From 施光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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月刊三橋の最新号の特集は、「フランス」。
反グローバル資本家を掲げて当選したオランド大統領は、
なぜ、構造改革へと追い込まれたのか? フランスの選択を通して、明日の日本が見えます。
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_sv.php
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おっはようございまーす(^_^)/
数日前に、こんな記事がありました。
「さいたま 小1から英語 政令市で初、正式教科に」(『東京新聞』2015年1月31日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015013102000135.html
さいたま市は、市立小学校で英語を小学校一年生から正式教科にすると発表しました。今年の四月からモデル校数校で先行実施し、二〇一六年度には市内の全百三校に導入するそうです。
上記の記事中でも触れられていますが、岐阜市はもっと力を入れていて、今年4月から市内全校で小学校一年生から英語を正式教科とする予定です。
あいかわらずの英語偏重教育だと半ば感心します…。
ヘ(__`;)ヘトホホ…
ちなみに東京都は、公設の「英語村」を作る予定です。
「東京都が「英語村」開設へ 中高生向け、来春にも検討委」(『日本経済新聞』2014年12月22日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO81184200S4A221C1CR8000/
政府も負けてはおらず、「クールジャパン」の一環として、日本国内にもかかわらず英語を公用語とする「英語特区」を作るという話が昨夏、出てきました。
「「英語特区」創設を提言 クールジャパン有識者会議」(『産経新聞』2014年8月26日付)
http://www.sankei.com/economy/news/140826/ecn1408260011-n1.html
政府肝いりの「クールジャパンムーブメント推進会議」なる有識者会議は、オドロキの提案を行っています。日本人が自分たちの税金でわざわざ英語「租界」を作ってやろうというとても「クールな」(お寒い)提案です。外資は喜ぶでしょうけど。
例えば、「特区内では公共の場での会話は英語のみに限定する」、「視聴できるテレビ番組は(英語の)副音声放送がある番組とする」、「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」、「特区内で事業活動する企業が、社内共通語の英語化や社員の英語能力向上に資する活動を積極的に展開する等の一定条件を満たした場合、税制上の優遇措置を図る」などです。
( ゜д゜)マサカマジデイッテルンスカ…
このような最近の英語偏重教育の流行について、私が最も懸念するのは、子どもたちが母語である日本語や日本文化を、英語や英語文化よりも、価値の低い、劣ったものだと考えてしまうのではないかという点です。
さいたま市や岐阜市だけでなく、数年後には日本中の小学校で英語を正式教科として教えるようになります。当然ながら、私立中学の入試では英語が課せられるでしょう。教育熱心な家庭では、子どもの英語圏への短期留学なども流行ります。
中学・高校の英語の時間では、原則的に日本語禁止の「オール・イングリッシュ」の方針がとられます。(これについては下記の過去記事もご覧ください)。
(【施 光恒】「「オール・イングリッシュ」の愚」『三橋貴明の新日本経済新聞』2014年5月2日配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/05/02/se-37/
大学でも、「一流大学」ほど講義が英語化されていきます。京大は教養科目の半分を英語による講義にするそうですし、九州大学は4分の1の授業の英語化を目標としています。
東京大学の理学部化学科にいたっては、すでにすべての授業を留学生に合わせて英語化してしまいました。日本語廃止ですな…。
(「東大理学部化学科、外国人編入生受け入れ 全授業を英語に」『日本経済新聞』2014年9月30日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H18_Q4A930C1CR8000/
