コラム

2022年9月10日

【竹村公太郎】バベルの塔と浅草新吉原遊郭 

吉原遊郭の絵の違和感
障子のところでちょこんと座って外を眺める猫。その眼下には田園地帯が広がっている。

この絵(図-1)は広重の「名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣」。描いた風景は浅草新吉原の遊郭の一室からの眺めだ。
 障子の桟には使用済みの手拭い。左には寝床を隠す屏風が立ち、その下には女性のかんざし。艶めかしい雰囲気を遠回しに描いている。その人間の営みに、我関せずと猫は背を向けて外を見下ろしている。
 江戸最大の遊郭・吉原は、当初は日本橋人形町にあった。海岸に近い葦(ヨシ)の草に囲まれた湿地帯にあったので、葦の原は「吉原」と呼ばれた。
1657年、日本史上最大の火災・明暦の大火が発生した。その火災後、遊郭は日本橋人形町からこの浅草の日本堤(にっぽんつつみ)へ移転した。当時の日本堤は、暗く寂しくて辻斬りが出たと伝わっている。
 新吉原の賑わいを描いた浮世絵は数多くあるが、遊女の部屋から外を描いたこの絵は珍しい。
しかし、この絵を見るたびに、”違和感”を感じていた。謎というほどではない。「何か変」という気配であった。その正体はわからず、いつか小さく固まり忘れていた。

 

浅草新吉原の日本堤
 新緑の日曜日、浅草の新吉原に向かった。以前から吉原弁天財に参拝したかった。というのも、これまで出版や講演で、江戸を洪水から守る日本堤を紹介してきた。その紹介の中で「江戸の治水は新吉原遊郭と深く関係している」と解釈を展開してきた。
1620年、徳川幕府は隅田川に土手を造成して、江戸市中を洪水から守ることにした。堤防の工事には全国の大名が参加したので「日本堤」と呼ばれた。しかし、急ごしらえであったため、降雨のたびに斜面が崩れてしまった。21世紀の今でも、堤防は造る以上に維持管理が重要である。
1657年、明暦の大火が発生した。そこで、江戸幕府はある仕掛けをした。日本橋人形町で焼け出された吉原の遊郭を、日本堤の土手に移転させたのだ。幕府の狙いは、遊郭に通う男たちで、堤を踏み固めさせる狙いであった。  
遊郭に向かう江戸中の男たちはそうとも知らず、浮き浮きと日本堤の上を歩き、脆弱な日本堤を踏み固めていった。幕府の狙いは見事に当たった。これが日本堤と遊郭の私の解釈であった。


(図―2)は広重の「名所江戸百景、浅草吉原」で、男たちで賑わう日本堤を描いている。

 

 新吉原弁財天での出会い
江戸時代から昭和33年まで続いた新吉原遊郭で、多くの遊女が病や火災で亡くなっていた。大正15年の関東大震災でも500人近い遊女が逃げ場を失い亡くなっている。
私は日本堤と新吉原遊郭を結び付けて、面白おかしく隅田川の治水を展開してきた。そのため、遊女の霊に一度、手を合わせたいと思っていた。 
地下鉄浅草駅を降りて、浅草寺にお参りをして、日本堤通りに出た。江戸の男たちと同じように日本堤通りを歩き、見返り柳を左に曲がって、吉原神社に参拝して、さらに10分ぐらい歩いて吉原弁財天に着いた。まだ蝉は泣いていなかった。境内はシーンとしていた。
観音像に進み手を合わせた。観音様の足元には真新しい立派な生花が供えられていた。境内のスチル製のテーブルに、中年の男性が座っていた。声を掛けあい私も椅子に座った。彼が生花を供えたという。月二回供える花は、ポケットマネーだともいう。彼は私に向かって、なぜ、ここに来たのかと聞いてきた。「日本堤の歴史や地形を調べている」と答えると、「そこの喫茶店のママが、この辺の歴史にやたらと詳しい」と誘われた。その喫茶店に向かった。

 

