日本経済

2016年7月9日

【青木泰樹】ヘリマネとリフレ派

From 青木泰樹@京都大学レジリエンス実践ユニット・特任教授

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少子高齢化に伴う生産年齢人口比率の低下。
深刻化する人手不足の中、鈍化する日本の成長。

しかし、この人手不足こそ次なる成長への鍵だった。
これから起ころうとしている第4次産業革命とは一体?

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前回は、適切な量的緩和の出口戦略についてお話ししました。
結論としては、「日銀保有の国債のうち償還期限の来たものを順次、政府発行の「長期の無利子国債」と交換していけば、金利上昇による日銀のバランスシート毀損を懸念することなく、巨額の普通国債残高(政府の借金)を解消できる。それによって日本における国債問題は完全に解決したことになる」というものでした。
また、この方法が現行法の枠内でも可能であることを示しました。
すなわち「財政法第5条但し書きに基づいて、現在も日銀保有の償還期限が来た国債に関して、借り換えのための国債を日銀は引き受けている(日銀乗り換え)」ことを指摘しました。
ただし、現在引き受けているのは1年物割引短期国債であるため、それを長期の無利子国債にするための運用上の工夫が必要であることも論じました。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/06/11/aoki-27/

先日、驚いたことに、文脈は多少違うのですが、私以外に国債の日銀引き受けを肯定的に捉える日本の経済学者を始めて知りました。
リフレ派の学者として知られる早稲田大学教授の若田部昌澄氏です。
彼は日経新聞の8回シリーズのコラムの中で、日銀の国債引き受けは法律上の問題はないとして、私と全く同じように、日銀乗り換えを引き合いに出して論じていました(6月24日朝刊「やさしい経済学:ヘリコプターマネーとは何か(7)」)。
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160624&ng=DGKKZO03972820T20C16A6KE8000

本日は、最近たびたび話題に上るようになったヘリコプターマネーを取り上げます。
ヘリコプターマネー(通称ヘリマネ)の話を最初に持ち出したのは、マネタリズム(新貨幣数量説)を唱えたミルトン・フリードマンです。
しかし、昨今のヘリマネ論議は彼の意図(定義)と若干ずれていると思われますので、先ずはフリードマンの意味でのヘリマネについてお話ししましょう。

マネタリズムは、財ばかりでなく各種資産が存在する経済においても「貨幣量の変化は、それに比例する物価変動を生む」という古典的数量説の命題が成り立つことを示した仮説です。
いわゆる「インフレ(もしくはデフレ)は貨幣現象」と見なす考え方です。
数量説は非常に分かり易いのでかなり普及した考え方ですが、実は間違っています。
現実経済では成り立ちません。

そのことは貨幣の民間経済への注入経路を考えれば誰でもわかります(マネタリズムは外生的貨幣供給説という立場に依拠していますので、この場合の貨幣は現金を指します)。
中央銀行が民間経済へ現金を渡す方法は、個人へ直接現金を渡すことはできませんから、民間銀行の保有資産を購入するか、もしくは民間銀行へ融資(たとえば日銀特融)するかの二通りです。
いずれにせよ中央銀行は民間銀行(民間金融部門)へカネを渡すことはできますが、その先の実体経済(民間非金融部門)へカネが渡るかどうかは、実体経済に資金需要があり、かつ民間銀行がそれに応じて融資を行うか否かに係っています。

今、仮に中央銀行が発行済みの貨幣残高の10%の現金を増刷するとします。
またそれを受け取った民間銀行が、実体経済の資金需要に応え、「同額の現金を渡した」とします(外生説は信用創造を考慮しません。考慮すると貨幣量変化と物価変動の比例関係が崩れてしまうのです。詳細は別の機会に譲ります)。

さて、このとき物価は10%上昇するでしょうか。

そうはなりません。
物価は様々な財の価格にウエイト(全体に占める比率)を付けて算出します。
全ての財の価格が一律に10%上昇すれば物価は10%上昇しますが、そのためには全ての財への需要が価格を10%上げるだけ増えねばなりません。
ところが融資を受けた個人や企業は、自分の必要とする財しか買いません。
全種類の財を均等に買うわけではないのです(合成商品を買うわけではありません)。
すると特定の財価格は上昇するかもしれませんが、それによって物価が10%上昇するとは限らないのです。保証されないのです。