こういう流れのなかで、今後の日本の子供たちは、まず間違いなく「日本語や日本文化は英語や英語文化よりも劣っている」と考えるようになるでしょう。省庁や自治体、国立大学などが「英語化を進めれば進めるほど先進的なのだ、知的なのだ」というイメージを周囲に振りまいているわけですから、子供たちは影響されるはずです。
そう遠くない将来、日本人の多くが、「あの大学、まだ日本語で授業してる。三流大学だなwww」、「社内で日本語が聞かれるようでは一流企業ではない」などと普通に思うようになるのではないでしょうか。
しかしそうなってしまったら、法的には独立国家の体裁を保っていたとしても、日本人のものの見方は植民地下に置かれた人々と似たようなものになってしまいます。
ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏は、ノーベル文学賞候補として毎年のように名前が挙がる人物です。グギ氏は、かつては英語で小説を書いていたのですが、ある時期から自分の母語であるギクユ語で執筆するようになりました。母語で書かなければ、自分たちの本当の感情は表現できないし、文化の独立や発展にもつながらないと考えるようになったのです。
グギ氏は、植民地体制下では一般に、宗主国の人間は自分たちの言語を、現地の言葉よりも価値の高い一種のステイタス・シンボルにしようとすると指摘します。その上で、次のように続けます。
「白人の言葉を学んだ者は誰もが、田舎者である大多数の者とその粗野な言葉を軽蔑しはじめる。選びとった言葉の思考方法と価値観を身につけることによって、彼は自分の母語の価値観から、すなわち大衆の言葉から疎外されるのである」(グギ・ワ・ジオンゴ/宮本正興ほか訳『精神の非植民地化──アフリカ文学における言語の政治学(増補新版)』第三書館、2010年、188頁)。
つまり「英語がことさら重視されることで、現地語は汚名を着せられ、英語と同等の価値がある言語とみられる可能性がなくなる。結果として現地の文化や言語の創造性が妨げられる」というのです。
もちろん日本は植民地下に置かれているわけではありませんが、近い将来の日本の子供たちの多くは、植民地下の人々と同じような状況に陥りそうです。英語的な価値観や思考方法こそ先進的でカッコいいと思いこみ、日本語や日本的価値観、ひいてはそれを身につけている大多数の日本人を軽く見るようになるのではないかと懸念せざるを得ません。
日本の政府や自治体、教育制度自体が税金を使って「これからは英語だぞ〜、日本語は内向きで遅れた言語だぞ〜、賢い子は英語で話し、学び、考えろよ〜」と暗黙のメッセージを発しまくるわけですから。
ここ最近、朝日新聞的インテリの権威が地に堕ち、日本社会はやっと戦後の自虐史観から少しずつ脱しつつあるのに、また新たな、おそらくもっと強力な自虐的世界観が広まってしまいそうです。
「グローバル人材を育成するぞ!」と意気込んだのに、フタを開けてみたら自国の文化や言語に抜き去りがたいコンプレックスを抱えて打ちひしがれる「植民地人ができちゃいました…」なんてことになりそうです。ホント笑えません。
(_・ω・`)ショボーン
イカン、このまま終わると暗い気分を引きずりそうですので、最後にもう少し元気が出る話題を。
当メルマガで私がよく引用する言語社会学者の鈴木孝夫氏は、日本語の持つ「タタミゼ効果」について最近、よく書いています(例えば、鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える──言語生態学的文明論』新潮社、2014年)。
「タタミゼ」とは、もともとは、フランス語で使われてきた比較的新しい言葉で(フランス人が)「日本かぶれする、日本びいきになる」「日本人っぽくなる」といった意味だそうです。柔道のさかんなフランスですので、「畳」が日本のシンボルなのかもしれませんね。
鈴木氏は、この言葉の意味を少し変えて、日本語が、日本語使用者に与える影響について語っています。
海外の日本語研究者や日本語学習者、あるいは日本語教師の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうです。
日本語の持つこうした「人を優しくする力」に着目して、鈴木氏は「タタミゼ効果」と名付けています。
鈴木氏は著書のなかで、多くの実例を挙げています。
