From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)
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●戦後日本の情報の歪みはどのように生まれたのか?
https://www.youtube.com/watch?v=W4qwp0kYAT4&list=UUza7gpgd6heRb8rH4oEBZfA
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戦後70年の安倍談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務める北岡伸一国際大学長が9日、東京都内で開かれた国際シンポジウムのパネル討論で先の大戦に言及し、
「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べた、との報道がありました。
さらに、「日本は侵略して、悪い戦争をした」「(中国に)誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」との発言もあった由。
http://www.sankei.com/politics/news/150309/plt1503090018-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/150312/plt1503120009-n1.html
北岡氏は2月27日の自民党本部での講演(「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(委員長・中曽根弘文元外相)の会合において非公開で行われた)では、70年談話に村山談話と同様、過去の「植民地支配と侵略」へのお詫びの文言を入れるよう求める意見があることに対し、
「片言隻句を取り上げて、ある言葉があるとかないとかで考えるのは非生産的だ。あまりに行きすぎた謝罪の追求は日本国内の反韓、反中意識を高め、和解を難しくする」
と批判したはずですが、お詫びの文言はともかく、「侵略した」との言葉は談話に必須だとお考えのようです。
さらに談話作成に関し、「政治的、外交的な意味を持つので、政治の責任でやる。有識者会議は談話の材料となる一定の考え方を示す」と語ったそうです。
http://www.sankei.com/life/news/150228/lif1502280007-n1.html
座長代理は実質的に討論を主導する役目ですから、安倍首相が報告をどの程度談話に反映させるかわかりませんが、少なくとも有識者会議の方向性は明らかになったと言っていいでしょう。
それにしても、北岡氏が日本の大東亜戦争を「悪い戦争」と言うのは、平明な言葉遣いを意識したのでしょうが、正直、こんな一言で括られたのでは、氏には自らの生まれ育った国の歴史に対する一菊の愛惜もないのかと嘆息を禁じ得ません。
(「アホな自爆戦争」と括った作家もいましたけれど…。)
さて、本筋の話(西欧史観ではない世界史の中での近代日本の歩み)に戻ります。
果たして大東亜戦争は侵略戦争であり、「悪い戦争」だったのか。良い戦争と悪い戦争の区別、そもそも戦争に正邪を問えるのかという議論はひとまず措きます。
ヨーロッパ人による世界分割の話を前回しましたが、アジアについて少し詳しく見てみましょう。
現在の中華人民共和国政府は、「かつての日本軍の侵略を我々共産党が撃ち破って人民を守った」と言い、それが彼らの一党支配の正統性を担保しているわけですが、では日露戦争以前の中国の状況はどうだったか。
はっきり言えば、ロシア、ドイツ、イギリス、フランスなどの列強によっていつ分割されてもおかしくなかった。“まともな歴史学者”であれば、これを否定する者は99%いないでしょう。
日露戦争を遡る10年、日清戦争が日本の勝利に終わった時、ロシア、ドイツ、フランスは「三国干渉」をもって日本の遼東半島の領有を阻止しましたが、日本が引き下がるとそれを中国に返したかといえば否、彼らはたちまち本性を露わにし、まずドイツが膠州湾の青島を租借すると、ロシアもそれに続いて遼東半島の旅順を租借しました。
フランスはベトナムから海南島と雲南、広西、広東の中国南部三省に触手を伸ばし、イギリスも香港、威海衛に加えて揚子江流域を租借しました。租借を上品に言えば、「ある国が他国の領土の一部を借りること(lease)」ですが、租借国が統治権を持つわけで、実質は強奪と変わらない。
アメリカは、1898年に米西戦争に勝ってフィリピンとグァム島を獲得し、カメハメハ王朝のハワイを狡猾なクーデターによって倒してこれを併合した直後でしたが、1903年に奉天と安東を外国居留地として開放する条約を清国との間に結んで、遅れ馳せながらヨーロッパ列強との中国蚕食争いに加わりました。
こうした情勢下で日本は日露戦争を戦い、ロシアに勝利しました。これによって欧米列強はアジアで日本の存在を無視できなくなり、好き勝手にケーキを切り分けるような真似は出来なくなったわけです。
余談含みですが、日露戦争中、清国の直隷総督兼北洋大臣だった袁世凱が陰に陽に日本軍に協力をしたのは、そうした日本の存在が自国の生存に必要と考えたからです。つまり日本がロシアに敗れれば清国もまた消滅しかねなかった。
当時の清国政府は中立を表明していましたから、すべてが袁世凱と同じような考えを持っていたわけではありませんが、独自の騎兵隊(馬賊隊)を組織して諜報や攪乱のため清露国境付近まで潜入させた袁世凱の行動は、当時のアジア全体が置かれた情況と日本の歴史的使命を物語る一端と言えるでしょう。
列強が好き勝手にケーキを切り分けていた時代、明治維新の頃のアジアを見ると、1767〜99年のマイソール戦争の敗北によって南部インドがイギリスの支配下に入り、1819年に中部インドも呑み込まれ、1857年にセポイの反乱が起きるとイギリスは本国軍を投入してこれを鎮圧、ムガル皇帝を廃しました。
そして東インド会社を解散し、ビクトリア女王がインド皇帝を名乗る直接統治の「インド帝国」をつくることで全インドを支配しました。
ビルマもコンバウン王朝が3次にわたるビルマ戦争に敗れイギリスの植民地にされ、ここにおいてイギリスの勢力はマレーシアとシンガポールにまで及びました。
