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2014年4月1日

【藤井聡】なぜ「思想の奴隷」になる輩がいるのか?

From 藤井聡@京都大学大学院教授

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●韓国格差社会の正体とは?
http://www.youtube.com/watch?v=ZK5RY5rIGs8

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皆さん、こんにちは、

残念ながら、今週は、喉のポリープ手術をいたしました関係で、一週間、発言禁止の病床に伏しております。

京都の北山の「妙法」がよく見える病室に、一言も口をきかず静養しているところでございます。そんな関係で、ネットも今一つ繋がらず、世の中の状況もよく分からない中ではございますが、少々、既存ストックなどを活用しながら。。。。メルマガ配信差し上げたいと思います。

過日、飯田氏と本メルマガ誌上でやりとりして参りました。その概要、大変ややこしい内容となっておりますので、取り急ぎ、当方で、下記の様に、全体の流れをまとめさせて頂いているところでございますが。。。
(※ 一連の討論の最後 ⇒ http://synodos.jp/economy/7322 )
(※ 一連の討論のまとめ⇒ http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/03/04/fujii-79/ )

その間、いろんな方からメッセージを頂きました。そんな中でも、例の東田剛氏とも親しい方(←ちなみに中野ホサ官ではありません)から、

「政府は平均的には、民間企業よりも非合理的な投資を行う。」

という飯田氏のご主張に対する「ツッコミ」として、下記の様なメールを頂きました。

当方としては大変正鵠を射た「ツッコミ」だとお見受けいたしましたので、ご本人の了解の下、下記に紹介差し上げます。

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藤井聡様

ここしばらく展開されていた論争を拝読して、思ったことをまとめました。

もっとも小生、議論の推移を貴兄のメルマガでしかフォローしていないので、相手側たる飯田さんの主張について、正確にとらえているかどうかは分かりません。
したがって以下は「藤井ー飯田論争へのコメント」ではなく、「論争に関連して貴兄が述べた主張へのコメント」と位置づけていただければ幸いです。
とまれ、ご参考までに。

1)「消費者の主観価値+市場原理」の組み合わせが、企業活動からムダをなくすと見なすためには、「消費者の主観価値が、あまり急激に変動しない」ことを前提する必要があろう。主観価値が急激に変動しつづけると、それに対応するためのコストがかさむためである。

しかるに現在の社会では、近代化による伝統の解体と、情報化の発達により、主観価値の急激な変動が生じやすくなっている可能性が高い。これは市場原理 に適応して行動しようとすると(あるいは、そうしすぎると)、かえって不効率となるリスクが強まっていることを暗示する。となると民間にはムダがない、あるいは少ないというのも、一種の「神話」と化すのではないか?

2)「人々が(経済的に)価値を見出さないもの」を淘汰、ないし廃止しても、国や社会のあり方が良好な状態に保たれると判断する根拠はあるだろうか?

国民の多くが自衛隊の存在に価値を見出さなくなったところで、自衛隊をなくしても日本は大丈夫ということにはならないだろう。「自衛隊の存在」を「被災地の復興」におきかえても同様である。

3)政府は民間に比べ、経済的に不合理な活動をする傾向が明らかに強いとすれば、安全保障は国軍ではなく、傭兵に担ってもらうのが(少なくとも経済学的 には)正しい選択だという話になる。これは妥当な発想だろうか。

また国立大学は、私立大学より本質的にムダが多くなければおかしい。この主張は正当なものか?

4)そもそも経済主体としての「政府」と「民間」の間に、明確な線引きができるというのは本当だろうか?

5)「10億円配る」のも、「10億円のムダな事業をする」のも同じという発想は、主観価値説に従うなら、「何もせずカネをもらう」ことと「ムダな仕事 であれ、何かをしてカネをもらう」ことが、もらう側にとって同じ意味合いを持たないかぎり、成立しないのではないだろうか。

でなければ、カネに関する主観的な価値が変わってくるからである。常識で考えても「何もせず得たカネ」と、「何か仕事をすることで得たカネ」では、あ りがたみ、つまり価値が違っていて当然。

この二つが同じ意味合いを持つと見なして良いのだろうか。
=========

以上、いかがでしょうか?

この某氏のツッコミを拝見するだけで、やはり、

「民間の方が、政府よりも平均的に効率的である」

という飯田氏の主張を正当化するのは難しいだろうなぁ。。。。と当方には思えて参りますが、皆様はいかがお感じになるでしょうか?

