From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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6月23日(木)にイギリスで行われたEU離脱を問う国民投票。
大多数の予測を覆し、離脱賛成派が51.9%、反対派が48.1%と離脱派が上回った。
多くのマスコミはイギリスのEU離脱の判断を
「愚かな衆愚政治」「イギリス人はこの選択を後悔することになる」などと批判した。
しかし、三橋貴明は「そうではない」と断言する。
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「外国人参政権という争点」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
おっはようございまーす(^_^)/
先週の土曜日、三橋経済塾で講演させていただきました。大まかな内容は、三橋さんが7月17日付のブログで紹介してくださっています。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12181393862.html
その講演のなかで、私は、「リベラル・ナショナリズム」という近年の英語圏の政治理論の一潮流を引きながら、民主主義の政治が行われるためには、国民の連帯意識が必要だという話をしました。
民主主義は、「妥協・調整の政治」という側面があります。さまざまな利害や考え方をもつ人々が集まり、互いの意見に耳を傾け、話し合いながら、皆がほぼ納得できる落としどころを探っていこうとします。
このとき、人々の間に、強い連帯意識(仲間意識)や相互信頼感がなければなりません。そうでないと、互いに相手に耳を傾けたり、必要とあれば自分たちの考えを改めたりといった行為が行われなくなってしまいます。民主主義の政治とは、利害や政治的信条を異にする人々が、それでもなおバラバラにならずに協力しながら半永久的に一緒にやっていこうという考えることのできる強い連帯意識があるところでないと成立しないのです。
「リベラル・ナショナリズム」の論者は、現代では、利害や見解を異にする人々をまとめられる強い連帯意識とは、「同じ○○人だから」という意識、つまりナショナルな意識(国民意識)しかあり得ないと主張します。私もそう思います。
逆に言えば、こうした国民の連帯意識がないところでは、民主主義の政治は難しいのです。連帯意識がないと見解の相違が、そのまま人々を分断してしまい、国が分裂してしまいます。例えば、中国が民主化できない理由の一つは、国民の連帯意識が希薄だからです。
中国が民主化されれば、間違いなく、即座にチベットやウィグルなどでは分離独立運動が展開されるはずです。ひょっとしたら、「漢民族」だと思われている地域同士でも分離独立の動きがでてくるかもしれません。中国政府が民主化を嫌うのは、そのように国家が分裂するのを防ぐためというのが一つの理由でしょう。分裂するのが嫌なので、民主化を押しとどめているのです。
「民主主義にはナショナルな連帯意識や相互信頼感が必要だ」という主張は、外国人地方参政権の問題ともかかわってきます。
東京都知事選では、外国人地方参政権の是非が争点の一つに上がっているようですね。
2009年の秋に民主党政権ができてしばらくの間、外国人地方参政権の是非は活発に議論されていました。民主党は、以前から賛成の立場でしたし、加えて、選挙の際に民団からかなり応援してもらったようで、地方参政権の付与の道筋をつけることに熱心でした。
私は強い反対論者ですので、かなり危機感を持っていました。ただ、当時は、今のように、このメルマガにも書いておりませんでしたし、新聞の連載コラムのようなものも持っておりませんでした。反対論を訴えたかったのですが、意見を言える場がなかったのです。
それで、産経新聞の「アピール」という専門家向けの投書欄に投稿し、掲載してもらいました。
ネット上には出ませんでしたので、目にした方はあまりいなかったのではないかと思います。恐縮ですが、ここに再掲します。
*****
施 光恒「『外国人参政権』は民主的審議を阻害」(『産経新聞』2010年1月26日付〈アピール〉欄)
外国人地方参政権の付与は民主主義を機能不全に陥れる恐れがある。
民主的審議では、当事者間での「公共の利益」の共有が大前提である。「公共」は当事者共通という意味。「公共の利益」が具体的に何を指すかについては見解の相違があってもよい。むしろ見解の相違があるからこそ人々は他者の見解に耳を傾け話し合う。だが「公共の利益」の共有自体は不可欠である。
