コラム

2021年5月8日

【竹村公太郎】沖積平野の誕生と再構築

専門家の罠
 2年前の5月の本メルマガで海面上昇に関する予測について述べた。それ以降も筆者は海面上昇について様々な場面で述べてきた。海面上昇についての私の意見は下記のような内容である。

>海面上昇に関して、専門家の計算の相違による予測値の幅など問題ではない。問題は「海面上昇の全ての予測線が下に凸であり、2100年以降から上昇傾向になる」ところにある。

>この地球は2100年で終わる命ではない。地球はその先、何千年、何万年、何千万年と続いていく。2100年などはすぐそこにあり、それ以降も海面は上昇し続けていくこととなる。

>仮定として、一千年後で海面が約10m近く上昇すると、何千年後の日本列島は一体どうなるのか。これを知るために、コンピュータで日本列島周辺の海水面を上昇させてみた。

>(図―1)は、現在の日本列島の地形図である。

(図―2)は、海面が10m上昇した時の日本列島である。

国土の10%の沖積平野は水没するが、日本列島の90%は水没しない。水没する平野は、石狩、新潟、関東、濃尾、大阪、徳島、岡山、広島、筑後平野である。沖積平野を失うことは、現在の文明を失うことである。

一千年オーダーの未来において、日本人は何百年間かけて、縄文時代の舞台であった丘陵地帯へ帰って行き、文明の再構築をすることになりそうだ。

>新たな文明の再構築のための時間は十分ある。ただし、丘陵地帯に文明を再構築する間は、防潮ゲートなどで狂暴化する高潮を防ぎながら高台へ撤退していく必要がある。殿(しんがり)の厳しい戦いが待っている。

 以上が主な内容であるが、何人かの友人や読者から問いがあった。「現在の文明を失っていく」という私の意見に対しての疑問であった。私は、自分の説明不足に気が付かされた。

 友人たちは「沖積平野」という言葉を理解していた。「気候温暖化」、「寒冷化」そして「海面変動」という言葉も理解していた。しかし、それらの用語を長い時間軸の上で順番に並べて、「日本文明の誕生」と「日本文明の再構築」の整理をしていなかった。

 整理できていない理由は簡単だ。急に「何千年、何万年」という時間軸を聞かされても、人々はそのような長い時間軸の概念に慣れていない。日常生活で口に出すことなど絶対にない。日常生活に馴染まない時間軸で物事を整理しないのは当たり前であった。

 長い時間軸を急に持ち出して「日本文明の再構築」の結論を言い出したのは乱暴な説明であった。私は専門家の罠にはまっていた。

ダム現場での時間軸
 私は人生の前半を、ダム建設に捧げてきた。ダム技術者間での会話では、時間軸が長い。何しろダム建設の相手は地形と地質である。

 大学を出て建設省に入った私が、最初に投入されたのが鬼怒川上流の川治ダム工事事務所であった。4月1日の建設本省での入省式の後、鬼怒川の現場に挨拶に向かった。事務所に行き、緊張して所長室に入った。背の高い、凛とした所長が挨拶を受けてくれた。

 所長は「明日から研修に入るのだね。研修では飲みすぎたり、暴れたりしないように。この本を読んでおくように。研修が終わったら、現場で必要になるから」と言って渡されたのが『岩盤力学』という分厚い本であった。

 その本がダム技術者としての扉であった。研修所で本を開いたが、難しかった。何しろ何億年、何千万年、何百万年という時間軸の岩盤の話である。3億年~2億年前の秩父古生層、2億年~1億年前の中世層そしてそれ以降の新生代層とあった。

 まったく理解できないまま、憂鬱になって研修を終えて現場に向かった。それからの約20年間、3カ所のダム現場と土木研究所のダム計画官、そしてダム行政官として歩むこととなった。そのダム技術者としての歩みでは、主に2300万年前の新第三紀の岩盤と200万年前の第四紀層の岩盤との格闘が続いていった。

 ダム岩盤を相手にしているうちに「何万年」というような単位が自然と身についてしまった。自分に身についた専門用語を不用意に使ってしまう専門家の罠にはまっていた。
やはり、もっと丁寧に説明しなければならなかった。

日本列島の骨格
 日本列島は約500万年前に形成された。しかし、海面上昇の議論は2万年前のウイスコンシン氷河期から始めるとわかりやすい。時間軸を少しでも人生の時間軸に近づけられる。
 (図―3)は地球の34万年間の気温変動の遷移である。

