コラム

2023年5月13日

【竹村公太郎】 日本列島の地形が生んだ将棋

世にも不思議な将棋
 現在、藤井聡太王将が驀進している。
原稿を書いている段階では
渡辺名人と第81期名人戦を
繰り広げている。
藤井君はタイトル戦では負けなしという。
私たちは凄い棋士を
同時代で目撃していることとなる。

 子供たちはパソコンゲームに
夢中になっているが、
日本伝統の将棋は若い世代にも
不思議と食い込んでいる。

 将棋は世界で例のない
不思議なゲームである。
不思議なルールは「敵の持駒使用」である。
なぜ、この不思議なルールが
日本で誕生して、日本中に広がったのか?

 不思議なルールを創ったのは
日本人である。
日本将棋の謎を解き明かすことは、
将棋を創り出した日本人の秘密に
迫ることになりそうだ。

盤上ゲームの伝搬
 戦争を模した盤上ゲームは
ヨーロッパのチェス、
インドのチャトランガ、
タイのマックルック、中国の象棋、
日本の将棋など世界中に
数多く存在する。
この起源の説は様々あるが
近年の定説では、
紀元前にインドで誕生して
世界中に広まったとされている。

 初期のゲームは相手の駒を取って、
そのポイントを競ったものといわれている。
もちろん、このゲームは賭博であり、
世界中の賭博好きの
人類の間に広まっていった。

 伝播方法は陸上伝播説と
海上伝播説がある。
盤と駒の立像のカサを考えると、
馬やラクダの背中に乗せて
運んだ陸上伝播説より、
船旅の時間つぶしの賭博で
海上伝播したという説が腑に落ちる。

以前、NHK特別ドラマ
「坂の上の雲」で、
清国の旗艦「定遠」の
艦内の場面であった。
汚い艦内で、兵隊たちが
時間つぶしの象棋をしていた。

脚本家は、だらしなく象棋賭博をしている
清国兵隊たちの士気の低さを
表現したかったのだろう。
しかし、私には「象棋は海上伝搬」
だったことを表現しているように視えた。

99対1の日本将棋
 現在、世界中におおよそ
100種類ほど盤上戦争ゲームが
あるといわれている。
それらを大まかに区別すると、
99対1に分けられる。
99は世界共通の「チェス型」である。
孤立している1は
日本の「日本将棋」である。

 日本将棋だけが世界共通の
チェス型と異なるルールで
21世紀に至っている。
日本将棋だけの特異なルールとは
「敵の駒を取るとその駒を
自軍の駒として使用できる」
持駒使用である。

このルールは世界の他のゲームにはなく、
日本将棋だけのルールである。
日本将棋のこのルールの理由は
「日本人は降伏すると、
すぐ敵陣に寝返るから」と
酒席で面白おかしく語られる。

 しかし、世界の戦いの歴史を見れば、
降伏すれば敵陣に編入されたり、
敵が味方になったり、
味方が敵になるのは
日本独自の現象ではない。
戦いで負けた人間が
生き伸びるには当然である。
敵陣に編入される現象は
特段に驚くことではない。

なぜ、日本将棋だけが
持駒使用のルールになったか?
「持駒使用」の謎に挑戦したのが、
木村義徳九段であった。
2001年「持駒使用の謎」が
日本将棋連盟から出版された。

チェスの伝搬。
 プロ棋士である木村氏は
歴史的事実と各国の将棋ゲームの
駒の働きの強弱の類似に注目して、
世界のチェス系と日本将棋の
歴史を解明している。
駒の働きの強弱に注目したところは、
プロ棋士ならでの視点であった。

「持駒使用の謎」を要約して
木村九段の説を紹介する。
紀元前3世紀ごろ、
インドで盤上の
戦争ゲーム・チャトランガが誕生した。
その盤上ゲームは「立像」で敵味方を
「色分け」していた。

(写真―1)は立像だけのチェスである。
インドから東に向かって東南アジア、
中国そして日本へ伝わった。
西に向かってアラブから
ヨーロッパへと伝わった。
日本に到着したのは6世紀ごろで、
その後、タイのマークルックで
一つの改良がなされた。
「歩の成り」である。
立像では裏返す「成り」はできない。
そのため歩の駒だけを平らの駒にした。
このタイでの改良が中国、
日本に伝播され、
これを「タイの波」と呼ぶ。