このように特定の財価格が上昇することは、他財に対する交換比率(相対価格)が変化することを意味します。
例えば当初、A財100円、B財50円であれば、両財の交換比率は「1対2」。
融資を受けた人がA財だけを買った結果、A財価格が110円となれば、交換比率は「1対2.2」となるわけです。
実はここが重要な点で、現実の貨幣の民間経済への注入経路を前提とすると、必ず相対価格(体系)が変わってしまいます。
相対価格が変わると資源配分が変わりますから、貨幣量の変化が実質値(例えば生産量、雇用量等)に影響を及ぼしてしまいます。
この現象を、経済学では「貨幣の非中立性」と呼びます。

貨幣の民間経済への注入経路を考えると、必ず、貨幣は非中立的になるのです。
しかし、この事実はフリードマンにとって不都合なものでした。
なぜなら先に指摘した通り、マネタリズムは貨幣量の変化が実質値に変化を及ぼさないという「貨幣の中立性」を論証する仮説だからです。
貨幣が中立的であれば、「デフレの原因は、総需要不足ではなく、貨幣量不足である」と言えるのです。

おそらく困ったであろうフリードマンのとった態度は、「無視」でした。現実を考えないことにしたのです。
それゆえ、マネタリズムは民間経済への貨幣の注入経路を欠いているのです。
しかし、いくら何でも貨幣の注入経路を全く提示しないのも問題があると考えたのでしょう。
そこで思いついたのが、中央銀行が民間銀行を経由しないで実体経済(民間非金融部門)へ直接現金を渡す経路(手段)です。
それがヘリコプターマネーの寓話です。
「ヘリコプターで実体経済の上空から現金をばらまく」という荒唐無稽な話は、笑い話ではなく、マネタリズムと現実経済をつなぐ唯一の細い糸(政策手段)なのです。

ただし、ヘリマネは一般人に誤解を与えるレトリックです。
ヘリコプターから現金がまかれるとすれば、できるだけ多く拾おうとするのが人情です。
しかし、実は好きなだけ拾ってはいけないのです。暗黙の制約条件があるのです。
例えば、貨幣残高の10%の現金をまく場合、各人は自分の保有する現金の10%分だけを拾わなくてはなりません。それ以上でも、それ以下でもいけません。
さらに各人の嗜好が変わらず、消費パターンが変化しないとするならば、その時はじめて物価は10%上昇するのです。

このようにフリードマンのヘリマネの定義は、中央銀行が実体経済(民間非金融部門)へ現金を渡すことであって、民間金融部門へ現金を渡すことではありません。
経済学者の多くは、両部門を区別せず、一括して民間経済と想定しているために誤解が生まれやすいのです。

さて、最近のヘリマネ論者の定義は、フリードマンのそれと異なっています。
大きな違いは、中央銀行が民間金融部門へ現金を渡すこともヘリマネ政策と考えていることです。
例えば、慶應義塾大学教授の池尾和人氏は、「国債発行ではなく、ベースマネー(現金+準備預金)でファイナンスされた財政出動のこと」をヘリマネと定義しています。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO0332141007062016KE8000/

分かり難い定義ですね。
財政出動をするのは政府ですから、無利子永久国債を日銀に引き受けさせることを意味しているのでしょうか(しかし、そうすると国債発行によるファイナンスになりますね)。
おそらく日銀の量的緩和の結果として巨額の日銀当座預金が積み上がっている状況は、すでにヘリマネ寸前だと言いたいのでしょう。
これで出口戦略(民間への国債の売戻し)を実施しなければ、過大なベースマネーが残り、将来のインフレは必至であると考えていると思います。
さらにヘリマネをすれば、インフレに拍車をかけると。

若田部氏の場合は、先述の連載コラムの中で「貨幣を増やし、増えた貨幣が恒久的に残ること」をヘリマネと定義しています。
またヘリマネと量的緩和の違いについて、「量的緩和はインフレ目標を達成すれば貨幣を回収することを想定している。この将来の回収の有無が両者の相違である」と述べています。
そしてヘリマネ支持派のアデア・ターナー元英金融サービス機構会長にならい、統合政府(政府+日銀)が「インフレ目標を達成するまで」といった制約を付けて管理するならば、有効な政策手段であると結論づけています。