奇妙な「新吉原」の地図
 喫茶店の朗らかなママがコーヒーを出してくれた。趣味で地形を調べているというと、ママは店の奥から一枚のコピーを持ってきた。
「このあたりの地形を調べているならこれは面白いよ。“西まさる”さんが作った資料だよ」と私にくれた。「吉原はこうしてつくられた」(新葉館出版:西まさる著)のコピーであった。
コピーの原周辺地図のところどころに標高が入っていた。原遊郭の場所には(標高14メートル)とあった。私はその数字に釘付けになった。「そうだったのか!」と声を出してしまった。
冒頭の広重の「浅草田甫酉の町詣」の新吉原遊郭の違和感が一瞬にして解けた。
 あわてて持参していたパソコンを広げた。収納してあったデータから広重の画面を出した。田んぼのあぜ道を酉の市へ行く人々を2階の窓から猫が見ている。この絵の違和感がはっきりした。
それは「構図の視線の高さ」だった。

 

異様に高い視線
遊郭の2階の窓から見おろせば、せいぜい5、6メートルである。ところがこの絵では、マンションでいえば5、6階から見下ろしている。正体不明の違和感は解けた。吉原遊郭は標高14メートルの盛土であった。その2階の窓から外を見れば、あの絵の構図になる。しかし、次の疑問が湧いてきた。
14mの盛土は大量だ。新吉原の面積は2万坪あった。面積は約66,000㎡となり、標高6mの田んぼから標高14mの盛り土は、単純計算で520,000㎥が必要となる。江戸時代の盛土としては膨大な数量である。
江戸は湿地帯で盛土の入手は容易ではなかったが、明暦大火の瓦礫があった。
しかし、なぜ、これほどまで高く盛土をしたのか。それが次の疑問となった。

 

なぜ、14メートルもの盛土を
 当時、浅草一帯で最も高い場所は日本堤であった。なにしろ江戸を洪水から守る堤防だから高いのは当たり前だ。遊郭はその日本堤の天端の標高10メートルより4メートルも高い。標高が入った平面図を、断面の絵にしたのが(図―3)である。


なぜ、日本堤より4メートルも高く盛っているのか。
遊郭が遠くから目立たせる、という仮説が考えられる。浅草新吉原遊郭の光は、江戸城からも、房総半島から見えたと伝わっている。つまり、新吉原遊郭を江戸の夜のランドマークにするために14メートルの盛り土をした。この仮説は面白い。しかし、このような理由では江戸幕府の許可は下りない。なにしろ、堤防より高い盛土はご法度であった。
堤防より高いということは、他の個所より相対的に強くなる。堤防高さを厳重に管理していた江戸幕府は許可しない。

 

日本最初のスーパー堤防
 浅草の新吉原の再建事業を進めたのは、西まさる氏によると愛知県知多半島の人々たちであった。知多半島は濃尾平野の南側に接している。濃尾平野は名だたる大湿原で、木曽川、長良川そして揖斐川の木曽三川が流れ込んでくる。
 名古屋城はその濃尾平野の東端の台地の上にある。名古屋城下の尾張地方を洪水から守るため、尾張徳川家は、木曽川の東堤防を西側に比較して3尺(約1m)高くしてしまった。そのため木曽川、長良川そして揖斐川の洪水は、濃尾平野の西側で暴れまわっていた。
 堤防の高さは幕府によって厳重に監視され、勝手に高くすることはできなかった。西側の岐阜、三重、愛知の美濃地方は自分たちの集落を堤防で囲む輪中で自衛しなければならなかった。

