From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
取り留めのない話です。
テレビ朝日系で放送されている
『相棒』という刑事ドラマ。
文句のつけようのない
キャリアを持ちながら、
信条に一徹な変人ぶりから警視庁内で
〝人材の墓場〟といわれる「特命係」に
押し込められた係長の杉下右京が、
彼の下に配属された相棒と一緒に、
尋常でない観察力・推理力を
発揮して様々な事件を解決していく
という物語です。
平成12年に単発ドラマとして始まり、
人気を得たことで連続ドラマとなり、
いまやシーズン16を数えます。
杉下右京を演じるのは水谷豊さん。
若かりし頃演じた
「傷だらけの天使」の乾亨や
「男たちの旅路」の杉本陽平
といった役の印象からは真逆、
年齢なりの落ち着きを表出し、
官僚臭い一面を見せながらも、
飄々として抜け目なく犯人を
追い詰めていく過程がとても面白く、
録画をしてまで欠かさず
見ていた時期がありました。
「ありました」というのは、
このところ物語が
「陰謀を企む国家権力に
戦いを挑む杉下右京」
という構図に傾斜しすぎ、
なんとも現実味のない、
政治宣伝的な単純さに嵌ってしまい、
人情の機微や世の不条理を
踏まえた深みのある話が少なくなって、
「もういいや」という感じで
見なくなったからです。
右京さんの「正義」は
そんなもんじゃなかったのでは…
という演者に対する観客の違和感ですね。
まあ、勝手な話ですけれど。
前置きが長くなりました。
その「相棒」のシーズン13の
第一話「ファントム・アサシン」
(2014年10月15日放送)
の録画を長く放っておいたのを先日見たら、
冒頭にこんな場面が出てきました。
殺人事件の現場に到着した
警視庁捜査一課の伊丹と、
年若い芹沢刑事と鑑識の米沢との会話です。
伊丹 殺しか?
米沢 (犯行現場の車の中を
覗き込んでいるところを
伊丹に尻を叩かれ驚く)
芹沢 御苦労さまです。
米沢 御苦労さまという言葉は
目上や年上に対して失礼に当たります。
といってそれに替わるいい言葉が
ないのが実情ですが、あえて言えば、
目上や年上には「お疲れさま」でしょうか。
芹沢 (気まずそうに低頭する)
ドラマの本筋とは関係ない場面ですが、
私はここで引っかかってしまいました。
「ご苦労さま」と「お疲れさま」は
どう違う?
米沢の〝解説〟は正しいのか?
「細かいことが気になって…
これ、僕の悪い癖」
というのは右京さんの口癖ですが、
実は私も同じ。
「お疲れさま」というのは、
日本の伝統的な労いの言葉ではない、
という時代考証家の話を御紹介します。
〈時代劇なら「ご苦労さまでございます」
「お役目ご苦労に存じまする」、
旧日本陸軍なら
「ご苦労さまであります!」
等が適切である。
大河『篤姫』で
「ごくろうさまでございます」
という台詞がでた時、視聴者から
「『おつかれさま』でないと失礼だろう」
という批判があったが、
そういうことはない。〉(大森洋平『考証要集』)
前掲書はこんな例も挙げています。
劇評家の矢野誠一氏の
昭和21年の頃の思い出として、
〈私は隣家でもって交わされる、
「おつかれさま」という挨拶語を
生まれて初めて耳にした。
いまでこそ立派に市民権を得ている
「おつかされま」だが、その時分は
もっぱら藝界や水商売の世界で
用いられていて、
少なくとも山の手の生活圏には
無かった言葉だ〉
と。
〈吉川英治の小説『松のや露八』で、
京都に赴く会津藩兵の行列に
元は旗本の幇間、露八が
「御苦労に存じますっ」と
呼びかける場面があるが、
これが「おつかれさまです」
では味わいがなくなる。
戦地から帰還兵を迎える銃後の人々も
「ご苦労さんでした」である〉
(吉田庚『軍馬の想い出』)
――とまあ、
「ご苦労さま」と「お疲れさま」
の使い方は、そもそも目上目下
という関係性よりも、
時代の流れの中で、
どうやら米沢の解説にあるような
一般の受け止め方になってきたようです。
それで、
〈旧日本陸軍なら
「ご苦労さまであります!」〉
という「あります」はどこから来たか。
私も講演などで話していて、
語尾が「であります」となること
再々なのですが、もともとは
旧日本陸軍の語法なのですね。
考証に関する本を
何冊か読んでみましたが、
元は長州弁で、明治初期の陸軍で
長州出身者が指導者、兵ともに多く、
その名残と言われています。
人情も言葉も、時代の流れのなかで
変化してゆくものだとして、自分が
「どの時代の日本人なのか」を感じるのは、
まさに言葉に関わる感覚
だという気がします。
しっくりくるかどうか…。
そういえば、第一次世界大戦で
ドイツ空軍のパイロットとして
活躍したリヒトホーフェンを描いた
「レッドバロン」という映画
(日本公開2011年)。
CGを駆使した空戦場面は
なかなか素晴らしく、
祖国に尽くす若者の熱情と
戦争の虚無を描いて、
気に入りの一作なのですが、
負傷したリヒトホーフェンを看護する
「従軍看護婦」を字幕が
「従軍看護師」と記してあるのが
興醒めでした。
第一次大戦の頃を
描いているのに…。
もう誰も違和感がないでしょうが、
私がトゲが刺さるような気分で
聞く言葉の代表に「意外と」、
「とんでもございません」があります。
「意外と」は「意外に」が正しく、
「とんでもございません」は
「とんでもない」が正しい。
「とんでもない」という言葉は、
「とんでも・ない」
