From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
来年は明治維新から150年です。節目の年という訳でかどうか知りませんが、NHK大河ドラマは「西郷どん」になりました。主人公は「維新三傑」の一人、西郷隆盛。林真理子の『西郷(せご)どん』を原作に、『ハケンの品格』や『花子とアン』の中園ミホが脚本を担当、鈴木亮平が西郷を演じます。
キャッチコピーの一節に〈男にも女にも“日本史上最もモテた男”西郷隆盛〉とあり、昨年11月に行われた会見では、林真理子が作中にBL(ボーイズラブ)が描かれていることを示唆、中園ミホも、〈西郷は男にも女にも大層モテた〉人物で、その〈男の魅力に、女の視点で切り込〉むと語っていました。
はてさて、一体どんなドラマになるのでしょう。
『大東亜戦争肯定論』で知られる林房雄は、『現代語訳 大西郷遺訓』(新人物文庫)の中で、〈西郷嫌いの日本人も少なくない。若いころの三島由紀夫もその一人であった〉と述べ、三島の『銅像との対決──西郷隆盛』という一種の告白文を紹介しています。
三島はなんと綴ったか。
〈西郷さん。明治の政治家で今もなお“さん”づけで呼ばれている人は貴方一人です。その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の念で見られたかもしれないが、後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることはありません。あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人と見ています。〉
〈恥ずかしいことですが、実は最近まで、あなたがなぜそんなに偉いのか、よくわからなかったのです。……私にはあなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。それは私が、人間という観念ばかりにとらわれて、日本人という具体的問題に取り組んでいなかったためだと思われます。私はあなたの心に、茫漠たる反理性的なものばかりを想像して、それが偉人の条件だと考える日本人一般の世評に、俗臭をかぎつけていたのです。〉
〈しかし、あなたの心の美しさが、夜明けの光のように、私の中ではっきりしてくる時が来ました。時代というよりも、年齢のせいかもしれません。とはいえ、それは、日本人の中にひそむもっとも危険な要素と結びついた美しさです。この美しさをみとめる時、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでしょう。
あなたは涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の脆さを知っていました。それから、責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。知っていて、行ないました。〉
次の一節を西郷の銅像に語らせて、三島は告白文を結びます。
〈三島君。おいどんはそんな偉物(えらぶつ)ではごわせん。人並みの人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。あんたにもそれがわかりかけて来たのではごわせんか?〉
これは三島が43歳のときに書いたもので『蘭陵王』に収められています。林房雄は西郷と三島について〈西郷は百年の後に、再び三島由紀夫という最良の知己を得た。三島の市ヶ谷台決死行の道案内者の中には、西郷もまた加わっていたような気がしてならぬ〉と述べ、さらに〈西郷隆盛は不思議な人物である。十年か十五年ごとに復活して、また立ち去って行く。日本人は彼と対談することによって幾度か危機を乗越えた。危機は戦争のみとは限らぬ。精神の衰弱こそ大危機である。いまは、その時が来ているようだ。西郷の声を聞こう〉と語りかけました。
現代の日本においても西郷隆盛の名を知らぬ人は少数でしょう。西郷の事跡の詳細は知らなくとも、「偉大な人物」という漠然としたイメージは持っている──。
『南洲翁遺訓』は旧庄内藩士たちが編んだ西郷隆盛の遺訓集で、先述の『現代語訳 大西郷遺訓』はそれをもとに林房雄が解説を加えた一書です。全体を知らなくとも、少なくない日本人が西郷の遺訓のいくつかを読んだり聞いたりしたことがあると思います。
〈命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹(しまつ)に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。〉
〈道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。〉
〈一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず。〉
多少の表現の違いがあっても、日本人ならば青壮年に至るまでの間にこれらの言葉にどこかで接しているのではないでしょうか。
西郷の遺訓というと、「堅苦しい精神論」ばかりという先入観を持つ現代人が多いような気がしますが、西郷は国の財政や会計、外国との交際のあり方、国家の基本などについて具体的に語っています。
たとえば「租税」について。
〈租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成するなり。故に、国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定例を確守し、上を損して下を虐げぬものなり。
よく古今の事迹(じせき)を見よ。道の明らかならざる世にして財用の不足を苦しむ時は、必ず曲知小慧(きょくちしょうけい)の俗吏を用い、巧みに聚斂(しゅうれん)して一時の欠乏に給するを理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げる故、人民は苦悩に堪え兼ね、聚斂を逃(のがれ)んと自然譎詐(けっさ)狡猾に趣き、上下互いに欺き、官民敵讐(てきしゅう)となり、終に分崩離析(ぶんぽうりせき)に至るにあらずや。〉
端的にいうと、「税を安くして国民を豊かにするのは国力を養成する基である。国家の政務・事業が多くて費用の不足に苦しむ場合もむやみに増税してはならぬ」と語っているのですね。
ちなみに『大学』に「聚斂の臣あらんより寧ろ盗臣あれ」とあり、これは「過重な税のとりたてをして民心を失う臣より、公の財物を盗みとって私腹をこやす臣の方がまだましである。治国の要は民心を収めることにある」ということを諭したものです。
西郷の「税」に対する考え方は今日にも通じます。もう一つ、「経済と算盤だけでいいのか」と問いかける「商法支配所」の項を。
〈談国事に及びし時、慨然として申されけるは「国の凌辱せらるるに当りては、たとい国を以て斃るるとも正道を践(ふ)み義をつくすは政府の本務なり。然るに、平日金穀理財の事を議するを聞けば、いかなる英雄かと見ゆれども、血の出る事に臨めば一処(ひとところ)に集め、ただ目前の苟安(こうあん)を謀るのみ。戦いの一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば商法支配所と申すものにて、更に政府に非ざるなり。〉
「未来は歴史の集積のなかにある」と考えると、現代の日本人が西郷隆盛の生涯に思いを馳せることには特別な意味があります。
改めて林房雄の言葉を借ります。
〈三島由紀夫は「西郷は日本の陽気な地霊である」と書いた。地霊は死なない。ときどき地上に姿を現して日本の危機を救ってくれる。まさに陽気な地霊である。私どもはジャーナリズムの騒音や左翼のはね上がりのみを見て、いちいち憂鬱になったり腰抜けになったりすることはない。心が鬱したら大西郷精神の陽気に触れ、おのれの信ずる道を進めばよい。それによって日本は身代限りからまぬかれることができたし、これからもまぬかれることができよう。〉(『現代語訳 大西郷遺訓』)
さてさて、NHK大河ドラマの志やいかに……。
おっと、こんなつぶやきは野暮ですね。
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http://www.rachi.go.jp/index.html
入場無料ですが事前申し込みが必要です。
【上島嘉郎】西郷どんってどんな人への1件のコメント
2017年10月20日 6:34 PM
国文学には「記紀びと」と「万葉びと」という括り方というか見方があったと思う。『記紀』は勝者の正当を以って史書たらしめんとするが『万葉集』は違う。『万葉集』は『記紀』に込まれなかった敗者たち、時代に圧殺された敗者たちへの鎮魂の書であるとするものだ。
この括りに照らして言うと、三島は間違いなく万葉びと、あるいは低く見積もっても、万葉びとの目で西郷さんを見ている。「陽気な地霊」の一言を私はきょうまで知らなかった、気がつかなかったから、尚のことそのように感じた。
とっくに誰かがどこかで明かしていることかも知れないが、いまさらめくことを、上島さんが気づかせてくださった。
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