そのご判断は、読者各位にお任せしたいと思います。

。。。ということで、それはさておき(笑)、この某氏のツッコミを見ていて思い出したのが、今、まとめている書籍の一節でした。

今、今年の5〜6月出版を目指して、『じっくり学ぼう 政治の哲学』という書籍をまとめているのですが(乞うご期待!)、その中で、「ニヒリズムと新自由主義」についてまとめた箇所があります。

この一節では、

「なぜ、どう考えても不合理なメチャクチャな主張をする人が、学者の中に出てくるのか?」

という事を、哲学的、心理学的に分析しています。

少々長文になりますが、病床からのメルマガ。。。ということで下記の文章のご紹介で、今週は、ご容赦願えますと幸いです。

下記ご覧頂ければ、なぜ、当方が今回の様な公開討論を始めたのか、その討論を申し込むことを通して、一体「何」を皆様方にお見せしようとしたのか。。。。の答えを理解いただける(かも!)知れません。

(あまりたくさんの方々に理解されるとちょっとヤバイので、分かる方だけに分かって頂ければ、と思います 笑)

============
『ニヒリズムと存在論的不安』(抜粋)
ニリヒリズムはなにかというと、虚無主義であって、そのイメージは何もかもを真空に放り出すようなものです。そして、虚無主義の中で、ありとあらゆるおぞましいものがはびこっていき、最終的に「多数者の専制」が立ち現れる。

そしてその中で、実に様々なイデオロギー化した「主義」は、ある種のニヒリズムの帰結なのだと申し上げました。

今日は皆さんがよくご存じな、世の中にあるいろんな主義が、どういうふうにニヒリズムなのかを、お話ししたいと思います。

まず最初は、拝金主義。これは、ニヒリズムの必然的な帰結です。拝金主義とは、金がすべて、金しか興味が無い、それ以外の価値がない、という考え方です。典型的なニヒリズムです。

それから日和見主義、これもニヒリズムですよね。主義主張なんてなんだっていい、というニヒリズムがあるから、他人が言っていることに何でも「あ、そうそう」と同調する。その数秒後に逆のこと言われても、「あ、そうそう」とスグに同調する。

それから権威主義、これもニヒリズムです。結局、何がいいも悪いもないので、とにかく権威のある、例えば、「ナントカか大学の経済学部教授」の言うとおりにしておけばいいだろう、というような考え方ですね。

さらに前例踏襲主義。これは官僚に多い。官僚も本来は政治家の方と一緒にやっていく仕事だ、と言うことは以前申し上げましたけど、そういう意味で官僚にも政治家スピリッツ、哲人統治的なマインドがないといけないんですけど、「めんどくさいから前にやっておいたことでええやないか」と考え始めるのが、前例踏襲主義です。何も考えちゃいない。

そして、やっぱり僕が一番恐ろしいと思う、ニヒリズムの帰結が、全体主義です。

この全体主義を論じた代表的な著作が、ハンナ・アーレントという人の「全体主義の起源」という本なんですが、彼女の分析からも明らかになりますが、やはり、全体主義がなぜ起こるかというのを考えると、結局ニヒリズムが原因なんですね。

そこにニヒリズムがないと全体主義は起こらない。つまり、ニヒリズムがある、ということが全体主義の必要条件なんです。逆にいうと ニヒリズムの社会になると、その社会は必然的に全体主義へと傾斜していくんです。

(中略)

そういう所も含めて、「全体主義の心理」って言うのは、非常に面白く、興味深いものなんですね。

これは前回もお話しましたが、一端人がニヒリズムに陥ると、人間は不安になる。不思議なもので、人間というのは、頼る価値がなくなると底が抜けたようになって不安で不安で仕方なくなるんですね。そういう、取り立てて明確な対象もないまま、全般的なものとして陥る不安を「存在論的不安」と言うんですが、この不安は、実に巨大なエネルギーを発揮します。

例えば、拝金主義に陥った人を考えましょう。彼は、オカネ以外は信じない。オカネが貯まることそれ自体を望んでいる。いわば、彼の存在の規定にあるのはオカネなんです。でも、結局オカネなんて、いくらあったって、それ自身が、彼を満たすわけでは無い。でも、オカネしか、彼を支えるものがない。

だから、彼は、より多くのオカネを儲けようとする。1億貯まれば10億、10億貯まれば100億円が欲しくなる。それでも彼の「存在論的不安」は払拭されないので、1000億、一兆円───と止めどなく、オカネを欲してしまうんです。でも、ずーっと彼は満たされない。ざるで水をくむようなものです。

つまり、この例が暗示しているのは、ニヒリストは常に、存在論的不安に怯えている、という構図なのです。

(中略)

この様に、ニヒリズムになって精神が「虚無」が広がり、精神に真空ができあがり、存在論的不安が立ち会われた瞬間に、何か別のモノが入り込もうとする訳です。それが、拝金主義であったり,日和見主義であったり、そして全体主義であったりするわけです。それは物理の世界の真空と同じです。真空になった瞬間、周辺から空気が入り込もうとする圧力が超絶にかかる、というあの現象です。

そして、多くの現代日本人、とりわけ、「インテリ層」と呼ばれる人々の心の真空に入り込んでしまっているものの代表的なものが、「新自由主義」です。

政府や社会の規制は極力無くして、全てを市場取引に任せ、マネーに基づく自由競争に委ねれば、何もかも上手くいく、生産者は利潤だけ追求しておけばいいし、消費者は自らの満足の最大化だけをしておけばいいし、政府は小さい方がいいし、無駄な公共事業をやめたらいい。

