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2023年9月8日

【竹村公太郎】どうする家康!―江戸湾の制海権―

 1600年関ケ原で勝った家康は、
1603年に江戸で開府した。
関ケ原の戦いで勝ったとはいえ、
天下を制したとは言えなかった。

 大坂城には豊臣家が構え、
西側の背後には豊臣家を支える毛利、島津
そして長曾我部が控え、
北には豊臣側の上杉氏が構えていた。
家康は150年の戦国の
世を治める決戦を覚悟していた。

(図―1)が、
北条征伐の直後の勢力図である。
豊臣側との決戦に備え、
関東の鬼門は江戸湾であった。
江戸湾の制海権をどう確保するかだ。

関東の大湿地
 家康が江戸開府の13年前の1590年、
北条征伐で天下を獲った豊臣秀吉は、
間髪を入れず家康を江戸に移封した。
移封というより幽閉であった。

 江戸は見るも無残な土地であった。
西の武蔵野台地には河川がなく、
稲作が出来ない不毛の土地であった。
一方の東の低平地は塩水が
逆流する使い物にならない湿地帯であった。

 関東にはさらに厄介な事情があった。
100年近く関東を統治していた
北条氏一党の豪族たちが
関東大湿地の各地に散らばって構えていた。

 家康が江戸に入って取る物も
とりあえず手がけた工事が
「小名木川運河」であった。
小名木川運河の建設目的は
「行徳の塩を抑えるため」
が定説となっている。
しかし、家康は塩に困っていなかった。
家康の故郷・岡崎の矢作川河口には
部下の吉良家の大塩田があり、
塩は吉良領からいやというほど手に入った。

 家康が江戸で第一にやるべきは、
関東一帯の北条氏一党の豪族を
一刻も早く制することであった。
家康の小名木川運河の目的は、
軍事のための運河であった。

水軍で内陸を制する
小名木川運河の建設目的を知るには、
鈴木理生編著「東京の地理がわかる辞典」
(日本実業出版社)の
古地図を見れば解ける。

(図―2)が鈴木氏の平面図で、
江戸初期の江戸湾の川と
海岸が描かれている。
それを断面図風に書き直すと

(図―3)となる。
この図で分かるが、
小名木川運河は江戸湾の波に影響されず
行き来できる高速水路であった。

 家康は北条氏一党を征するために、
その湿地帯を利用することにした。
関東の誰も考えたことのなかった
水軍戦法であった。

 江戸城の直下の日比谷の入江から
水路を掘り隅田川に出る。
中川までは干潟に造った小名木川運河を行く。
中川からは船堀川を通って江戸川まで行ける。

 隅田川を上れば荒川の埼玉を制する。
中川や江戸川を上れば、
利根川の千葉、茨城、栃木、
群馬一帯を征する。
湿地の水路を使えば、
水軍はあっという間に関東一円に到着できた。
徳川軍が水路を伝って突如として
北条一党の砦の前に姿を現した。
北条氏一党はその勢いに呑まれてしまった。
家康は水軍で関東内陸を制した。

小田原城攻撃の水軍
 家康が水軍で関東制覇を
思いついたのには理由があった。
関東に移封される直前の北条征伐戦であった。
 北条方は箱根のふもとの小田原城に構えた。
箱根は防御の壁であった。

(図―4)は、広重が描いた
東海道五十三次の箱根である。
よく見ると、大名行列が
隊列を細長くして谷間を進んでいる。
箱根では何万人何十万人という大軍は動けない。
箱根の地形を知り尽くした北条氏は、
箱根を利用して小規模な局地戦を
繰り返す作戦を企てた。

 北条征伐で有名なのは、
秀吉の一夜城である。
小田原城を見下ろす一夜城は、
作戦本部としての役割はあった。
しかし、小田原城に実質的な
武力圧力を加えたのは水軍であった。
 
 豊臣方には日本最強の毛利水軍と
九鬼水軍が加わっていた。
瀬戸内海からはるばる遠征してきた
両水軍をガイドしたのが、
地元の駿府の徳川水軍であった。
相模湾一杯に浮かぶ三大水軍に、
北条氏軍団は心底から驚いた。
家康は湾に接した敵地への
水軍の強みを全身で会得した。

(図―5)は、
小田原城に圧力を加えた三水軍である。
 
 小田原城攻撃の経験が、
家康に小名木川運河を思いつかせ、
水軍で関東湿地を抑える作戦を立てさせた。

関東防御の弱点・関宿
 北条一党を制し関東の主となった家康は、
改めて関東の防御を固めることとなった。
関東の西にはアルプス、
富士山そして箱根の山々が壁になっていた。
北からは利根川と渡良瀬川
そして荒川が江戸湾に流れ込んでいた。
利根川、渡良瀬川そして荒川の3大河川は、
江戸を守る大規模な堀の役目を果たしていた。