「公共の利益」の共有が失われれば、通常の意味での民主的審議は不可能である。単なる交渉や駆け引き、取引にしかならない。国際会議では大多数がこの類だが、国際会議の場合はそれでもよい。話がまとまらなければ、審議の延期や中断、審議の枠組みの再編成などを行えばよいからである。だが国内政治では異なる。審議の延期や中断が頻繁に生じれば民主主義は機能不全に陥る。
外国人参政権が認められれば「公共の利益」の共有という条件が失われる。地方レベルで、同じ地域の住人として「公共の利益」について話し合うのだからいいではないかという反論もありえよう。しかし地方と国とは密接不可分である。
例えば、沖縄の基地問題では、現行では住民は、地域の利益と同時に、日本の安全保障上の利益も考慮に入れて話し合う。だが、もしこれが、一方は「地域の利益+日本の利益」、他方は「地域の利益+他国の利益」を念頭に置き審議に臨むという構図になってしまえばどうか。互いに他者の見解に耳をかたむけなくなり、民主的審議は失われ、駆け引きや取引の類になってしまう。審議の中断や延期が頻繁に生じ、民主主義の機能不全、ひいては停止につながる恐れがある。
民主的審議を重視する観点に立てば、外国人地方参政権の付与は避けるべきである。国籍の共有、つまり政治的な利益や運命をともにするという意識と覚悟の共有こそ参政権付与の必須条件である。
*****
この記事のなかでは、「連帯意識」という言葉は使っていませんが、言いたかったことは、さきほど述べた「民主主義には連帯意識や相互信頼感が必要だ」ということと同じです。
「我々は、現時点での解釈は異なっているとしても、同じ「公共の利益」(国レベルであれば「国益」)の実現を目指している点では一緒だ」とお互いに考え、信頼し合える場でないと、民主主義の政治は、うまく行かなくなってしまいます。
外国人地方参政権の導入は、記事で書きましたように、民主主義のこのような前提を壊してしまう恐れが大きいのです。
ところで、私の投稿が出る少し前に、やはり産経新聞の〈アピール〉欄に、外国人地方参政権反対の投稿が掲載されたことがあります。
鄭 大均(てい・たいきん)氏(首都大学東京・教授)の投稿です。鄭氏は、元・在日韓国人で、現在では日本国籍を取得した韓国系日本人です。『在日韓国人の終焉』(文春新書、2001年)、『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)など、日韓関係に関する著作が多数ある方です。
鄭氏は、外国人参政権に反対する理由として、一つは、在日コリアンのアイデンティティの観点からの議論、もう一つは、日本の安全保障の観点からの議論を提示しています。
*****
「外国人参政権に2点で反対」(2009年10月6日付 産経新聞〈アピール〉欄)
永住外国人への地方参政権(外国人参政権)付与に反対する理由を2点記しておきたい。
第一に在日コリアン自身にとって好ましいものではない。永住権をもつ在日コリアンの多くは日本生まれの世代だが、彼らは韓国・朝鮮籍を持ちながら本国への帰属意識にも、外国人意識にも欠けており、参政権付与は彼らの不透明性を永続化させるだけだろう。
在日の多くはこれからも日本に住み続ける、そのためには日本国籍が必要なのを知っている。日本国籍を取得するコリア系日本人が、年間一万人近くも誕生していることはもっと知られていい事実だ。民団(在日本大韓民国民団)の参政権運動は在日の意思を代弁したものではない。
反対理由の第二は日本の政治に対する外国政府からの干渉を高めるからだ。2008年末の統計では、主に在日コリアンからなる特別永住者が42万人で、一般永住者は49万人。南米や中国出身者が多いが今後、増大するのは中国人だろう。もし参政権法案が実現したら何が起きるか――。永住資格が居心地がいいので、その子供も中国籍を維持するに違いない。彼らに北京政府が無関心でいられるだろうか。ソウル政府がそうであるように、彼らも政治的に利用しようとする可能性が高い。
もうひとつ。今回の衆院選に民団が組織をあげて参加したことは興味深い。主要政党の候補者を招いて意見を交換し、参政権付与に否定的な候補者には翻意を促したという。民団がいずれは日本の国政選挙権を要求するだろうことは予測できたが、それにしても大胆な行為だ。
韓国では今年2月に公選法が改正され2012年以降、韓国籍を持つ在日は韓国の国政選挙に参加できることになった。韓国の大統領選や総選挙に投票できるようになったのだ。本国での選挙権に加え、日本での参政権が実現したら、これは特権というものだろう。
*****
鄭氏のこの記事が書かれたのは2009年ですからもう7年前です。鄭氏の指摘通り、特別永住者の在日コリアンは、2008年末は約42万人でしたが、毎年減り、現在(2015年末)は約34万人です。
