From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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おはようございま〜す(^_^)/
フランスの国際評論紙『ルモンド・ディプロマティーク』の日本語版に出ていたこの記事、興味深く読みました。
「英語を世界の統一言語にしてはならない」
http://www.diplo.jp/articles13/1306langueunique.html
フランスでは、1994年に定められた「フランス語使用法」により、大学を含む公立学校の授業ではフランス語を使用しなければならないとされていました。
政府の新法案は、この規定を緩和し、大学での英語の授業を認めるということだそうです。
背景を報じた産経の記事(5月29日付)
「母国語重視のフランスが英語授業を拡大 国際競争で対応迫られ」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130529/erp13052908550000-n1.htm
フランスも、日本と同じような議論をしているんですね。
日本でも、最近出された、安倍政権の「成長戦略」や教育改革の提言では、英語が使える「グローバル人材」育成の必要性がやけに強調されています。
以下のような提案がなされています。
・大学入試や国家公務員試験でのアメリカの英語能力試験トーフル(TOEFL)の義務化
・大学における英語での授業の大幅増
・中学や高校における英語授業の英語での実施
・小学校における英語の正式な教科化
TPPにも入ってしまうようですし、政府の成長戦略をみても米国型のグローバル市場に進んで飲み込まれるつもりのようですから、英語を事実上の公用語にしてしまおうというこういう政策は、わかりやすいといえばわかりやすいですが…。
(>_< )
安倍首相は、もともと「戦後レジームからの脱却」を旗印にしていたはずです。第二次安倍政権の実現を期待した保守層の多くの人々は、今度こそ、「戦後レジームからの脱却」を願っていたと思います。
ですが、最近のこういう英語偏重の政策って、脱却どころか、「戦後レジーム」の強化にほかならない印象を受けます。
その理由は以下です。
(1) 米国への利益誘導の面がある。
以前、このメルマガでも書きましたが、大学入試や国家公務員試験へのトーフルの義務化は、米国への利益誘導の面が大いにあると思います。(下記のリンク先の後半部分をご覧ください)。
「TOEFLもマスト?」(4月19日付)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/04/19/se-11/
上の記事のなかで私は、「トーフル型の試験がよければ、日本人が自分たちで新しい英語の試験を作ればいい。そのほうが、受験料など日本人のお金が米国に流出しなくて済む」と述べました。
少し補足しますと、最近だと、大学受験者が約67万5千人、国家公務員総合職受験者が約2万5千人ですので、大学受験者と国家公務員試験受験者を合わせて、これらの試験だけでも毎年70万人も受験することになります。一回の受験料が225ドルとありますので、一人一回しか受験しないとしても、約154億6千万円がトーフルの主催団体に流れます。
トーフルは数回受けて一番良い点数を受験先に提出するというテストですから、一人平均3回ぐらいは受験すると思います。そうなると、受験料だけで460億円以上の金が流出することになります。
ほんとばかばかしいですよね。
o(`ω_*)o
(2) 米国中心の世界秩序作りに積極的に手を貸している。
冒頭の『ルモンド・ディプロマティーク』の記事で、フランス人言語学者が、「逆説的なことに今日、英語の普及活動やアメリカ化を担っているのはアメリカ人以外の人々である」と述べていましたが、まさに率先して世界のアメリカ化を担っているのは、残念ながら日本のようですね…。orz…
(3) 米国に勝つぞ!負けないぞ!!という気合がハナからない。
当然ですが、世界の英語化が進めば、大部分の日本人は、仕事や学問でアメリカ人に勝てなくなってしまうでしょう。アメリカ人が、日本語で仕事や学問をするようになれば、大部分のアメリカ人が日本人に勝てなくなるのと同じです。
日本人は、68年前に、アメリカに勝つぞ!という気合を完全に挫かれてしまったんでしょうかね…。
