From 佐藤健志
——————————————————-
●戦後日本の情報の歪みはどのように生まれたのか?
https://www.youtube.com/watch?v=W4qwp0kYAT4&list=UUza7gpgd6heRb8rH4oEBZfA
——————————————————-
2011年の東日本大震災から、今日で4年となりました。
というと、だいぶ前のことになったようですが、復興はまだまだこれからなのが本当のところ。
たとえば3月8日の読売新聞は、次のように報じています。
東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県に建設されたプレハブ仮設住宅計約5万3000戸のうち、今年1月までに撤去されたのは、1%に満たない計467戸にとどまることが3県への取材でわかった。
被災者の転居先となる災害公営住宅(復興住宅)の建設が遅れているためで、発生4年で復興住宅の8割近くが完成した阪神大震災では、約4万8000戸あった仮設の32%が4年時点で撤去された。東北の被災地では、住まい再建の遅れが目立っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00050182-yom-soci
しかも東日本大震災を忘れてはいけないのは、復興が遅れているためだけではありません。
2011年当時、同震災について「第二の敗戦」とか「戦後の終わり」などと位置づける議論が流行ったのをご記憶でしょうか。
これらの議論のほとんどは、情緒的な危機感の表明に少々の専門用語をちりばめた程度の代物でしたが、だからといって震災を「敗戦と並ぶ出来事」と見なすことに意味がなかったわけではありません。
震災と津波による破壊の光景には、
「戦後の繁栄もまた、虚妄にすぎなかったのではないか」
という点を、象徴的に提起するものがあったからです。
そして戦後日本のあり方が、さまざまな点で行き詰まっているのも否定しがたい事実。
その意味で震災復興は、「大変な目にあった東北の人々を助ける」ためだけではなく、「日本全体を新たに立て直してゆく」ために行われるべきものなのです。
だいたい日本は地震がよく起こる国。
東京だって、いつ直下型地震で瓦礫の山とならないとも限りません。
おなじみ藤井聡さんの「国土強靭化論」ではありませんが、首都が甚大な被害をこうむっても大丈夫なように、全国各地域を発展させておいた方が良いのです。
まさしく、情けは人のためならず。
だが現実はどうか。
こう言っては何ながら、どうもこの国は「臭いものにはフタ」とばかり、震災が突きつけた問題点から目を背け、小手先のゴマカシを決め込んでいる感が強い。
私は2013年に刊行した『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』(VNC)で、
「被災地を巨大な壁で囲い、壁の外側に『繁栄する日本の風景』の映像を映し出せば、復興は達成されたと見なされるんじゃないか」
という趣旨のことを書きましたが、まったくシャレにならないのが怖いところ。
たとえば中野剛志さんは、2012年に刊行された藤井聡さんとの対談本『日本破滅論』(文春新著)で、こう発言しています。
「本気で被災者を心配しています」と言って、何もしない。典型的な例がこうです。(2011年)3月に、600年に一度の大震災が起きて、全力で対応しないといけないのに、この国は6月に(被災地の救済や復興にどれだけ予算を回せるかという)財源の話をしだした。これは、「自分の親や子が死にかかっていて、お金を出して治療すれば助かるという時に、お金がもったいないといって見捨てる」という話に近いわけです。(中略)
なのに、そのことを誰もおかしいとは言わない。マスメディアも財源の議論をむしろ積極的(=肯定的)にとらえている節がある。
(41ページ。表記を一部変更)
彼ら(=政府を中心とする政治家たち)の本音は結局こうなのです。「被災地にお金を投じて、経済が衰退している過疎の農村地帯を復興させても仕方ない。もっと有効活用できるところに投資すべきだ」。はっきりいって、もったいない、経済的に引き合わないと思ったんです。
(54ページ)
藤井さんもこれにたいし、「もったいないとは、お金を出すにしても嫌々でしかないということです。(中略)被災者を同胞とは思わず、赤の他人としか見ていないわけですね」(同)と応じました。
このときの政府は、今や悪評だらけとなった民主党政権です。
ならば「日本を、取り戻す」とか「地方創生」などと謳っている、現在の自民党政権はどうか?
