帯が
特に著しく変貌した。
平成10年頃だろうか、
有楽町駅を降りて直ぐの路地が消えた。
2分も歩けばあっという間に抜けてしまう
短い路地だったが、
雑然とした雰囲気は
戦後の有楽町の面影を残していた。
(写真―3)は昭和40年~60年代の
有楽町駅前の路地である。
ぶつからないよう
肩をすくめて歩いていた路地は、
悠々とすれ違える広い通りになり、
木造とプレハブの店舗は
近代的なビルに生まれ変わった。
高層ビルの1、2階には丸井が入り、
おしゃれな女性ファッションが
ショウウインドウに並んだ。
ビルの各界にはカフェや
レストランが集中している。
面白いことに、
高層ビルの対面ビルの1階には
パチンコ屋が入っている。
洒落た街並みになったのに、
なんでパチンコ屋なんだ、
とある評論家が批判していた。
しかし、ここは銀座ではない。
有楽町だ。
パチンコ屋は銀座にはなじまないが、
有楽町の駅前には馴染む。
2軒のパチンコ屋は、
古い有楽町の雰囲気を
懸命に残そうと抵抗しているようだ。
休日に有楽町駅前に行くと、
高齢のご夫婦がカメラを構えていた。
有楽町駅前の変貌に「変わったなー!」と
驚きながら有楽町を撮っていた。
何十年前かに有楽町で撮った
思い出の写真と同じ位置から
撮っているのだろう。
みな、この有楽町の変貌に驚き、
そして、この変化を喜んでいる。
三丁目の夕日
2005年(平成17年)、
映画「オールウエーズ・三丁目の夕日」
が人気を博した。
昭和33年ごろの
東京タワーが見える
下町の人々の話である。
東京はオリンピックに向けて
激しく変貌しようとする頃だった。
東京タワーが建設され、
日本橋が高速道路で
覆われようとしている。
この映画には、CGで
首都高速で覆われる以前の
日本橋が出てくる。
映画の筋はたわいのないが、
昭和30年代の東京の光景に
目を奪われてしまう。
当時の人々の生活も
今と比べずいぶん変っていた。
電気洗濯機は
ハンドル手回しで絞っていた。
出演している子どもたちは、
私と同じ年代である。
半世紀前の記憶を呼び起こす
東京の映像に魅いられてしまった。
この映画の主人公は、
登場する人々ではない。
主人公はCGで再現された
昭和30年代の東京の街並みと
生活の過ぎ去った時間が
映画の主人公であった。
この映画が楽しいのは、
有楽町駅前の変貌に驚き、
嬉しくなるのと同じであった。
時の流れを楽しみ、
街の変化を楽しんでいるからだ。
朽ちていくもの
日本は温帯モンスーン地域に位置し、
はっきりとした四季を持つ。
周囲は海に囲まれ、
季節によって風向きが変る。
風向きが変っても、
風は海から列島に
膨大な湿気を運んでくる。
この湿気はカビの温床である。
日本列島はカビ天国でもある。
湿気が多く、
地震が多発する日本の建物は、
木と紙で造られた。
木と紙で造られた建物が立ち並ぶ街は、
時間の流れとともに変質し、
朽ち果てていく。
建物が朽ちれば、
新しく建て替えられる。
古い街並みは、
新しい街に取って代わられていく。
日本の街は、人間と同じであった。
時間とともに朽ち、消えていく。
その後に、新しい人が登場し、
つかの間、新しい街の主人公となっていく。
日本人の心情と行動様式は、思
いのほか日本の気象に影響を受けている。
この世のものは全て朽ちていく。
不変なものはない。
そして、新しいものが取って代わっていく。
全ては変化し、絶対なものはない。
これが日本人の精神を形成しているようだ。
生命感覚の都市
日本人は、街並みが朽ち果て、
新しい街並みに変貌していく様を
目撃し続けてきた。
街の変貌を目撃してきた日本人は、
自分だけが老い、
消えていくのではないことを
皮膚で感じ取る。
自分の街もいつか老朽化し、
消え去り、新しい街に生まれていく。
自分の人生の舞台だった都市は、
自分と共にいつかは消えていく。
日本人は街の変貌を目撃し、
時の流れの感覚を身につけていく。
この感覚は、日本人の私たちに
諦めと安心感を与える。
もし、自分が消えた後も街が消えず、
次々と見知らぬ人々が
その舞台に登場したら、
自分はその舞台を
通行人として歩いただけになる。
自分が消えた後、
その舞台も一緒に消えていくなら、
自分は単なる通行人ではない。
端役であっても、
その舞台で演じた役者であった。
自分はその舞台の上で演技した。
主役も端役も全ての出演者は、
その舞台ともども入れ替わっていく。
例外なく、次の出演者たちが
新しい舞台で演技するためなら、
自分は舞台から退場していこう。
この諦めは理屈でない。
生命そのものの感覚であるようだ。
入れ替わる自分
「生物が生きていくことは変化し、
入れ替わること。
変化こそが、生命の真の姿」
このことを福岡伸一氏は