一方、一般永住者は、2008年末は全体で約49万人、そのうち中国人永住者は約14万人、南米出身者も約14万人でした。その後、2015年末の統計では、一般永住者は全体で約70万人、そのうち中国人永住者は約22万5千人と大幅に増えました。(南米出身者は微増にとどまり約15万人です)。
鄭氏が予測したように、外国人地方参政権の問題は、在日コリアンの問題から、徐々に、主に中国人からなる一般永住者の問題へと比重が移っています。
安倍政権は、一般永住者を今後、どんどん増やす方針です。今年4月の産業競争力会議では、安倍首相自身が、主に専門的能力や技術をもった外国人を念頭に置いてですが「永住権取得までの在留期間を世界最短とする」と断言しています。
「高度人材」の永住権申請条件は、通常、日本在留期間が原則10年であるところを、特例で現在、5年に短縮されています。それをさらに3年未満にまでしようというのです。
単純労働者に関しても、自民党内では受け入れ容認の方向に舵を切っています。今年5月に自民党の政務調査会、および労働力確保に関する特命委員会が「『共生の時代』に向けた外国人労働者受け入れの基本的考え方」という報告書を提出しました。
このなかで、今後の議論では、「単純労働者」という区分自体を見直し、この区分で論じられてきた人々の受け入れを「介護」「農業」「旅館業」などニーズがある分野を個別に論じていくという大まかな方針が示されています。「我が国の活力を維持するために」「外国人に今以上に活躍していただくことが必要」だからだそうです。
これは「高度人材と単純労働者の境目をなくす、つまり単純労働者の受け入れを解禁しようとしている」と解釈できるでしょう(出井康博「永住権『世界最短付与』という日本の政策がおかしい」『週刊新潮』2016年7月21日号)。
だとすれば、これまで「単純労働者」とされてきた者からも容易に永住権を得る者が増えてくるのではないでしょうか。
あまり表だって議論されないうちに、日本は、どんどん移民国家へと舵をきっているのが実情です。
こういう状態で、外国人地方参政権付与を認めれば、どうなるでしょうか。
やはり中国出身者がますます永住権をとるようになるでしょうから、鄭大均氏の7年前の懸念が実現してしまう方向に進んでいるといえそうです。
たとえ現在は、中国政府はそのように考えないとしても、何らかの形で日中関係が悪くなった時に、一つの圧力として、投票権をもった在日中国人を中国政府の指示で動員するということはありそうです。(チベット問題で揺れた北京オリンピック前の2008年4月、長野での聖火リレーの際に、チベット支援の人々に圧力をかけるため、多くの中国人留学生が事実上、動員されたことが思い出されます)。
安全保障に関する外交カードをみすみす渡すことはありません。
小池百合子氏は、テレビ番組に出演した際にその危険性を指摘していましたが、東京には離島や小さな自治体が結構あります。選挙権を得た中国などの外国人が意図的に移住して、小さな自治体の政治を牛耳ってしまうということはそれほど難しくありません。
例えば、青ヶ島村は、同村のHPによると人口165人で、村議会の議員定数は6人です。2013年9月の選挙では、有権者は138名で6番目の当選者の得票数はわずか13票です。村長選挙でも、得票数64で当選しています。悪意ある外国人が村の政治を乗っ取ることは、その気になればさほど困難ではありません。
以上のように、外国人地方参政権は、民主主義の機能不全を引き起こす恐れがあるという点からも、鄭大均氏が指摘するように在日コリアンのアイデンティティを曖昧なままにしてしまうという点からも、また、当然ながら日本の安全保障の観点からも、認めるべきではありません。個人的には、都知事選の争点以前の当たり前の問題だと思います。
長々と失礼しますた…
<(_ _)>
—発行者より—
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6月23日(木)にイギリスで行われたEU離脱を問う国民投票。
大多数の予測を覆し、離脱賛成派が51.9%、反対派が48.1%と離脱派が上回った。
多くのマスコミはイギリスのEU離脱の判断を
「愚かな衆愚政治」「イギリス人はこの選択を後悔することになる」などと批判した。
しかし、三橋貴明は「そうではない」と断言する。
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「イギリス激震〜英国の没落から日本が学ぶべきこと」
http://www.keieikagakupub.com/lp/mitsuhashi/38NEWS_1980_mag.php
