日本経済

2022年2月24日

【三宅隆介】安全保障としての医療(前編)

From 三宅隆介@川崎市議会議員

有事を想定してこなかった日本の医療制度

「医療機能を見直し、病床を減らしなさい……」

これは、コロナ禍で病床不足が深刻化する直前の2020年1月、厚生労働省から神奈川県を通じて川崎市立の公立病院に発せられた通達です。

さすがに今は、当該通告などなかったかのように厚労省は黙(だんま)りを決め込んでいます。

あまり知られていないことですが、病床の数というのはあらかじめ法律(医療法)によって決められています。

国は日本全国を341の医療圏(二次医療圏)に分け、医療圏ごとに病床数(基準病床)に制限を設けています。

本市もそうですが、なかには基準病床をオーバーしている医療圏があり、その場合、当該医療圏は過剰病床という扱いになります。

川崎市は、川崎北部医療圏と川崎南部医療圏の2つの医療圏を抱えていますが、どちらの医療圏とも500床ほどオーバーしている状態です。

ゆえに再びコロナの感染爆発が起きても、新たに病床を設けるのは困難です。

病床の数に制限が設けられているのは、病院同士が過当競争にならないように、という配慮からですが、もう一つの大きな理由は国(財務省)による緊縮財政があります。

厚労省が川崎市に通達した「病床を減らせ……」というのもまた、どうしても医療費を削減したいという財務省の強いご意向があってのことだと思われます。

病床数と医療費との間に相関関係が見られるのは事実ですが、それだけニーズがあるということです。

収支均衡至上主義に縛られている財務省は、「財政破綻したら医療どころではない」というスタンスを取り、政府として医療費を負担することに実に消極的なのです。

厚労省から「ムダだ!」と名指しされたのは川崎市にある市立井田病院です。

「近隣(車で20分程度の距離)の医療機関と医療機能が重複しているため、医療機能を見直し、病床数を減らしなさい」という旨の通達が出されたのです。

それを受け、川崎市は井田病院の医療機能を見直そうとしていたのですが、コロナ問題が発生したためにそのまま頓挫し、
結果的には病床を減らしませんでしたので、そのことが後に功を奏した格好です。

川崎市ではコロナ感染がもっともピークだった時期に、コロナ患者用の病床を477床確保しましたが、そのうち4割にあたる190床は川崎市の市立病院です。

これによりなんとか医療崩壊を防ぐことができました。

むろん厚労省から「ムダ」呼ばわりされた市立井田病院も、コロナ患者を積極的に受け入れています。

厚労省や財務省の言う「ムダ」が役に立ったわけです。

平時の余力こそが有事に物を言うということが再認識されました。(現実には平時にも足りて
いないのですが……)

もし財務省や厚労省が望むとおりに市立井田病院の病床が削減されていた場合、コロナ病床を公立病院だけで190床確保することはできず、コロナによる死者はあとを絶たなかったかもしれません。

われわれ川崎市民は緊縮財政によって殺されていたのかもしれないのです。

なによりも、国の医療政策がまったくもって有事の想定をしていないのは大問題です。

競争原則に投げ込まれた地域医療

日本で病床規制がなされるようになった経緯について述べます。

まず、大東亜戦争が終わった当時は、わが国にはおカネがありませんでした。

戦争で供給能力が毀損されていたので、MMT(現代貨幣理論)がいうような通貨発行による財政支出の拡大はできなかったわけです。

カネのない政府としては、地域医療のほとんどを、いわば民間病院に丸投げすることになりました。

その後、1960年代になって国民皆保険制度が整い、国民の医療ニーズが高まりました。

医療ニーズが高まるのと比例するように、民間病院が急増したことで過当競争が生まれ、1985年になって医療法により病床数が規制されるにいたりました。

ご承知のとおり、収支均衡論に縛られている日本政府は医療費をできるだけ抑制したい。

とはいえ、民間病院には手が出せなかった厚労省や総務省は、国公立病院の統廃合などで病床を抑制することで地域の病床削減を図ろうとしました。

その結果、日本の医療機関は中小の民間病院が主体となり、ある意味では世襲制経営者を院長(経営者)に戴く民間病院群が、地域医療を病院協会という組織を通じて差配するかたちになっていったのです。

さらに一般庶民には金銭的に入学することがほぼ不可能な私立の新設医科大学が増設されたことが、この世襲制をさらに後押ししたのです。

私は、日本の医療の最大の問題点は、病床を民間病院の私有財産として認め、その使用に際して公共性を求めなかったことにあると考えます。

即ち、病床の総量規制はあるものの、「公は悪、民は善」という新自由主義思想の下、青天井の医療費で病床を武器にした病院の自由競争を認めてきたところにあります。

さらに本来は公共性が求められる公立病院に対し、民間病院を見習えと言わんばかりに競争原理を導入し、経営効率を優先するように仕掛けてきたことです。 

このような場当たり的な無軌道な医療政策により、日本の医療から「公共性」という医療でもっとも大事な概念を殺してしまったのです。

そして、なんとしても病床を減らしたい国は、全国的な病床機能の再編を進めさせるために、各都道府県に『地域医療構想調整会議(以下、構想会議)』という法律に基づく協議機関を設けさせています。

むろん建前としては「地域の病院や有床診療所が担うべき病床機能に関する協議」とされていますが、現実は「いかに病床を減らし、いかに少ない病床を機能的に運用していくか」が議論されています。

それに、この構想会議の構成員の多くが、実は地域医療を担っている民間病院の医療従事者で占められていることの弊害が出ています。

例えば、今回のコロナ禍により、本市にある新百合ヶ丘総合病院という民間病院が、「三次救急」(救急センター)の新設を申請しているのですが、これを許可する権限は神奈川県知事にあります。

ところが、神奈川県の黒岩祐治知事は実に無責任なひとで、こともあろうことか地元の構想会議に三次救急が必要かどうかの決定を委ねてしまったのです。

結果、いわば同業者(商売敵)で構成されている構想会議としては、「新設は不要」という結論にいたってしまい、いまだ当該病院での三次救急新設の許可は下りていません。

法的には三次救急等の新設は申請主義で、地域市民に害を及ぼさない限り認めるのが筋なはずです。

それどころかコロナ禍の今、市民はこの三次救急施設ができるのを熱望しています。

これはコンビニの新設に例えると解りやすいかもしれません。
自分が経営するコンビニの近くに、新しいコンビニができればお客さんを取られてしまいます。

それと同じ理屈です。

地域医療のあり方を民間病院の従事者たちで構成されている協議体に任せるのはいかがなものでしょうか。

それに、経済の競争原則に投げ込まれた病院サイドとしても、病院経営を優先せざるを得ないことも事実です。

病院経営を競争原則に投げ込んでいる国の医療政策が間違っているのです。

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