図を作成した元データは、2000年(平成12)に国立極地研究所の教授に教えていただいたデータである。そのデータは、南極の氷床をボーリングして得た酸素同位体組成の数値データであった。この数値は当時の大気温を示していた。データが極めて膨大な数値データだったため、200年平均値を算出し、3,000年間の移動平均値を求めた。

 この作図は、私たち土木技術者が作業したもので、地球物理学的な正確さには欠ける。しかし、地球の長期の気候変動の傾向は十分理解できる。

 この図では、2万年前のウイスコンシン氷期や、6,000年前の縄文前期の温暖化が明瞭に表現されている。この地球の大気温度の変化に基づいて、日本列島形成の物語を述べていく。

>ウイスコンシン氷河期には、降り注いだ雨、雪は陸上で氷になった。そして、冷却された海水は収縮していった。

>氷河形成と海水収縮で、海面は現在の海面から120m低下していたと推測されている。

>(図―4)の①で、2万年前のウイスコンシン氷期における日本列島と海面との関係を示した。

>海面が低いウイスコンシン氷期においては、列島の山体から流れ出る土砂は、河川によって海底の奥底まで運ばれていった。

>この時期には、日本列島の骨格に平野がなく、日本列島全体が山体で構成されていた。

沖積干潟の誕生
>ウイスコンシン氷期から地球の温暖化が開始された。(図―3)で示されるように、2万年前から大気温度は上昇していった。

>氷河は溶け出し、水が海に流れ込んだ。海水は温められ温度膨張が開始された。

>約1万4千年間、氷河の融解と海水の膨張で海面は上昇していった。

>今から6,000年前の縄文前期、海面は現在より数m上昇していった。

>日本列島の山体の周辺にある低地に海が侵入していった。この現象は縄文海進と呼ばれている。

>海が侵入したところに、陸から土砂を含んだ河川が流れ込んだ。
>海水が淀んでいる所に河川が流れ込めば、河川の勢いは急に弱まる。

>河川が勢いを失えば、運ばれてきた土砂は浅い海底に向かって沈降していく。

このようにして6,000年間、土砂が蓄積し続けたのが沖積平野の基礎となった。(図―4)の②でその様子を示した。

>6,000年前から地球は寒冷化に入って行った。(図―3)で6,000年前から現在まで大気温は降下している。

>次第に地球は冷えて、陸地で氷河が再び発達していった。

>海水は冷却され、海水は収縮していった。

>氷河の発達による海水減少と海水収縮で、海水面は低下していった。

>海水面が低下すると、日本列島周辺の低地に6,000年間堆積していた土砂が顔を出し始めた。

>その土砂は、広大な干潟として日本人の前に登場した。

これ以降の日本列島の歴史は、地球の気候変動の物語から、人間の物語にバトンタッチされていく。

 日本列島の沖積平野の人間の物語を創った最初の人は、徳川家康であった。

大湿地の関東
 1590年、豊臣秀吉は北条氏を破り、天下人となった。秀吉は家康に戦功報償として関東を与える、という名目で家康を江戸城に移封した。この移封は正確に言えば、家康を江戸へ幽閉することであった。

 何しろ江戸城から見る関東は、見渡す限りの不毛の湿地帯であった。

 話は縄文時代に遡る。縄文時代前期、海面は数m上昇していた。海は関東地方の奥まで進入し、関東平野は海の下にあった。利根川、渡良瀬川そして荒川が関東の低地に流れ込み、海面下で膨大な土砂を堆積させていた。

 縄文時代から地球の寒冷化が進み、家康が江戸に入った時には、海面は約数m下がっていた。海面が下がると、6,000年の間に堆積した土砂が、広大な干潟湿地として顔を出していた。

 この干潟は厄介な湿地帯であった。少しでも雨が降れば、何本もの川の水が押し寄せて、何週間も何カ月間も水浸しになっていた。逆に、高潮ともなれば、海水は干潟の奥まで進入して使い物にならない塩水で溢れていた。

 家康は秀吉によって、この不毛な関東に移封されたのだ。家康は激昂する武将達をなだめ、関東一円を鷹狩りと称して歩き回った。新領地の関東地方の現地踏査であった。家康のこのフィールドワークは、日本の歴史で重要な意味を持つこととなった。

