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2025年4月26日

【藤井聡】小泉八雲『日本の面影』の読書ゼミを本日開催.かつての日本の美しさをあらためて振り返りたいと思います. 

表現者クライテリオンでは毎月一冊ずつ,古典的名著を紹介する読書ゼミを開催しています.今日午後6時半からの読書ゼミは,当方が担当し,小泉八雲『日本の面影』を紹介為ます.

かつての日本の美しさをあらためて振り返りたいと思います.

下記は,そのゼミのメモ.この「日本の面影」の断面だけでも,ご鑑賞ください.

(読書ゼミのご購読はコチラから→https://in.24criterion.jp/24bc_teika

 

『日本の面影』 小泉八雲・ラフカディオハーン

・1894年・明治27年出版

・ラフカディオハーン(小泉 八雲 1850~1904年 享年54才)

 -アイルランド系・ギリシャ生まれ

 -新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者

 -『日本の面影』はGlimpses of Unfamiliar Japan(知られざる日本の面影)の翻訳版

 -『心』『骨董』『怪談』と並ぶ八雲の代表作

 -出雲地方と松江でのエピソードを中心に

 - 1896年(明治29年)に日本国籍を取得し「小泉八雲」を名乗る

 - 母ギリシャ人 父アイルランド人(祖父はイングランド)(アラブ人の血も)

 -ギリシャ生まれ (幼少期ダブリン・アイルランドでも過ごす)

  → フランス・イギリスで教育

  → 19才で渡米ジャーナリスになる

  → 40才で来日し,松江・熊本・神戸・東京に居住し,英語教師&文筆家に.

 (東京帝国大学英文学講師)

    欧米に日本文化を紹介する著書多数執筆.

    41才で小泉節子と結婚,4人の子をもうける.没年54才

 -「日本の面影」は「知られざる日本の面影」(700ページの大部)からの選集.

 -八雲自身、家族や友人に「自分には半分東洋人の血が流れているから、日本の文化、芸術、伝統、風俗習慣などに接してもこれを肌で感じ取ることができる」と自慢していたという。そして,いかなる土地にあっても人間は根底において同一であることを疑わなかったという.

たかだか四年余り日本人に交じって暮らしただけでは、たとえ、その社会の習俗を取り入れようと努力したにせよ、しょせんは外国人の限界は免れないであろう。かくも不思議なこの国に精通するには、四年くらいではとても及ばない.

本文で触れているような、日本の民間信仰、とりわけ仏教から派生した考え方や、珍しい迷信などは、新しい日本の知識階級にはほとんど受け入れられていない。今日の西洋化した日本人は、抽象的な一般概念や、哲学的な思考には無関心であるという特徴は抜きにしても、知性の面では、教養あるパリやボストンの人々とほとんど対等といえる。しかし,超自然的なものについてははなから過度に侮辱する嫌いが(ある)。

それというのも…知識階層がいまだに訳もなく自分たちの古い信仰を恥じているせいでもある。…知性ある日本は、このたった二、三十年の間に不可知論を唱えるようになった。このように精神的な変革が急激に行われたことが、今の上流階級の仏教に対する態度の(主要な原因ではないか)。彼らの態度は殆ど狭量に近い。

どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在する―喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。

…(その中で生活できたなら)いつしか、傲慢な西洋文明の進歩がこのような方向性でいいものか、疑わずにはいられなくなるであろう。年月を重ねるにつれ、日に日に日本人の生活の中から、珍しい予想もしなかった美しさが現れてくるであろう。

もちろん、どんな生活にも暗い面はある。それでも、西洋のそれに比べれば、明るいものだ。日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。

もっとも大衆に馴染んだ名神とは、希望や恐怖や善悪の体験、いうなら霊界の謎を解こうとする素朴な努力の、紙に書かれていない文学の断片として、珍重すべき価値があるのである。日本人の屈託のない親しみやすい迷信が、どれだけ日本人の生活に妙味を添えているかは、その中にどっぷりとつかって生活してみれば、実によく理解できることであろう。

