From 佐藤健志@評論家・作家
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●これは経済学者のルサンチマンの結果なのか?「EUの闇」とは?
https://www.youtube.com/watch?v=DID9wg3PIVo
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今から約200年前、1818年のことです。
メアリー・シェリーという、まだ二十歳の女性が、ある小説をロンドンで出版しました。
この小説、当初は匿名で刊行されたのですが、著者ともども歴史に名を残す。
すなわち『フランケンシュタイン、または現代のプロメテウス』。
現在ではサブタイトルなしで『フランケンシュタイン』と呼ばれるのが一般的ながら、これが正式な題名です。
天才科学者ヴィクトル・フランケンシュタインが、生命を人工的につくりだそうと計画、死体をつなぎ合わせた人造人間を実際に生み出す。
けれども人造人間は、優れた知性と体力、そして心を持っていたにもかかわらず、醜い怪物の外見をしていた。恐ろしくなったフランケンシュタインは、つくりあげた「息子」を捨ててしまう。
その仕打ちを恨んだ怪物は、苛酷な環境を生き抜いて、「親」であるフランケンシュタインへの復讐を始める・・・
筋立てはみなさんも、よくご存知でしょう。
サブタイトルに登場する「プロメテウス」とは、ギリシャ神話の有名な神。
最初の人間をつくったうえ、神々の専有物だった火を与えた存在ですが、このせいで神々の王・ゼウスより厳しく処罰されました。
だからヴィクトル・フランケンシュタインは「現代のプロメテウス」という次第。
なお上記の紹介からもお分かりのように、フランケンシュタインは怪物の名にあらず、それを生み出した科学者の名前です。
怪物にはもともと名前がなく、「フランケンシュタインの(つくった)怪物」と呼ばれていたものの、いつしかこちらも「フランケンシュタイン」で通用するようになりました。
「親の因果が子に報い」ですが、今では「フランケンシュタイン」と聞くと、怪物のほうを思い浮かべる人が多いはず。
この点についても、怪物は復讐を果たしたというか、「親」を乗り越えたと評すべきでしょう。
さて。
『フランケンシュタイン』は、ゴシック小説の傑作とも呼ばれますし、史上初のSF小説と位置づけられることもある。
人工生命の創造が、魔術的手段ではなく、科学的な方法でなされるためですが、じつはこの物語、18世紀後半の欧米で起きた二つの政治的大事件とも、深い関連性を持っています。
大事件とはもちろん、
アメリカ独立革命(1776年〜1783年)とフランス革命(1789年〜1799年)。
ヨーロッパにとって18世紀は、人間の理性的な能力にたいする自信が強まった時期です。
よって、どちらの革命にも「かつてなく望ましい社会を、理性の力でつくりあげる」という意味合いがありました。
たとえばトマス・ペインは、『コモン・センス』でこう述べます。
「独立が達成されたとしよう。その場合、われわれは万人の祝福のもと、素晴らしいチャンスを得る。これまで地上に存在したあらゆる国家の中で、最も高貴で、最も道義的に純粋な国を築くチャンスである」
「これに匹敵する事例を、過去の歴史に見出すとすれば、聖書の時代にまでさかのぼらなければならない。すなわち大洪水が引いて、ノアが箱船から降り立ったときである」
(『コモン・センス完全版』、232ページ)
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今までは神にしかできなかったことを、人間の手でやり遂げる。
生命の創造に挑戦したヴィクトル・フランケンシュタインの姿を、ここから連想するのは容易でしょう。
しかもアメリカは、十三の植民地が連合してつくった国ですが、当時のイギリスでは、「これらの植民地の間に直接的なつながりはなく、宗主国たるわれわれとの縁を通じて、間接的につながっているだけだ」という趣旨の議論がなされていました。
言いかえればアメリカ建国とは、直接的なつながりのなかったはずの植民地諸州が、突如として一つのまとまりを持って行動した結果の出来事。
これもまた、死体をつなぎ合わせたうえで電気によって生命を吹き込む、怪物の創造過程とよく似ているではありませんか。
そして怪物同様、アメリカも独立戦争という「親への復讐」に乗り出す。
この表現、たんなる比喩ではありません。
新大陸では「イギリスという国は、アメリカにとって親も同然の存在だろう!」という独立反対論があったのです。
ペインはこれにたいして、ヤクザさえ子分を食い物にはしないのに、イギリスは「子」であるアメリカを平気で搾取(さくしゅ)していると主張、「ならば、ますますもって恥を知れ、だ」とやり返しました。
(同、126ページ)
事実、イギリスでフランケンシュタイン映画がつくられるときは、怪物をつくりだした科学者に重点が置かれるのにたいし、アメリカのフランケンシュタイン映画は、怪物のほうに重点が置かれます。
両国の間に「科学者と怪物」の関係があることを、端的に示したものと言えるでしょう。
けれどもアメリカ独立革命は、まだ良かった。
怪物と科学者、いや植民地と宗主国の間に、大西洋が横たわっていたからです。
同じ事をひとつの国の中でやると、どうなるか?
