From 佐藤健志
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●●自虐史観はなぜ作られたのか、、、
月刊三橋の今月号のテーマは、「大東亜戦争の研究〜教科書が教えないリアルな歴史」です。
http://youtu.be/cx6gcrylFvc
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8月14日に発表されると言われる、戦後70周年の総理談話について、各方面で論議が高まっています。
本紙でも上島嘉郎さんが、「安倍談話に望むこと」という記事をシリーズで書き続けているのは、みなさんご存じのとおり。
実際の内容は、むろん発表されなければ分かりませんが、先の戦争について〈反省〉は盛り込む一方、〈謝罪〉、ないし〈お詫び〉は盛り込まない線でまとまりそうな模様です。
(※)その後、談話には〈お詫び〉も盛り込まれるという趣旨の報道がなされました。ただし〈反省〉のみにしようとする動きが強かったのも事実ですから、ひとまず脇に置きます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150810/k10010184361000.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150811-00000006-asahi-pol
つまりは「反省と謝罪の分離」ということですが・・・
ある事柄について、反省するが謝罪はしないとは、具体的に何を意味するのでしょうか?
両者の境界線はどこにあるのでしょう?
辞書を引いてみると、答えはわりと簡単に出てきます。
広辞苑における「反省」の定義をどうぞ。
はんせい【反省】
自分の行いを顧みること。自分の過去の行為について考察し、一定の評価を加えること。
(表記を一部変更、以下同じ)
続いて「自己の精神生活に、統覚または注意の作用を向けること」という小難しい定義も出てきますが、これは哲学用語、ないし心理学用語として使われる場合の意味なので、ここでは取り上げません。
してみると反省とは、自己完結的というか、基本的に自分の内面においてするもの、となります。
ついでに「一定の評価」を加えるのですから、過去の行為を必ずしも全否定しなければならないわけではありません。
「良かれと思ってやったものの、みごとに裏目に出てしまった」とか、「全体的には大失敗だったが、評価すべき点も多少はある」というのも、反省のうちなのです。
逆にこちらは「謝罪」の定義。
しゃざい【謝罪】
罪や過ちを詫びること。
そして「詫びる」の定義のうち、7番目はこうなっています。
(困惑のさまを示して)過失の許しを求める。謝る。謝罪する。
つまり他者の存在が前提というか、相手との関係においてすることなんですね。
ついでに許しを求める以上、基本的には過去の行為の全否定が条件となるでしょう。
ならば昭和の戦争について「反省するが謝罪はしない」とは、
あの戦争に関して、事実を知ろうとする努力や、真剣に考察する努力はこれからも惜しまない。ただし、頭ごなしに全否定すべきものとして、いつまでも許しを求めつづけることはしない。
ということになります。
事実、政府主催の政策会議「21世紀構想懇談会」の座長代理である北岡伸一さんは、本年6月7日、読売新聞で次のように述べました。
いわく。
大事なのは反省のほうである。私はあまりに謝罪を強調することには反対である。日本はもう何度も謝罪をし、関係国はそれを受け入れると表明している。(中略)
では、謝罪ならぬ反省では、何が必要だろうか。まず、若い人のみならず、日本人の多くは、近現代史の知識にはなはだ乏しい。これは是正する必要がある。
北岡さんの提唱する「謝罪ならぬ反省」の概念が、今まで展開してきた議論と一致するのは明らかでしょう。
このような〈反省〉と〈謝罪〉の分離を、私は妥当なものと考えます。
ところが。
上記のニュアンスを保ったまま、〈反省〉を英語に訳すのはけっこう難しい。
たとえば総理が4月にアメリカ議会で行った演説では、〈反省〉にあたる表現は「(deep) repentance」「(deep) remorse」となっていました。
http://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html
辞書を引けば分かりますが、どちらの言葉も、たんなる「反省」より踏み込んだ意味合いを持っています。
〈罪悪感や後ろめたさを抱え、悔い改めねばと思っている〉という感じになってしまうのですよ!
これでは謝罪して当然ではありませんか。
ちなみに中国語の辞書を引いてみても、〈反省〉(fanxing)の語義は「(内面的に)自己批判する」「謹慎する」となっています。
文字こそ同じですが、日本語の「反省」より、やはり踏み込んだニュアンスがうかがわれる。
「停職反省」(=停職謹慎処分)なんてフレーズまであるそうです。
今回の談話に〈お詫び〉が結局盛り込まれるとすれば、それは〈反省〉のニュアンスを十分正確に発信できなかったせいで、〈謝罪〉と切り離せるまでにいたらなかったということではないでしょうか?
と、なると。
「反省と謝罪の分離」を達成するには、歴史認識について云々する以前の問題として、まず「反省」という言葉自体を的確に翻訳することが求められます。
英語の場合、私のお勧めはこれ。
「(serious) reflection」。
直訳すれば「(真剣に)考察する」です。
エドマンド・バークの名著「フランス革命の省察」も、原題は「REFLECTIONS ON THE REVOLUTION IN FRANCE」でした。
バークはイギリス人ですから、他国の革命について〈反省〉する義理はない。
ゆえに〈省察〉と訳されるのですが、この本がフランス革命にたいする鋭い考察を通じて、痛切な反省を迫るものであることは、お読みになった方ならご存じでしょう。
まだ読まれていない方はこちらを。
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「謝罪ならぬ反省」を主張するのであれば、〈反省〉は「リペンタンス」や「リモース」ではなく「リフレクション」と訳すべし!
8月15日を前に、こう申し上げておきましょう。
ではでは♪
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●自虐史観の始まりはGHQの・・・?
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<佐藤健志からのお知らせ>
1)8月17日(月)発売の「表現者」62号(MXエンターテインメント)に、評論「天使の狂気か、人間の正気か」が掲載されます。
2)この本の第一章のタイトルは、ずばり「〈終戦〉を疑え」。
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5)そして、ブログとツイッターはこちらです。
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