(図―4)が江戸時代の木曽三川の輪中を表している。
輪中の人たちが自衛すると言っても、大洪水が来ればもう何もできない。輪中堤防の上に避難するだけであった。この地方の人々にとって、輪中は最後の避難の場所であった。
知多半島出身の新吉原遊郭の事業者たちは、日本堤を見て不安に思った。当時の日本堤はいかにも低くて脆弱であった。(図―3)でも日本堤が低く脆弱だったかが理解できる。
江戸幕府は、新遊郭を無理やり寂しい浅草の背後の日本堤に移させた。そのため、新遊郭の事業者たちは幕府と強い交渉が出来た。
新吉原遊郭の建設の投資額は莫大となる。この投資は守らなければならない。
全国から集めた遊女たちも大切な宝であった。全国各地の方言を話す遊女たちは、共通の廓(くるわ)言葉を話すことになっていた。この貴重な遊女たちも、洪水から守らなければならない。
遊郭だけは絶対に浸水させない。江戸の下町一帯が濁水に沈んでも、遊郭の高台だけは沈ませない。遊郭を高台にして避難場所とする。これが遊郭を14mと高台にした理由であった。
なお、1620年に造られた日本堤は新吉原遊郭が建設されて以降、順次、堤防の嵩上げ工事が行われた。江戸末期に広重が描いた(図―2)の「原日本堤」は幕末の堤防嵩上げ後の姿である。

(図―5)は幕末の嵩上げ後の原周辺の標高図となる。
21世紀、隅田川でこの堤防のかさ上げが再び行われた。東京都が中央区の聖路加病院付近で行った「スーパー堤防」事業であった。
人間の手にあまる大洪水に対して、高い避難所を作る手法は、人類誕生以来の普遍的な手法であった。
最古は旧約聖書にさかのぼる。

 

バベルの塔
旧約聖書のアダムとイブが登場する創世記の第11章に「バベルの塔」の物語がある。
要約すると「東の方から移動したノアの子孫たちは、シアルの地の平原に住みついた。そこで、レンガを作り高い塔を作りだした。その人間たちの不遜な行為を見た神は、同じ言葉で話しているから、このようなことをする。お互いに理解できないように彼らの言葉を乱してやろう。このようにして人々は言葉が通じなり、塔つくりをやめ全地に散ってしまった。」
このバベルの塔の物語は奇妙な物語である。旧約聖書には塔の目的が一言も記述されていない。バベルの塔の物語が、奇妙に感じるのはそのためである。
この塔の目的ははっきりしている。大洪水を乗り切ったノアの子孫たちは、また大洪水が襲ってきても船で流浪しないよう高い塔を造ろうとしたのである。バベルの塔は、洪水からの避難高台であった。
間違いなくバベルの塔は避難塔であると断言できる証拠がある。


(図ー6)は1563年にピートル・ブリューゲルが描いたバベルの塔である。この絵の塔は傾いているように見える。しかし、この絵は時空を超えた見事な写実絵である。なぜなら洪水が襲ってきたとき、人々は塔の周囲に造られた螺旋階段を回って上に向かう。その螺旋階段を正確に描いていけば、塔が傾いているように見えてしまうのである。
そのことに気が付いたのは(写真―1)を見た時であった。

この塔は三重県が造った津波時に人々が避難する塔である。やはり塔の周辺は螺旋階段となっていて、なにか塔が傾いているように感じてしまう。この津波避難所を見て、旧約聖書のバベルの塔が避難所であったと断言できるのである。

 

バベルの塔の共同体崩壊と新吉原遊郭の共同体誕生
旧約聖書の神は大洪水を受けた人々の苦しみを理解しなかった。洪水避難塔の建設を進めた人々を咎めた。罰として人々の言葉をバラバラにしてしまった。
言葉が通じなければ仲間ではない。言葉が通じる仲間だけが共同体である。共同体の宿命は、異言語の共同体を敵対視していく。共同体間の敵対視の最終段階が闘争となる。
 日本最初の洪水の避難高台は江戸の遊郭であった。新吉原の遊郭は高く盛られ洪水に対抗した。高台の新吉原には、全国からバラバラの言葉を話す遊女たちが集まってきた。新遊郭では集まってくる人々が会話するため、遊郭独特の言葉を作っていった。
人類最初の洪水の避難高台は、言語の分裂と共同体の分裂という宿命を負わせた。

 

 日本最初の洪水の避難高台は、規模は小さいが、同じ言葉で会話する共同体を生んでいった。

 

 広重が残してくれた遊郭からの風景は、私にこのような物語の遊びを与えてくれた。

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【竹村公太郎】バベルの塔と浅草新吉原遊郭 への2件のコメント

