From 角谷快彦@広島大学医療経済研究拠点(HiHER)拠点リーダー/広島大学教授
皆様、こんにちは。広島大学の角谷快彦です。医療経済学(ヘルス・エコノミクス)を専門としており、経済学の知見を応用して人々の健康に関する課題の解決を志向しています。今回のテーマは「ドラッグ・ラグ(新薬承認の遅延)で岐路に立つ国民皆保険制度」です。前編と後編に分けてお送りします。
世界に冠たる優れた医療制度と言われた日本の国民皆保険制度ですが、自由貿易協定の深化による外圧等ではなく、すでに国内事情でその持続可能性が危ぶまれているのをご存知でしょうか。
その国内事情とは、新たな医薬品(1) が開発されてから日本の保険制度で治療薬として実際に患者の診療に使用できるようになるまでの時間差や遅延を意味する「ドラッグ・ラグ」です。
近年、日本の製薬市場・製薬企業が国際的なプレゼンスを大きく落としています(表1,表2)。しかも、表2で唯一上位に食い込んでいる武田薬品工業も、すでに社員の9割が外国人(朝日新聞Globe, 2019)で、一般的な「日本企業」のイメージとは大きな乖離があります。
そして、国内の製薬市場・製薬企業のプレゼンス低下にともなって中長期的に日本のドラッグ・ラグの影響が深刻化することが懸念されています。
製薬企業にとって、すべての国で同時に研究開発を進めるのは莫大なコストがかかるので、開発や販売する国の優先順位の設定は重要です。日本の製薬企業であれば、日本での基準で製造と販売を行うことの優先順位は高いでしょうが、外国企業はそうとは限りません。ですから日本の製薬企業の地位低下に伴って、日本発の新薬の割合が中長期的に減少傾向にあります(小野, 2012)。
厚生労働省「医薬品産業ビジョン2013」が世界の上位150社の新薬を主要5カ国で調査した結果によれば、日本で最初に市販された医薬品は、わずか3%しかありませんでした。多くの新薬は日本に遅れてやってくる。そうなれば当然、多くの新薬は認可が下りるまでの間「保険適用外」となります。
ドラッグ・ラグが深刻化すれば国民皆保険の理念は否応なく崩れていきます。みなさんはご自身やご自身のご家族がご病気になり、それを治すことができる外国承認・日本未承認の医薬品があったらどうしますか。もちろんそれを求めたいと思う筈です。しかし、保険適用外の医薬品を日本で治療に用いるとその疾病に伴う医療費は原則10割負担となります。例外的に混合診療(保険診療と保険外診療の組み合わせ)を認める「保険外併用療養制度」もありますが、これはあくまで例外であって、この適用がなし崩し的に拡大すれば日本の皆保険制度の理念は崩壊します。高額な民間保険に加入し、日本で承認されていない高価な医薬品を使用できる富裕層だけが有効な治療を受けられる社会になってしまいかねません。
もちろん、政府もドラッグ・ラグ対策に取り組んでこなかったわけではありません。国際共同治験の推進や治験・臨床研究ネットワーク体制の推進、審査員の増員等による新薬の審査の迅速化、革新的新薬創出に対するメリハリのある予算措置、費用対効果評価における薬価調整の新薬への非適用等、有効性の高いさまざまな対策を行い、日本のドラッグ・ラグは部分的には改善もしています。また、製薬企業に対する新薬開発のインセンティブの付け方には今後も改善の余地があります。
しかし、一方で政府は、人口動態から今後数十年の増加が見込まれる医療費の抑制を念頭に、製薬産業の収益を圧迫する政策も行ってきたのも事実です。例えば、医療機関が医薬品を処方して得る利益を意味する「薬価差益」の縮小は、医療機関が患者に過剰に医薬品を処方するインセンティブを抑制する意味で重要な意義がありますが、医薬品産業にとって処方される医薬品の減少は収益を圧迫する効果のあるものでした。
また、ジェネリック医薬品を普及させる政策は、最近まで国際的に極めて普及率の低かった日本の状況を鑑みれば高い妥当性がありそうですが、メリットとしては医療費節約以外にあまり無く、急激に普及させればオリジナルの医薬品を開発した企業の収益は大きく悪化します。事実、2007年の骨太の方針で日本のジェネリック医薬品の数量シェアを5年後(2012年度)に30%にすると宣言した後も高い目標は継続され、2017年度末までに60%、さらに現在は遅くとも2021年度までに80%に達するようロードマップが描かれており、日本の新薬市場の魅力は急速に失われています。
さらに政府は、2021年度から、現在は2年毎に行われている薬価改定を毎年行うことにしています。改定による新しい薬価は、原則として「新しい薬価=(医薬品メーカーから卸を通じて医療機関に納入される)市場実勢価格の加重平均値+調整額(現在では改定前の旧価格の2%と決められている)+消費税(2) 」で決定されますので、よほどのことがない限りマイナス改定となり、医療費節約につながります。頻繁な改定は市場の動向を薬価に反映させ、医薬品のサイクルを早めるメリットもありますが、同時に通常10~15年の長い時間と平均数百億円と言われる莫大な研究開発費を使って新薬を開発する製薬企業の体力を奪う側面があるのです。
日本の製薬企業の基礎体力(研究開発力)が落ちていけば、それに伴って国内の医薬品への知見の蓄積も進まなくなります。そうすれば、新薬の開発どころか、新薬を主体的に審査する目利きも衰え、政府のドラッグ・ラグ対策の効果も中長期的には行き詰まる可能性が高いと思います。
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(1)厳密には「医薬品」とは、ドラッグストア等で処方箋なしで買える「一般医薬品」と処方箋に基づいて提供される「医療用医薬品」の2種類がありますが、本稿ではそのうち、日本の医薬品市場の約9割を占める「医療用医薬品」に限定して述べています。
(2)消費税額の変更の際には損税・益税が生じない仕組みが施されています。
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医薬品売上高で見る製薬企業ランキング(2010年、2017年)
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角谷快彦(かどやよしひこ)
1976年生まれ。広島大学教授、同医療経済研究拠点リーダー、Distinguished Researcher。
PhD (経済学、豪州・シドニー大学)。
主著に「Human Service and Long-Term Care: A Market Model」(Routledge)、
「介護市場の経済学:ヒューマンサービス市場とは何か」(名古屋大学出版会)。
ウェブサイト:https://home.hiroshima-u.ac.jp/~ykadoya/ja/
【書籍紹介】
『介護市場の経済学』(著書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4815808333/
『Human Services and Long-Term Care』(著書)
https://www.amazon.co.jp/dp/1138630934
https://www.routledge.com/9781138630932
『博士号のとり方[第6版]』(訳書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4815809232
—発行者より—
御代替わりを迎え、新たなる時代において
日本人が正しい「歴史」を知ることのできるよう、
『経世史論』を開設しました。
「現代」を読み解くには、過去の歴史を
正しく理解する必要があります。
正しい歴史を子どもたちやその先の世代に語り継ぐために、
まずは私たち自身が正しい歴史を学びませんか?
こちらから詳しい内容をご覧ください。
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
【角谷快彦】ドラッグ・ラグで岐路に立つ国民皆保険制度(前編)への1件のコメント
2019年6月18日 1:40 PM
登り詰めたら 命がけ
いらっしゃいますね
枝を下から 払う バカが、、
国民を底辺から 刈り取っていき
テッペンに登り詰めたは いいが
降りる足場がない。。。
財務も厚労も そのた大勢も
なさってることは一緒
バカ 丸出し
サウイウ ヒトニ ワタシハ ナリタイ ♪
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