(写真―2)はタイのマックルックである。
全体の駒は立像だが、
歩だけが平らな駒になっているのが分かる。
タイの波を受けて極東の海に浮かぶ日本で、
独自の将棋の進化が開始されていった。

 日本に到達した将棋は、
早くも6~7世紀ごろ
「立像から駒型」となった。
立像の形で表わされていた
王や軍馬や歩兵は漢字で表わされた。
さらに、敵味方の区別は色区分ではなく、
駒を五角形にして尖った先が
進む方向を表わすこととなった。

「駒型」で「漢字」で書かれ、
敵味方は「五角形の方向」で表わす
日本将棋の道具の改良から
将棋独特の「持駒使用」ルールが
生まれることとなった。

(写真―3)が日本将棋で
全て5角形の平板である。
日本将棋の道具の改良が、
日本将棋のルールの進化につながった。

 ルールの進化があって
道具が変わったのではない。
道具が変わったからルールが変わった。
以上が、
木村九段の推理の主要な部分である。

残された謎「立象が平らな駒形へ」
 木村九段の推理は合理的である。
しかし、ある謎が解かれていない。
その謎とは
「なぜ、立像が平らな駒型になったか?」
である。
 日本将棋の進化は全て「立像」から
「駒型」になったことから開始された。

そのため
「何故、立像が駒型になったか?」は
解明される価値がある。
木村九段もこの点には
少し言及している。

「日本は辺境の後進国であったため、
まだ木簡を多用しており、
これは駒型のために絶好の
素材であったであろう」としている。

他の部分は縦横無尽の論理を
展開しているのに、
この部分の結語があいまいである。
 なぜ、立像が駒型に変わったのか?
その問いへの答えは、将棋の世界にはない。
将棋の世界にはなく、
日本人そのものに答えがある。
その答えは、日本人のモノ作りへの
本性に根ざしている。

 日本人のモノ作りの本性とは
「縮める」ことにある。
1082年、韓国の李御寧先生は
名著「縮み志向の日本人」で、
日本人は何でも縮める、と指摘した。
日本人は何でもモノを縮めてしまう。

しかし、李御寧先生は
「何故、日本人はモノを縮めるのか?」
の理由はついに述べることはなかった。
李御寧先生の指摘から20年後、
私はその謎を解き明かした。
解くきっかけになったのが、
広重の東海道五十三次の
「日本橋」であった。

(図―1)が広重の日本橋である。

歩く日本人の細工と詰め込み
広重の描いた大名行列の先頭の足軽は、
重い荷物を担ぎ、
下を向いて黙々と歩いている。
もちろん江戸以前の大昔から、
日本列島の人々は荷物を担ぎ歩いていた。

 細長い日本列島の中央には
険しい脊梁山脈が走っている。
その山々から無数の河川が
太平洋と日本海に流れ下っている。

平野といえば川の土砂が
堆積した湿地帯の沖積平野であった。
険しい地形と湿地帯のため、
日本人は車を進化させなかった。

日本人の誰もが荷物を担ぎ、歩いていた。
その歩き回る日本人の価値観は
「モノを小さく軽くする」ことであった。

 モノを小さく軽くすることは、
モノを担ぐ自分自身の命を
救うことであった。

モノを細工して小さく詰め込む。
旅用具はすべて細工され
小さく詰め込まれた。

(写真―4)は江戸時代の
小さく詰め込まれた旅の七つ道具である。
日本人たちは、
細工されないモノを
「不細工」と馬鹿にした。
詰め込まないモノを
「詰まらない奴」と侮った。
縮めて詰め込むことは
日本人の美意識までに昇華していった。

 モノを縮める情熱は、
ゲームにも向かった。
特に、旅の宿での長夜の時間つぶしに、
ゲームは必需品であった。

日本に伝わってきた盤上の
チェスゲームは、
賭博であり人々の興奮を掻き立てた。
ただし、そのチェスゲームは
難点を持っていた。
ゲームの駒が立像でかさばっていた。