  1. 利根川 より

     植民地統治は「分割統治」が基本なのだそうで、宗主国の指令を受け取る一部の現地住民以外にわざわざ言語教育などせず、現地民同士で意思疎通ができないようにしておくものだと聞いたことがあります。団結して反抗されるのが一番厄介なので、バラバラにしておくわけですね。
     インドが独立した際、マハトマ・ガンディーはヒンディー語をインド共通の言語と定めて学校を作っていったと聞きますが、まともな独立国家であれば「仲間内で意志の統一が図れるように」言語は一本化して行くものなのだと思います。近年、日本はその逆のことを自ら行ってきましたけどね(苦笑い
     別段、英語教育が悪いとは言わない。将来、イギリスに留学に行くとか、アメリカでスポーツ選手になりたいとか、そういったことであれば英語は覚えるべきでしょう。しかし、

    △「わたし、将来はドイツに職人の修行に行きたいの。だから英語覚えるの」

    〇「いや、ドイツいくならドイツ語覚えないとダメなんじゃないの?メルケルさんも『移民の方はドイツ語覚えるべき』って言ってたし」

    ◇「俺は将来タイにムエタイ修行に行くから英語覚えるぜ」

    〇「いや、タイに行くならタイ語でしょ」

    なぜか海外ではどこに行っても英語でイケると思い込んでいる島国日本。そんなわけが無かろうと。
     こんなことを言うと

    □「いや、日本にも外国人観光客がたくさん来るんだから英語は必須でしょう」

    と言われるわけですが、日本には英語圏以外からも観光客はやってきているわけです。英語圏以外の外国人を差別でもしているのでしょうか。
     例えば、日本人が海外に観光に行って

    現地民「コニチハー」

    と言われたら「お、歓迎してもらった」と思うかもしれませんが

    現地民「ニーハオ」

    と言われたら「中国人ではないんだけどな~」とモヤモヤするでしょう。これは日本人に限らず、どこの国の人でもモヤモヤすると思います。みんな自分の国の文化に誇りや愛着があると思いますのでね。日本には色々な国から人が来ています。なので、日本国内については「こんにちは」でいいんですよ。
     
    ×「いや、英語は共通言語だから覚えなきゃ」

    こんなトンチンカンなことを言う人までいますが、共通言語が存在するためには世界国家が必要になりますが、そんなものは存在しませんので世界共通語なんてものも存在しません。
     
    ×「いやいや、英語は国連で使われてる」

    その通りではありますが、国連では英語以外の言語も公用語として使われています。
     それでも、その時々の国力によって影響力の強い言語というものは確かに存在します。昔は国際会議でフランス語が多く使われていたそうですが、イギリスが一度目の覇権国に、そしてアメリカが二度目の覇権国になった事で英語の影響力が強くなったと言われています。
     さて、「これからはグローバルの時代だから」影響力の強い言語を覚えなくてはいけないということになると、日本はこの先

    「小学校で英語に代わって中国語の授業を導入」

    ということになりますが…
     中国は2030年までにGDPで世界第一位になると予想されていますし、中国語を母国語とする人口は文部科学省によると英語を抜いて世界第1位となっています。(言語使用人口自体は英語も中国語も11億人と同程度)現在、新たな覇権戦争の時代が到来していますが、今一番「覇権国の座」に近いのも中国です。
     「これからはグローバルの時代だから英語」ということであれば、2030年代以降、日本は英語に代わって中国語教育に精を出さねばならないと言うことになりますが…
     わたしが、現在日本で行われている英語教育が嫌いな理由、分かって頂けるでしょうか。
     

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  2. 小笠原貞雄 より

    竹村さんの大変興味深い論考にもかかわらず、論考とぜんぜん関連のない長文意見をコメント欄に埋め尽くすのは、あたかも竹村さんの論考を無視し竹村さんに興味がないかのようで、わたしにはとても理解できない神経です。
    フィールドワークを試みられ、図説や画像まで貼付してくださっている竹村さんに対し非常に失礼な態度ではないかと思います。

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