From 佐藤健志
2011年、神社本庁があるポスターを制作しました。
目を閉じて微笑んでいる女性の顔をとらえた白黒写真のバックに、日の丸をあしらったもの。
コピーいわく。
「私 日本人でよかった。」
ポスターの下には小さな日章旗があり、
「誇りを胸に日の丸を掲げよう」
と書かれています。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-39893086
6万枚が印刷され、依頼のあった全国の神社に無償で配られました。
ポスター制作の時期からして、2010年代前半のことでしょう。
現在は神社本庁にも残っていないそうです。
ところがこのポスターが、今年に入って物議をかもす。
京都にいっぱい貼られていたとかで、
「外国人の観光客が多数訪れる地にこんなポスターを貼りまくるのは、排外的なナショナリズムの高まりではないか?!」
というお決まりの話になったのです。
ついでにポスターには、制作者や関係団体の名前が記されていなかった。
つまりは誰がつくったのか分からなかったのですが、ここに来て、神社本庁制作であることが報じられる。
以後の経過については、NEWSポストセブンの記事を引用しましょう。
折しも、森友学園騒動で神社本庁と関係の深い「日本会議」や「愛国教育」が話題になっていたことが重なり、“神社本庁製作”情報はネットを席巻。ポスター騒動は否定・肯定の両陣営に分かれて一段とヒートアップした。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170515-00000011-pseven-soci&p=1
ちなみに、先に紹介したBBCニュースの記事は
「ポスターは一見、他意のない愛国心を訴えているようだ」
と留保をつけつつも、
「右翼的な国家主義の広がりをただでさえ懸念する人にとっては、気がかりな内容だった」
と報道。
ジャーナリストの青木理さんも、
「あからさまな日本礼賛のようなキャンペーンは、安倍政権が進める歴史修正、復古主義的な空気の中、
政権のコアな支持層である日本会議のキャンペーンなどと歩調を合わせているのでしょう」
とコメントしました。
けれども、これらの批判に説得力はありません。
ポスターのメインコピーは、「私 日本人でよかった。」だからです。
「日本がどうであろうと、日本(人)にとって日本よりいい国はないのです。私にはそれだけで、日本を肯定する理由は十分のように思われる」
とは、かの福田恆存さんの名台詞。
(『平和論にたいする疑問』序文。表記を一部変更。原文旧かな、カッコは引用者)
誰にとっても、日本が世界で一番の国かどうかは知らないが、
日本人にとって、日本が世界で一番の国なのは当たり前じゃないか?
というわけです。
まったくもって、おっしゃる通り。
日本人が「日本人でよかった」と思うのは、日本社会が(多少のことはあっても)うまく機能していることを示すものであり、しごく当然の話にすぎません。
BBC風に言えば「他愛のない愛国心」。
万一、そう思えなくなっていたら、それこそヤバい事態でしょう。
裏を返せば、このメインコピーの論理にしたがうかぎり
アメリカ人なら「私 アメリカ人でよかった」と思うはずだし、
ロシア人なら「私 ロシア人でよかった」と思うはずだ(以下同様)
ということになる。
すなわち「日本人は他の国民よりも優れている」という結論を、ここから導き出すことはできません。
〈非日本人にたいして、日本人の優越性を受け入れることを求めている〉
とか
〈非日本人にたいして、日本人になれと勧めている〉
とは解釈しがたいですからね。
ナショナリスティックではあっても、排外的ではないのです。
また神社本庁制作ということで、「国家神道復活の願望」を読み取る向きもあったようですが、
ポスターのメッセージは、国旗掲揚の推奨。
他の宗教にたいする神道の優越性を説くわけでもなければ、
〈日本人なら神道を信奉しよう〉と勧めているわけでもない以上、この解釈にも無理がある。
神社本庁教化広報センターも、「祝日の意義と休日の国旗掲揚を啓発するため」に制作したと述べました。
アメリカでは小学校の教室に、星条旗がふつうに飾られています。
生徒はそれに忠誠を誓うのです。
休日の国旗掲揚を勧めるぐらい、じつに控え目というか、慎ましやかなものじゃないですか。
けれども最大の傑作は、
「安倍政権が進める歴史修正、復古主義的な空気」に歩調を合わせたのではないかという青木理さんのコメント。
ポスターがつくられた2011年、わが国では民主党が政権を担っていたのです!
9月2日までは菅直人内閣、以後は野田佳彦内閣でした。
まだ存在してすらいない政権の方針に、どうやって歩調を合わせられるのか?
神社本庁には予知能力者でもいるのか??
\(^O^)/!!これぞ大笑い!!\(^O^)/
・・・しかし困るのは、このポスターに別の大笑いがひそんでいたこと。
モデルとなった女性は、なんと中国人だったのです!!
