From 竹村公太郎@元国土交通省/日本水フォーラム事務局長
遺伝子は決めない
21世紀は、遺伝子工学の時代である。生命の仕組みが、次々と明かされ毎日のように新しい遺伝子に関する情報が飛び込んでくる。
このように遺伝子の話題が多いと、人間の存在は全て遺伝子によって決定されている、という錯覚に落ち入ってしまう。確かに人の生命は、ヒトゲノム(人間の遺伝子情報の総体)に拠っている。しかし、それは身体の構造に関してである。
ヒトが人らしくあるのは、人間の脳の働きつまり脳の機能にある。
この人間の脳の働き「機能」は、遺伝子情報に拠っているのか?
脳の「構造」は、遺伝子情報に拠っている。しかし、脳の働きつまり「機能」は、育った環境に拠っている。
脳ネットワークの形成
だいぶ前、新幹線で月刊誌「ウエッジ」を読んでいると(図―1)が乗っていた。面白いので大切にとっておいた。脳科学者の北海道大学澤口俊之教授の研究データである。
図―1 ヒト大脳皮質(前頭連合野)におけるニューロン・シナプス数(密度)の年齢変化
出典:WEDGE(平成12年12月号)
人間は生まれた瞬間、脳にはすでに数百億個の脳細胞ができている。このニューロンは、誕生してから3歳頃までに劇的に減少していく。ニューロンの減少は、(図―1)の赤線で表されている。
それに対し、脳細胞のネットワークであるシナプス密度は、3歳ごろまでに急激に増加していく。(図―1)の青線がシナプスの密度の変化を表す。
これを見ると、シナプスは、7歳頃まで活発に形成される。それ以降、シナプス密度は緩やかに減少していく。
人にとって3歳頃がいかに大切か、この図は見事に表現している。
特に、会話の土台の聴覚のシナプスは、3歳までに出来上がってしまうという。つまり、英語でいえば「L」と「R」の違いは、乳幼児の時に備わってしまう。
この3歳頃のシナプスの形成は、遺伝子情報の命令によるものなのか、生まれ育った環境によるものなのか。
その結論はすでに出ている。人生を左右する脳のシナプスのネットワークは、生まれたその環境によって形成される。
西欧人と日本人の左脳
約30年前の昭和48年、当時の東京医科歯科大学の角田忠信教授が「日本語の特徴」という研究発表を行った。その後、角田教授は、日本人の脳を西欧人の脳と比較して、著しい相違があることを次々と実証していった。それらの集大成が、「日本人の脳」(大修館書店‘78)である。
私にとって、この本は日本を理解するうえで大切な一冊となった。角田教授の膨大な研究成果のポイントは、次のようになる。
「西欧の言語は『子音』が優性であるのに対し、日本人の言語は『母音』が優性する。
さらに西欧人は、自然界の虫の音を『雑音』として右脳で処理している。ギャーギャー泣いたりワーワー叫んだり怒鳴ったりする人の感情音も、『雑音』として右脳で処理されている。つまり西欧人は、子音を中心とした言語と計算を左脳で扱っている。
ところが日本人は異なる。虫の音や人の感情音声を、普通の言語と同じ左脳で処理している。」
西欧人も日本人も、論理はすべて左脳が司っている。そうすると、西欧人と日本人で論理や考え方は、どのように異なっていくのか。
西欧人の左脳には、言語と計算しか入っていない。そのため西欧人の論理は、言語と計算で構築されていく。
一方、日本人は言語だけでなく虫の音も人の感情音声も左脳が司っている。そのため日本人は、自然情緒や人間感情も組み込んで論理を構築していく。(図ー2)が日本人と西欧人の左右の脳の機能を示している。
図―2 日本人の脳(角田忠信)
左脳の働きの差
西欧人は論理的で、日本人は情緒的であると云われる。論理を司る左脳に、虫の音、鳥の声、人間の感情音が収納されているなら、日本人の論理が情緒的だという理由が胸にすとんと落ちてくる。
なおこれは遺伝子の問題ではない。生まれ育った環境によると、角田教授は実証した。
「アメリカで生まれ育った日本人の脳は、西欧人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音や人の感情音声は、雑音として右脳で処理されていた。
逆に、日本で生まれ育ったアメリカ人は、日本人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音も人の感情音声も、言語と同じ左脳で処理されていた。」
