コラム

2021年10月9日

【竹村公太郎】人類の奇跡の正倉院-なぜ、奪われなかったかー

奈良の正倉院展
 毎年秋、奈良国立博物館で正倉院展が開催される。今年は10月30日から11月15日まで開催される。展示会が終わると山々は紅葉の盛りから冬の色に変化して行く。この展示会は関西の良い歳時記となっている。

 20年前の1997年、大阪で単身赴任をしていた私は時間つぶしに「正倉院展」へ向かった。いつもは静かな奈良を大勢の人々が博物館に向かって歩いていた。

 1時間以上の長い列のあと館内に入った。抑制された照明のガラスケースの中に、絵画、金工、漆器、刀剣、ガラス器などが何十点も展示されていた。

 美術に素養がなくてもどれも古代の美術工芸品であり、歴史的文化財であり、高価な宝物であることは肌で感じとれた。

 この展示会の解説文に驚かされた。

 正倉院には9,000点もの宝物があり、何十点かは毎年変更されるという。すべての宝物を見るためには100年以上もかかることになる。

 この莫大な宝物が1千年以上も無事だったことに圧倒された。

 この正倉院の存在は、奇跡であった。人類の奇跡と言ってよい。 

奇跡の正倉院
 東大寺にある正倉院は、奈良時代の8世紀中ごろ倉庫として建設された。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめ、天平時代を中心とした宝物を保管する倉庫である。収蔵されている宝物は、中国、朝鮮だけでなく遠くペルシャからの宝物も含まれている。

 この正倉院はシルクロードの終着駅であった。

 正倉院は高床式で、壁面は校木を積み重ねた校倉(あぜくら)造りである。巧みな木造の校倉造りと、宝物は多重の箱に収められていたので、高温多湿の日本で宝物は守られた。貴重な膨大な宝物が1千年以上保存されたことは奇跡的なことであり「世界の宝庫」と呼ばれる所以である。

 しかし、この正倉院には、それ以上の「奇跡」があった。

 「盗まれなかった」ことである。ありえない謎である。奇跡としか言えない謎である。

 正倉院展を観ている中で、この謎に包まれてしまった。

交流軸から外れた奈良
 現在、正倉院は宮内庁が管理している。明治以前は東大寺によって管理されていた。

 正倉院が建てられた時代、奈良盆地は日本文明の中心であった。奈良には富も権力も人も集中していた。正倉院も朝廷によって厳重に警戒され、安全は万全であっただろう。

 しかし、784年、都が奈良から長岡京へ遷都されて以降、奈良は日本の歴史に登場しない。奈良は大いなる眠りに入っていた。

 平安後期から武士の時代となり、源平の戦いを経て源氏が勝利し、政治の中心は関東の鎌倉に移った。その後、南北朝の混乱を経て、再び京都で武士の室町時代となった。

 1467年に応仁の乱が勃発した。秩序を失った日本列島は、100年以上の戦国の世に突入した。織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康と覇権が移り、1603年、徳川家康が江戸幕府を開府し、やっと平和な時代を迎えた。

 1千年の間、日本史の舞台は大阪、京都、江戸であった。

 大阪と京都を結ぶ動脈は淀川であった。京都と江戸を結ぶ動脈は、東海道と中山道であった。そして、日本列島の周囲には海運ネットワークが形成されていった。

 平安時代以降、江戸そして近代明治まで、奈良は歴史の大動脈から外れていた。淀川の水運から外れていた。東海道、中山道の陸の街道からも外れていた。奈良は海に面しておらず、日本列島の海運ネットワークからも外れていた。

 奈良は激動し躍動する日本史の交流軸から外れていた。(図―1)で奈良盆地が街道から外れていることを示した。

奈良の大いなる眠り
 明治になり、国鉄と近鉄が奈良盆地に敷設されるまで、奈良は山々に囲まれた田圃で眠りについていた。

 奈良の1千年の眠りには根拠がある。それは、奈良の人口の変遷である。
(図―2)は奈良市の人口の変遷を示す図である。

国土交通省の奈良国道事務所の労作である。

 平城京が栄えた奈良時代、奈良には20~30万人が住んでいた。しかし、奈良から京都へ遷都されると、人口は3万人に激減してしまう。その後、明治までの約1千年の間、奈良の人口は増えることはなかった。江戸時代、日本の総人口が1000万人から3000万人に激増した。その人口急増の江戸時代でさえ、奈良の人口は増えなかった。

 この図を見ているかぎり、奈良は躍動する日本の歴史から忘れられ、大いなる眠りについていた。眠りについていた証拠がある。(図―3)は、全国の都道府県別の旅館、ホテルの数の統計である。