驚いたことに、このヘリマネ政策の捉え方は、拙著『経済学とは何だろうか(八千代出版2012年)』で展開した動態的金融政策(P.274〜285)とほぼ類似した見解です(私はヘリマネ政策ではなく、国債買い切り政策と呼んでいます。また前回の出口戦略の着想もそこで展開されたものです)。

http://www.amazon.co.jp/dp/4842915609

多少なりとも参考になったとしたなら、出版時に彼に献本した甲斐があったと言うものです。

ただ気になるのは、池尾氏にせよ、若田部氏にせよ、日銀が民間金融部門へベースマネーを渡すことも、将来それを回収しなければヘリマネ政策と考えていることです。つまりインフレ化政策であると。
これは定義の問題とはいえ、誤解を生みますね。
ベースマネーは非金融部門の現金と金融部門の準備預金の合計です。
量的緩和で増加するベースマネーは金融部門の超過準備として日銀当座預金に積み上げられるもので、マネーストック(非金融部門の保有する現金+預金)と直接関係はありません。それゆえベースマネーが増えたところでインフレにはなりません。

日銀当座預金に超過準備が積み上がっても、それが直接融資に向けられるわけではないのです(ここが外生説に依拠する経済学と現実の違いです)。
超過準備は銀行の融資余力が増すことを意味します。
6月末時点で国内銀行の預金残高は約700兆円強ですから、準備率を「1.3%」とすれば、必要な準備は9兆円程度です。
他方、現在の日銀当座預金残高は約300兆円あります。
ということは理論上、「300兆円_1.3%」で計算すれば、銀行組織全体で2京円以上の融資余力があるということです。
実体経済に旺盛な資金需要があれば、とっくにインフレになっているはずです。
にもかかわらず融資も、当然マネーストックも伸び悩んでいるのは実体経済の資金需要が委縮しているからなのです。
非金融部門に資金需要がなければ、いくらベースマネーを増やしてもインフレにならないことは、これまでの3年間に渡る量的緩和によって実証されているのではないでしょうか。

「量的緩和+コミットメント戦略」によって人々に2%のインフレ期待を抱かせるというリフレ派理論は、3年間の実験結果から見ると、もはや色あせたものとなりました。
肝心の黒田東彦日銀総裁も今年2月23日の衆院・財政金融委員会において「マネタリーベースそのもので直ちに物価あるいは予想物価上昇率が上がっていくということではない」とこれまでの態度を豹変させるような発言をし、周囲を驚かせました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009519020160223005.htm
リフレ理論に疑問を抱き、そこから遠ざかりたいとの思いからでしょう。
その現れが、「期待に働きかけない」マイナス金利政策の導入です。

「刀折れ矢尽きた」感のあるリフレ派の人たちが「期待を変えてインフレにする」ことを諦め、「直接現金を渡してインフレにする」ヘリマネ政策へ転じたことに、唖然とするばかりか憐みさえ感じます。

ーーー発行者よりーーー

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【青木泰樹】ヘリマネとリフレ派への3件のコメント

  1. moriya kyougo より

    合掌国民目線で社会を見る、現実の娑婆世界を見る、これしかない。経済学は詰んでいます。ノーベル賞なんて遊びです。三橋氏は中小企業診断士で、実務経験あるから信頼しています。口先三寸の連中より、比較になりません。なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたい

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  2. 學天測 より

    安く、刀鍛冶の道具を貸し出せば、皆刀を打つか?と言う、普遍的な命題の答えは既に過去の事実と言う公の常識として、数えきれないぐらいあるでしょう?そんな事で侃侃諤諤やってられる経済学と言うのは完全に腐敗していますね。まるで業績を無視して権力闘争をやる末期の財閥企業の様。原初から歴史を始め、2500年前の0から学問をやる気でしょうか(笑)正気の沙汰とは思えない。

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  3. 平成苦難 より

    日銀は持てる手段はドンドン使って来ました、後は政府の財政出動しか無いと思います。日銀は政府財務省の子会社とするならなばもうお腹いっぱいと言ったところでしょう。こうなればこの秋の補正予算は30兆の規模で考えないと内需振興になりません、どの道為替は円高基調になるので外需よりも内需を強くしないとどん底のデフレになるのではないでしょうか。現政権は三橋さんや青木先生、藤井先生を経済ブレーンとして3年やってほしいと強く希望します。

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