おっはようございまーす(^_^)/
いつの間にか、だんだん春めいてきましたね。私は相変わらず、ベランダ園芸に凝っています。
春はいいですね。だんだん植物が元気になってきます。いままですべての葉を落として枯れ木同然だったアジサイの枝にみるみる新しい葉が生えてきました。春だなぁ~とこちらも元気になってきます(と同時に、花粉症に悩まされています…)。
ところで、先日、産経新聞(九州・山口版)の連載コラムに次のような記事を書きました。
「『五庄屋』に学ぶ日本人の市民意識」(『産経新聞』(九州・山口版)平成30年3月8日付)
http://www.sankei.com/region/news/180308/rgn1803080032-n1.html
「五庄屋」というのは、江戸時代の半ば(1600年代の後半)に、今の福岡県うきは市で筑後川に堰を作り、そこから水を引く約10kmにもわたる大規模な用水路(大石・長野水道)を建設する水利事業を文字通り命懸けで主導した五人の庄屋を指します。
大石・長野水道は、その後の改良工事も経て、今でも使用されています。現在では、2038ヘクタール(ヤフオクドーム291個分)の水田に水をもたらし、3300件以上の農家が利用しているそうです。
私は福岡県出身なのですが、数年前まで「五庄屋」の話、よく知りませんでした。
ただ、戦前の「修身」の教科書には取り上げられており、戦前生まれの人々にはよく知られた話だったようです。また、私のころはそうではなかったようですが、現在では、福岡県の小学校では教材として扱い、福岡の小学生はだいたい学校で習うそうです。
「五庄屋」の地元である福岡県うきは市の江南(えなみ)小学校の校歌は、8番まである長いものですが、まるまる五庄屋の話です。
昨年、朝日新聞も取り上げていました。
「校歌が8番まである小学校 『死』『はりつけ』歌詞も」
https://www.asahi.com/articles/ASK4B3J2ZK4BTIPE009.html
「五庄屋」のように、過去の水利事業に寄与した偉人の話は全国各地に残っていると思います。こういう話、ぜひ大切に語り継いでいってほしいですね。
私の産経のコラムでは、「五庄屋」の話の現代的な意義として、「日本人の市民意識のあり方を思い出させてくれるのではないか」と書きました。
そのほかにも、いくつも意義があると思います。
例えば、一つは、公共事業の原点というか、意味を思い出させてくれるのではないかという点です。
私の産経のコラムでも触れていますが、「五庄屋」の史実をモデルにした小説があります。
帚木蓬生(ははぎき・ほうせい)氏の『水神』(新潮文庫)です。
「五庄屋」の大石・長野水道の建設は、当初、近隣の村々の反対運動を受けました。
「大水が出れば自分たちの村が水害を被るかもしれない」「用水路の建設で田畑が削られるかもしれない」という懸念から、堰を作る付近や用水路の途中に当たる村々の庄屋が反対に回ったのです。
結局は、「五庄屋」の熱意に動かされたり、用水路建設事業の有用性に気づいたりして、反対派の村の庄屋たちも徐々に賛成に転じていきます。
その様子を帚木氏の小説『水神』では、反対派のリーダー役だった大庄屋の藤兵衛が、五庄屋の一人である山下助左衛門のところを訪れた際に詫びるというかたちで描いています。
藤兵衛は次のように言います。最初は、反対だった村の庄屋や村人も、実際に用水路建設の工事が始まり、用水路が完成に近づくにつれて、気持ちがだんだんと前向きになっていった。将来に希望が描けるようになった。
以前は、近隣の庄屋が寄合などで集まると愚痴や心配事ばっかりだった。それが用水路建設の工事が始まるとだんだんと将来の話が、それも明るい話が出るようになった。
その部分、小説から抜き出してみます。藤兵衛は、反対派だった村々の庄屋たちが少し以前に集まったときの様子を助左衛門に話すシーンです。
***
「…話はよう弾みました。不思議なもんです。どの庄屋も、これから先のこつば口にするとです。水がきたらこげな作物も植えてみたい、いままで亡地だった所を灌漑して、田んぼに変えたいが、赤土はどこから持ってこようとか、赤土なら、うちの村に腐るほどあるけ、いるだけ融通するとか、みんなこれから先の話を一生懸命するとです。