 全国最下位は奈良県である。

 旅館、ホテルの数は、その土地の交流を表す。奈良は交流軸から外れ、人々の交流はなく、眠っていた証左である。

 この1千年の間、何度も大騒乱が起こった。殺気立った軍隊が奈良にも入ってきた。血に飢えた夜盗や敗残兵も入ってきた。

 その間、奈良には強力な政治権力はなく、正倉院は宝物を抱いて裸同然に立ち尽くしていた。

 しかし、その正倉院は、誰にも襲われなかった。

 世界の人類史でありえないことであった。

盗掘され、襲われる遺跡
 世界の歴史遺産は、どれも盗掘され、破壊されている。偶然、海底に沈んだり、地中深く埋まった遺産は別にして、盗掘から逃れた遺産など世界にはない。

 時代を制覇した王たちが腐心したのは、いかに自分の墓が荒らされないかであった。王たちは深く隠し、複雑に守った。しかし、王たちの遺産は必ず人々によって盗掘され、夜盗集団に襲われた。

 それが人間社会の相場であった。ところが、正倉院は襲われず盗まれなかった。

 正倉院に多数の宝物が存在していることは、誰もが知っていた。その正倉院は寂しい奈良で、これ見よがしに高床式の木造で立ち尽くしていた。その姿は、いかにも襲ってくれと云わんばかりであった。武装した20人もの盗賊なら、いつでも宝物を強奪できたはずだ。

 何故、正倉院は襲われなかったのか?

 日本はそれほど治安が良いのか?日本の夜盗は特別に倫理観がすぐれていたのか?そのようなことは到底考えられない。

 腑に落ちなかった。その謎は胸の中に沈んでいった。

宝物の神秘の力?
 正倉院展に行ってから10年が過ぎた。

 奈良県が主催する会議に呼ばれた。その会議で、奈良の歴史に造詣の深い3人の教授陣と同席した。正倉院が襲われなかった理由を聞く良い機会であった。

 会議の間、それを聞くタイミングを探していた。話題は奈良の歴史に移っていった。チャンスとばかりに、心を弾ませながら発言した。

 「何故、正倉院は盗掘に遭わなかったのですか?正倉院を屈強な武装団が守っていたとは思えません。世界史の中で、宝庫は必ず襲われています。ましてや正倉院は木造です。何故なのでしょうか?」

 3人の教授の方々は答えに窮していた。少し間をおいて、ある教授が「源平の乱の大火事の際、正倉院の手前で火は止まりました。正倉院の『宝物の力』が守ったのでしょう」とユーモアで答えられた。会議の出席者たちも笑って、その場が過ぎ去ってしまった。

 正倉院の宝物の神秘の力が、盗掘から正倉院を守った、というのは話としては面白い。しかし、納得できるものではなかった。

近鉄奈良駅ビルの模型
 会議が終わって近鉄奈良駅に向かった。京都行きの特急まで30分あった。興福寺や東大寺へ行くには時間が足りない。切符を買った後、どうしたものかと構内を見回した。その時、ふっと案内が目に飛び込んできた。

 奈良駅ビルの4、5階の「なら奈良館」の看板だった。奈良の観光案内なのだろう。時間つぶしにはちょうどいい。その館に向かった。

 やはり、そこは観光館であった。内容はビデオ映像と写真の展示であった。ぶらぶら見て歩いていると、あっという間に出口になってしまった。出口の広間に、5m四方の模型ジオラマが置いてあった。その模型は、江戸時代の奈良の町であった。

 それを見たときには「なんだ、これは!」と声を出してしまった。

 大きな箱全体に、ただただ民家がごちゃごちゃと詰まっていた。これといった建物はない。しかし、意識を集中して見ると、これら町家に埋もれるように寺社が見える。

 このジオラマから目が離せなくなった。

 正倉院の謎が解けた!

 電車の時刻が迫っていた。コンビニに走って簡易カメラを買って映した。(写真)は、ジオラマ模型の奈良の町屋である。

特急に飛び乗ってビールの缶を開け、夕方の奈良の山々を眺めながら「そうかー」とつぶやいた。

 あの奈良の町家の模型が、正倉院の謎の解答だった。

濃密な奈良の町
 「京が京都へ遷都されて以降、奈良の人口は激減し、そのまま明治の近代化を迎えた。奈良は大いなる眠りについていた」と私は表現した。

 自分自身がこの表現に囚われていた。奈良は閑散で寂しい田舎だった、という思い込みだ。

 その思い込みは間違っていた。

 興福寺や東大寺の背後には、うっそうとした春日山がある。模型は興福寺や東大寺の前面の町屋を再現していた。びっしりと町家が埋まっていた。

 平城京や平安京や江戸の街には、広い街路が配置されていた。木造の都市の大敵は火事だ。その火事から町を守るため広い街路が必要であった。

 ところが、この奈良の町には、広い路がない。町の中を狭い路地が迷路のように曲がりくねっている。

 現在の奈良には、広い大宮通りが県庁に向かっている。県庁付近では鹿たちが悠々と歩き回っている。しかし、当時の奈良の町並みは、想像もできないほど狭く、凝縮した町だった。たしかに、奈良盆地全体の人口は多くはなかった。しかし、奈良の中心は、人口密集の濃密な町屋であった。