(4) 国家や国力に対する考察がなされていない。
そもそも英語力の強化が、日本の長期的な繁栄や国力の充実にどうつながるのかは明白ではありません。たとえば、フィリピンやインドには英語がうまい人がたくさんいますが、これらの国は、「経済的豊かさ」、「政治の安定性」、「大学のレベル」など日本よりもだいぶ劣っていると思います。
自国の言語や伝統を捨て去り、別の言語を導入した国は、大部分の場合、豊かな国にはなっていないように思えます。
GDPの上位5か国を見ても、米国、中国、日本、ドイツ、フランスですので、経済力と、英語を使用しているかどうかは、あまり関係がないように思えます。
むしろ、「国力のある国というのは、英語などの外国語には頼らず、母語で、政治や経済、教育、研究などをしっかり運営できる国である」といったほうが、現実に即しているのではないでしょうか。
(5) 能動的に国際秩序を作っていこうとする構想力や気概に欠けている。
この5番目の点が、今回一番言いたいことです。
最近の過度の英語能力偏重の政策は、まじめに将来の日本の繁栄を考えた結果だとは思えません。おそらく日本は「フィリピン化」し、国力は低下するでしょう。
きっと、いまでもときどき話題になっているマレーシアやフィリピンへの「教育移住」が数年後、流行るでしょうね。そこで育った、日本語はあまりうまくないし日本人的常識や感性も身につけていないが、英語はそこそこうまくなった子なんかが、新たな日本のエリート層となり、多国籍企業の利益のおこぼれにあずかり、新しい既得権益層になり、大きな顔をするということになるんでしょう。ヤデスネ。
(_・ω・`)ショボーン
だとすれば、日本人が元気になる、もっとましな国際秩序構想を考えるべきだと思います。
思うに、戦後の日本人は真面目すぎます。日本人がアメリカ人などのネイティヴ・スピーカーと伍していけるような英語力を身につけるというマゾ的な努力を自分たちや自分たちの子孫に強いるのは、あまり賢くありません。
少し時間はかかるかもしれないけれど、英語なんか下手でも、痛くもかゆくもないような世界を作り出す戦略を練るほうがいいんじゃないでしょうか。
たとえば発想の転換をして、日本人の英語力をアップさせるのではなく、他の国の人々も、日本人のように英語が下手な世界を作るようにしたらどうでしょう。
日本人が英語下手な原因は、よく言われるように、日本では英語なんか理解できなくても、母語である日本語だけで何不自由なく暮らせるからです。日常生活には支障がまったくありませんし、大学院レベルの高等教育でも日本語で受けられます。医師や弁護士などの専門的職業にも就けます。英語のうまい下手の違いによって、収入に差がつくこともほとんどありません。
だから日本人は英語が下手なんですが、各国にこのような状態、つまりそれぞれの国の母語で、何不自由なく暮らし、専門教育を受け、専門的職業にも就けるような状態を作ることを目指せばいいんじゃないでしょうか。
つまり、日本人は、日本的な国づくりの良さを世界に訴え、広めるようにしたらどうでしょうか。「理想的な世界とは、英語が世界の統一言語になるような世界ではなく、各国の人々それぞれが自分たちの母語で何不自由ない日常生活を送り、高等教育を受け、専門的職業にも就ける世界である」。このように主張し、この主張が各国に受け入れられるように、そしてこの主張に沿った国づくりが各国で実際に行われるように、知恵を絞り、活動してはどうかと思います。
明治以来、日本は、そのときどきの先進の外来の知を翻訳し、日本化(土着化)し、日本語による近代的国づくりをうまく行ってきました。そのおかげで格差が少なく、みんなが社会に参加し能力を発揮しやすい国を作ることができています。ですので、そういう明治以来の日本が培ってきたノウハウをいかして、新興諸国の母語による国づくりを実際に支援すればいいと思います。
たとえば、日本の大学が英語で授業を行うようにしたり、会社の公用語を英語にしたりするのは、あまり賢くもないし、ハタから見れば滑稽ですらあります。
それよりも日本は、新興諸国に、母語で大学教育を行い、母語で専門職を含む多様な職業に就けるような国づくりを進めることこそ、長い目で見ればずっと良いことだと勧め、そうした国づくりの手助けを行っていくべきだと思います。