(日本の迷信の多くは)その発想の美しさで、今日の著名な詩人がいまだに想像力の源泉としている、ギリシャ神話に匹敵する程である。

では、迷信の中には、不幸な人への親切や、動物愛などをすすめるものも多くあり、それらは、喜ばしい道徳観を生み出している。家で飼われる動物は、人なつこいし、野生動物は、人前でもあまり動じない。汽船が入港するたびに食べ物の屑を恵んでもらえると期待し、白い雲のように集まってくる鷗の群れ。参拝者がばらまいた米粒を拾いに、寺の軒から羽をはばたかせて舞い降りてくる鳩。古風な公園に飼われている人慣れした鸛。お菓子や人間になでられるのを待っている神社の鹿。人影が水に映ると、聖なる蓮池から頭を突き出す魚。これらを始めとする数多くの美しい光景は、すべて迷信といわれている想念から生まれ出てくるものであり、その想念が「万物は一なり」という崇高な真理を、きわめて単純な形で繰り返し説いてきた賜物なのである。

「迷信は…希望にも訴えかけるものがある。往々にして、心の奥底の欲求に合致しそれを満足させることもある。理性が可能性や蓋然性を判断する上で、迷信がかえってその真偽に太鼓判を押してくれる存在であったり、想像力の湧き出る泉であったりもする。ときにはそれが道徳的真理に新しい判断を下すときもある。また、迷信のみが満たすことのできる欲求、迷信のみがなだめうる恐怖を生み出すことで、迷信が人間の幸福になくてはならないものになることも多い。元気をなくしたとか、困難に陥ったとか、人が一番慰められたいときに、迷信はその持ち前の力を最大限に発揮する。  人間は、知識よりも幻想に頼る存在なのだ。思索する上で、たいがい批判的で破壊的な理性よりも、全体的にみて建設的な想像力の方が、われわれの幸福に貢献するのではないだろうか。

 本当に困ったときには、気取った哲学理論よりも、粗野な人でも、危険時や困窮時に思わず胸に握りしめる粗末なお守りや、貧しい人の家にもご加護を注ぎ、守ってくれると信じられている御神像の絵の方が、実際に心を癒してくれるものである。批評精神が広まれば、楽しげな信仰がすべて残り、苦痛を強いる信仰はことごとく消え失せる、と思いこむのは浅はかな考えである」

…まことに残念なことに、近代日本の批評精神は、日本人の素朴で幸せな信仰を破壊し、それに代えて、西洋の知性ではもうとっくに廃れてしまった、あの残酷な迷信──宥さぬ神と、永遠の地獄とを心に抱かせようとする迷信──を広めようとする諸外国の執拗な試みに、対抗するどころか、間接的に加担している。

ケンペルは、日本人のことをこう書き記している。「美徳の実践、汚れなき生活、信仰の儀礼において、日本人はキリスト教徒をはるかに凌いでいる」

ば、この言葉は、今でも日本人に当てはまるといえる。日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。

町並みの美しさのほとんどは、白、黒、青、金色のおびただしい漢字とかな(=表意文字)の賜ではなかろうか…日本語の中にアルファベットを導入しようというあの忌まわしい日本ローマ字会という功利主義団体を許せなくなるであろう。

日本人にとって文字とは生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。

もともと芸術家とは、みな霊的なものに導かれた職人なのだ

…犠牲的な過去は既に本人の中に潜んでいるものであり、技芸はすでに受け継がれている…何世代もの有能な職人たちから受け継がれた熟練が、今ここにひとりの芸術家の傑作の中へと蘇るのである。最初のうち意識いていた努力は数世紀後には無意識となり、現存の作家にはほとんど反射的といえるような直観の芸術となるのだ。

寺ではきまって,参拝客にお茶がもてなされる.

少女の尾両脇に立つ恐ろしい形相の仁王像と妙に対象をなし…

その二体の怪物に対して反感を覚えている自分にそれでいいのかという疑念が頭をよぎり始めた

「こんな穏やかで優しい顔を私はこれまで見たことがない」(田舎の話しかけてくる老人に対しての感想)「その顔は彼らの魂の反映であるのだ.私はこれまで怒鳴り声をひとつも耳にしたことがないし,不親切な行為をめにしたこともない」

「ここの村の人達も実に親切にしてくれた.これおどの親切や好意は想像もできないし,言葉にもできないほどである.それは他の国ではまず味わえないだろうし,日本国内でもお口でしか味わえないものである.彼らの礼儀正しさはけっしてわざとらしいものでない.彼らの善意は全く意識したものではない.心から素直にあふれ出てきたものなのである」