理論的には、「新古典派経済学」という経済理論に準拠するイデオロギーですが、これは今、ビジネス界はもとより、政界、官界にも巨大な影響力を発揮するものとなってしまっている。

この新自由主義の理論は、極めて単純な論理です。そこには、複雑性、豊穣性は全く無い。人間は単なる「消費者」であって、倫理的な問題に関心を抱くような事は一切無い、ということになっている。

法人だって、世間や買い手が満足することそれ自体を喜ぶ、と言うようなことは無い、ということになっている。しかも、全てのプレーヤーが完全な知識を持っているということになっているし、いろいろなプロセスは、一瞬で生じて、時間的な遅れは存在しない、ということになっている。

──もちろん、現実社会はそうなっていないことは誰もが知っている話なのですが、この新自由主義の理論の世界では、「そういう事になっている」のです。そして恐ろしいことに、ただ単に理論的に「そういう事になっている」に過ぎない架空の話を、新自由主義者達は、「本来は、現実はそうなっている」と真剣に信じているのです。

これはもう、ナチスドイツの「汎ドイツ主義」(ゲルマン民族が、最高の民族だ、という思想)を信奉していた当時のドイツ国民達と何も変わりがありません。現実は理論と明らかに違うのに、自分が信ずるイデオロギーを重視して、現実を見る事をやめているのです。

そのために、現実に目を向けさせてしまう自らの内に僅かなりとも残されていた「理性」を、完璧に隠蔽しようとする訳です。

こうして、彼が新自由主義という「思想」の「奴隷」になればなるほどに、彼は理性を失っていくこととひき替えに、「存在論的不安」を幾分和らげることに成功するのです。でも、そんな感覚は、一時のもの。

それは「麻薬」と同じように、理性を失えば失うほど、彼の精神の真空は巨大化し、彼の本質的な存在論的不安は、巨大化していくのです。そして、その巨大な不安をかき消すために、彼はさらに過激に自らの理性を押し殺し、彼が信奉する新自由主義のより完璧なる奴隷にならんと努めることになるのです。

ホント、哀れとしか言い様のないお話ですが、自業自得と言うしかありません──。

ところで、新自由主義者の方々、とりわけ、学者、エコノミストの方々は、多くの場合、偏差値的な意味で「アタマが良い人」が多いのが実態です。

彼等は、アタマが良いが故に、より完璧に,彼の虚構論理を作りあげてしまうことが出来てしまうので、より完璧な思想イデオロギーの奴隷になれてしまうのです。

でも、一般庶民の感覚から言うと、そんな完璧なエリート奴隷は、単なる「アホ」にしか見えません(笑)。なぜなら、彼等は大まじめに「消費者は全ての情報を持ってるんだ!」とか「政府はムダなのだ!」などと、何をどう考えたって、狂人の主張としか思えないことを主張するからです。

それにツッコミを入れようものなら、「お前は、教科書も読んでないじゃないか。そんな素人に何が分かるというだ。ホント、経済学的思考が出来ないバカは、これだから困るんだよな」なんて、バカにバカにされるのがオチなんですね(笑)。

ここだけ取り出すと、単なる腹が痛くなるギャグにしかならないのですが、そういう大まじめな思想の奴隷達によって国政が動かされ、経済が動いて、実際の失業者が増えたりしているものですから、ホントに恐ろしい限りです──。

ところで、この新自由主義、やっかいなことに、「お金儲けが善」という論理とも言えますから、先に述べた「拝金主義」ともがっちりつながっていますし、「エライ経済学者が主張してるんだ!」なんていう論理でもありますから「権威主義」ともつながっています。

さらに言いますと、「エライ人達は皆こう言ってるんだもん!」っていう事にもなってますから「日和見主義」とも繋がっていますし、さらにさらに鬱陶しい事に、昨今の政府では、もうずーと新自由主義的な政策を採用してきていますから、「前例踏襲主義」の側面もあったりします。

だから、ある種、現代における「全体主義」のど真ん中にいるのが、この新自由主義者達なんですね。

したがって、現代の「ニヒリスト」にとっては、一番とっつきやすいのが、新自由主義だ、という事になってるわけです。

したがって、ニヒリストの政治家の方は、大体新自由主義に飛びついていく。

だから、全員がそうだ、とまでは断定することは一応控えますが(笑)、おおよその場合、現在、新自由主義が大好きな政治家がもしもおられたら、彼はもう完全にニヒリストであって、政治家の資格はない、っていう疑義は、極めてすこぶる凄まじく濃厚ですね(大笑)。

以上が、本日の「ニヒリズムの帰結」のお話でありました。

========

ニヒリズムが嫌いな方は、毎週月曜日、こちらを!
http://doboku-ch.jp/

こんなバ〇につける薬はあるの?という方は、是非、兵庫県の芦屋まで!
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=236248&userflg=0

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【藤井聡】なぜ「思想の奴隷」になる輩がいるのか?への26件のコメント