3月4日の毎日新聞に、こんな記事が出ていました。
竹下亘復興相は、東日本大震災の復興事業費を政府が全額負担する「集中復興期間」(2011〜15年度)終了後について「(国費負担が)全部続くというのは難しい」と述べ、16年度以降は被災自治体の一部負担を検討する考えを明らかにした。(中略)
政府は復興期間を20年度までの10年とし、前半の集中復興期間中、巨大な震災の規模や財政の弱い被災自治体が多いことを考慮して復興事業費を全額負担している。竹下氏は「これは異例中の異例の措置だ」とした上で、16年度以降について、土地の造成や復興住宅・堤防の建設など「復興本体の事業は、10分の10(全額国費で)やる意義が十分にある」と述べた。
一方で「復興もいろいろな事業があり、冷静に判断すべきだ。インフラは全て国がやるものではないが、線引きは非常に難しい」と指摘。16年度以降の全事業を政府が負担するのは困難とし、負担のあり方や財源について被災自治体と協議する考えを示した。
http://mainichi.jp/select/news/20150305k0000m010067000c.html
中野さん風に言えば、「お金がもったいないといって見捨てる」姿勢を公然と見せ始めたわけです。
「復興本体の事業は、10分の10(全額国費で)やる意義が十分にある」と言いつつ、「インフラは全て国がやるものではない」とも述べるところを見ると、「復興本体の事業」まで、いずれ自治体任せとなるかも知れません。
この姿勢には、「被災地の自立をうながす」という大義名分がつけられている模様。
福島第一原発の事故によって「帰還困難区域」に指定された地区の除染についても、全部はやるつもりがないようです。
4月25日に公開される映画『セシウムと少女』(才谷遼監督)には、原発事故の問題にからんで「みんな忘れちゃったんだよ。まだ何も終わっちゃいないのに」という台詞が出てきますが、
「みんな見捨てる気なんだよ。まだ何も終わっちゃいないのに」
とした方が正確かも知れません。
http://cesium-to-shyoujyo.com
岩手県の達増拓也知事は、これについて以下のようにツイートしました。
報道によると、政府は「市町村も県も自立を」として、復興予算の地方負担分を増やしたい意向である由。一市町村の主要部が壊滅するような巨大災害において、復興費用はその市町村及び近隣の住民だけでなく広く国民全体で負担するのが合理的なのではないか。
https://twitter.com/tassotakuya/status/574035149878222848
また、「自立を」というのが、国まかせにせず主体的に、という意味であれば、東日本大震災発災直後から、被災市町村も県も必死で自分たちのこととして4年間やってきており、最初から自立している。
https://twitter.com/tassotakuya/status/574035211463229441
あるいは「自立を」というのが、支援なしでやっていけるように、という意味ならば、そうなるためにも、今は支援が必要。岩手の沿岸市町村人口の1割以上が、未だ仮設住宅等での避難生活段階。自立はしたい。しかし自立せよと言われてすぐにできるものではない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/574035271798280193
東日本大震災からの復興に、巨額の国費が投入されていることについては、国民の皆さんにいくら感謝しても感謝しきれない。歯がゆく思う。同様の巨大災害が他で起きたら、我々は国民としての負担をしたいし、できればそれ以上の負担ができるようになりたい。
https://twitter.com/tassotakuya/status/574038317596995584
達増知事の切実な言葉を、政府はどう受け止めるのか。
いや、われわれ一人一人が、どう受け止めるべきなのか。
この調子では、かりに首都直下地震が起きて、東京に甚大な被害が生じた場合、
「被災した日本の自立をうながすためにも、日本を見捨てよう」
という議論を、日本人が進んで始める気がします。
南海トラフで巨大地震が起きた場合も同様でしょう。
それが戦後の行き着く果て、本当の終わりではないでしょうか。
すなわち、まだ何も終わってはいないのです。
<お知らせ>
1)戦後日本では、「物事が従来と大きく変わること」と「物事が従来の繰り返しになること」が区別できなくなっている(11ページ)。
つまり「国を新たに立て直すこと」と、「小手先のゴマカシを決め込むこと」も区別できなくなっている!
これを脱却しないかぎり、日本再生などありえない!
三橋貴明さんも「読んで『これだ!』と思った」と絶賛!
発売以来、44日間連続でアマゾンのイデオロギー部門1位を記録しています!
「愛国のパラドックス 『右か左か』の時代は終わった」(アスペクト)
http://amzn.to/1A9Ezve
2)KADOKAWAのメルマガ「踊る天下国家」が更新されました。
3/11(水)の8:00配信開始。
音声ファイルつきです。
http://ch.nicovideo.jp/k-chokuron/blomaga/ar747124
今回のテーマは「恐怖の<ダブルお花畑>〜曽野綾子さんのコラムをめぐって」。
人種隔離政策の肯定ではないかと論議を呼んだコラム「透明な歳月の光〜労働力不足と移民」について、真の問題は何かを分析しました。
最近のバックナンバーもどうぞ。
「さらば、愛の行為よ〜日本で男女関係は成り立つか」
http://ch.nicovideo.jp/k-chokuron/blomaga/ar736635
「『テロに屈しない』という現実逃避〜政府と野党の欺瞞の構造」
http://ch.nicovideo.jp/k-chokuron/blomaga/ar726619
「日本よ、自己欺瞞をやめろ!〜イスラム国の拘束事件をめぐって」
http://ch.nicovideo.jp/k-chokuron/blomaga/ar716370
「石原慎太郎から安倍晋三まで〜2015年はどんな年になるか」
http://ch.nicovideo.jp/k-chokuron/blomaga/ar706735
3)日本人が震災からどんなふうに目を背けようとしているか、詳しく知りたい方はこちらを。
http://amzn.to/1lXtSsz
4)「第二の敗戦」や「戦後の終わり」といった言葉の持つ意味合いについては、この本をどうぞ。
http://amzn.to/1lXtYQM
5)そして、ブログとツイッターはこちらです。
ブログ http://kenjisato1966.com
ツイッター http://twitter.com/kenjisato1966
PS
このVideoには一部の方にとって不愉快な内容が含まれています。
ご覧になる場合は自己責任でお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=W4qwp0kYAT4&list=UUza7gpgd6heRb8rH4oEBZfA