多くの新興諸国の人々が、日本のように母語で何不自由なく暮らせるようになれば、その人たちは、いまよりもずっと幸福で安定した暮らしを営むことができるようになるはずです。
(^_^)
ついでに、彼らも、英語が下手になるでしょう。そうなれば、日本人の英語下手が目立たなくなり、日本人もハッピーです。
(*・∀-)b
いい歳をした大人が、「留学生をいかに増やすか」、「トーフルの平均点数をいかに上げるか」、「英国や米国の大学ランキングで、日本の大学の順位をどのように引き上げるか」などというチマチマとした細かいことばかり考えるのはやめてほしいものです。
日本政府には、もっと「能動的、主体的に世界秩序を作っていくぞ」という気概をもち、「米国の英語による事実上の文化支配の完遂をいかに挫いてやるか」、「英語国に不当に有利な現在の世界のあり方を改善し、いかに万国の国民にとって公正な世界を作り出すか」、「英語なんか下手でも子孫に苦労させない世界をどのようにして実現するか」などの、考えるに値する大きな構想を描き、その実現のために策を練り、悪辣なまでに暗躍してほしいと思います。
いつもながら勝手なことを長々と失礼しますた…
<(_ _)>
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それぞれいいたいこと言っています<(_ _)>
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【施 光恒】英語公用語化を進めるよりも…への11件のコメント
2013年6月28日 5:50 PM
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2013年6月30日 10:15 PM
近代の超克を言うのならば、まず日本の歴史文化を身に修めるべき、というのが一番最初にこなくてはならないと思います。超克する自己がただの日本列島に住んでいる人間であるならば、何を乗り越えるのかまったく見えてはこないのです。日本を知らない日本人が英語に堪能になったところで、そのひとはただの翻訳者にすぎない。それは近代の超克と言えない。
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2013年7月2日 12:34 AM
第二回。私は以前麻生元総理のアベノミクスについての英語のスピーチについて触れました。麻生さんの声は義太夫みたいな声で訛りもありますが通訳を通した隔靴掻痒ではなく直接英語で話しかけるということがどれだけ聴衆にインパクトを与えることか。いわんや流暢で格調あるネイティブの英語であればその効果は計り知れません。話は飛びますが、宋美麗はたしか幼くして渡米し女子の名門ウエルズリーを出て後に流暢な英語で涙ながらにシナの窮状をアメリカの聴衆に訴えてまわりました。それによってアメリカ人のシナへの同情心、日本への敵愾心を強く掻き立て、シナの国益に資するところ強大であったようです。ちなみに宋美麗も麻生さんもクリスチャンのようです。クリスチャンといえば、現在天皇家の周辺にはクリスチャンが多いらしい。これをどう近代(キリスト教)の超克につなげていくか、日本の大課題でしょう。芥川の『雛』ですが、あそこに出てくる登場人物は現在の日本人の姿でもありましょう。特に英吉は現在のわれわれです。「・・・・だが一度ランプをつけちやあ、もう無尽燈はつけられない。」「何でも始はじめは眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、……」
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2013年7月2日 11:23 PM
以下は先日来投稿しようとしていたが、コンピュータの不具合(字数制限?)からかできなかったもので、時期遅れかもしれませんがとにかく投稿します。二回に分けて。第一回。英語教育は近代化(欧米化)が避けられないように避けられない問題です。英語教育によって日本の伝統が失われるという危惧は、近代化(あるいはグローバル化)によって日本の伝統が失われるという危惧とパラレルです。近代化と伝統保持は幕末明治以来日本人の課題でしょう。漱石なんか英文学に違和感を感じていながら東大の英文学の教師になった。日本の近代化に対してもかなり悲観的だった。彼の弟子芥川龍之介に『雛』という身につまされる短編がありますが、漱石のテーマ(近代の超克)を引き継いだものです。