政治

2019年12月28日

【平松禎史】「霧につつまれたハリネズミのつぶやき」第六十四話『「納得がいく」令和の政策ピボットは実現可能なのか』

From 平松禎史@アニメーター/演出家

 

12月21日、三橋貴明さん主催のシンポジウム『「令和の政策ピボット」は実現可能なのか』がおこなわれました。
参加者は約700人だそうでして、たいへん盛り上がった良いシンポジウムだったと思います。改めて、お集まりの皆様、取り仕切られたスタッフの皆様、ありがとうございました。

三橋さんからは、現在の日本経済の凄惨な状況が示されました。 
西田議員からは、政治家になって以来訴えつづけている財政拡大路線への転換の難しさ。与野党政治家や官僚が死守している「壁」の存在に言及された。
安藤議員からも、同様の難しさが訴えられ、「日本の未来を考える勉強会」で最近3回連続でおこなった貧困の実態を訴える実務家の講演を踏まえた政策転換の必要性、緊急性も語られました。
 
パネリスト全員に共通していたのは、現実が最悪の状況にあること、にもかかわらず政策転換が全くと言ってよいほど議論されていない危機感です。

12月23日、内閣府の景気動向調査改定値が発表されました。
・先行指数:-0.3pt
・一致指数:-5.1pt
・遅行指数:-0.3pt
https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/revision.pdf
と、散々な状態がつづいています。3ヶ月先、7ヶ月先の見込みもマイナスです。先の数値は移動平均値なので実際には現在の落ち込みが加速度的に進む可能性があると考えざるを得ません。なぜなら、景気を回復させる施策が全くと言ってよいほど打たれておらず、海外の状況も不透明だからです。

この状況を 改善するために何をすれば良いのか?
 
ゲスト登壇者からは、それぞれの立場考え方で現在の問題意識、令和二年への抱負などお話されました。
 
ボクは、京都アニメーション放火殺人事件を踏まえ、20年を超えるデフレ状況による日本社会の余裕のなさ、人々がこれまでの思い込みを納得しながら転換していくことの難しさと必要性をお話しました。
 
そこで、今回は「納得」について書こうと思います。
既にブログで公開した記事を改訂しました。

第六十四話:『「納得がいく」令和の政策ピボットは実現可能なのか』

「納得」に着目するのはなぜなのか。
ひとつは、三橋さんが民主制の重要なポイントとして、多数決で勝った多数派と負けた少数派が、おたがいに納得するための共有意識を持つこと、ナショナリティが重要だ。というお話からひきつけられること。
もうひとつは、ここ数年断続的に読んでいる古事記や風土記の解説と、そこから発展して読みはじめた臨床心理学の本からヒントを得たことです。
前回(https://38news.jp/column/15001)もとりあげた臨床心理学者河合隼雄さんの物語についての考察は、政策転換できない日本の状況を理解するヒントが多数存在します。その中に「納得」ということばが出てくる。 実は、挨拶の中で紹介しようと本を持っていったのですが、長くなりそうなので超短く要約するにとどめました。その一節を少し長めに引用します。
 
《現代人は「納得がいく」ために、自分の知る限りの経験と知識とを因果的に結びつけて理解しようとする。したがって、自分の状況の原因として「親が悪い」とか、「社会が悪い」とか言ってみる。しかし、本当の納得は得られない。本当の納得は、知的な因果的把握を超えて、自分の存在自体が「そうだ」という体験をしなくてはならないし、それは極めて個別的なことである。一般的原則に基づく説明は、本当の納得につながらない。したがって、その人にとって自分の前世と現在の状況との関係が明らかになったときなどは、知的理解を超えて納得がいくのである。言うなれば、自分という存在が、今、目に見えているものや知識などを超えて、より偉大な存在との間に根づくのを感じる。
(河合隼雄『物語を生きる』p157~158)
原文傍点を下線に置き換え。重要と思うところ色付しました。
 
政治家や学者評論家などが「これが正しい」とデーターや理論を掲げ、理路整然と説明したことが、聞いた人にとって「納得がいく」ことだとは限らないのです。もし、経験や知識がその言論人のものと重なるところが多ければスッと納得がいくかもしれないが、そんな人は少数に違いない。「その人にとって」の「納得がいく」話というのは、個人の経験や知識だけでは不足だし、その話に納得しようとして知識を得ようとする人もまた、さらに少数にとどまるだろう。
そうすると、政治を転換するような動きを起こすほどの大多数が「納得がいく」ために、何が必要なのか。これが重要になってくる。

「その人にとって」という意識は、心理療法が個別的な問題を扱うものだからでしょう。河合さんは、西洋の一神論的な普遍性を根に持つ科学的思考が大勢を占めていた高度経済成長期の社会的気分に反発した時代を思い出し、自分たちがやっている個別的で不確実なことが当時は見向きもされなかった、と書いておられる。主流派経済学の、現実と乖離した条件を与えて生み出した理論を懐疑する意識とも共通します。
 