  1. YOYO より

    いろいろ書いてあるけど、何が何でも公共事業、いや、国土強靭化はいやだ!!!っていうオーラがにじみ出してるコメントにはあきれる他はないですね。>日下氏の発言に藤井氏が声を荒げた件その映像を見ましたが、およそ、普段日下氏が説く国家観とは相容れないような発言がありました。「北海道への投資(青函トンネル)は無駄、米国債を買っておけば北海道間の運賃をただに出来た」「北海道民は恩知らず」「北海道民は家族でない」青函トンネルに限っても、その建設費6000億に対し、同額の米国債を買ったとして、果たしてどれだけの額になったでありましょう。単純に今、飛行機を利用してる人の運賃を概算しても年額では1000億単位にはなります。いかに米国債が利回りが良かったとしても運賃をすべてタダにするだけの利回りには程遠いというもの。しかも、その後変動相場に移行して含み損も出ていたことでしょう。なにより、「家族でない」という言葉に唖然とするしかなく、藤井氏が声を荒げるだけの経緯はあったようです。>無駄か無駄でないか以前に、特定の人達が税金やら国債やらで集めた膨大なお金の行先を決めるのは変なのです。人間の最も醜い心、ルサンチマンを利用する、質の悪い言説ですね。問題の本質である「必要な公共事業」と「無駄に行われてしまった事業」をごっちゃにしてるし、便利になることに触れておきながら、強引に公共事業(国土強靭化)はだめと決め付けてるし。そんなに、金融緩和だけが正しいなら、異次元緩和が進んだ今頃(2014.12)には、デフレ脱却を達成してたでしょうに。それにしても、国土強靭化はどうなってしまったのか?ガス抜きでしかなかったのか?それでは総理、あんまりです。「我々は、借金をして東海道新幹線を建設し、それによって高度経済成長を達成してきました。地域の競争力を上げるような投資は、これを堂々と進めて参ります」総理の選挙演説の一節ですけど、今では虚しく響くばかり。

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  2. kobuna より

    >藤井、飯田論争で、私の考えを述べさせて頂きます.まちがっていたら、ご指導頂きたいとおもいます。 藤井さんなら何と指導するのやら。 一般人からの指摘など不要と思っているかもしれませんが、見かけましたので意見を書かせてください。比較の仕方は色々とあるものです。例えば、政府が30万のスーツをオーダーメイドで紳士服屋に依頼し、それを紳士服屋が依頼をうけ出来上がった物を、政府が買って国民に配る。もしもこんな事をする政府があれば「馬鹿野郎」と言ってやっていい。また、紳士服屋との癒着も疑うべきでしょう。 無駄か無駄でないか以前に、特定の人達が税金やら国債やらで集めた膨大なお金の行先を決めるのは変なのです。金融政策重視という考え方も、こういう『変』な事が問題視されて出てきた話です。福祉や公共事業を増やすというやり方で問題がないなら楽だったでしょう。この方がお金を大勢に行き渡らせるという目的を達成するのに適していますし、定額給付金とかだとお金をただ渡す事になりますが財政政策ならお金が行き渡るまでの過程で便利な道が増えたりする。しかし、問題があったからこそこれが変えられていったんです。 ここにコメントする様な人達は金融政策の効果に懐疑的なようですが、それはそれでいいと思います。ただ、金融政策に反対だからといって藤井さんの国土強靱化計画に賛成するようでは問題です。他の大勢がいくら間違っていようと、そういうのとは無関係に藤井さんが勧めている話はおかしいのですから。なぜかリフレ政策を批判すれば藤井さんが正しくなるかのように錯覚している人達がいますが、そいつらがアホなだけです。

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  3. s より

     すみません。おっしゃる通りです。文脈からもここでの自分の目的は無駄の定義による「概念の整理」です。 途中から放棄してますね。。。これは詭弁によって逃げているのと同じです。それに「国土強靭化」を利用してしまいました。すみません。 公共投資などの国の支出が、すべて理論上無駄でもいいと言われたようで、なんとか言い負かしてやろうと言う下心があったようです。>目的はなにか。これを語らずに議論をする事は無意味です。それぞれの目的がバラバラな議論、なにをもって志を向ける理由とするかこれがバラバラでは、議論に勝敗はあっても進展はありません。 まさしく自分へのブーメランです。 議論を進展させたいのに、それを否定すると言う茶番をしているのは私のほうです。 私がしていたことはは議論ではなく理論のたよりなさの話だったのかもしれません。 ご指摘ありがとうございました。