インドシナ半島では早くからフランスの触手が伸び、1847年のダナン砲撃からベトナムへの侵略が始まり、1883年に保護国にすると、1887年にはラオス、カンボジアを含めてのフランス領インドシナ連邦が形成されます。
インドネシアも、イギリスを駆逐したオランダ東インド会社が香料貿易を独占、マタラム王国の内紛に介入するかたちで保護国化し、1816年にオランダ王室の直接統治とされ、1830年にコーヒーはじめヨーロッパ向け作物の栽培が強制されます。
清国は1842年、アヘン戦争でイギリスに屈服し、ここにアジアに起つのは事実上日本のみという姿が浮かび上がってくるのです。アヘン戦争における清国の敗北は、当時の日本でも深刻に受け止められ、佐久間象山をはじめ多くの識者が幕府に警告と対応方を繰り返し発しました。
木戸孝允(桂小五郎)は明治時代に入って、懐旧の度に「癸丑以来の仲間」という言葉を使ったそうですが、癸丑(みずのとうし/きちゅう)は黒船来航の嘉永六年(1853年)のことです。
アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航するまで、日本はヨーロッパの世界分割、アジア蚕食の被害に遭うことなく実質的な埒外にいました。それは彼らが武士道の国日本を恐れたのではなく、多分に地理的条件によるものですが、「泰平」が破られた日から近代日本の苦闘が始まります。
明治開国以後の日本は、独力で国の独立と民族の生存を守らなければならなかった──。
これをはっきり認識せずして、父祖の必死の努力を「野蛮な侵略」などと、今日の価値観から高みに立って、他人事のように決めつけて平気な人を、私は同胞とは思えません。
端的に言えば、日本は永遠に第二次大戦後の国際秩序、道徳的反省や倫理観を含めての制約のなかで生きるしかない、それに甘んじよ、というのがアメリカをはじめとする戦勝国の本音です。
彼らは日本に対しては第二次大戦以前の歴史を顧慮する必要を認めず、彼らにとっての第二次大戦(アメリカにおいては太平洋戦争)の戦勝遺産の永続化を願っている。そしてそれに諾々し、それしか日本の生存はないと考える日本人も少なくない。
「日本が強く主張することは他国の反発を買って摩擦が増える。経済的に得をしないから、相手の要求を聞いたほうがよい」という摩擦回避の事なかれ主義と、他者への迎合を友好と思い込んでしまう敗戦国症候群とでも言うべき態度が今も日本の大勢です。
他国とことさらに揉め事を起こす必要はありませんが、自国の品格や名誉を守るためにあえて摩擦や対立を恐れない、孤立を恐れないという姿勢は自立した国家の要件です。
「孤立」は誰でもいやなものですが、孤立よりももっと苦しいことがあることを戦後の日本人は忘れてしまったように思います。それは屈従や隷属です。
戦後70年の談話が、この屈従や隷従を表象するものとならないことを願いながらこの稿を続けます。
PS
このVideoには一部の方にとって不愉快な内容が含まれています。
ご覧になる場合は自己責任でお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=W4qwp0kYAT4&list=UUza7gpgd6heRb8rH4oEBZfA
【上島嘉郎】安倍談話に望むこと(その二)への4件のコメント
2015年3月13日 8:27 PM
上島さん、ぜひ『安倍談話 私ならこうする』等のタイトルで別冊正論等で特集を組んでいただけないでしょうか?北岡氏があんな調子では、外堀を埋められてってるような感じでこのままでは村山談話に匹敵するロクでもない談話になりそうな予感もします安倍さん自身は謝罪や侵略といった言葉を用いる気持ちはないようですがもし危惧するような談話になってしまったら「右翼・保守の安倍ですらこんなこといってる」と左派・外国勢力に突っ込まれそうなのは目に見えています南京に関する日中共同研究の二の舞ではないでしょうか?
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2015年3月15日 11:28 AM
アジア・アフリカの大半の国が植民地化されるなか、わが国が7年間の占領期を除いて独立を保ったのは誇るべきことであり、戦後70年にあたり、安倍首相は何よりもまず、そうした先人たちの努力に感謝を捧げるとともに、国家主権を守りつづける決意を新たにすべきです。 そのうえで、当時の国際法や各国の国内法に抵触した行為(戦争全体ではなく個々の行為)を反省し、それによる犠牲に対しておわびを表明するのはよいと思います。 村山談話には感謝と決意がなく、反省とおわびだけがあるので、ひどくバランスの悪いものになっています。 安倍首相は村山談話を「書き換える」ことはできないかもしれませんが、すくなくとも「書き加える」ことはしなければなりません。 ところで、村山談話には「国策を誤り」という文言があります。古来島国として文明を育んできたわが国が、大陸や半島に版図を広げたことは、みずから国のかたちを歪めたものであり、たしかに誤りでした。このように「国策の誤り」の内容を明らかにすることによって、われわれが守りつづけるべき国家主権の範囲をも示すことができると考えます。
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2015年3月16日 7:02 AM
〉お詫びの文言はともかく、「侵略した」との言葉は談話に必須だとお考えのようです。 歴史観は東京裁判で強制されたまま。そして経済志観はマクロ的に輸入理論世代嗜好に牽引され、日本人自ずから進んで泥沼に飛び込んでしまった気がしてなりません。
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2015年3月17日 4:20 PM
上島さんのご指摘の通りです。安倍首相が本心からTPP、移民受入れ政策を推進しようとしているのか、日本国民が声を上げて阻止して欲しいと考えているのか分かりませんが、自虐史観から覚醒し、絶対阻止の声を上げねば、取り返しの付かぬ状況に追い込まれてしまいます。三橋貴明先生を先頭に、皆で頑張りましょう。
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