 都が奈良から京都へ遷都してからは、奈良は交流軸からはずれた。奈良の人々は町屋に集まり、肩を寄せ合うように濃密な共同体を形成していた。

 この密集する町家の人々が、正倉院を守った。

町衆が守った
 奈良の町屋で生活する人は、みな顔馴染みだった。隣の家族も、向こうの家族も、小さい頃からみな知っている。

 この濃密な町に、不審な者や犯罪者など一歩も立ち入れない。男衆だけではなく女衆や子供の視線も怪しい者の侵入を防いだ。

 怪しい者たちが正倉院にたどり着くには、この町屋の狭い路地を抜けなければならない。密集する家々の内側から、町屋の男衆や東大寺の僧兵が待ち構えていた。彼らは槍を構え、怪しい者が路地に浸入してきたときに、何本もの槍をただ突き出せばよかった。

 夜盗や狼藉者にとって、この迷路は危険過ぎた。盗賊たちは、正倉院の宝物を奪うことを諦めた。

 正倉院が守られた理由は、日本の夜盗の道徳心や倫理観ではない。

 正倉院が守られたのは、密集した町家と狭い路地とそこに住む人々の存在だった。

 奈良の町屋が、人類の奇跡の正倉院を生んだ。

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【竹村公太郎】人類の奇跡の正倉院-なぜ、奪われなかったかーへの6件のコメント

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  2. ts より

    なるほど・・・
    縄文時代から続いてるDNAが、この時代に来て発現したのかもしれませんね・・・

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  3. しんたろう より

    密集した町家のなか火災で焼失しなかったことも誠に不思議な「宝物の力」ですねぇ

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  4. この世は既にあの世 より

    なるほど、なら現代も盗っ人の素養があるシナ人、ベトコン、パンツ泥棒、自民党議員、経団連、連合の連中を殺しましょうや。

    平家で印象があるのは名古屋市中村区の朝鮮街ですね。

    まあ、でも古代の宝物も飾るだけなら売ればいいのに。糞民族、糞国家が過去の栄光に浸る意味はありません。

    やよい軒に行くと4人家族が2組別々に入ってきて、旦那は大変、ご飯よそおいに行ったり、家族分のお茶を用意したりして、女房は奥の席にどっかりと腰を降ろし、時々子供を叱る。

    日本男児も使い走りになり、気の毒ですなあ。

    後から入って来た50代以上の夫婦になると奥さんが率先してお茶を用意してた。

    三橋さんも子育てなんかして痩せていないで、女性に任せればいいんですよ。

    しかし45歳のインリンはムカつきますね。どうしておばちゃんになると水着姿を晒したりして色気付くのか?同級生もそうだけど。おばちゃんを甘やかしてはいけない。

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  5. この世は既にあの世 より

    藤井くんは何かおかしいぞ。

    柴山先生も黙ってしまったじゃないか。

    高市は新自由主義者だで。

    藤井くん「安倍も半分くらい新自由主義者」←お前、頭大丈夫?安倍が一番新自由主義者やで。

    藤井お前はわざとすっとぼけてるやろ?それかただの馬鹿。

    な、お前みいのを金属バットか何かてフルスイングしてやるのが俺ら世代な。

    日本史上、最強世代は俺世代。非情に人殺しだって出来る精神を持ってる世代や。

    適当なこと言って、なあなあで済ます世代やないで、押しかけ、先ずどついて吐かせる。これがケジメ。

    新党くにもり、、、要らんなあ。要らん。今更ね、シャッター通りがどうたらこうたら、、、今気付いた?アホやろ?鈍いのう。

    安倍政権下の尖閣対応は綺麗な尖閣対応、そのほかは汚い尖閣対応、、、馬鹿丸出し。

    そういう人間を政治家にしたところで糞の役にも立ちはしない。

    水島お前は自分は批判されるのは嫌で、自分は誰かを勝手に反日勢力認定し、自分が批判するのはOKか?だから団塊世代はダメ世代、ダメ人間、早よ死ね世代と言われるんだよ。

    水島くん、高齢者は温泉旅行、家庭菜園、犬の散歩でもしときなさいと何度言っらわかるのかね?

    高齢者が時代を切り開くんじゃないんだよ。解るかね?水島くん。

    美味しいんだろ?甘い汁を吸っていたいんだろ?

    やめられないよなあ、ただ飯食いは。

    やめられない、働かないでただ飯を食べる自民党議員も。ただ飯だけじゃ飽き足らず、犯罪までしちゃうもんなあ。自民党議員は。

    美味しいか、美味しくないか?団塊世代の判断基準は死ぬまでそれ。だからやめられない。

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  6. 何か ある より

    オシャンティーな 書 だこと と

    藤三娘(光明皇后)の
    楽毅論 を 臨書したことある

    も、、

    あまりの 個性の強さに 吐き気をもよおし
    二行と 続けられず。。

    やまとは くにの まほろば

    そして

    彼女には 人知を超えた 何かが
    ある。。。

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