それを浮き彫りにしたのがフランス革命でした。
同革命では理性の万能が謳われるあまり、既成の宗教が否定され、ノートルダム大聖堂で「理性の祭典」などという儀式が行われたりしたのですが(1793年11月)、エドマンド・バークは『フランス革命の省察』において、革命派をこう批判しています。
「世の中には、老いた親を八つ裂きにするかのごとく、祖国をズタズタにして平気な者たちも存在する。
こういう手合いは黒魔術を信奉しているらしい──バラバラになった親の死体、もとへ国家の残骸を、『改革』という名の大釜に放り込み、毒草を加えて呪文を唱えるだけで、すべてが元通りに復活すると思っているのだ」
(『新訳 フランス革命の省察』、130ページ)
科学の代わりに魔術が持ち出されてこそいるものの、バークの描く革命の光景は、フランケンシュタインによる怪物の創造と、いよいよ瓜二つ。
おまけに大釜に放り込まれるのは「親の死体」なのですから、例によって親殺しが暗示されています。
はたせるかな、『フランス革命の省察』の刊行から三年後、フランス革命は国王ルイ16世、および王妃マリー・アントワネットの処刑という、文字通りの親殺しに行き着きました。
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フランス革命、ふつうは1799年に終結したとされるのですが、革命でのし上がったナポレオンが以後も暴れ回ります。
革命の完全な終わりは、ナポレオンが没落した1815年と見なすべきでしょう。
他方、メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を書き始めたのは、なんとその翌年。
科学者と怪物がそろって悲劇的な末路をたどる小説の展開には、高邁な理想を掲げて出発しつつ、破壊と粛清の嵐と化したフランス革命の経緯が、じかに影を落としている可能性が高い。
物語の最後、怪物は自分自身を滅ぼすべく北極に去ってゆきますが、これなどナポレオンのロシア遠征が、彼の没落のきっかけとなったことを、ありありと連想させるのです。
この点については、2007年の『本格保守宣言』で詳しく触れましたので、興味のある方はそちらをどうぞ。
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『フランケンシュタイン』に政治的な寓話としての側面があることは、もはやお分かりいただけたでしょう。
しかるに時代を超えて生命力を持ちつづけるのが、古典の古典たるゆえん。
きたる土曜日、9月6日より、『アイ・フランケンシュタイン』という映画が公開されます。
怪物がじつは不死身で、今なお生きているという設定のもと、神と悪魔を巻き込んで展開される、オカルト・アクション・ファンタジーなのですが・・・
なんとこの映画、近代日本に関する寓話と読み解くこともできるのです!
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記事数が多くて、読みたい記事が探しにくいというコメントをいただいていましたが、ずっと探しやすくなりましたので、ぜひご覧下さい。
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ではでは♪(^_^)♪
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なぜ、情報の歪みが危機をもららすのか?
月刊三橋の次号のテーマは、「朝日<慰安婦>誤報問題」です。
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【佐藤健志】フランケンシュタインの政治学への2件のコメント
2014年9月4日 10:35 PM
あれ? 半年ぶりくらいに覗いたら水曜日の名物The東田じゃなくて、盟友の佐藤さんになってたのですね。←いまさらで失礼。マニアックな知的披露なコラムで面白いです。頑張ってください〜
2014年9月6日 12:55 PM
>事実、イギリスでフランケンシュタイン映画がつくられるとき>は、怪物をつくりだした科学者に重点が置かれるのにたいし演ずるは、かのKenneth Branagh。そう言われてみれば、確かに仰る通りです。考えてもみなかった。