(図―6)で関東の地形陰影図を示す。
江戸の防御は固いと思われたが、
重大な弱点があった。関宿であった。
(図―6)の赤丸が関宿である。
関宿で常陸国と下総国が地続きとなっていた。
この地続きの地形は実に危険であった。
関東の北には豊臣の重臣・上杉氏が構えていた。
以前は伊達政宗が会津を支配していたが、
伊達政宗は秀吉によって
宮城県の鳴瀬川の大崎に
移封されてしまった。
伊達氏の後に会津を
任されたのが上杉氏であった。

 もし、上杉が関東を襲えば、
関宿で一気に南下してしまう。
江戸湾の良好な港は
房総半島の上総湊や館山であった。
上総国と安房国が押さえられたら、
江戸湾の良港は九鬼水軍、
毛利水軍に抑えられ、
江戸湾は豊臣のものとなる。

 家康は関東に閉じ込められてしまう。
豊臣との決戦どころではない。

南下を防ぐ
 東北からの南下を防ぐ必要があった。
まず、利根川・渡良瀬川の流れを
利用することを考えた。
関宿の台地を掘削して
利根川を銚子に向ければ、
南下に対する防御の掘りができる。

 伊奈忠次に命じて1594年から着手したが、
相手は日本一の利根川と渡良瀬川であった。
あちらこちらに乱流している
流路を整える工事から着手したが、
何度も失敗を繰り返した。
豊臣家との決戦は迫っていた。
利根川東遷事業は決戦に
間に合うほど簡単な工事ではなかった。

 1600年、関ケ原の戦いが開始された。
利根川東遷は中断され、
利根川の掘りで北に備える計画は
断念せざるをえなかった。

 その関ケ原の戦いで勝った家康は、
西軍に加わった上杉を米沢藩に転封した。
会津は東軍に加わった
旧会津藩主の蒲生氏を充てた。
徳川家康の世になったかと思われたが、
家康は油断しなかった。

 まだ豊臣家は大坂城に構えていた。
豊臣家を期待する勢力もうごめいていた。
豊臣家を完全に滅亡させる
最終戦が必要であった。
最終戦を控え、江戸湾の制海権の
確保は絶対であった。
家康は北からの南下の防御線を、
陸路に変更する作戦とした。
 東金街道の建設である。

東金御成街道
 家康は1614年1月、
船橋から東金まで
約37㎞の街道建設を命じた。
豊臣家との最終決戦も
大坂冬の陣の9カ月前であった。
 
東金街道建設の命令は
「全て直線にしろ」
「工事は最短で完成させろ」であった。
全沿道の人々が駆り出された。
「三日三晩で造った」
「昼は白旗、夜は提灯。一晩のうち完成した」
とも伝わっていて
「提灯街道とか一夜街道」とも
呼ばれている所以である。

(図―7)を見ると、
地形は平坦となっている。
東金市付近の起伏を除けば、
街道は短時間で概成できた。
上総国を守る戦時街道が完成した。

激しい最終決戦の大坂冬の陣と
夏の陣により豊臣家は滅亡した。

 東金街道の目的は
「鷹狩」と伝わっているが、
戦国の戦火が燃えている時期に
鷹狩街道はない。
鷹狩なら37㎞も一直線で造る必要がない。
鷹狩なら住民総動員をかけて急がせる必要もない。
東金街道はどこから見ても戦時街道であった。

東北から敵が関宿を南下すれば、
小名木川運河を船で船橋に行く。
船橋から東金街道を馬で飛ばす。
一瞬にして上総国を防御する
布陣が構えられる。

(図―8)が、
小名木川と東金街道の連続した
直線高速ルートである。

 ヒットラーは
アウトバーンでヨーロッパを制した。
家康は一直線の小名木川運河と
東金街道のアウトバーンで関東を制した。

(写真―1)はヒットラーアウトバーンである。
 
 その後、江戸湾の制海権の仕上げとして、
房総半島の先端の安房国(あわのくに)を
幕府直轄領とした。
安房国は江戸湾の監視と防衛で
重要な役目を果たした。
幕末、勝海舟もこの安房国の責任者に任じられた。

 安房国は外国の蒸気船を見張った。
徳川慶喜の大坂との往復船を見守った。
安房国は日本の激動の歴史を
目撃することとなった。
 

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【竹村公太郎】どうする家康!―江戸湾の制海権―への2件のコメント

  1. 東京だョおっかさん より

    ますます面白くなってきました
    小名木川を加えただけで
    すごい回路ができちゃうんですね
    図ー3の断面図でさらに納得

    四方を山岳と有象無象に囲まれた
    スイス人の発想にも通じる気がします

    (以下、メルマガ編集ご担当宛て)
    タイトル写真が「妻籠宿」というのは
    いくら何でも内容から離れ過ぎていて
    悲しいです

    返信

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  2. 同 上 より

    ちゃんと差し替えてある
    仕事が早い(自分も見習わねば)
    ありがとうございます

    返信

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