「盆踊り」を見ていたく感動した著者が,西洋の音楽ならばその感動を言語化出来るが,盆踊りの音楽だけは不可能だと言及.その上で

「そもそも人間の感情とは一体何であろうか…よくわからないがそれが私の人生よりもずっと古い何かであることは感じる.感情とはどこかの場所や時を特定するものではなく,この宇宙の太陽の下で生きとし生きるもの万物のよろこびや悲しみに狂信するものではないだろうか…あの歌は自然界のもっとも古い歌と無理なく調和している」

多くの人々が朝,太陽に柏手を四つうっていた.お日様,つまり光のめがみであられる天照大神を拝んでいるのである…日本最古の杵築大社(出雲大社)に柏手を打つ人,八百万の神の名を唱えながらあらゆる邦楽に頭を下げる人も少なくない…あわせて薬師如来に手を合わせるヒトも居る

(何度立てても流れる橋をまもるために…)村人は,荒れ狂う洪水の霊を鎮めようと,人柱を立てた.その結果,300年間橋はびくりともしなかった.

人柱となった(生きたまま埋められた)のは,源助という男だった.橋の真ん中の橋脚は,源助橋と呼ばれた.月のない夜には火の玉が着くといわれている.

かねてより,マチのついていない袴をはいて橋を渡った最初の男が人柱に選ばれる.

松江の中心地には,劇場から相撲場までほとんどの娯楽の場所が集まっていた.

天神町と並行して寺町がある.寺町では日蓮宗,真言宗,禅宗,天台宗,真宗でさえも隣り合わせに仲良く共存している.(出雲では真宗は神道を禁じているために人気がない)

盆踊りや公の演説が催されるのは寺の境内.境内には大木があり,人なつっこい鯉がいて,蓮の花がさいている.小学生の生徒がこうかいている

「蓮は最も汚い泥の中で育つのに,その花は純粋で汚れがありません.だから誘惑の中にあっても純真な心を保ち続ける人の魂の事を,蓮の花に喩えるのです.蓮の花が寺の武具に刻まれたり,描かれたりするのもそのためです」

この国の人はいつの時代も面白い者を作ったり,探したりして過ごしてきた.ものを見て心を楽しませることは,赤ん坊が好奇心に道が目を見開いて生まれたときから,日本人の人生の目的であるようだ.…その顔は,なにか面白いものを待ち受けている雰囲気が顔からにじみでている.もし面白いものが現れてこないなら,それを見つける度に,自分のほうからでかけてゆくのである.日本人は驚く程健脚家で,疲れ知らずの旅人だ.彼らは神仏のために巡礼しているというより,むしろ見たこともない美しいものを求めて,自らの楽しみのために波美をしているのではないだろうか.どの寺も美術館のようなものだし,国中の山や谷にはかならずそういった寺があり,人目を引きつけてやまないものが存在しているのだ.

…貧しい農民でさえ…貧しい何十万という農民がお遍路になる.それがあるのも,巡礼者には僅かな施しをするからである.

(三十三カ所の観音参り,弘法大師の八十八カ所の巡礼巡り)

美:

 ・湖の風景は5分ごとに変わっていく

 ・生け花:花だけを乱暴に切り取りはしない.日本人はそんな乱暴をするには,自然を居合いしすぎている.

 ・日本のその辺に居るごく平凡な労働者と比べても,まだまだ西洋人の方が野蛮.

 ・「八雲立つ出雲の国」

 ・自然や人生を楽しく謳歌するという点で言えば,日本人の魂は古代ギリシャ人の精神によ

く似ている

神国:

 ・日本は神国.中でも最も神聖な国が出雲

 ・イザナギ・イザナミがこの国を生み,始めており立った地が出雲の地

            イザナミが埋葬された地も出雲

『今ではもう,いかなる民族も,私がこれから語るような人物を生み出すことは出来ないだろう。その女(ひと)は,私ども西洋世界の人間には想像もできないほど厳格な躾によって育まれた。その理想とは,他人のためだけに働き,他人のためだけを思い,他人のためだけに生きる女,限りない愛情と限りなく無私の心を持ち,犠牲を厭わず,返礼を求めない,そんな女だ。しかし,何世代にもわたり幼い頃からあらゆる面で厳しく教え込むことにより,ついにそのあり得べからざる理想が現実のものとなった。(略)女性というものが教育によってどれほど変わりうるかを見事に証(あかし)していた。こうした女性は声高に褒められることもなく,静かに愛され,見習われた。女性の鑑といっても人さまざまである。私はその中でも最も素朴な人,私の一番良く知る人のことを語りたい。