【施 光恒】外国人参政権という争点への3件のコメント
2016年7月23日 8:02 AM
だから公共である法の支配と憲法があって、社会契約という通過儀礼があるのでしょう。ここを個人個人が乗り越えてないと自由自治など始まりはしない。自ずと憲法改正で行うべき事が見えて来るでしょう。衆参で3分の2を取り改正すればいいってもんじゃない。それは誠に浅はかだ。もし根幹の憲法の改正に対してそういう発想で、それが現職政治家なら即刻バッジを置くべきだ。やはり政治家はそういう実務感覚が無いと駄目だ。社会契約が成立するかの確認、醸成作業なんだからね。憲法改正ってのはね。改正するまでの中身がとことん大事。だからナチスドイツはああなった。そこで誰と契約するかが大事だ。只、多数決で封建体制を市民革命で打倒すれば、現体制を打倒して、皆が投票所にいけばなんとかなるみたいな革命信仰の問題点はここにある。ルソーに言わせれば一般意思と全体意思は異なる物。このどちらと契約するのか?神と悪魔とどちらと契約するのか?この公共を単純にナショナルで分ける事は出来はしない。日本にも市民として成立してない絶対的な王様気取りのファシストはいくらでもいるからだ。私はいわゆる自称保守の面をしたファシストととは違い憲法の前文はくどくてベーシックだがそれほどおかしいと思っていない。道徳法則は相互性があり普遍で有ると言うのは法の支配であり、平和を愛する諸国民とは全ての人や国をさしている訳ではないだろう。平和を愛する諸国民の前提は法の支配の下にある諸国民と言う事だ。解釈者がお花畑なだけというか、そもそも解釈者が法の支配を理解せず、自分がその下にあるかどうかわかってないファシストだとそうなる。愚かな人ほど自分を平和を愛する諸国民にしたがり正義面したがるものだ。力で己の意志をおしつけるファシストのお前が平和を愛している訳がないだろうと。事実とは何かと言う事だ。そもそも無知な我々に真の事実など解る訳もない。現象の結果はあっても、それを絶対的に説明できる論文など存在しない。もし、あらば、それは聖典といわれそれを信ずるものは宗教者となる。科学は否定できるから科学なのだ。我々が事実としているものの正体はお互いが合意でき協調してし組織を形成できうる価値観にすぎない。その代表は言うまでなく法である。誰も真にリンゴが木から落ちているかどうか本当かどうかわからない。合意があるからそれは事実と言うだけだ。その事実を力で誰かに押し付けるか、話し合いで定めるかだ。前者の場合、必ずしも事実を定め、押し付ける側に君が成れるとは限らない。皆が支配者にはなれない。だけどおかしな事に知性の無い支配者になれそうもない者ほど力に惹かれるから世は困るし矛盾している。法よりも力に頼る物は法たるペンの前に屈する。聖書のゴリアテのようにね。神様はその辺とても、この世界をうまくこさえている。そもそも歴史を振り返れば日本というナショナルは明治維新までは成立せず、古代の統一日本と言うグローバル実験は瓦解した。中世にも後醍醐天皇が挑もうとしたが駄目だった。江戸期に比べれれば今はグローバルだ。何時までもつか今回もわからない。EUもUKも他人事ではない。私は常々言ってるのだが真のグローバリストとはナショナリストと同等だと、真のナショナリストは今できる可能なグローバルをやっているだけだ。人が無理に建てた神の摂理に反するバベルの塔は成立しないと聖書にも書いてある。ナショナルを軽視するグローバリストと一般に言われる連中の正体がわかるだろう。彼らが誰と契約したのか?どうして、思考を突き詰めれば数多ある固有の文化の本質はエクソシズムと同等と言えるのかがここにある。我々は敵の本質を理解せねばならない。国だろうと企業だろうと町内会だろうとあるいは家族でさえ、その組織の公共の成り立ってない敵は内にも外にもいるし、逆に味方も内にも外にもいる。ナショナルを単純に国境の枠と考えない事だ。最大限、広義で言えば法の支配の下にあれば価値観が近ければ皆、その連中は最大のグローバルとして成立するナショナルとも言えるのだ。このナショナルの本質を捉えれる者が戦いを制する大きな組織を形成できる。形に捕らわれては戦を制する事はできないのだ。兵法が何故、水を至上とするのかを深く理解する事が大事だ。グローバリゼーションの弱点がここにある。無敵な物は無く、必ず脆弱点がある。水のようにグローバリゼーションを利用し、その奥に深く染み込んでいくことが大事だ。これは形と実情の戦いなのだ。中国人にもある意味で日本人と言える人はいるし、日本人にも中国人と言える人はいる。その人がどの様な価値観で有るかがまず大事だ。まともな頭の回るのは大企業の経営者だってガキ大将だってマネージャーは本当はなるべく専制は避けたい物だ。