BuzzFeed Japan の記事によれば、神社本庁の教化広報部教化課(※)の担当者は、これを聞いて「えっ」と驚いたとのこと。
女性の国籍については把握していなかったらしい。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170509-00010001-bfj-soci
(※)NEWSポストセブンの「教化広報センター」と、微妙に名称が異なりますが、記事の通りにしておきます。
ポスターのデザインは、複数の会社に頼んで決めたものの、「私、日本人でよかった。」を担当した人物は現在、「団体」(注:神社本庁を指すのか、デザイン会社を指すのかは不明)にいないそうです。
NEWSポストセブンの記事にも、以下のコメントが出ていました。
「デザインや画像使用はすべてデザイン会社に一任しており、神社本庁はモデルの国籍について承知していません」
・・・おいおい。
これって要するに、
〈丸投げしたので、あとのことは知らないし、責任も持てない〉
ということじゃないですか。
何とも投げやりで、誇りのない話。
これで「誇りを胸に日の丸を」もないものです。
さらに見過ごせないのは、神社本庁の担当者がこの件について、以下のようにもコメントしたこと。
「日本人でなくても、あくまでイメージなので大きな問題はないかとも思います」
(BuzzFeed Japan)
「たとえ中国人だったとしても、トータルのデザインとしてのイメージなので、特段の問題はないと考えます」
(NEWSポストセブン)
冗談じゃない!
日本人が「日本人でよかった」と言っているからこそ、ポスターは健全なナショナリズムたりうるのです。
非日本人に「日本人でよかった」と言わせたら
〈日本人であることは、他の国民であることよりも優れている〉
ということになりかねないじゃないですか。
だいたい中国人が、なんで日本の国旗を、誇りを持って掲揚しなければならないんですかね?
皮肉な話ですが、モデルが日本人でなかったことによって
「私 日本人でよかった。」ポスターは、排外的と批判されても仕方ないニュアンスを帯びたのでありました。
そして一番とんでもないのは、「イメージなので」というタコな言い訳。
神社本庁にとって、日本人であるかどうかはイメージの問題にすぎないようなのです。
天照大神が聞いたら、嘆いて天の岩戸にこもっちゃうんじゃないでしょうか?
だ・か・ら
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
https://www.amazon.co.jp/dp/475722463X(紙版)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06WLQ9JPX(電子版)
日本人であるかどうかが、そもそもイメージでしかないとすれば、
「右翼的な国家主義の広がり」や「歴史修正、復古主義的な空気」はむろんのこと、
「日本を取り戻す」や「JAPAN IS BACK(日本再興戦略)」なども、ただのイメージにすぎなくなります。
きっとそうなのでしょう。
国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去ったんですから。
なお次週、5/31はお休みします。
6/7にまたお会いしましょう。
ではでは♪
<佐藤健志からのお知らせ>
1)6月1日発売の『ZAITEN』誌(財界展望新社)に、『右の売国、左の亡国』をめぐるインタビュー記事が掲載されます。
http://www.zaiten.co.jp
2)日本文化チャンネル桜の番組「闘論! 倒論! 討論!」に出ます。
テーマ:日本人として安倍政権に物申す(仮)
放送予定:6月3日(土)20:00−23:00
http://www.ch-sakura.jp/topix/1589.html(週間番組表)
3)オピニオン誌『伝統と革新』26号(たちばな出版、季刊)に、評論「『進歩』の終わった時代に」が掲載されました。
http://www.tachibana-inc.co.jp/detail.jsp?goods_id=3329
4)戦後脱却が、「あくまでイメージ」のまま進められていることをめぐる体系的論考です。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』(徳間書店)
http://www.amazon.co.jp//dp/4198640637/(紙版)
http://qq4q.biz/uaui(電子版)
5)それどころか、わが国では保守であれ、左翼・リベラルであれ、「あくまでイメージ」程度の自己認識しか持っていない恐れが強いのです。
『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は終わった』(アスペクト)
http://amzn.to/1A9Ezve(紙版)
http://amzn.to/1CbFYXj(電子版)
6)「日本人であること」がイメージにすぎないのですから、戦後の歴史がおかしくなるのも当然と言わねばなりません。
『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』(祥伝社)
http://amzn.to/1lXtYQM
7)「革命派はいい加減な理屈をこねまわし、声高に叫ぶことを得意とする」(279ページ)
きっと彼らも、「トータルのデザインとしてのイメージ」しか持っていなかったのでしょう。
『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)
http://amzn.to/1jLBOcj (紙版)
http://amzn.to/19bYio8 (電子版)
8)「もっともな言い分と、メチャクチャなタワゴトとが、十分な考えもなしに混ざり合っているのだ」(240ページ)
「トータルのデザインとしてのイメージ」しかない議論にたいする、的確かつ痛烈な指摘ですね。
『コモン・センス完全版 アメリカを生んだ「過激な聖書」』(PHP研究所)
http://amzn.to/1AF8Bxz(電子版)
9)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
ツイッター http://twitter.com/kenjisato1966