一方で、多くの人が「納得がいく」のは、河合さんが言うように「〇〇が悪い」と言った、その人の不満を代弁した話だ。さもありなん。日本社会は、戦後長らく政治権力を嫌う風潮が根づいてきた。河合さんは戦争体験から、かつて国家・政府(が作り出す「精神」「たましい」「神話」)というもの嫌っていた。しかし、日本の物語を知ることによってその感情から距離を取り、日本人に共通する意識を深めることができたのだが、多くの人々は個々に、生活実感からくる不満を国家・政府嫌いに直結させやすい。そんな状況が70年以上つづいて「経路」が固定化している。さらに、20年デフレによって政治に失望し、民主党政権への政権交代にも失望した。もはや誰が総理大臣でも状況は良くならないのだ、というあきらめが固定化していると言える。安倍政権の長期安定化は政治に期待したくない、だから今のままで良いという個々の心理の集合、その現れだと考える所以です。
つまり、今、目に見えているものや知識などを超えて、より偉大な存在との間に根づく「何か」、「その人にとって」を社会全体へ共有させる「何か」を失っている。あるいは個人の経験や知識の中に埋没させてしまっているのだと思う。SNSの広がりはそんな個別意識の肥大化を助長しているのではないかと考えられます。
 
河合さんは、この文脈では「前世」ということばを使っています。これは「浜松中納言物語」の登場人物が、幼いころ失った父の生まれ変わりが唐国にいる夢を見た、という物語から来ています。ですから、要点をとりだせば、歴史であったり、先祖であったり、それを育んだ地域(トポス=場所)のことであると考えて良いでしょう。
「何か」とは、ひとことで言えば、過去であり、過去から現在をつなく場所である、ということだ。
 
ここでもうひとり、近年繰り返し読んでいる著者の言葉が思い出される。中国文学者の高島俊男さんのことばだ。当メルマガでも引用しました。
 
《我々が、安心して、自信を持って現在に生きるには、現在の素性を知らねばならない。現在の素性を知るには、過去に話を聞いてみなければならない。
 
これは、変化していくことばを採集する辞書は、収録数を誇るより、使わなくなったことばをいくつ削ったかを誇るべきだ、というある人物のレビューに対する反論です。
 
過去に話を聞いてみることよりも、シンプル(簡素)であることがスマート(賢明)なのだ。人々から、歴史や先祖や地域とのつながりが失われている。むしろ、そのようなものを削って身軽になっていくことに「納得がいく」世の中になった。
 
このような状況下では、現在に生きる人々を経済的に救おうとする正しい訴えは、必ずしも多数の人々の「納得がいく」ことにつながらないのだ。
 
そうすると、三橋さんが歴史講義に力を入れる理由がよくわかる。
ただ、歴史というものがまた厄介です。歴史は、政治的に形成された「国家」の主観が良くも悪くも介入した一種のファンタジー(すべての国が納得する歴史は作り得ない)と言えますが、日本人は、政治的な主観によるファンタジーを受け付けない民族ではなかろうか。70年も歴史観がまとまらないのは、GHQ云々、戦後教育云々以前に、島国で、ほぼ外国に進出する意欲を持たなかった日本人は存外に個人主義的なところがあり、民族的な対立をほとんど経験していないがゆえに適度な距離を取りながらまとまることができた稀有な人々だと考えます。そのせいで「国家」というものを認識しづらい面があるのではないか。欧米では、大陸に存在する多様な民族性に対して個人を宗教や法でまとめ国家を形成してきた人々ですから、意識が全くと言って良いほど違う。日本人は半ば自然に成立した場所に住み、唯一の宗教を持たず、西洋的な法概念を取り入れてまだ200年ほどしか経っていないのです。現在まで4世代に満たないと考えればまだまだ浅く、西洋的な「国家」概念を受け入れる試行錯誤の時期にあると言って良いでしょう。
日本で「国家」概念が定着し難いのは、そのような西洋近代的概念が無力化してしまう自然災害に立ち向かわざるを得なかったからではないか。「過去に話を聞いてみる」とは、統一された国家的な歴史ではなく、個別的な思い出話や、地域の古老が伝える昔話が中心になるのが自然であって、「納得がいく」ことも個別的な感覚を共有する地域共同体に基づくと考えられます。急速にインフラが整備されて地域がつなげられた効用は計り知れないけれど、同時に、地域の独自性を失わせ、人々の縁(よすが)を弱体化させてしまったかもしれない。となると、国家的な整合性と組み合わされた歴史が国民全体に共有され難いのが「納得がいく」ではないか。と言って国家的な歴史観を否定するわけではないが、それと併行して、地域の人々をまとめ得る歴史という、別な歴史、日本人の物語を探り形成する必要があるのかもしれない。
 
