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2024年8月10日

【竹村公太郎】江戸、近代そして未来のエネルギー戦略(その3) ―化石エネルギー文明へ突入―

日本文明崩壊の崖淵 

文明の興亡はいつも
エネルギーと結び付いていた。
最古の文明のメソポタミア文明は
人類最初のエネルギー物語
「ギルガメッシュ抒情詩」を
残している。
人間が森を伐採するために
森を守る妖怪を倒す
というものであり、結局、
メソポタミア文明はレバノン杉を
枯渇させ文明は崩壊した。

日本の最初の奈良文明は
周囲の森林を失い、
禿山の奈良盆地から
淀川の京都へ遷都した。

1603年、徳川家康は
関西の禿山の京都を後にして
江戸に戻ってしまった。

日本文明は、森林消失の危機に、
都を移すことでどうにか
凌(しの)いできた。
しかし、19世紀の江戸末期、
日本は列島全体の森林は
荒らされていて、
緑豊かな大地へ都を移すという
得意技を封じられていた。

日本は森林エネルギー枯渇という
文明崩壊の崖淵に立たされていた。
日本文明崩壊の危機、
この危機を救う救世主が登場した。

黒船であった。

 

化石エネルギーとの邂逅 

1853年、米国のペリー提督が
4隻の黒い軍艦を引き連れ
浦賀沖に姿を現した。

日本にとっての衝撃的な出来事は、
幕藩封建体制から中央集権の
国民国家への転換で語られる。
しかし、黒船来航は
社会政治体制の転換という以上に、
日本文明の決定的な転換点となった。

それは、日本文明と
化石エネルギーとの邂逅であった。

それ以前の燃料は木々であり、
陸上の動力は牛と馬であり、
海上の動力は、風と潮流であった。
和船はせいぜい50トン級であったが、
黒船はそれをはるかに上回る
2500トン級で、
地球の裏側から大海原を
平然と渡ってきた。
その黒船の動力は石炭の
蒸気機関であった。

(図―1)は瓦版に描かれた
黒船と和船である。

黒船の西欧文明は、日本に
化石エネルギー文明を運んできた。
森林を消失して崩壊の断崖へ
向かっていた日本文明にとって、
黒船はエネルギーの救いの神となった。

日本は降り注いでいる
太陽エネルギーの森林に
別れを告げ、
地球が何億年もかけて貯めた
太陽エネルギーの缶詰の
蓋を開けることとなった。

 

近代の幕を開いた蒸気機関

人類の近代文明は蒸気機関で開始された。

18世紀ジェームス・ワットが
蒸気機関を開発し、
蒸気機関は炭鉱排水で活躍し、
紡績機械、製鉄、精錬そして
機械産業へ広がっていった。
この近代文明の象徴の嚆矢が
ジョージ・スティーブンソンの
蒸気機関車であった。

1825年の
ストックトン&ダーリントン鉄道の登場は
人々を心底驚かせた。
煙を噴き出し走る
蒸気機関車を目撃した人々は、
決定的な社会変化が
自分たちに迫ったことを認識した。

(図―2)は、遠くの陸橋を走る
蒸気機関車の手前に
馬車や人々を描き、
文明の劇的変化を
鮮やかに表現している。

日本の近代化の号砲も
蒸気機関車であった。

(図―3)はペリーが江戸政府に送った
蒸気機関車の模型である。

まさにペリーは近代文明のシンボルを
日本にプレゼントした。

1872年(明治5年)、新橋、横浜間を
蒸気機関車が走った。
ペリー黒船来航で驚かされた
蒸気機関を知ってから
たった20年後という素早さであった。
米国では1830年、ドイツでは1835年、
フランスでは1841年に
営業用鉄道が開始され、
日本は欧州の帝国国家に遅れを取ったが
間違いなく近代文明世界に参入していった。

(図―4)は高輪付近を走る
蒸気機関車である。

この絵でも遠くの海の上を走る
蒸気機関車の手前に馬車、人力車、
馬そして多くの人々を描き、
日本文明の劇的変化を
見事に表現している。

日本がこれほど早く近代文明に
突入できたのには理由がある。
近代文明にとって絶対条件の
莫大なエネルギーの石炭が
有り余るほど国土に
眠っていたのであった。

 

幸運な日本列島

江戸末期、
森林エネルギーに頼っていた日本は
文明崩壊の崖淵に立っていた。
この文明絶体絶命の日本の足元には、
有り余るほどの石炭が眠っていた。
日本は化石エネルギーによって、
文明崩壊を回避し、
近代文明に躊躇なく
突入することとなった。

日本史上、これほど日本が
幸運であったことはない。
過去、国の危機を感じたのは
モンゴルが襲って来た元寇がある。
この元寇の克服は
幸運という言葉でふさわしくない。
多数の日本人の命を支払い、
国土防御の投資を行い、
知恵を駆使して乗り越えた。

江戸末期から明治近代化への変身を
可能にしたのは、「石炭」という
日本列島からの恵みであった。
日本は文明崩壊からまぬがれた。
日本は一気に近代文明に変身できた。
日本は幸運な文明であったと断言できる。

