From 三橋貴明@ブログ
州都バルセロナを擁するスペインの東北部、
カタルーニャ州において、
スペインからの独立の是非を問う
住民投票が強行され、混乱に陥っています。
『スペイン カタルーニャ州の住民投票開始も混乱
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171001/k10011164091000.html
スペイン北東部のカタルーニャ州で、
スペインからの独立の賛否を問う住民投票が始まりました。
しかし中央政府は、投票は憲法違反だとして、警察が、
一部の投票所の封鎖に乗り出し、
住民との間で衝突に発展して複数のけが人も出ており、
混乱が広がっています。
スペイン第2の都市バルセロナを中心とする
北東部のカタルーニャ州は、独自の言語や文化を持ち
長年スペインからの独立運動が続いていて、
日本時間の1日午後4時ごろから
独立の賛否を問う住民投票が始まりました。
州政府は、投票の結果独立賛成が過半数を占めれば
一方的にスペインからの独立を宣言するとしています。
しかし中央政府は、投票は憲法違反で無効だとして
実力で阻止する措置に乗りだし、一部の投票所で
投票箱などを押収したことを明らかにしました。
各地の投票所では投票しようとする住民と
これを阻止する警察の機動隊との衝突にも発展し、
一部では、警察がゴム弾を発射するなどしてけが人も出ています。(後略)』
スコットランドのイギリスからの独立騒動の
時も指摘しましたが、スコットランドにせよ、
カタルーニャにせよ、いわゆる「ナショナリズム」に基づき、
各地の住民が独立を求めているのではないと思います。
むしろ話は逆で、
スコットランドやカタルーニャの独立運動は、
イギリスやスペインの「ナショナリズムの崩壊」の
一環であると確信しているのです。
カタルーニャ州が独立を志向するのは、
元々、民族的に特色があるのは確かです。
イザベル女王とフェルナンド国王が結婚し、
カステーリャ王国とアラゴン王国が統合された際に、
カタルーニャも併合されたのです。
もっとも、それ以上に重要な事情は、
カタルーニャがスペインの経済の中心
であることになります。
カタルーニャ州は、自動車産業などが発展し、
スペインのGDPの20%を生産している地域なのです。
スペイン中央政府に税金を
たくさん支払っているにも関わらず、
交付金が少なく、
「カタルーニャ州は損をしている」
ということで、独立運動が
盛んになったのでございます。
日本で言えば、
「東京から税金を吸い上げ、
地方交付税などで地方に回している!
東京都民は損をしている!独立だ!」
といった感じでございましょうか
国家とは、ナショナリズムがなければ成立しません。
ナショナリズム(国民意識)の本質は、
非常事態発生時の「助け合い」の気持ちになります。
東京都の税金が地方に
交付税として配分されるのは、
「非常事態発生時に、
日本の各地方がそれなりに経済力
(モノやサービスを生産する力)を
保有していなければ、助け合いができない」
ためです。
分かりやすい例を出すと、
このまま東京一極集中が続き、
人口の大半が首都圏で暮らすようになった
日本国において、首都直下型地震が
起きたらどうなるのか? です。
もちろん、日本の各地は被災地を
助けようと努力はするでしょうが、
経済力がなければどうにもなりません。
東京から税金を吸い上げ、
各地に配分する地方交付税は、
「東京都民の安全保障」という観点からも、
正当化される政策なのでございます。
ところが、価値観から「安全保障」を排除し、
「カネ」を中心に考えるようになると、それこそ、
「東京から税金を吸い上げ、
地方交付税などで地方に回している!
東京都民は損をしている! 独立だ!」
といったバカげた話になりかねないのです。
というよりも、そのまんまの独立運動を
繰り広げているのが、現在のカタルーニャ州です。
カタルーニャ独立運動は、
カタルーニャ州民のナショナリズムの
高揚でも何でもありません。
単なる、スペイン王国のナショナリズムの
崩壊過程なのでございます。
東日本大震災の際に、
「東北は神戸とは違い、
GDPを稼がないから、復興させる必要はない」
といった主旨のことを述べた官僚
(元官僚?)がいたという話を耳にしました。
次なる震災が「首都圏」だったとき、
我々(都民)は東北の「同じ国民」にも
助けてもらわなければならない。
そのためには、何としても東北を復興させ、
経済力を蓄積しなければならない。
といった、国家の安全保障の概念が、
グローバリズムの蔓延により失われ、
国民の「助け合いの精神」が壊され、
一人一人が非常事態に対して脆弱になっていている。
ナショナリズムの崩壊と安全保障の弱体化は、
別に日本に限った問題ではないことが、
カタルーニャ独立運動から見て取れるのです。
我々、人間は、一人一人は
本当に弱い存在です。
我々は一人で、東日本大震災のような
大規模自然災害に立ち向かえますか?
北朝鮮や中国といった敵性国家の侵略行為から、
個人で家族を護れますか。
できるはずがありません。
だからこそ、「国民が助け合う」という
ナショナリズムを基盤に、国家が成立している。
少なくとも現代という時代において、
人間は国家という共同体なしでは
生きられないのです。
この現実を「人類」は改めて認識しなければなりません。
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