このためアメリカで育った日本人は、言語によって論理を構成し、日本で育ったアメリカ人の論理には、情緒と感情が入り込み日本的になっていた。
論理を司る脳の機能は、人種の違いではない。遺伝子の違いでもない。人が生まれた環境によって決定されている。それも人生のきわめて早い時期の3~7歳までで決まってしまう。
日本語の孤独
角谷先生はその後、日本人と同じ左右の脳の機能分担をする民族を探し廻っていった。つまり、母音優性の言語をしゃべり、左脳で虫の音や人の感情音声を処理している民族を探した。
その結果、隣の中国も、台湾も、朝鮮半島の人々も、東南アジアの人々も全て西欧人と同じパターンであった。文法が日本語と似ている民族も、やはり虫の音、人の感情音声は雑音として右脳で処理されていた。
何時ごろ日本語が、形作られたのかは定かではない。石器時代か、縄文時代か、弥生時代か。いずれにしても数千年間、地球上で日本語は孤独な存在であった。
しかし、遂に角田教授は、同じ母音が優性で、虫の音や人の感情を左脳で処理している人々を見つけた。
(続く)
【竹村公太郎】言語から見る国土(その1)―孤独な日本語―への5件のコメント
2020年3月14日 12:46 PM
日本語の 同朋
せっかちな 性格なので
次回まで待てなかった。。
あちら方面では と 想像してましたけど
やはり、、、
以下 ネタバレになります
日本人は脳の使い方がほかの国の人とちがい、言葉の音を鳥の声や雨の音などといっしょに左の脳で聞き、右脳では、洋楽器の音、機械の音や雑音などを聞くだけである。
これに対してほとんどすべての外国人は、左の脳で聞くのは言語の音ぐらいで、その他の自然音や楽器の音はすべて右脳で聞く。
日本人と同じようなのは、地球上でわずかにマオリ、東サモア、トンガなどのポリネシア人だけである。
以上
角田忠信「日本人の脳」より 引用
そういえば
以前 フィジーを訪れたおりに
現地の方々には とても親近感が持てた
記憶があり まうす。。。
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2020年3月14日 5:24 PM
非常に興味深い内容で次回が気になると思っていたら
ネタばれ書かれていますね。
言語によって人は形作られる環境もでしょうけどやはり言語が大きいのですね。
日本人の特徴の孤独性は最もそこに隠されているのかもしれません。
例を挙げれば、八村塁選手と大阪なおみ選手の違いでしょうか。
脳の作りがそれだけ大きく違えば確かに、日本人は世界的な
孤立民族になっても何らおかしくはないのかもしれません。
その違いから起こる問題について深く知りたいものです。
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2020年3月14日 7:09 PM
私は度々発言しているように、日本国民ならば、その知性は差ほど変わらないと思います。勿論、人間である以上は成長の過程おいて早成、普通、晩成は仕方のないことですが、ただ普通にしろ晩成は人生の壁を経験すれば役人並に覚醒できると断言する訳です。
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2020年3月15日 2:03 AM
なるほど、昔から根性論で物事を成し遂げようとする国民性もうなずけますね。
しかしながら右脳のほうは欧米より未発達なんでしょうかね。
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2020年3月22日 7:29 PM
以前、別の方の英語の早期教育に関する記事に対し、中国や韓国の仕掛けるディスカウントジャパン等の国際的なロビー活動に対抗するため、我が国も英語のディベートで他国に負けない人材を育てるべく、英語教育を見直す必要がある、とコメントしたことがあります。そして、英語力を身につけながらも我が国の歴史と文化に深い造詣と誇りを持ち、日本人らしさを失ってはいけない、この両立が重要だ、とも書きました。
なぜか英語が堪能になると、考え方まで英米的になるパターンを多く見てきたからです。言語を司る脳の問題があったわけですね。となると、日本人らしさと英語力の両立は、永遠の課題になるのでしょうか。
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