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  4. より

    藤井、飯田論争で、私の考えを述べさせて頂きます.まちがっていたら、ご指導頂きたいとおもいます。まず「穴を掘って埋める事業」の話は、政府が1兆円の「穴を掘って埋める」工事を民間企業にオーダーメードで依頼し、それを民間企業が依頼を受け、出き上がった物を政府が買うという事なので、売り手[民間企業]、があり、買い手[政府]があると言う事は、1兆円の価値があるということになります。GDPに加算されて、当たり前なのです。例えば、私が、30万のスーツをオーダーメイドで紳士服屋に依頼し、それを紳士服屋が依頼をうけ出来上がった物を、私が買うのです。と言う事は、売り手と買い手があるので、30万の価値が生まれるのです。そのスーツが似合っているか似合ってないか、無駄か無駄でないかは、個人の主観になるので、議論の決着はつかないと思います。「1兆円の給付金」の話では、売り手、買い手の話がないので、GDPに加算されないのは、当たり前だと思います。次に「民間の方が、政府より合理的だ」と言う話は、前の話につながる大事な話になります。飯田氏は、「民間は非合理だと淘汰される」というような事を、言っていました。私も同感いたします。だとすると、「民間の方が、合理的」と説明する時、今存在している民間企業だけで、話をするのではなく、今までどれだけの民間企業が、潰れてきたかを同時に考えなければなりません。たとえば、開業30年のスーパーがあります。この店は合理的だから30年間つつけられてきたといえます。しかしそのうらで、30年の間で、10店のスーパーが、潰れていたら、民間は、合理的だとは、いえなくなります。、

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  5. s より

    >そのときも常にある問題です。それだけです。 軽々しくそれだけなどと言ってしまいすみませんでした。 なんでもお金だけではかれないことがあることも事実です。 私のように軽く考えてしまう価値観になれば、人を碑ととも思わぬ思想にのまれる危険もあると思います。 それはおそらく人が人であるために大事な問題でしょう。 失言でした。 

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  7. s より

     脱成長とゆうのはよくわかりません。交換価値偏重の経済といいますが、そのとおりでしょう。使用価値と交換価値の乖離もあるでしょう。デフレでもインフレでも同じ事はあるはずです。 それは常にある問題です。今はデフレですので、たんたんと政府は移民などに頼らず、グローバル企業の成長に頼らず公共事業の受注額を上げて生活保護やニートを日本人のなかから吸い上げ、失業率を減らし完全雇用を目指し内需を拡大し国内企業の成長をして、国民の実質賃金を上つづけデフレからぬけても それは常にある問題です。緩やかな成長を続けながら成長をコントロールする機能は法人勢を累進化すればすむ事です。微妙な調整は税率で調整するか支出でするかそのとき判断すればいいでしょう。 そのときも常にある問題です。それだけです。

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  8. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >そして、我々は、交換価値偏重の経済に、倦ん>でいる。だから、直接給付というアイディアも、次善の策はこれがベスト、という立場です。実は。いちいち弁明しなくてもわかりそうなものだが、一応、言っておく。

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  9. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >しかし、現在は「パチンコ屋が潰れてせいせい>する」といった事を数値化できません。何しろ、使用済み核燃料が「資産」なのか、それとも、「負のストック」なのかについてすら、まともな政治的な合意が未だ得られないくらいなのですから。。。

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  10. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >GDPにしても、「こんなものは下がってもい>い」という話が出てくるべきです。ついに、われわれは、使用価値と交換価値の乖離という論点に行きついた。そして、我々は、交換価値偏重の経済に、倦んでいる。だから、一部の鈍感な人達にいかに嘲笑されようど「脱成長」の思想が、魅力と輝きを失うことは、けっして、ない。

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  11. s より

     お忙しいと時に質問にこたえていただきありがとうございました。大変参考になりました。わたしの質問はこれで終わりです。

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  12. kobuna より

    丁寧に整理して行くなら、お金を動かす人 = 働く人現在はこうなっていると思っております。(1) 映画の批評をするブログが大人気だが収入が無い(2) 親のコネで映画を批評する仕事をやっていて、つまらない事を書いているが収入があるこのうち働いていると見なされるのは後者の方です。公共事業などでも同じような事が言える。地域の人達で街の美化に努めようと、それはボランティアです。そこに失業者が加わろうと、その失業者は仕事ではなくてボランティアに関わったという扱いになります。地味な話になりますが、「働くとは何か?」という事が考えて行ける。失業者が多いのかどうかも、働く人=???という部分で大勢の共通認識が変わっただけでまるで違ってきます。どう思われますか、との事ですが、働く人=??? ここで現在どうなっているかだけではなく、どうなれば望ましいかも考えていけるはずなのです。とりあえずは、今までの価値観や認識から見直す必要があると思ってます。GDPにしても、「こんなものは下がってもいい」という話が出てくるべきです。例えば、パチンコ屋が倒産して行けばGDPも下がりますが、それではいけないのかというとそうでもない。しかし、現在は「パチンコ屋が潰れてせいせいする」といった事を数値化できません。GDPにしても大昔には無い概念でした。だから現在ある概念だけで考えるのではなく、新たな概念を見つけるという姿勢も必要かと思います。なお、これからちょっと出張の準備で忙しいので次のコメントには反応できないかもしれません。