要するに、英語教育も近代の超克の問題だと思います。つまり英語の超克です。それは、英語(近代)なんか要らないという姿勢ではできないことでしょう。日本人にとっては超克なんかできなくていいというわけにはいかないのです。近代(英語)の超克は、近代(英語)を拒絶するのではなく徹底的に近代化(英語習得)することによってのみ可能でしょう。いわば、近代と伝統、英語と日本語のバイリンガルになることによってのみ本当の超克は可能なのだと思います。だから、英語早期教育、エリート教育は必須だと考えます。(英語(語学)は器楽やスポーツと同じで早期に始めないと労苦多くして効果が少ない。)ただし義務教育ではなく適性、意欲のある者に門戸を開いておく選択性でなければいけません。前にも書きましたが英語日本語バイリンガルは日本の指導者層を中心に何万人かいればいいでしょう。しかしそれを育成するのに金と時間を惜しむべきではありません。一国の命運がかかっているからです。私はそう思います。
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2013年7月3日 1:11 PM
一応日本を代表するエリートが「全く英語を喋れない」現実を見るとエリートは下には「努力、努力」と言いながら、自分は結構サボってるんだなあとつくづく思います。(苦笑海外に行ってるスポーツ選手なんて、普通に喋れる人が多いですよね?一日一時間の英語の勉強と、週一回以上の外国人教師とのレッスンを十年以上積み重ねれば、日本に居ても日常会話程度は喋れるようになると思うんですが、何でその程度の努力も出来ないんでしょう?(下には煩いくせに。苦笑)社会人になってから、ロクに英語の勉強もしてないのに、「日本の英語教育がどうたらこうたら」「英語教育よりも国語教育がどうたらこうたら」って、せめて偉そうな説教は、自分が努力してから言ってくださいよ。(笑何の努力もしない底辺が「社会が悪い」って、人のせいにする構造とそっくりだと思いませんか?(苦笑
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2013年7月5日 8:35 AM
おっしゃることはごもっともだと思います。もう一歩進んで、そんなこんなを分かった上で、英語ができたらいいんじゃないですかね。私は外資系に勤めてた後、アメリカで転職をしました。アメリカの300名たらずの中小企業ですが、庭訓的な日本人に比べると仕事の質は雲泥の差です。エクセルでピボットができるくらいでヒーローになれます。英語が必要十分ではないけれど、仕事の質が高い日本人と、英語は不自由しないが仕事の質が低い外国人が仕事をするのですから、自分の仕事の効率を考えて、やっぱり”そんなこんな”を理解したうえで英語はできるにこしたことはないんじゃないかな。
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2013年7月5日 10:50 AM
今回もとても納得です!英語の前に日本語の教育が大事ですよね。国民みんなが理解でき、議論できる母国語を疎かにするなんて、まさに亡国への第一歩なんじゃないかと思います…。
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2013年7月6日 10:58 PM
施さんの記事にはいつも同意です。教育再生の政策としてトップに来るのが英語教育の推進なんて日本人として悲しすぎます。なんだか日本政府まで最近は外資系になったんだなあとつくづく感じます。
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2013年7月7日 10:50 AM
英語英語と政府がわめくのに漠然とした反感を感じておりましたが、明確に提示いただいた5つの論点に全くもって大賛成です。英語を学ぶには金がかかるし時間が必要。それでなくても格差が広がりつつある日本において、英語中心主義は益々様々な格差を広げることになるのでしょう。私は「優秀な人材」は多くの国民の中からある意味偶然的に出現してくるものと信じております。決して一握りのエリートによる純血主義が多くの優秀な人材をより生み出すとは思えません。より素晴らしい知恵は多くの人の議論から生まれるものと思います。より多くの人の議論は日本語でなければできないでしょう!