 それは,やせた小柄な女性で,いつも黒い着物を着て,梅干しのように皺だらけの顔をしている。もう六十八歳になるが,髪はまだ烏の濡れ羽色――つまり日本人に典型的な濃い藍色をしている。歯は至って丈夫で,若い娘のように白くて美しい。そして,まるで子供のように明るく住んだ鋭い瞳をしている。その上,足腰も達者で,一里や二里なら平気で歩いて,神社やお寺の祭礼にでかけてゆき,孫達の喜びそうなおみやげを買ってくる。(略)

 今も昔もおばあさんは一日中,絶えず人の世話を焼いている。冬でも夏でも朝一番に日の出とともに目を覚ます。奉公人を起こし,子供達に着物を着せ,朝食の支度を指図し,ご先祖様へのお供え物を按配する。(略)

 肉親以外の者が家を訪ねてきても,おばあさんの姿を見かけることは,まずない。たとえそれが血筋の者でもおばあさんは腰を下ろして話し込んだりしない。そんなふにうに仕事を怠けていてはお天道様に申し訳ないと思っているのだ。だからおばあさんと話したかったら,子供の世話,衣服や蚕や菜園の手入れ,食事の支度などをしている最中を選ばなくてはならない。来客のもてなしはすべておばあさんが取り仕切っているのに,その存在は伝説のように人伝てにしか知ることができない。(略)

 小さい頃からおばあさんをよく知る老人達は,おばあさんが人を悪く言うのを聞いた事がないと断言する。でもおばあさんはとても辛い目にあってきた――たくさんの武家が金貸しに騙されて潰されていった時代にはおばあさんも随分ひどい仕打ちを受けた。その上,多くの愛する者たちと死に別れた。しかしその苦しみも悲しみも,おばあさんは決して人に漏らさない。怒りを露わにすることは一度もない。世の悪行についておばあさんはお釈迦様と同じように考える――それは迷いであり無知であり愚かなのだから,怒るよりも憐れんでやらなくてはいけないと。おばあさんの心には憎しみのつけいる隙もない。

 (略)私はおばあさんがこれから先,少なくとも五万年くらいの間は生まれ変わってこない様な気がする。この人を作りあげた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして次に来る新しい世の中では,どのみち,この様な人は生きていけないだろうから。』

 

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【藤井聡】小泉八雲『日本の面影』の読書ゼミを本日開催.かつての日本の美しさをあらためて振り返りたいと思います. への2件のコメント

  1. 利根川 より

    >>ケンペルは、日本人のことをこう書き記している。「美徳の実践、汚れなき生活、信仰の儀礼において、日本人はキリスト教徒をはるかに凌いでいる」
    この言葉は、今でも日本人に当てはまるといえる。日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。>>

     私は学がないので小泉八雲というと「雪女」のような有名どころしか思い浮かびませんが、ずいぶんと日本を気に入っていただけたようで…まあ、施 光恒教授が言うように自分に合うものや相手の良い所を真似すればいいんじゃないでしょうか。近年の日本は小泉八雲が指摘するように良くないところばかり真似してるわけですけどね(水道民営化とかマイナンバーとか)

    施 光恒教授「日本に合うものかそうでないかよく考えずに”何でもかんでも”海外のものを輸入する、これを『悪質な輸入業者』といいます」

    悪質な輸入業者には困ったもんです。
     

    追伸:
    先日、国民民主から須藤元気さんが出馬するという話をしましたが、国民民主党・榛葉幹事長によると、複数候補がいるがまだ決まっていないということで、私の早とちりだったようです。失礼しました。
     日本の政治家と言うと、

    「日本を守る!防衛力強化!」

    と叫びながら防衛力を弱体化する(食糧安全保障を棄損する)頭のおかしい人が多く、その原因が貨幣について全く知識がないことにあるということが分かってきました。なので、最低限、政治家になる人間には貨幣についての知識が求められる。

    貨幣がどこでどのようにつくられているか、どうやって消えていくか

    それすら知らない人間に経済なんてわかるわけがないし、国家運営の基礎である生産能力を経済が分からない人間に任せるわけにはいかない。
     なので、一人でも多く貨幣について知識のある人を政界に、と思っていたわけですが、願望が幻をみせていたということなのか(苦笑い
     気を付けなくては

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      1. 太田川 より

        須藤元気さんは藤井先生のご著書をはじめ、国債発行について勉強されて理解もされていますよ。参議院議員であった時に立憲で消費税減税を訴えて、他の理由もありましたが、その後辞職勧告を受けています。

        返信

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