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  13. s より

     kobunaさんご指摘ありがとうございます。 誰と討論するかそれは確かに大事かもしれません。価値観や考え方が違えば喧嘩になったり、私のように相手を軽視してしまう事もあります。すみませんでした。 物事をしっかり考えるためには、別の事例も必要かと思います。   >『GDP統計では政府支出に限って真水一兆円の政府支出は「一兆円の価値」がある「ということにして」いる。政府が一兆円かけて穴を掘って埋める事業を行っても、GDP統計の上では「一兆円の付加価値が生まれた」として取り扱うのだ。 とゆうことですが、民間の支出はどうなのでしょうか。以下kobunaさんの文章を少し変えて事例として使わせていただきます。私が書いた本を誰かがお金を出して買って読む。kobunaさんが書いた本を誰かがお金を出して買って読む。 同じ値段ですが、kobunaさんが書いた本のほうが内容があって分かりやすい。 それなのになぜか同じ数が売れている。 そのとき消費者の支出はGDP統計では同じ価値があると言う事にしていませんか? 例えば、売り込み時代の私について「それでは売り上げも上がらない」と言っていた編集者もいた。その話は「kobunaさんが書くならは売り上げは上がるのに」という意味を含んでいました。 しかし、売り上げが上がる理由が宣伝によるものなら、kobunaさんの本で売り上げを増やせばいいという考え方も見直さなくてはいけない。過去におけるkobunaさんの評価についても見直しが必要です。私が書いた本 → kobunaさんの本こうするだけで売り上げが増えるというトリックがあったなら、売り上げの推移をグラフにしてkobunaさんの本を勧めるような話が怪しくなってきます。  民間の消費活動も支出と考えるのであれば、出版社の出版したkobuna本一兆円の売り上げは「一兆円の価値」がある「ということにして」いる。  このことについてkobunaさんはどう思われますか。

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  14. メイ より

     お返事下さって、ありがとうございます。 私なりの考えを、書いてみますね。  言葉が足りなかったかもしれませんが、ご指摘のあった箇所は、給付金を頂く側ではなく、出す側の事を書いたのです。 また、ここで話題になっている給付金は、生活をまかなう程の金額は想定されていないと思います。  政府には、でき得れば「国を発展させたい」と思ってほしい、それに必要な長期的な展望を持ってほしい、という気持ちです。 例えば、藤井先生の国土強靭化は、「来るべき災害から国民を守りたい」「あらゆる意味で強靭な国にしたい」という未来への強い思想性が込められていて、そのため、いくつもの省庁の方と話し合い、調査を行い、大変な労力をつくされている事が伝わってきます。 それに比べると、給付金というのは、給付する層を決めたりはあるでしょうけれど、いかにもお手軽な印象を受けてしまいますし、「カネで解決」みたいな匂いが生理的に嫌かな。それで「デフレ対策をやった」みたいな顔をされたくないなあ、なんて・・。「国民なんて目先の数万のお金で満足するんだろ?」と思っているんじゃないのかなあ?と、一応、疑っています。うがった見方かもしれませんけれど。 でも私は、保証人さんの言いたい事、判る気もします。人間いつも健康とは限らないし、特に心身の調子を崩した時などは、生活不安からそう思ってしまう事もありますよね。「そしたらもう少し、ゆとりを持って色々考えられるのに」って。 だから、私は社会保障をもう少し充実する事も検討していただけたらなあ、と思っています。こんな事を言うと、「何の利益にもならない、政府がただお金を出すだけの事は、財政問題の足をひっぱるんだから、むしろ削減の対象だ」とか、「弱者保護は保守的ではない。左翼的だ」など、思い込みも含む批判をされそうです。生活保護費を騙し取ったりする、不逞の輩がいるからかもしれないけれど・・。 でも、「問題点の解決」と、「社会保障の必要性」は別問題ですよね。 必要だと思う理由のひとつは、経済の停滞に関係しているのではないか、という事です。 今、多くの方がお金を使う気になれないのは、老後や病気や障害を負ったとき等の将来不安があって、「国の社会保障が不安定ならば、それに備えよう」という気持ちになるため、消費を抑えようとされるのではないかと。 もうひとつは、(西部先生の言葉をお借りするのですが)社会保障というのは、国による安全保障だと思うからです。 とはいえ、(生活保護以外で)働かずに国から生活するだけのお金が貰えるとまでなれば、人間が荒廃し、自分の力や才能を見出せなくなり、精神的ニートみたいになるのではと心配です。  

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  15. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >(別に「国土強靭化」のことは言ってな>い。一般論です)定額給付金のことも。

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  16. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >い、そんな人達が混ざっているのでは進むはず>の話も停滞するでしょう。「インパール作戦なんか止めろ。帝国陸軍への信頼が損われる」「平成の牟田口廉也はゆるさん」(別に「国土強靭化」のことは言ってない。一般論です)