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2013年7月8日 6:13 PM
思うに、グローバル英語などというものは細かな文化的特色を削りに削ったエスペラントのような共通語なのでしょうから、日本の技術を結集してグローバリッシュ程度なら全く問題なく日本語に翻訳できるポータブル翻訳機を作ってしまえばいいのだと思います。バカでも使える単純言語なら機械化できない道理はないでしょうし。単にビジネス上の文言に過ぎないのならかつてのラテン語のように徹底的に形式化してしまえばいいんです。それこそ単なるコンピューターでも扱えるぐらいに
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2020年9月18日 9:54 PM
日本語版のURL先に飛んでみたのですが、
>法律やビジネスの勉強の代わりに『クレーヴの奥方』を読まされる学生を哀れんでみせる。
わたしには↑の部分、「『源氏物語』や『こゝろ』を読まされる哀れな学生」を思い起こしました
こんなん勉強して何になるんだよ、受験でねーよって周りの同級生はほとんど言ってますから笑
わたしも物理とかに対してやだー!と思っているので、気持ちは分かりますが、ただそれが日本を貶めはしていないかが心配です﹙;´Д`)
考えすぎですかね………?
>ついでに、彼らも、英語が下手になるでしょう。そうなれば、日本人の英語下手が目立たなくなり、日本人もハッピーです。
↑最高ですね(◍´ꇴ`◍)
確かに、みんなで下手になればなんも怖くはないし、みんな無理しなくていいからハッピーになれますよね!
ただ、わたしはグローバル化推進の英語教育には反対ですが、”純粋に”学校で英語を教えることに関してはやった方がいいかなって思います
日本語の文法的特徴を見つめ直せますし、なにより向こうの価値観・文化を知れます
それに真実第二言語では英語は世界一なのですから、もし世界のどっかで迷子になっても(←どういう状況?笑) 少しはなんとかなるんじゃないかなと思いますので
しかし、現状の英語教育には疑問を挟まざるを得ません
これは学校にも依るのでしょうが、”英語”という言語を”世界の文化”だと捉えて、もとのイギリスだったりアメリカだったりの言語の文化的背景を教えてはくれません
高校の授業では、コミュニケーション英語、英語表現の2つに分かれていて、そのうちコミュ英(コミュニケーション英語)の教科が読解を担当するのですが、大抵”世界”や”グローバル”、又は国際的な場でのスピーチについてです
あたかも、”英語=世界”と押し付けて、英語が嫌いな奴は、世界に出ていけない協調性のない奴だ、と言われている気分になります
世界には英語以外にももっと色々な言語があるのに、です
“世界”のことを教えたいのだったら、他国の様々な言葉や文化のさわりだけでも教えるべきだと思うのですが………
なぜ、こうも”英語だけ”を猛プッシュするのか意味不明です
しかも、このコミュ英、ほぼほぼ世界に関する問題の説明文ばかりで、生粋の物語文が全然出てきません(๑¯ ³¯๑)Booo
もちろん、英語話者が書いたりした物語文は難しく、高校生の教科書に載せるのはどうなのかという配慮から出された?のだったら理解はできますが、それならどうして大学入試にもっと高度な英文を載せるのでしょうか?
“物語”というものは、その地域に根差して、その文化的背景を少なからず抱えているものだし、自然な言葉も知れます
何よりも、外国の人はこんな考えなんだなと面白可笑しく感じられるし、外国の本も買ってみようかなという足掛かりにもなります
ですが、現状の英語教育では物語文は教えられないし、それなのに教師は英語の本を読め読め言うので、仕方なく手にとるのですが、それはもれなく市販で入手できる”物語”という本になるので、教えられていないわたしにはあまり理解できずに、捨て置いてしまいます………
これを読破できるのは、天才か、金持ちか、真面目か、英語好きかしかいないと思われます
すみません、駄文だらだらですね(。-人-。)
まとめますと………
英語教育は、”英語=世界”の価値観を教え込むのはやめて、それでもグローバル教育をしたいのなら世界各国の言語も紹介しなければならないし、英語も説明文だけではなくて物語文も教えろ!٩(๑`н´๑)۶ ということです
長文失礼しました٩(๑٥ᴗ٥๑)”
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