それは聞いていて、私は水が人をこうも変えるものかと、つくづく思いました。以前なら、庄屋が集まっても、過ぎてしまったことを嘆くとか、雨は都合よくふってくれるじゃろかとか、心配事ばかりじゃったとです。
先の話をするにしても、心配気に話すのと、望みばもって話すのでは、月とすっぽんの差があります。私は堰渠が、庄屋の、いや百姓全体の、気持ちのあり方ば変えたなと、つくづく思ったとです。…」
***
このシーン、いろいろと考えさせられます。政治のあり方、公共事業の原点、そんなことをです。
現在の日本は、約20年間デフレに悩み、政府が「企業は賃金を上げろ」とか、「『プレミアム・フライデー』だから、皆、消費しろ~」とか国民の尻を叩いても、いっこうに経済は回復軌道に乗りません。そんな気にならんのですよね。
政治家にしろ、その他の人々にしろ、気分を前向きにし、将来の展望をあれこれと語りだしたくなるような共通の計画を、今の日本は描けなくなっているようです。
政府関係者とか財界人は、きっと「2020年の東京オリンピックがあるじゃないか」とか「グローバル化がそれだろ」とかいうのかもしれませんが、方向性が違うんですよね。そういうのはグローバルな企業とか投資家とかにとっては「儲かる話」なんでしょうが、国民一般の気分を明るくするものではないようです。
普通の庶民の生活を安定したものにし、将来へのそれぞれの夢を描けるようにするもっと地に足の着いた構想が必要なんだろうと思います。
大多数の普通の日本人を前向きにし気分を明るくする政策。将来への個々の展望を周囲の人々に話し出したくなるような政策。
そういう政策だけが結局、日本経済を回復軌道に乗せるのではないでしょうか。
「民泊」とか「水道の民営化」とか「働き方改革」とか「外国人労働者の活用」とか「観光立国」とか「インバウンド需要に期待」とか、そんなのではないはずです。
一部のグローバルな企業や投資家はこういうのでワクワクするのかもしれませんが、庶民は正直うんざりでしょう。
長々と失礼しますた…
<(_ _)>
【施光恒】気持ちが前向きになる話とは…への1件のコメント
2018年3月16日 11:01 AM
施先生のお話しはいつもほっこりとさせられ、とても楽しみにしております。ありがとうございます。
なぜ水道民営化や外国人労働者活用でワクワクしないのか。
なぜ大石・長野水道の建設はワクワクさせたのか。
それは市民意識、自分たちにとってローカルな人々のために基づいてチャレンジした事業だから、ということだと理解いたしました。
前者も最初はきっと、悪意からくるのではないのでしょう。まじめに世のため人のためのつもりだったのかもしれません。
世界中の人々を幸せにする、というのはずいぶんすごいことですが、身近な人々というレベルの視点、感じ方がなければ、実は世界の人々なんてものは全部知り合いになれないので概念だけであり、存在しなくて、それを根拠にした目的、事業というのは、いつのまにか、きわめて私的、利己的、自己都合・自己弁護的になる。
人間が想像できる、人と人とのかかわりあいの広がりというものに限界はないのか。認知的な限界。世界中の人々の気持ちをすべておもんばかることはできない、ならばそれを抽象化して理屈を作ってそれに現実を合致させてしまう。
そういう強引さ、傲慢さが、コスモポリタンな、ええと、グローバル化なり、世界平和うんうんを気色ばんで主張される方々に内在しているのでは、そう考えてしまいます。
妻によく言います。
小学校教師ってひどい労働条件だけど、労組って何をやってるのか。組合費を取り、現場は激務なのに組合活動と称して労働奉仕させ、向かっているのは化石のような思想運動じゃないのか、と。(ずいぶん前に脱退したそうですが)
地元の自民国会議員サマN(2年生)も、
「本当にグローバル化は先進国の多くの人々を犠牲にしたのでしょうか?私たちは、世界価格へ収斂する過渡期を乗り越え、技術革新や産業の新陳代謝をうまく進め、税や社会保障制度できちんと再分配機能することを、地球規模で繰り広げられないでしょうか?」
とかマジでビラ書いて配るレベルのありさまです。
(市議三宅のほうがずっとマシ)
時代は右左関係なく、市民意識の点においてずいぶん貧しい時代に、なぜかなってしまっているのかもしれないですね。
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