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  17. kobuna より

    >一口に無駄と言っても主語を変えるだけでも意味が変わってきます。この様な事を誰と一緒になって考えて行くのか?これも重要ではないでしょうか。今回の飯田さんと藤井さんのやり取りからこんな提案だって出来ます。「公共事業についての検討もいっそのことリフレ派に任せてはどうか?」私はリフレ派の支持者でもないのですが、公共事業好きの人達の酷さは目に余る。考える力に乏しく、物事をよりしっかりと考えて行く為の話にもろくな反応が出来ません。例えば、民主党時代の定額給付金について「それではGDPも上がらない」と言っていた経済評論家もいた。その話は「公共事業をするならGDPは上がるのに」という意味を含んでいました。しかし、GDPが上がる理由が計算方法によるものなら、公共事業でGDPを増やせばいいという考え方も見直さなくてはいけない。過去における公共事業の経済効果についても見直しが必要です。定額給付金10億円を支給 → 10億円分の自宅警備事業こうするだけでGDPが増えるというトリックがあったなら、GDPの推移をグラフにして公共事業を勧めるような話が怪しくなってきます。問題視できる事は、このような話に藤井さんが空振りしていたことです。飯田さんも藤井さんからおかしな反応が返ってきて驚いたのではないでしょうか。公共事業好きの人達の空振りというのは今回が初めてでもありません。藤井さんは日下公人さんとの議論でも空振りをしていました。日下さんは「もっと考えて行ける事がある」という意味で色々と指摘していましたが、藤井さんの反応は酷かった。例えば、北海道の発展を後押しするなら米国債の利子で北海道行きをタダにし、それで現地に落ちるお金を増やすという方法もあったという意味の話を日下さんはしていた。それから、お金を使えばいいというものでもなく、だから橋下さんの前の人にも問題があったのだろうという意味の話もしていた。しかし藤井さんは日下さんのしていた話の意味がまるで解っていなかった。そんなレベルの低さは藤井さん以外の人達も持っています。例えば、三橋貴明さんは藤井さんと一緒になって日下さんのことを「バカな爺さん」と笑っていた。どうも公共事業を熱心に勧める人達の中にはろくな人材がいないらしい。「リフレ政策を勧める人達」と「公共事業を勧める人達」、この二つの比較では片方があまりにもアホ過ぎる。よりしっかりと考えて行く為の指摘にろくな反応が出来ない、そんな人達が混ざっているのでは進むはずの話も停滞するでしょう。

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  18. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    「国土強靭化」がいいの悪いのは、よそ行っでやってくれ。こういうことです。

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  19. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >議論はあってしかるべきでしょう。しか>し抽象化された議論も物事を整理するに>は便利ですが、実際の「概念の整理」これが、ここでの「議論の本位」です。それは、本文の執筆者自身にとっても同じこと。その際、求められるのは、「抽象化された議論」の「便利さ」これだけです。一体、それ以上の何が必要か。

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  20. s より

    整理していただきありがとうございます。飯田さんの指摘はもっともです。 穴を掘って埋める公共事業とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。まずその定義から始めなければなりません。飯田さんの指摘では政府はどんな無駄な事に支出をしてもGDP統計上は支出と同等の付加価値が生まれた事になると言われていると私は思います。 これに当てはまる無駄な事とはどんなことでしょうか。私はいつも思うのですが、無駄な事かそうでないか個別の議論はあってしかるべきでしょう。しかし抽象化された議論も物事を整理するには便利ですが、実際の問題の認識には頼りないのです。 一口に無駄と言っても主語を変えるだけでも意味が変わってきます。個人単位か町単位か県か国か国家間か政府と言う単位で言うなら国とゆう枠組みで考えた時に無駄かそうでないかを考えなければなりません。それぞれ重なるところは当然あるでしょうし、逆も然りでしょう。またそれぞれの言い分もあるでしょう。そのなかで限られた予算の中から公共事業につく予算が決まり。執行されます。 考えてもみてください。公共事業にも政府の言い分があるのです。もっといえば国土強靭化にも予算を付ける意味が提示されているはずです。だれが無駄な事に予算などつけるでしょうか。公共事業さえすればGDP上がるから予算を付けよう。そんな言い分だけで、お金をもらえるわけが無いでしょう。もっといえば、予算の執行のための具体的な調査や計画がなければ、実際に地方の町や村にいっていきなり工事が出来るわけ無いでしょう。 目的はなにか。これを語らずに議論をする事は無意味です。それぞれの目的がバラバラな議論、なにをもって志を向ける理由とするかこれがバラバラでは、議論に勝敗はあっても進展はありません。 藤井先生の国土強靭化はその名前からして目的そのものではないですか。 無駄な工事をする事やGDP統計上価値がつくかどうかが目的ではないんですよ。理論上は文句はありません。しかし、もし議論を続けるのであれば国土強靭化とはなにかについてでなければこの議論に進展は無いと思うのです。そして公共事業と言う代名詞ではなく個別にそれぞれの執行目的をみて行けばばいいでしょう。

