From 佐藤健志
先週の記事
「前衛意識と自己絶対化」では、
いわゆる「前衛」の特徴について考察しました。
「前衛」の定義はこうです。
〈いかなるイデオロギーを信奉するかとは関係なく、自分たちこそは社会変革を率先して担う存在であるという信念、ないし妄想に取り憑かれた人々〉。
で、結論は以下のとおり。
1)前衛は宿命的に自己絶対化をきたす。
2)自己絶対化の内容は、次の三点に要約される。
a)自分たちのめざす変革の正しさは、世の人々も認めている。
b)ゆえに自分たちは、世の人々から(少なくとも潜在的に)支持されている。
c)世の中は、遅かれ早かれ自分たちのめざす方向に進む。
そのときは自分たちこそ、オイシイ思いができるはずである。
3)ところが上記の三点は、客観的に見れば(ほとんどの場合)ひとりよがりの錯覚にすぎない。
ちなみに1980年代以後のわが国では、
「前衛勢力が変革に成功した結果として権力を握る」
のではなく
「もともと権力を握っていた勢力が前衛化して変革に走る」
という現象が見られました。
構造改革やグローバリズム志向のことですよ、念のため。
すでに権力を握っている以上、この場合、特徴(3)は必ずしも当てはまりません。
ただしこれは例外的な事例ですので、脇に置くことにしましょう。
さて。
自己絶対化をきたしているのですから、前衛は権威主義的・全体主義的な傾向も必然的に帯びます。
とはいえ前衛の権威は、たいてい一般には認められない。
前衛の全体主義にしても、社会の片隅にしか影響を及ぼせない。
物事は思い通りにならないわけです。
ふつうに考えれば、これは非常に残念な状況。
ストレスがたまること請け合いでしょう。
しかし前衛は、驚くべきウルトラCを披露する。
「自分たちの権威が認められないことこそ、最後には自分たちの権威が認められる証拠であり、
社会の片隅にしか影響を及ぼせないことこそ、最後には自分たちが社会全体を変えられる証拠である!」
なんと、そう構えるのですよ!!
このような認知的不協和丸出しの発想が、どうやって成り立つのか、構造をご説明しましょう。
前衛の頭の中では、
社会は「より良い状態をめざして行進を続ける巨大な軍隊」のごとくイメージされます。
本隊(=一般民衆)の前方にあって、変革の道を切り開いているのが、ほかならぬ自分たちという次第。
すなわち前衛は、一般民衆よりもずっと進んだ(=優れた)存在と規定されます。
勝手にそう決めているだけなんですけどね。
しかるにお立ち会い。
ならば「本隊」たる一般民衆は、前衛の主張や行動について、しばしば理解できなくて当然ではないか?!
そうです。
自分たちの権威を認めてもらえないことや、社会の片隅にしか影響を及ぼせないことこそ、
前衛たる自分たちが、一般民衆のはるか先を進んでいることの動かぬ証拠となるのです!!
むろんこのすべては、自己正当化のための詭弁と見なして、まず差し支えありません。
けれども物事が(現在)うまく行っていないことを、物事が(将来)うまく行くことの根拠にできるのですから、便利と言えば、じつに便利。
これにしたがえば
〈失敗すればするほど、最終的な成功は保証される〉
ことになるんですからね。
かくして前衛は
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、旧体制ノ反動ニモ負ケズ」とばかり、辛抱強く、ないし意固地になって頑張る。
しかし、ここに恐怖の落とし穴が待っています。
物事がうまく行きはじめたらどうするか?
少なくとも、そんなふうに見えたらどうするか?
そりゃ、最初は躍り上がるでしょう。
ついにわれわれの時代が来た!
長年の苦労が報われた!!
残りの人生、オイシイ思いが待っているぞ!!!
・・・てなもんです。
ところがどっこい。
物事が(現在)うまく行っていないことこそ、物事が(将来)うまく行くことの根拠だったのですから、
物事がうまく行きはじめたのであれば、物事が将来うまく行く根拠も失われてしまう。
しかも。
物事がうまく行っているからには、一般民衆も前衛のレベルに追いついたに違いない。
裏を返せば、「自分たちは一般民衆よりも優れている」と信じる根拠まで失われます。
前衛のアイデンティティは、物事がうまく行きはじめたときこそ、崩壊の危機に瀕するのです!
