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2024年2月9日

【竹村公太郎】地形と気象が産んだ日本語(その3)―氷河期を生き抜いた日本語―

ホモサピエンスと氷河期の謎

日本とトンガ・サモアは
確かに暴力に襲われなかった。
だから母音中心の発生数が
少ない言語となった。

しかし、日本語には
不思議な点がある。
12万年前から始まった
約10万年間の大氷河期である。
トンガ、サモアは
赤道下に位置するので
簡単に生き残れた。
日本列島はそうはいかない。
北緯30度以上の日本列島の人々は
大氷河期をどうやって生き抜いたのか?
なぜ、生き抜いた日本人の会話は
発生音が異常に少ないくせに、
語彙が異常に多くなったのか。

人類史の謎は、
縄文時代以前の石器時代である。
約10万年間の最後の氷河期を
どうやって祖先たちは生き抜いたのか?

この過酷な氷河期、日本列島各地に
祖先の遺跡が残されている。
北海道から沖縄まで遺跡は
10,000カ所に及ぶ。
過酷な気候の中で、何千年間、何万年間も
どうやって生きていたのか?

 

東南アジア湾で生き抜く狩猟人

13万年前、地球は寒冷化時代に入った。
世界中の大陸には
3,000m級の氷河が形成され、
海水温も低下し海水の体積は収縮し、
海水面は現在より“120~140m”も低下した。


(図―1)は国立極地研究所のデータを
土木屋の私どもが処理した
32万年前からの地球の気温変動である。
地球は13万年前から
長期氷河期に入ったことが分かる。

氷河期になり、
海面が120m~140mも低下したため、
海嶺の琉球諸島と
伊豆・小笠原・マリアナの諸島は
大きく海面から浮き上がり、
諸島は長く切れ切れの連続した地形となった。

日本列島の南の海は
大きな湾の様相となり、
日本列島、台湾、フィリピン、インドネシアが
周りを取り囲んだ。
湾のパラオとインドネシア間に開口部があった。
開口部から暖かい赤道海流が流れ込み、
巨大な暖かい湾、
東南アジア湾が誕生していた。

(図―2)は東南アジア湾へ
北赤道海流が流れ込む様子をしめした。

東南アジア湾で
諸島の人々は魚介類を食べた。
魚に飽きたら湾の北の大きな
日本列島へ向かった。
日本列島では、氷河の切れ目の
亜寒帯林の中でキャンプをしながら、
ナウマンゾウやニッポンカモシカを追った。

地球史上で最も厳しい
ウイスコンシン氷河期前後の10万年間、
東南アジア湾周辺の人々は、
日本列島を含む諸島で生きていた。

海洋民族であった人々は
母音の発声をした。
舟の板一枚の下は地獄の海である。
会話は大きな声の母音中心で繰り返された。

人々はアシ舟で移動し、出会い、
穏やかな交流を続けた。
この氷河期の10万年間、
暴力の大海軍団は登場しなかった。
東南アジア湾の海洋民族には
征服も被征服もなかった。

 

日本列島に取り残された縄文時代

ナウマンゾウが絶滅した
1万5千年前ごろ温暖化が始まった。
温暖化が始まると
氷河の溶け出しは早かった。
海面上昇が一気に起こり、
日本列島は大陸から切り離された。
南北に細長い列島の各地に取り残され、
住みつく決心をした人々が
日本列島の先住人となった。

日本列島で縄文時代が開始された。
日本列島に取り残された人々の本質は
海洋民族であった。
何しろ十万年近く
東南アジア湾で生活していた。
日本列島には脊梁山脈から
無数の河川が流れ下っていた。
彼らは日本列島で住み着いても
舟で川を利用した。

暖かくなれば山に向かって遡り、
落とし穴を作ってカモシカやクマを狩った。
寒くなれば南に下り河口で魚介類を獲った。
火山が噴火すれば舟で速やかに下り、
海岸を伝わり他所に逃げた。

縄文時代、日本列島の人々は
土地に執着しない移動する民であった。
ユーラシア大陸と日本列島の間には
流れのはやい対馬海流が流れ出していた。
小舟で日本列島に漂着した人々はいたが、
ユーラシア大陸から
強大な暴力は渡ってこなかった。
暴力による征服がなく、
日本列島の人々は、
子音を強要されることにはなかった。

日本列島の人々は、
おおらかな母音中心の言語で会話をし、
森林で狩猟して動物、
鳥や昆虫の鳴き声を
重要な情報として左脳に収納し続けていた。

 

