FROM 柴山桂太@滋賀大学准教授
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新自由主義がもたらす恐ろしい悪夢ほか、縦横無尽にメッタ斬り。
本とは関係のないオフレコ話も、、、
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『顔のない独裁者』は、近未来の日本を舞台にした政治小説です。同時に、現代社会についての鋭い評論でもあります。
他の先生方もメルマガで書かれていますが、この物語はいまの改革論が行き着く先の、究極のディストピア(暗黒郷)を描いています。「民営化」「電力自由化」「道州制」といった新自由主義のお題目をまるごと実現すると、どんな世界がやってくるのか。本書で描かれているのは、インフラは崩壊状態、国は州によって分断、格差は開きっぱなしで、経済も成長しないという実に暗い未来です。
その上、かつてM・フリードマンが提唱した「負の所得税」も導入されています。これは、政府が一定の所得を保障する(たとえば年収200万円に満たない場合は差額分を政府から支給される)かわりに、最低賃金制を撤廃し、企業が賃金の下限を自由に設定できるようにする、という政策です。負の所得税を導入した結果、この物語世界では、時給が150円にまで下がり、政府による還付を受ける貧困層は「マイナス」と呼ばれ差別されるという、実に痛々しい状況になっています。確かに、そうなってもおかしくないですね。
なぜ、こうなってしまったのでしょうか。
物語は、一人の英雄を民衆が熱狂的に迎え入れる光景から始まります。駒ヶ根覚人、通称 ”GK “ は、日本を中国による事実上の植民地支配から救い出した英雄で、民衆は彼の政策を熱狂的に支持している。GKも、「首相公選制」や「参議院の廃止」などの政治改革を立て続けに行って、権力基盤の強化に余念がありません。そして、半ば独裁的な手法で、新自由主義的な理想にあわせて日本を改造していくのです。
本書の主人公、秋川進は、もともとはGKとともに日本の独立ために戦った青年でした。しかし革命の熱狂はすぐに幻滅に変わり、激しい虚脱感に襲われることになります。そこで紆余曲折があって、再び武器を取ることになるのですが…結末は読んでのお楽しみとしましょう。
本書でおもしろいと思ったのは、圧政からの解放が、やがて自由主義の暴走に向かうという筋書きです。全体主義国家という敵がいて、その抑圧支配から自由を取り戻すという話はよくありますが、問題はその先ですよね。自由主義者は次に、国内に敵を探すようになる。規制を守る既得権益や、個人の自由を制限する旧制度を見付け出し、それを叩こうとするわけです。GKは、最初は外の敵を、次に内なる敵を見つけ出しては破壊する、哀れな「戦争機械」のような存在で、いまの日本の状況を考えると妙にリアリティがあります。
それにしても、自由主義はどうしてこうもバランスを失ってしまったのでしょうか。もともと自由主義は、独裁や全体主義とはもっとも縁遠い思想だったはずです。冷戦期には、鉄のカーテンの向こう側にあるソ連という全体主義国家に対抗するために、自由主義の思想が練り上げられました。といっても、いまほど極端な自由化を唱えるものは少なく、現実の社会制度や各国の文化に根ざした、もっと穏当な自由主義が主張されていました。つまり自由主義の「理想」と、諸々の「現実」のバランスを探ることに、政治の知恵があったはずなのです。
ところが今では、自由主義の「理想」が闇雲に肥大化しています。「理想」にあわない「現実」を、半ば強権的に変えていくことが、「構造改革」であり「成長戦略」だとされるようになったわけです。それが行き着くところまでいけば、確かに、この本で描かれているような世界が実現してもおかしくありません。
主人公の秋川進は、物語の中で二度、武器を取ります。最初は、目に見えて抑圧的な全体主義体制に対して、日本の独立を取り戻そうとしました。これは、ある意味ではわかりやすい戦いです。しかし、二番目の敵は、正体が見えにくい。「顔の見えない独裁者」を相手に戦うべき理由を、秋川自身も迷いながら探しているように思えます。
もともと抑圧と戦ってきた自由主義が、今度は人々を抑圧する側に回るのだとしたら? いったい何が(そして誰が)、その暴走を止めることができるのでしょうか。本書が読者に投げかけているのは、そのような問題なのだと思います。
PS
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PPS
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【柴山桂太】「理想」の暴走への5件のコメント
2013年11月15日 9:56 PM