(写真―1)は筑豊炭田の
記念碑の大煙突である。

炭鉱は北九州の筑豊炭鉱、
北海道の夕張炭鉱そして
福島の常磐炭鉱が開発されていった。
石炭の利用は製塩業から紡績業、
火力発電、製鉄そして重化学工業へと
拡大していった。
石炭産出量は明治7年(1874年)に
21万トンだったが、
明治16年(1883年)には100万トン、
明治36年(1903年)には1000万トンと
指数関数的に拡大していった。

当時の文明規模から見れば、
有り余るほどの国産石炭エネルギーを武器に
一気に近代に突入し、
日本は最後の帝国国家へと
滑り込んでいった。
それは新たなエネルギーを巡る
帝国戦争への参入でもあった。

 

帝国戦争と内燃エンジン

欧米の帝国はアフリカ、南米、
ユーラシア大陸で植民地を奪いあった。
膨張する帝国の戦いは必然であった。
第1次世界大戦が始まった。
第1次大戦でエネルギーに関して
決定的な出来事があった。
内燃機関の軍用機と戦車がデビューした。

内燃エンジンは産業革命以降
研究開発されていたが、
1903年、ライト兄弟が内燃エンジンで
初の飛行機を飛ばしたことで、
内燃エンジンの飛行機は
戦闘手段として
発展していくこととなった。

(写真―2)は1903年のラ
イト兄弟の初飛行である。

1918年には英国は
戦闘機部隊を発足させた。
それ以降、フランス、ドイツ、
ロシアそして米国で戦闘機が改良、
製造され続けることとなった。

戦車の進化も同等であった。1
904年、米国のホルト社(現キャタピラ社)の
資材運搬用トラクターが
西部戦線で使用されると、
英国は戦闘用の戦車に改造して
1916年ソンムの戦いで登場させた。
それ以降、戦車の改良進化は
全帝国国家によって
行われることとなった。

内燃エンジンはカロリーの高い液体の
石油を必要とした。
石油は戦争にとって
不可欠な燃料となった。
戦艦、戦闘機、戦車は
石油を必要とし、
各帝国は内燃エンジン存続の
石油の獲得に向かった。
日本も石油獲得の嵐の中に
立つこととなった。

20世紀は石油の世紀となった。
その20世紀は戦争の世紀であった。

 

敗戦と戦後復興

1937年(昭和12年)、
ドイツのポーランド侵攻、
そして1941年(昭和16年)の
ソ連侵攻により
ヨーロッパ全土は戦争状態となった。
ユーラシア大陸の東では
1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発し、
1941年(昭和16年)に日本軍は
南部仏印への進駐を開始し、
同年12月の真珠湾攻撃で
米英との全面戦争状態に突入していった。

戦争開戦の研究は、
近年の資料開示と優れた研究者により
輻輳した真相が明らかになりつつある。
しかし、
エネルギーに焦点を絞ってみると、
簡単に整理できる。
戦争の大きな原因と端緒は
「エネルギー・石油」であった。

ドイツが不可侵条約を破って
ソ連に侵攻したのは、
ソ連との石油供給協定が
不調になったため、
ソ連領コーカサスの
バクー油田を目指したのだ。

(写真―3)は戦前の世連の
バクー油田の写真である。

(図―5)は大戦前夜の
世界の産油国の分布である。

当時の世界で圧倒的な石油産出国は
米国であった。
その米国によって
石油の全面禁輸措置を受けた日本は
窮す猫を噛むネズミとなった。
北方作戦か南方作戦かの日本は
南方に向かった。
日本はオランダ領東インド
(現インドネシア)を目指した。

(写真―4)は、
1942年に日本軍が占拠した
インドネシア・パレンバンの
石油油田である。

石油が戦争の核心であったという根拠は、
文藝春秋社の文春文庫
「昭和天皇独白録」である。
昭和21年、昭和天皇が口述した記録を
側近の侍従たちが記したもので、
1995年文藝春秋に掲載されたものである。
その中で大東亜戦争を指して
「先の戦争は石油で始まり、
石油で終わった」
という昭和天皇の口述が記載されている。
筆者はこれ以上の大戦の
凄まじい表現を聞いたことがない。

石油で敗れた日本人は戦後の冷戦の中、
米国の傘の下で経済に没頭した。
日本は中東で発見された石油を
ふんだんに手に入れた。
中東産油国は
地中から湧いてくる石油を
高く買ってくれる日本に
喜んで石油を売ってくれた。
20世紀後半、
石油をいやというほど大消費することで、
日本は世界最先端の経済国家へと変身した。

21世紀、その石油が
おかしな動きをみせている。

世界中の国々の石油需要の増大は、
石油埋蔵量の命を縮めている。
それは国際紛争で石油は
駆け引き材料となり、
石油価格調整を受け高騰し、
石油輸入依存国の日本文明の存続を
脅かそうとしている。

再び日本はエネルギーの袋小路に
閉じ込められようとしている。

この袋小路から脱出しなければ
日本文明の存続はない。
その解はあるのか?

(つづく)

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