「とんでも・ある」
という形の言葉ではない。
「とんでもな・い」という形で、
「とんでもない」の「ない」を
「ありません・ございません」に
置き替えたり、入れ替えたり
することはできない。
「危ない」「少ない」「切ない」
と同じように、「――な」までが語幹で、
「ない」を切り離すことはできないから、
丁寧な感じに言いたいのならば
「とんでもございません」ではなく
「とんでもないことでございます」
となる。
私がこの「とんでも~」の言葉の
正誤を知ったのは四十年以上前に読んだ
久世善男さん
(当時、朝日新聞社出版局勤務)
の『あなたがしゃべるミステーク日本語』
という本でした。
何気なく本屋の棚で手にとった一冊で、
後年自分が新聞社で働くことに
なろうとは夢にも思っていない頃ですが、
いまも手元にあり折節
読み返しては戒めとしています。
私も「物書き」を名乗りながら、
恥ずかしいほどの誤読、
慣用読みをしています。
人様にエラそうなことは
何も言えないのですが、ただ、
「知らないということを知る」
のが大切だという、
それに頷いていただければ、
今回の取りとめない一文も
いくらか意味があるかと。
私が敬愛するコラムニストの
山本夏彦さん(平成14年没)の
『「戦前」という時代』
にこんな言葉があります。
〈私は人生は些事から成ると見ている。
些事にしか関心がない。
些事を通して大事に至るよりほか、
私は大事に至りようを
知らないのである。〉
たかが言葉、とは思わない。
小さな言葉は些事であって些事でない。
「細かいことが気になって…
これ、僕の悪い癖」
周りに嫌われても、この点だけは
右京さんを真似たいと思っています。
〈上島嘉郎からのお知らせ〉
●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(
http://www.amazon.co.jp/dp/
●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。
『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(
http://www.amazon.co.jp/dp/
●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
(7月6日〈中国経済の落日 / 財務省とメディアの“共謀罪” / 麻原彰晃死刑囚ら7人死刑執行〉)
https://www.youtube.com/watch?
(7月20日〈台湾・サイパンを旅して思う~
https://www.youtube.com/watch?
●大人のための WEB Magazine「MOC」(Moment Of Choice)のインタビュー番組に出演しました。テーマは「
https://moc.style/world/movie-
【上島嘉郎】右京さんの悪い癖…Me tooへの2件のコメント
2018年7月27日 4:24 PM
言語に対する違和感
いきなりですが万葉集
漢字仮名まじり表記には強い違和感
万葉集は万葉仮名という漢字表記で理解してこそ 作者の文字にこめられた想いに到達できるもの かと、、、
言葉とは このように劣化あるいは変化していくものかも
ちなみに「とんでもございません」
goo国語辞書によると
平成19年(2007)2月文化審議会答申の『敬語の指針』では、相手からのほめ言葉に対して謙遜しながら軽く打ち消す表現として「とんでもございません(とんでもありません)」を使っても、現在では問題ないとしている。< とのこと
最も強い違和感を覚えるのは 防衛省の表札の文字
どなたのテによるものかは存じ上げておりますが
あのような ダラッとした文字を表札に掲げているから 占領国からも 敵国からも
舐められてしまう のだ♪
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2018年7月28日 7:08 PM
私は寺脇康文時代は見ていました。なんてことはどうでもいいことですけど、
>従軍看護師
今さら思うのですがそもそも男女差なんて在って当然なのに国際協調なのかどうかはサッパリ判りませんけど婦を師に変えられてしまい、これじゃぁ疑惑の総合フェミニスト商社の館長、辻元(&蓮舫コンビネーション)等を増長させるだけじゃないですか!
とにかく進歩な野田安倍師!進歩な野田安倍師!というそんな進歩主義?みたいな考えの基の言葉創りは辞めて、色んなことを元に戻さなければならない言葉だらけの日本になってしまいました。
もう政治家はテレビに一切合切出ないほうがいいと思います。営利主義社マス‐コミュニケーションに利用されているだけです。最たる者が客寄せパンダたる進次郎まかり徹君ではないでしょうか。
すみません、またも無茶苦茶な話にしかなりませんでした。しかし思うのですがこんなんだから台風も反対に(橋下)徹のであります。その犠牲者は国民なのであります。政治家は身をもって台風に飛び込むべきです。ってもどうにもなりませんね。すみません。なら蓮舫こそが寝豚祭でなく熱湯風呂に入るべきです。すみません更に目茶苦茶な言葉かり書いてしまいました。とにかく政治家は自民党内閣に入りたくないと宣言するべきです!
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