言論人が苛立ちを覚える一般人の意識というものは、学問や分析結果などとは別な生活実感に根ざしている。残念な状況とはいえ、過去とのつながりで得られる自分という「存在」が弱体化し、バラバラに砂粒化した現代においては、無力と言わざるを得ない。どれだけ、歴史、国家、ナショナリティと言ったことを説いても「納得がいく」ことがなく、自分とは関係ないことだと思われてしまう。それよりは感情を直接的に刺激するスキャンダルのほうが「納得がいく」のです。そうやってこの20年間政策の中身が問題にされず、国民貧困化・格差拡大がつづいてきたのだと動かぬ証拠を示しても、大多数が「納得がいく」ことにはならないし、少数の意見に耳を傾ける余裕もない。刹那的な不満の解消が今の感情に「納得がいく」としても生活はちっとも楽にならない。不安も余裕のなさも解消されない。そのイビツが肥大化し爆発した事件が、京都アニメーション放火殺人事件だったのではないか。あのような意識が今後も社会を覆っていく。
 
堂々巡りの堕獄状況です。
 
藤井教授は、現在の政治状況を打破するためには、5年以内に2度政権交代を起こし、権力の座で腐ってしまった政治家や官僚を駆逐せねばならないと訴えた。そのくらいラディカルな動きが必要だと思わざるを得ないのですが、よくよく考えていくと、それすら起きないか、起きたとしても何も変わらない可能性を否定できない。なぜなら、20年つづいた経済思想が自民党→民主党→自民党と2度政権交代したにもかかわらず、全く変わっていないからだ。現在の与野党も経済認識は同一ですから。
この点では、佐藤健志さんの指摘に「納得がいく」のです。
https://twitter.com/kenjisato1966/status/1208592941926584320
 
 
とすれば
 
日本人が、生活実感として「納得がいく」転換は、自然災害によってしか得られないのではないか。経済圏の大多数を占める太平洋側が壊滅する首都直下・東海・東南海・南海巨大地震の連鎖が必要だと考えることすら禁じえない。
東日本大震災は、東北の皆さんには本当に申し訳ないが、主要政治家がいた首都がほぼ無事だったため転換の必要性が問われなかった。復興特別税は菅内閣で創設されたが、これを提起した学者のうち伊藤隆敏、伊藤元重、土居丈朗、吉川洋など学者は安倍政権でも重用され消費増税が推進されたのです。民主党政権と安倍政権は表面的には政権交代しましたが、中身は疑われもせず引き継がれたのです。強固に。
この頑強かつ残酷な経路を疑うには、5年以内に2度の首都圏含む連鎖巨大地震でも起こらぬ限り無理なのではないか。
 
…そんな考え自体が恐ろしい。
 
しかし、これまでの経緯は「理性的で論理的な議論や説明は通じない」ということであって、個別的に「納得がいく」ことを社会的に広げていくことが必要で、それを可能にするのは、歴史を鑑みても、天変地異くらいしかない。日本人は革命を良しとしないのです!
 
《本当の納得は、知的な因果的把握を超えて、自分の存在自体が「そうだ」という体験をしなくてはならないし、それは極めて個別的なことである。》
 

ボクが考えているのは、壊滅的な自然災害が起きていなくとも、過去の声に耳を傾け、自分自身のこととして想像し「納得がいく」ことを探る、その意識を掘り起こすことです。
政策論議を適切におこなうのに必要な土壌づくりからはじめねばならない。日本はそのくらい壊れてしまっている、あるいは未熟なままと考えたほうが良いのでしょう。
 
反国家的な意識から日本と日本人の真相に迫った河合隼雄さん「その人の変化に」、「令和の政策ピボット」を実現可能にする示唆があると考えます。

気が付けば、前回と同じことを別な言い方で書くことになりました。
「私」を支えているものが何なのか探ること。「納得がいく」ことを「私」単位から広げていくこと。その助けになるのは、やはり物語なのでしょう。

○コマーシャル

ボクのブログです。
https://ameblo.jp/tadashi-hiramatz/

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  1. たけちゃん より

    大地震或いは戦争で民族滅亡の瀬戸際でやっと国家経済の転換等とは日本人はバカであると言っているに等しい妄言でしょう。
    そんな事言うなら毒食らわば皿ごと、
    彗星が地球に衝突して日本をコントロールするNWO ユダヤ アメリカ帝国もろとも地球消滅  人類滅亡を望みたい所ですわ。

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      1. たけちゃん より

        西田 安藤
        口先ではイロイロ言うが投票行動に表れていない、
        そういうヤカラは通常 ウソつき と呼ばれる。

        返信

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  2. たかゆき より

    ココロ
    ここに あらざれば

    ミレども 見えず
    キケども 聞こえず

    ヒトは バイアスの 塊

    聴きたいこと 観たいこと
    納得死体こと しか 「理解」

    しない かと、、

    たとえば

    西田 安藤 

    小生の バイアスでは 国会議員は カス

    カスの ご高説を 蟻型
    もとい

    有難がっている じてんで

    すでに スカ かと。。。

     

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  3. 大和魂 より

    要は実現が可能不可能関係なく、大和魂に沿ってやるべきです。それが、我が国のあるべき真実の姿ではありませんか。また、わたくしが尊敬している西郷南州の 人生こそ我々大和民族の誇りです。よって我々がやるべきは、デタラメのマスメディアと出鱈目の数ある国際組織と卑劣極まりない司法を崩壊させるべきですよ!

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