少人数であってもきめの細かい対応はつかれるし、長続きもしない。おのずとメンバーを画一的に見てしまう。実務を知る者から居合わせれば講義を聞くと眉をしかめるしかない、できそこないで未熟な学問の経済学のようにね。それではダイバーシティというか多様な個々の力を引き出すマネジメントは出来ない。だから、まあ分権し、仕事を任せ自治=民営化するのだ。そして常にリーダーは全体の情報収集に努め、緊急時、国で言えば災害や戦時だな。現場のリソースだけでは対応不能な、その時にだけ陣頭指揮を取る。が現実はそうはいかない。釣魚大全ではないが、頭の中で釣りをするのと現実は違う。そうは魚はかからない。まず、任せる相手が経営を理解し自治が出来ると言う前提が無いとうまくいかない。そいつに組織という公共が無いとうまくいかない。だからそういう組織は皆が好むと好まざるにかかわらず民主化しても、或はしようとしても、うまくいかず専制体制にならざるを得ない。画一的に管理されるのはつまらないが、自治が出来ないから究極の選択で妥協して受け入れるしかない。社会主義の正体がわかるだろう。ある意味で専制な社会主義は一番多数意志が純粋に反映されて民主的と言えるかもしれない。中国や北朝鮮程、民主的な国はないし、供に人民共和国というのは誠に言い得て絶妙だという事。ブラック企業の存在を許しているのは誰だろうと言う事だね。ともかく形で考えず如何に価値観を近くする実の組織を作りあげ、それを分業し、自治させ目的に向かって洗練し鍛え上げていくかだね。中々、難しい永遠の命題ですよ。これはね。本当に書いててつまらん話だ。自分でそう思う。でも、よりできればリーダーは楽できる。でもつまらんから、だからここでやめにしよう。ありがっとさ〜ん!阿保の坂田ぐらい必修だから抑えておくように。あほというか師匠は深いからね。あほでないと現実は受け入れられず頭の地獄になるのだよ。知恵の悲しみと言うのは良くない物だね。気を付けようね皆さん。怖い事言うけどこれを私に書かせてるのは誰なんだろうね。最近、自分の思考からでる文章が自分の物とは思えないんだね。夏だし涼しくなりましたかね。怪談ですね。ではさようなら。ばいばいきん。
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2016年7月25日 1:48 AM
便衣兵 ♪支那から おいでになられる労働者諸君が、、思想的に 無色透明で人畜無害な 紳士淑女諸君 なんて夢のようなこと 想像したこともありません。。。一言で申せば 私服の支那兵あの 支那の共産党が 日本に送り出す人民どのような 類いかは幼稚園児でも 理解可能かと支那の兵隊さんに 日本国の参政権ですか、、、目眩を覚えます寝言は 寝てから夢を見るなら 永遠の眠りの後に していただきたいもので ござる ♪
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2016年7月25日 11:30 PM
施先生の稀有なご活躍を熱く熱く応援しております。外国人というのは、自身の存立にかかわる主権を日本以外の国に根差す人、ということでしょうから、日本においての「公共」を共有できない。まずこれをどう認識するかでスタンスがかわるのかもしれませんですね。つまり「民主主義とは」「国とは」「ウチとソトという線引きとは」「自分がなにによって成り立っているのか」を一度も立ち止まって考えることなく、なんとなくぱっと素敵に見える万能フレーズをうけいれ、長い人生で安住してまい、そしてその安住が思考の道具の根幹になっている場合は、もはや宗教的がんじがらめな御仁に出来上がっているのではないか。そんなかれらに、いまさらでも、どう「気づき」を与えるメッセージを作るべきなのだろうか。理を説くにも、よほどハードルを下げなければ、話しかけもできないのではないか。ふとそんなことを考えました。蛇とマングースは「共生社会」を作りません。殺しあわないよう、距離を置く、線を引くのが人類の知恵だと理解しております。すべての人類を愛せよ、なんてむりで、だって浅○彰晃も人類ですよ。左翼の嫌いなヒトラーも愛しむべき人類の大事な大切なひとりですよ。ポルポトや毛沢東やスターリンはすでに愛してるのかもしれませんが。かっこいい理想を語る人ほど、現実感がない。それは誰かに、なにかに守られていることに気づかない、自立も自律もしてない若者の夢想だからです。なにかをする、だれかを助ける、それをやってるひとの姿が見えないのは実に悲しいとは思いませんか。自分はそう語りかけたいと思いました。
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