 家康はこの関東で「宝物」を探し当てた。その宝物は、全国制覇を確実にするとてつもない代物であった。大湿地の関東を穀倉地帯に転換させる鍵となる地形の発見であった。

関東平野の誕生
 関東を歩き回った家康は、ある地形に気が付いた。(図―5)は当時の関東地方を再現した地形図である。

地形ではっきりわかるのが、利根川は現在の千葉県の関宿付近の台地で行く手をブロックされ、流れは南の江戸湾に向かっている。

 もし、この台地を削れば、利根川の流れは江戸湾に行かずに、銚子に向かう。厄介な利根川の洪水が江戸湾に来なければ、目の前に展開する湿地を干拓するのは簡単だ。この広大な干潟は日本一の穀倉地帯になる。

 他の大名の領地を武力で奪わなくても、膨大な財産が手に入る。家康はこの大湿地帯の下に眠る大穀倉地帯を見抜いた。

 1600年の関ケ原の戦いが開始される以前の1590年代、早くも家康はこの利根川を銚子に向かわせる工事に着手した。しかし、天下を分ける関ケ原の戦いが開始されたため、工事は一時中断した。

 家康はその大戦に勝利した。1603年に征夷大将軍の称号を受けると、家康はさっさと江戸に戻ってしまった。関ケ原で勝利したとはいえ、まだ、豊臣家は大坂城に君臨していた。西には島津家、毛利家、黒田家等々天下を虎視眈々と狙っている大名が構えていた。

 それにも関わらず、家康は天下覇権など興味がないかのように、箱根を超え、東の江戸に行ってしまった。

 なぜなら、家康には戦いが待っていた。それは人間同士の戦いではなく、過酷な関東の地形との戦いであった。利根川の流れを東の銚子に向ける「利根川東遷」工事という戦いであった。

 家康は50年間、天下を取るために人と戦い続けてきた。今度はその天下を治めるため、地形との闘いを開始しなければならなかった。

 日本一の大穀倉地帯になる関東の沖積平野は、家康の帰還を待ち望んでいたのだった。
 
 東京首都圏は沖積平野の上に築造された。沖積平野は何千年もの河川の土砂堆積で形成され、400年前の家康によって成形された。

 300年後か500年後に気候温暖化が進展すれば、海面は上昇していく。海面が上昇すれば、日本の沖積平野は海面下に向かって行く。何千年かの後、日本の沖積平野はなくなり、日本列島は(図―2)のような地形となる。

しかし、日本列島はしっかり姿を残し、海に浮かんでいる。

 日本文明は2,000年以上存続していた。人類の文明史で、生き残り、存続した最古の文明である。未来の地球が温暖化をして、地球上の海面上昇がどのように想定されようとも、日本文明は存続していくこととなる。

 2019年に大ヒットした新海誠監督の「天気の子」の最後の場面は印象的だった。

 関東の低平地は海の下になっていた。新橋、浜松町間のJR線の高架を電車が走っていたが、その高架の下まで海面が上昇し、筆者の行きつけの焼き鳥屋は海面下になっていた。その海には大型の船が行き来していた。

 人々は武蔵野台地の高台でのんびりと暮らしていた。

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広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密

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【竹村公太郎】沖積平野の誕生と再構築への3件のコメント

  1. たかゆき より

    (図―3)

    この図から 推測されること

    それは これから ますます
    寒冷化に向かっていく。。

    無学な小生は そのように
    読んでしまいましたけど、、

    >300年後か500年後に気候温暖化が進展すれば

    その根拠が 理解できません。。。

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  2. 大和魂 より

    科学者か科学技術者の竹村先生も、これまでの社会経験上から科学的要素からと現場的な要素の違いについての理論上の理屈が異なる場合の、不思議な体現をなされたことと思っています。

    それは、科学者でありながらメディア関係者の利権に群がり東京大学の権威を振りかざして、やみくもに理屈だけの寝ぼけた持論を展開している、武田邦彦みたいな【今だけ 金だけ 自分たちだけ】の輩的な間抜けの存在とは、相対的な存在でいらっしゃるからです。

    それで、彼らは彼らの所属するスポンサーであるメディア関係者や国際社会の金融勢力についての批判は、口が裂けても出来ないことは自明であるのと、なにしろ国際社会を撹乱して蝕むからであって、結局は歴史の変節が明示しているようにパンとサーカスにより政治の分断を謀り、その因果関係すら認識が出来ないからです。

    つまり虎八関係者も財務省関係者と同類であり、ここでも対立したフリの猿芝居を展開中の、大阪の弁護士とハゲ作家が演じていることだから、大阪の間抜け維新の会関係者とメディア関係者と卑怯な火事場泥棒の国民民主党だけは、絶対に許さないわけ。

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