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  21. kobuna より

    飯田さんと藤井さんの話を改めて整理してみましょう。『GDP統計では政府支出に限って真水一兆円の政府支出は「一兆円の価値」がある「ということにして」いる。政府が一兆円かけて穴を掘って埋める事業を行っても、GDP統計の上では「一兆円の付加価値が生まれた」として取り扱うのだ。これが飯田さんの指摘です。ようは、定額給付金10億円を支給 → 10億円分の自宅警備事業この様に政策を切り替えるだけでGDPは増える。しかも、仕事をして給料を貰うほうが健全、といった事とは全く無関係にGDPが増える。このカラクリを利用すれば、定額給付金 → 穴を掘って埋めるような公共事業こんなふうに政策を切り替えるだけでこう言えます。「我々の考えた政策によってGDPはこんなにも増えた。我々の政策に反対していた人達はやはり間違っていた。」● 公共事業をやりさえすればGDPアップは確定これは公共事業好きの人達としては手放したくないカラクリでしょう。それで藤井聡さんがどんな反論をするのかと楽しみにしていた人もいると思うのですが、いったい何をやっているのでしょうね。「ありがたみ」が違う、とか、そういった事を考えるのもいいでしょう。しかしなぜそれを飯田さんの話を基にして考えているのでしょうか。シャドーボクシングのような事は止めてちゃんと飯田さんの指摘について考えてはどうなのか。>GDP統計では政府支出に限って真水一兆円の政府支出は「一兆円の価値」がある「ということにして」いる。これについて藤井さんや藤井さんのファン達はどのように思いますか?

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  22. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    > 給付金を出す、という発想も、「長い目で考>える」の逆で、何となく安直な印象がありま>す。それに、自分が何もしてないのにお金。逆でしょう。「働きとは無関係に少なくとも生活費だけは貰える」という政策は、むしろ、「必ずしも短期的なパフォーマンスを追わない:」という思想と親和性が高いはずです。

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  23. メイ より

     東田先生と親しい方からのコメント、共感します。 全てが、経済のみで語られるのは、どこか殺伐として寂しいですね。 ちょっとした無駄も許せない、という感性は、何かを生み出す力が減退してしまうのではないかと・・。「精神的けち」になってしまう事は残念な事です。国会での西田さんの言葉をお借りすれば「しみったれている」(笑)。 かなり昔、読んだ「悪女(わる)」という企業ものの漫画がありました。主人公の新人女子社員が、ある部署に配属された時、「みんな・・遊んでるみたい・・」と感じるのですが、そこは、アイディアを出す事だけを目的とした所でした。だから皆、ぼけーっとしてたり、本を読んだり、街を歩き回ったり・・基本、自由な行動が認められていたのです(だいぶ、うろ覚えですが)。 今の時代、漫画といえども、こういう発想は難しいかもしれませんね。お金を生み出さない行為は、「無駄だ」と言われてしまいそうですものね。 この漫画では、生まれるかどうか?不確実な「アイディア」、それを「生む人材」に、会社が投資しています。 目の前の損得・勝ち負けにこだわり過ぎてしまうと、こういう「長い目でものを見る」という事ができなくなりそうです。 根気よく「長い目で考える」のは、心に強い力が無いと難しいですし、心が痩せてしまったらできない事ですね。  給付金を出す、という発想も、「長い目で考える」の逆で、何となく安直な印象があります。それに、自分が何もしてないのにお金を頂くのは、抵抗があります。皆の誇りを傷つける・無くさせる事にならないのでしょうか。 「ニヒリズム」についても、上記と一貫したテーマですね。 これを拝読した時、ずっと昔に読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」と「果てしない物語」を思い出しました。 どちらも、「虚無」によって人間が生命力や想像・創造力を失ってしまい、それを回復しようという試みがテーマです。 「果てしない物語」では、「虚無」が「ファンタージエン国」を侵食していくのです。「ファンタージエン」というのは異世界なのですが、人間の心の中にある「生きる力の源」でもあるようです。  「生きる力の源」が「虚無」に苛まれて、無力感に苦しんでも、まだ後戻りできる人がいるなら、「元気を出してほしい・・」と言いたい気持ちもあります。  新自由主義を良しとする人というのは、欧米コンプレックスが行き過ぎているのではないでしょうか。「日本の方が劣っている」と・・・。 あちらの国の一部の方は、あのような動物並みの「弱肉強食」しか理解できないような野蛮な考え方で、恥ずかしくないのかな? 人間らしい助け合いも、思いやりも、仕事の楽しさも、理解できないのでしょうか。 

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  24. 日本財布論、改め、日本連帯保証人論 より

    >「10億円配る」のも、「10億円のムダな事>業をする」のも同じ、どちらも同等に馬鹿げている、そういう見方がありうる事は認めますし、お立場は尊重したいと思います。(「10億円配る」に心を寄せている)私にとっても耳の痛い話ではありますが。

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  25. s より

    経済についての話の話もしましょう。「10億円配る」のも、「10億円のムダな事業をする」のも同じ、これはこの二つの行為の扱いが違い過ぎて、それで出た意見ではありません。片方だけがGDPが+10兆円の政策だとみなされるはずなのに、両方だとゆう考えがの人がいる。例えば、原爆と水爆のうち片方だけが危険な兵器だと見なされていたのでは変でしょうと言う喩えが変でしょう。また、そんな状況ならば「目くそも鼻くそも同じだ」という指摘をする人もいるはずです。そしてこの時に「原爆と水爆はこの様にかわらない」という話をムキになってする人がいるとすれば変なのです。飯田さんのした「同じ」という話はそういうものではないんですよ。この辺を無視してツッコミを入れても、それは言い掛かりの様な話にしかならない。

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