 この立像を歩いて
持ち運びやすくするため、
小さく軽く縮める日本人の工夫が始まった。

庶民たちの将棋物語
 タイから伝わったマークルックの
「歩」の平駒がヒントとなった。
つまり、全ての立像を
平らな駒にしてしまう。
さらに、王、戦車、軍馬、歩などの
駒の役割を漢字で書いてしまう。
これで将棋は一気に小さく軽くなった。

 同時に、駒を矢印の五角形にして、
駒の向きで敵味方の区別をする
アイディアに行きつくのは簡単だった。

 木片で作られた五角形の平型の駒は、
限りなく小さく軽くなった。
木片どころか紙で
作ってしまう者まで現れた。
将棋は旅をする庶民たちの必携品となり
日本中に広まっていった。

(写真―5)が紙将棋である。
賭け好きな庶民は、
時間があれば盤を広げ、
薄い駒を取り出した。

(図―2)は
旅の長夜をくつろぐ人々である。

 初期の将棋はチェスのルールで、
敵の駒を取っていくだけであった。
そのため、終盤になると
盤上から駒はどんどん消えていった。
駒が少なくなれば、強い駒の王が働き、
勝負が長引き、
引き分けになることが多かった。

 賭博では引き分けは許せない。
ふと、自分の手元を見ると、
取った敵の駒がいっぱいある。
敵の駒といっても自分の駒と
同じ形で同じ色である。
勝ち負けを急ぐ旅の人々は、
「取った敵の駒をもう一度使うという」
とんでもないことを思い付いた。
 持駒使用の誕生の一瞬であった。

必然の日本将棋
 敵だった持駒を
もう一度使ってみると実に面白かった。
なにしろ捕虜だった駒が飛び出すので、
終盤まで盤上は駒でにぎやかであった。
持駒を繰り出すことで、
無数の攻撃法が編み出された。

引き分けはなくなり、
短時間で必ず勝負がついた。
それも土壇場で形勢が
逆転することが多かった。
 世界中のチェス系は、
駒が少なくなった終盤は
静かに終了していく。
それに対して、
日本将棋は終盤が最も刺激的で、
華やかで、興奮が最高潮に達する
ゲームに変身してしまった。

 木村九段によれば、
世界のチェス系では駒の働きを
強くした改良が何度か行われた。
しかし、日本将棋は全くそれらを
受けつけなかった。
なぜなら、チェスの駒の働きが
どれほど改良されようとも、
日本将棋の捕虜の敵駒の
再利用の刺激と興奮には程遠かった。
 日本人は世界のチェス流と
全く異なる盤上ゲームを
創り上げてしまった。

 古代から日本列島を
歩き続けていた日本人は、
モノを小さく軽くする本性を
身につけていた。
日本人は将棋も小さく軽くすることに
夢中になった。
小さく軽い駒型になった将棋は、
敵の駒を再使用するという
刺激的なゲームへ進化した。

 日本で日本将棋が
生れたのは偶然ではない。
厳しい地形の日本列島を
歩きまわっていた人々が、
日本将棋を生み出すのは必然であった。

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【竹村公太郎】 日本列島の地形が生んだ将棋への2件のコメント

  1. 二次元と三次元 より

    アマチュアレベルでは囲碁も強かった
    将棋プロの升田幸三という方が

    将棋は 三次元のゲーム
    囲碁は 二次元のゲーム

    と 仰ったとか

    持ち駒を使用できないという点では
    チェスも 二次元のゲームという印象

    私は平駒のチェスセットも持ってますけど

    船乗りの使用するチェス駒が平らにならなかったのが
    不思議

    揺れる船の中なら 平駒の方が安定性がありますし
    駒を紛失しても 立像よりも手軽に作れる

    さらには 駒に色も付けしなければ もっと手軽

    されども 色付けしなければ 敵と味方の判別不能

    将棋のガラパゴス化は 駒の形だけではなく
    色をなくしたことにも あるかもしれませんね

    駒の色が無くなり ルールが変化した とか。。。

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  2. ts より

    ダウンサイジング、コンパクト化は日本のモノ作りの真骨頂、太古の昔から受け継がれてきたDNA。
    古くは縄文時代の世界最古の磨製石器、勾玉、釣り針など。
    現代ではソニー製品に始まり、日本車、軽自動車など。
    必要以上に小さくならず、利便性向上を目指してきた。
    最終目標はドラえもんのポケットではなかろうか?

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