土地に執着する稲作文明

地球は大寒冷期から
温暖化に進んでいった。
6000年前ごろには、温暖化はピークとなり、
海面は数m高くなり、
海は日本列島の奥地まで浸入していった。
6000年前から再び地球は
寒冷化に向かい、
海面は徐々に低下していった。
その海面が低下していった後の河口には、
広大な干潟や沖積平野が登場してきた。
6000年間、河川が運んだ
堆積土砂の干潟が顔を出してきた。


(図―3)で2万年前から現在までの
沖積平野の形成を図化した。

温暖の縄文海進の時期、
日本列島の100%が山岳地帯であった。
山岳の日本列島で、
海が後退した河口部に
10%の平らな沖積平野が生まれた。
この沖積平野が
日本の稲作文明の主舞台となった。
弥生時代の稲作が日本文明を創ったが、
基盤となる土地は
日本列島の地形変化によって
生み出されていった。

日本列島の地形は、
山々と海峡と河川で分断されている。
分断された各地に、
猫の額ほどの沖積平野が生まれた。
日本人にとって、
この沖積平野は何にも代えがたい
貴重なお宝となった。

土地に執着する日本人の稲作文明が、
弥生、飛鳥、大和、平安
そして土地争奪戦の戦国時代へと
進んでいった。
戦国時代は、信長、秀吉
そして徳川家康の3人の
バトンリレーで幕を閉じた。

日本の政治権力体制は統一されたが、
地形で分断されていた各地の
沖積平野が統合されたわけではない。

地形で分断された共同体は
異なる共同体である。
異なる共同体は、
自身の共同体のアイデンティティーのため、
異なる言語を話すようになる。
言語の分裂は人類の宿命であった。

ところが3,000㎞と
細長い日本列島に住んでいた人々の言語は
分裂しなかった。

 

言語分裂の宿命

気候と地形が異なれば、
各々の土地の文化と言語は異なっていく。
特に、山々と海峡で分断された
狭い沖積平野に生きていた人々は、
自分たちの共同体の
アイデンティティーのため、
独特の言語を話すようになる。

近隣の共同体と
異なる言葉を話すようになるのは、
世界人類の共通現象である。
現在、28ヶ国が集まったEU議会では
公用語が23言語ある。
EUの課題の一つが
同時通訳のための費用である。
EU議会の常勤通訳は350人、
臨時通訳は400人もいて
通訳費用が
議会経費を圧迫しているという。

大陸から離れている
小島のイギリス連邦には、
イングランド語、スコットランド語、
ウエールズ語、アイルランド語が
ひしめき合っている。

ところが、
地形で分断されて生きてきた日本人は、
同じ文字を読み、同じ言葉を話していた。

明治になり日本人は、
列島各地から東京へ集結した。
彼らは憲法を作り、国会を開催し、
国民国家としての体裁を
あっという間に整えた。
このとき、彼らの間では
言葉は障害とならなかった。
明治の帝国議会の図を見ても
「通訳」の姿はない。

江戸の260年間、領土の奪い合いという
暴力の交流はなかった。
日本列島は異民族に征服されず、
話し言葉は母音中心に留まっていた。
一方で、書き文字の情報交流が誕生し、
豊富な語彙が生みだされていた。

 

水運が産んだ語彙社会

広重の東海道五十三次は
港から始まる。
第1番目の品川宿では、
朝の様子が描かれている。
旅人たちは、そそくさと急ぎ足で出立し、
帆を揚げた船が
次々と各地に向かっていく。
第2番目の神奈川宿では
夕方が描かれている。
大きな船は錨を降し、帆をたたんでいる。
沖には、暗くならないうちに
江戸の品川宿へ急ぐ船の列も見える。

第1番目の品川宿と
第2番目の神奈川宿で、
広重は大切な情報を提供してくれている。
江戸と地方を行き来する大量の船である。


(図―4)は第1の品川宿である。

19世紀、大都市・江戸は
大量の物を必要とした。
全国各地から、米、海産物、木材、ミカン
そして工芸品が休むことなく江戸に注入された。
江戸から戻る船は空で荷物の重みがないと
波で不安定になる。
戻り船には、
江戸からのお土産が満載されていた。
着物、装飾品、工芸品、
特に多かったのが
瓦版と浮世絵であった。

全国各地の工芸品は情報である。
瓦版と浮世絵は情報の塊であった。
江戸から全国各地に
大量の情報がこれでもかと送り出された。

江戸の情報は奥深い山の中まで、
それこそ全国津々浦々に届いていった。

 