>その上、かつてM・フリードマンが提唱した「負の所得税」も導入されていま>す。これは、政府が一定の所得を保障する(たとえば年収200万円に満たない場合は差額分を政府から支給される)かわりに、最低賃金制を撤廃し、企業が賃金の下限を自由に設定できるようにする、という政策です。負の所得税を導入した結果、この物語世界では、時給が150円にまで下がり、政府による還付を受ける貧困層は「マイナス」と呼ばれ差別されるという、実政府による還付を受けようが受けまいが、貧困層は差別されるかも知れないし、されないかも知れない。そのどちらかを決めるのは、「負の所得税」の制度それ自体ではなく、社会の主流をなす価値意識、たとえば、その社会において貧乏人を差別する浅ましい風潮がどれほど根強いか、ではないのですか。
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2013年11月16日 10:29 AM
安倍総理をモデルにした小説だと想像しております。安倍氏を支持した人々は、伝統や歴史を取り戻すために熱烈に応援したのではないかと思います。しかし、安倍氏はそのようなことは考えてもいなかった。今となって思えば、間抜けな政治運動でした。フランス革命もロシア革命もこのように間抜けなものだったのでしょう。破壊的で狡猾で残忍な改革運動が、これからの日本で繰り返されるのでしょう。このような改革運動の果てに、日本人の持っていた伝統や社会通念が大きく壊されてしまえば、日本社会は重大な部分が壊れてしまっているので回復はできないと思います。顔のない独裁者は倒せない。倒すためには伝統や歴史感覚や社会通念がなければならないと思いますが、そのようなものが消え失せてしまっている社会は誰も武器を取ろうという気にもならないでしょう。たとえ武器を取って、ある人物を倒しても、また別の種類の顔の無い独裁者が出現する。小説の顛末はわかりませんが、主人公が勝利を得るということはなさそうな気がします。
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2013年11月17日 5:39 AM
最近は小泉のおっさんといい、チンパンジー福田爺といい変な輩共がしゃりしゃり出てきておかしな主張を始めてますね。 こういうGG共が俺達に有害を与えてる元凶なんだなと強く感じるようになりましたね。
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2013年11月18日 4:20 PM
徳洲会の顔しか動かない徳田氏をみていると「顔のない独裁者」の結末を見るような気がします。J氏が中野さんのことをとやかく言っておられますが、正しいことがなかなか進まないのは残念ですがよくあることですよね。しかし生きるのを止めるわけにはいかないし、しんどいかぎりです。うちの娘は大学生ですが英語での授業はまだそんなに強制的にはなってないみたいです。下村文部科学大臣は現場で教師をしたことがあるのでしょうか。陛下に手紙を渡した山本氏をたたくのはご自分が福島の子供たちを放ったらかしにしているせいではないですかね。あちこちで国ごと自然災害で壊れていく様子は人間がやっているのではないかと疑いたくなるくらいです。中野さんも柴山さんも応援してるので長く頑張ってください。
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2013年11月20日 7:11 AM
理想が暴走したのでは無く、それぞれの欲望が表面化してきたのでしょう。他人を思いやる事の無い欲望が表面化してきた現代社会、左翼も右翼も保守もモチベーションの為に掲げただけで理想が本当では無かったのです。柴山さん、三橋さん、藤井さん、皆さんも近づく理想と自らの欲望と反比例して行かない様にするには大変な自己犠牲が必要になります。行動が伴わなければ、結果が伴わなければ掲げた理想は挫折してしまい、又そこを反対側は突いて来ます欲望与え片一方では弱味をつく。今の地位も力も生活も支えた応援者を踏台としてしまい結果は裏切りの卑怯者。安倍さんも少しづつ変質した様に。応援して裏切られた者は落胆し以前よりもっと虚無感に襲われ攻撃する思いと力を無くします。力が有る者は正義が悪に変わり、力の無い者は唯一の気力さえ失い残るのは狂気と成ってしまいます。祖先の遺産、戦前までの古き良き時代の遺産は悠久の歴史の日本の人々の自己犠牲の精神、本来の日本的宗教定義の尊貴無上。先祖崇拝の神道、哲学の日本仏教、道徳の儒教の三つの生活の規範を宗教として来た基本が破壊され無くなり、不思議や御利益を宗教と呼ぶ間違った定義、カルトの新興宗教を宗教と定義し、過去を断罪し日本の祖先や歴史遺産を感謝無しにタダで利用だけする。今からは再度振り絞り過去から学び、理想の日本を戦後の日本を維新し、造り固め為す時期です。柴山さん施さんもっと表に出て御活躍下さい。
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