「生物と無生物のあいだ」
(講談社現代新書2007年5月)で、
分かりやすく表現してくれた。
私たちの皮膚や爪や毛髪は、
絶えず新生しつつ
古いものと置き換わっている。
それは表層だけではない。
身体のありとあらゆる部位、
臓器、それだけではなく、
一見、固定的な骨や歯ですらも
その内部で絶え間のない分解と
合成が繰り返されている。
私たち人間は、
1年ほど会わなければ
分子レベルではすっかり
入れ替わっている。
かつて身体の一部であった
原子や分子は、
もう自分の内部には存在しない。
生命とは代謝の持続的変化であり、
この変化こそが生命の真の姿である。
生命はその命を守るために、
体内の分子レベルで
絶え間なく壊されなければならない。
生命は動的平衡にある流れ、と定義できる。
これが、多くの生命科学の研究者たちが
懸命に取り組んで到達した
21世紀の生命観であった。
この最先端の生命観を、
10世紀以上も前、
具象化していた民族がいた。
日本人であった。
伊勢神宮の式年遷宮
カビがはびこり、
全てのものが朽ちる日本列島では、
永遠という思想は確立しない。
ところが、日本人は、
ものが朽ち果てることを逆手にとり、
ものを永遠に存続させる
システムを編み出した。
日本人は思想ではなく、
システムで永遠性を実現した。
その永遠のシステムの象徴が、
伊勢神宮の式年遷宮である。
式年遷宮では20年に一度、
社殿、鳥居、橋の建築物だけでなく
装束や祭具などの調度品を同じ作り方で、
同じ形に作り直す式典である。
正殿の立替は、
伊勢神宮が創建された
当時から行われていた。
式年遷宮の制度が定められたのは、
1300年前の持統天皇のことと
言われている。
資料を読むと、
伊勢神宮の式年遷宮の目的は、
建築技術の伝承と
記されているものが多い。
しかし、技術を伝承する目的で、
このような大掛かりで
費用がかかる式典が行われるだろうか。
この式年遷宮には、
もっと根源的な意味があると思う。
伊勢神宮のホームページの
遷宮に関して
「いつでも新しく、
いつまでも変わらない姿を
望むことができます。
これにより神と人、
そして国家に永遠を目指したと
考えられます」
とある。
この説明はストンと腑に落ちる。
(写真―4)は、
Wikipediaに掲載されている写真である。
敗戦後の昭和28年でも行われた
伊勢神宮の式年遷宮の写真で、
上空から撮影された写真は
米軍の占領軍が撮影したものなのか。
日本の永遠のシステム
式年遷宮は、
ものが朽ち果てる日本で、
永遠にものを存続させるための
永遠の建築システムである。
建物が朽ちる前に、
それを壊して、新しいものを造る。
木と紙で造られた建物や調度品は、
20年間はどうにか持つ。
そのため、20年ごとに造り変えれば、
伊勢神宮は永遠に存続していく。
21世紀の今と異なり、
当時、ものづくり職人は
いくらでもいた。
「職人の確保と技術伝承の遷宮」
というのは、後生の人々の読みであろう。
あくまで、式年遷宮は
永遠に存続するシステムと考えると、
遷宮に掛ける人々の
熱い情動が理解できる。
21世紀の生命科学が到達した
最先端の生命観
「入れ替わり、
変化し続けていくことが命の姿」を、
日本人は1300年以上も前、
伊勢神宮で具象化していた。
世界遺産のピラミッドも
万里の長城もマチュ・ピチュも、
懸命に維持補修工事が施されている。
しかし、いかに補修工事をしようが、
あと何千年後、何万年後には、
それらの建物はまちがいなく朽ち果てている。
しかし、木と紙でできている伊勢神宮は、
日本人が生きている限り
永遠に同じ形で存続していく。
日本人はものが朽ち果てる前に
建て替えるシステムを確立した。
人々の肉体の細胞が入替わることで、
個性と精神が保たれるシステムと
同じであった。
古い都市が次々と壊され、
姿を変えていく。
東京の変貌を見ていて
「変わったなー!」と言いながら、
なにか楽しくなる理由が
ここにありそうだ。
東京のビルの建て替え、街の変貌は
永遠に存続していく生命の
アナロジーなのだろう。
【竹村公太郎】移り行く都市 ―永遠のシステム―への2件のコメント
2024年5月12日 2:02 AM
伊勢は20年
なのに
出雲は60年 その差は何だ、、
天つ神と 国つ神 の
寿命の差 か しらん。。。
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2024年5月12日 2:15 AM
出雲は式年ではなく 60から70年の幅があるとか、、
その アバウトさが 素敵 ♪
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