日本水運は津々浦々へ

日本各地は地形で分断されていた。
しかし、江戸時代の260年間、
日本列島の人々は、
情報を共有する
船運ネットワークで生きていた。

このネットワークは
海の港で終わっていない。
川の河口から上流に伸びている。
大船は河口の港に着くと、
荷物は小舟に積み替えられ、
小舟が陸地の内部に
荷物を運んでいった。
上流の内陸部で、
自力帆走できないところは、
剛力たちが小舟を上流まで引いていった。

(図―5)は内陸をいく曳き舟である。
横山大観は「引き舟」で
滝が落ちている深い山の中まで、
剛力が小舟を引いている絵を描いている。


(図―6)が江戸時代の
主要な港と航路地図である。
港は海にあっただけではない。
各大河川では内陸まで舟は遡っていった。


(図―7)は、秋田県を流れる雄物川の
かつての港・船着場である。
川を遡った内陸でも
多くの港があったことがわかる。

谷風が連勝した。
歌舞伎の団十郎が人気だ、
と瓦版は伝えてくれた。
赤穂浪士の討ち入事件は、
2週間後には
全国に知れ渡っていたと伝わっている。
瓦版や浮世絵や漫画草子の情報は、
水運ネットワークという
情報の蜘蛛の巣によって
列島中の人々に運び込まれた。


(図―8)は黒船の来航を知らせる瓦版であり、
絵と豊富な文字が掲載されている。

瓦版と浮世絵で日本中の人々が、
絵と文字を共有していた。
漢字の基本も絵である。
絵を組み合わせる
新しい漢字も日本で誕生していった。
文字語彙は止めどもなく増えていった。

人類の歴史上、このような
濃密な情報ネットワークに包まれて
進展していった文明はあっただろうか。

 

土地を執着する人々と移動し続ける人々

 弥生以来、日本人は稲作文明を構築した。
稲作の舞台は、湿地帯を開拓した
盆地と沖積平野であった。
自分たちが
苦労して開拓した土地への執着は
極めて強かった。

何しろ、西暦604年の
日本最初の憲法「17条の憲法」が出来た後、
最初に作られた法律が
土地所有の原則を定めた646年の
「班田収授法」であった。
日本人の土地への執着を示している。

稲作文明の中核は
農村共同体であった。
農村共同体は団結を強め
耕地を開発し続けた。
土地を造った
結束の強い農村共同体は、
江戸以降の日本文明の
中心セクターとなった。
農村共同体は土地と一体であった。
どんな災害を受けても、
何があっても土地から離れない
移動しない人々であった。

日本列島にはその対極の人々がいた。
海岸に住み着いた移動する人々であった。
日本列島は海に囲まれていて、
海岸線延長は3.6万㎞に及び、
河口から河川を遡のぼる距離を入れれば
地球の円周の4万㎞を優に超える。

彼ら海の民が蜘蛛の巣の
水運ネットワークを創り上げた。
移動しない農耕民族を相手に
交易をする水運ネットワークは
利益が出た。
移動する人々は
移動しない人々の産物を買った。
そして移動しない人々に情報を売った。

1万5千年前、海面が一気に上昇し
日本列島に取り残された人々は、
内陸の農耕民と海の狩猟民に分かれた。
別れた2つの民たちは戦わず、
お互いに利益を享受して
見事に共存することとなった。
日本人は農耕民族なのか、
海洋民族なのか、
21世紀の今も視点が変わると
意見が分かれてしまうのはこの点にある。

日本は260年間の平和な時間を過ごし、
幕末を迎え、近代に突入していった。

日本語は
日本列島の地形と
地球規模の気象変動によって産まれ、
育まれていっていった。

日本語は異常に発生音が少ない。
母音中心の日本語は
人類の源流に位置している。

日本語は文字語彙が異常に多い。
日本語は未来のAI情報交流の
先端を走っていく。

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【竹村公太郎】地形と気象が産んだ日本語(その3)―氷河期を生き抜いた日本語―への1件のコメント

  1. つぼた より

    お久しぶりです。

    >絵を組み合わせる
    >新しい漢字も日本で誕生していった。

    興味深いですね。
    これだけ表現が豊かなら、
    独自の漢字があっても良さそうに思いますが、
    やっぱりあるんですね。

    数年前に、一時参加した神道でも、
    日本語の母音が多い特徴を力説されていました。

    >日本人は農耕民族なのか、
    >海洋民族なのか、
    >21世紀の今も視点が変わると
    >意見が分かれてしまうのはこの点にある。

    初めて聞きました。
    小さい頃から、農耕民族として習いましたが、
    海との共存関係を見ると、海洋民族としてもおかしく
    ないように思います。

    今回もいろいろ気づきがありました。

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