この危機を乗り越えるには、一般民衆がついてこられないぐらいに、主張を急進化させるしかありません。
けれどもこれをやりだすと、物事は当然、うまく行かなくなる。
前衛のアイデンティティは、崩壊の危機を乗り越えようとすることで、ふたたび崩壊の危機に瀕するのです!!
早い話が
〈物事がうまく行ってもダメ、うまく行かなくてもダメ〉
ということですから、残された対処法は一つ。
ずばり、八つ当たりです。
〈うまく行きかけた物事をダメにしようと画策する敵勢力〉の存在を想定し、「敵の謀略を許すな!!」と炎上するのですよ。
というわけで、こちらをどうぞ。
『対論「炎上」日本のメカニズム』(文春新書)
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が、八つ当たりはしょせん八つ当たり。
この炎上にのめり込んでゆくと、みずからの自己絶対化ぶり、あるいは妄想崛起ぶりが、いよいよ際立ってしまいます。
つまりは物事がますますうまく行かなくなるものの、ここで前衛は最後の切り札を持ち出す。
〈うまく行きかけた物事をダメにしようとする敵勢力〉を、身内に見出そうとするのです。
要するに内ゲバを始める次第。
だとしても、この帰結が自滅にほかならないのは自明でしょう。
前衛が滅びる決定的要因、それは「反動」の謀略などではなく、みずからが抱える認知的不協和と欺瞞なのです!
ご存じのとおり、かのフランス革命こそ、このような自滅プロセスの見本のごときものでした。
『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)
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ただし2012年末、第二次安倍内閣が成立してからの保守派(の大半。以下同じ)の動向にも、遺憾ながらこれと重なる点が多々見られる。
2009年から民主党政権が続いたところにもってきて、「保守のプリンス」などと言われる安倍さんが総理の座にカムバックしたため、
保守派は当初、
「ついにわれわれの時代が来た! 長年の苦労が報われた!!」
とばかり躍り上がりました。
日本は望ましい方向にどんどん変わるのだからと、主張を急進的にエスカレートさせる傾向も見られたものです。
しかし安倍内閣は、対米従属とグローバリズム路線を強めるばかりで、保守派の期待した路線を取ろうとしない。
経世済民の成果もあがらない。
さあ、保守派はどうしたか?
そうです。
〈反日勢力の策謀〉を想定し、糾弾・排除を叫びだしたのです!
まさしくセオリー通りの展開。
やはり彼らは「保守前衛」だったのでしょう。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
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よって、わが国の保守派の間では、これから内ゲバが激化する恐れが強い。
その帰結は、むろん自滅とならざるをえません。
たとえ一時的にであれ、物事がうまく行ってしまう(ように見える)と、かくも恐ろしい結末が待っているのです。
なお来週(9/27)と、再来週(10/4)はお休みします。
10/11にまたお会いしましょう。
ではでは♪
<佐藤健志からのお知らせ>
1)前衛意識に駆られて行うかぎり、戦後脱却は良くて見果てぬ夢、悪ければ自滅的失敗に終わります。詳細はこちらを。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』(徳間書店)
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2)右と左が、それぞれ「保守前衛」と「左翼反動」に変異し、ねじれまくった堂々めぐりを続けるにいたった構造を論じました。
『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は終わった』(アスペクト)
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3)経世済民の道を邁進するはずだった戦後日本が、ねじれまくった堂々めぐりに陥っていった過程の記録です。
『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』(祥伝社)
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4)保守主義とは本来、自己絶対化の対極にある思想。「保守前衛」が台頭している今こそ、原点を振り返りましょう。
『本格保守宣言』(新潮新書)
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5)「われわれの力は、大陸全体の連帯から生まれる。各地域がバラバラに行動しては元も子もなくなる」(161ページ)
アメリカ独立革命の前衛トマス・ペインも、内ゲバについて心配していました。
『コモン・センス完全版 アメリカを生んだ「過激な聖書」』(PHP研究所)
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6)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
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