FROM 三橋貴明@新宿のオフィス
【今週のNewsピックアップ】
●衝突
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●現場と自己責任の話
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わたくしは「自己責任」という言葉が嫌いです。
無論、自己責任という事象が存在しないという話ではありませんが、
デフレ期にも関わらず、失業者などについて新古典派経済学者たちが
「それは自己責任」と言ってのける面の皮の厚さについては、
心底から燃え滾るような怒りを覚えます。
何しろ、彼ら新古典派経済学者たちの多くは大学教授、
公務員という立場で、競争が存在せず、
解雇される可能性がほとんどない職種なのです。
自分たちは安全な場所に身を置きながら、
他者を「競争」に駆り立て、
敗者に対しては「自己責任だから」と言ってのけるほど醜い言動は、
他にちょっと想像がつかないわけです。
この「自己責任」という言葉ですが、
新古典派経済学、
あるいは古(といっても1900年代上旬ですが)の古典派経済学者たちが、
セイの法則が通用しなくなった「バブル崩壊後の世界」において、
自己の言説の正当性を強弁するために生み出した用語なのだと思います。
「企業が倒産したのは、自己責任」
「労働者が失業したのは、自己責任」
「デフレ深刻化により経済的理由から自殺する人が増えたのも、自己責任」
自己責任、と言ってしまえば、
彼らの「間違った経済政策」により多くの人々が苦しんでいることについて、
責任を取らずに済む。などと、甘いことを考えているわけです。
新古典派経済学者の頭の中では、
モノは生産すれば、必ず売れます。
サービスは供給しようとすると、必ず客がいます。
世界が本当にそんなバラ色の世界ならば、
確かに失業や倒産は自己責任なのかも知れません。
とはいえ、現実にはインフレ期であろうと、
セイの法則が働かない分野はあるわけです
(働く分野もあるでしょうが)。
ましてや、デフレ期にはセイの法則など成り立つはずがありません。
それにも関わらず、新古典派経済学者たちは
彼らが「机上で考えた」経済モデルを各国に押し付け、
世界経済を袋小路に追い込もうとしてきました。
恐らく、彼ら自身も「もしかして、失敗したかも」などと
思っているのでしょう。
だからこそ、敗者に対し「自己責任です」などと切り捨て、
自分に害が及ばないようにするわけです。
本当に卑怯な人々でございます。
ところで、わたくしは大学で
「イノベーション」「改革」などを研究している人たちも嫌いです。
いや、研究するのは構わないのですが、
それを「現場で試してみよう」などと思い立ち、
自分はリスクを負わず、
他者のリスクで「イノベーション」「改革」などの
実験をする教授たちが嫌いなのです。
そんなに「イノベーション」とやらで儲けられるならば、
まずは自らのリスクで起業し、チャレンジしてみたらいかが?
などと言いたくなるわけでございます。
あるシンポジウムで、パーソナリティの女性(タレントさん)が、
「イノベーション」を叫ぶ大学教授の言葉に煽られ、
「わたくしも起業してみた〜い」
などと軽く言ったので、
わたくしは慌てて「とんでもない!」と止めたわけでございます。
デフレ期に起業するリスクは、間違いなくインフレ期よりも大きいです。
などと力説したところ、大学教授は黙っていました。
恐らく「そんなことありません、チャレンジすべきです」などと言ったら、
「ならば、まずはあなたがやりなさいよ」
と言われると予感したのだと思います。
(そういう「空気」だったので)
別に、大学教授が「イノベーション」を研究するのは
止める気はありませんが、せめて他人を煽るのは、
日本が経済成長するまで待って欲しいと切実に思います。
PS
経済学者たちは、ぶっちゃけ「経済」を知りません。
マーケティングや経営がわからないのから当たり前です。
だから初歩的なところで間違えてしまうのです。
その結果が、20年デフレなのだとしたら、、、
もし、こうしたカラクリに関心があるなら、
この本はとても参考になると思います。
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【三橋貴明】罪深い人たちへの1件のコメント
2012年10月23日 7:30 AM
正直に言う三橋さんに賛同いたします。ありがとうございます★
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