例えば、アメリカ人のあるキャリアウーマンは、日本語を学び、日本で暮らした結果、万事控え目になり、自己主張があまりできなくなってしまったそうです。これではアメリカに戻ってきちんと暮らしていけなくなってしまうのではないかと心配になったとのことです。
ロシア人の元外交官は、日本語を学び、日本に滞在している間に、ロシアに帰国すると「日本人になったみたいだ」と冗談を言われるぐらい感じが変わり、やはり人当たりが柔らかくなったということです。
鈴木氏の著書によれば、多くの日本語学習者が、日本語を学ぶと、「柔和になった」、「一方的な自己主張を控えるようになった」、「相手を立て、人の話をよく聞くようになった」、「自分の非を認め、謝ることができるようになった」などの性格の変容を経験しています。
これ、非常に興味深いですよね。以前のメルマガ記事でも書きましたが、日本語の会話では、周囲の状況や他者の気持ちを読み取り、それに配慮して話すことが求められます。
例えば、自分のことを指すときは、英語では常に「アイ(I)」で済みますが、日本語だと、職場では「私は…」、友人の前では「俺は…」、自分の子供の前では「お父さんはな…」などと状況に応じて使い分けなければなりません。
また、日本語の会話では、例えば、ある人のお宅を訪問してそこから帰ろうとするとき、はっきり帰るとは普通言いません。だいたいこんな感じです。
「あのう、それではそろそろ…」
「そうですか。お構いもしませんで…」
「いえいえ、ではまた」
「お気をつけて」
互いに、周囲の状況や相手の気持ちを察する能力を鍛えて、身に付けていないと日本語の会話はなかなかよどみなく進んでいきません(佐々木瑞枝「日本語表現を通してみた『察しの文化』」(濱口惠駿編『世界のなかの日本型システム』新曜社、1998年、所収))。
日本語を学ぶということは、状況や他者の気持ちを読み取る「察する力」「共感」「思いやり」などの能力を発達させ、身に付けることが求められるのです。
日本の治安の良さ、「おもてなし」や「思いやり」の美徳などは、日本語のもつ力が大きいのだといえるでしょう。
(相変わらず日本はとても安全な国のようです。「世界で最も安全な都市ランキング、東京1位 大阪3位」『CNN.co.jp』2015年1月30日配信)
http://www.cnn.co.jp/business/35059735.html
鈴木孝夫氏は、日本語に現れている、他者との共存を大切にする柔和な日本文明の世界観を、世界の人々にもっと知ってもらうべきだと主張しています。私も賛成です。
しかし残念ながら、現在の日本の政治は、日本人自身が、「日本人らしさ」を身につけにくくなるように進んでいます。また子供たちが、日本語や日本文化に自信を持てず、逆に文化的コンプレックスを抱いてしまいかねない国作りに邁進しています。
ホント、日本人が、日本の税金を使いつつ、自分たちが住みにくい社会をわざわざ作っていくという近年のアホな流れをどうにかしないといけませんね。
(`・ω・_)キリッ
いつもながら長々と失礼しますた…
<(_ _)>
<お知らせ>
(1)福岡のカフェで開催されるこじんまりとした勉強会(「学ぶカフェ」)は今月(明後日)に引き続き、来月8日(日曜日)も開催する予定です。場所は変わるかもしれません。詳細は、次回のメルマガでお知らせいたします。お近くの方はぜひ。
「『学ぶカフェ』のご案内〜日本の文化と教育を学ぶ〜」
日時:3月8日(日)午前11時30分から1時間半程度。
場所:R-style (アールスタイル) 福岡市中央区大名1-12-56 TheShops 2F(変更の可能性あり)
会費:1000円(お茶代別)
問い合わせ先:学ぶカフェ事務局
manabucafe@gmail.com
(お問い合わせ、お申し込みは上記のメールにて)。
(2)3月28日には熊本で中野剛志さんの講演があります( ゚∀゚ )っ
後半部では、中野さんと対談します。ぜひお越しください。
http://ninigi74.com/info/824072
PS
月刊三橋の最新号の特集は、「フランス」。
反グローバル資本家を掲げて当選したオランド大統領は、
なぜ、構造改革へと追い込まれたのか? フランスの選択を通して、明日の日本が見えます。
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_sv.php
【施光恒】「グローバル人材」って「植民地人」のことかもね!?への22件のコメント
2015年2月7日 3:08 AM
どうしてふるさとが、お嫌いになってしまったのでしょう。嫌な事があったの?私は寒い所に住んでおりますので、福岡、憧れます。元気を出して・・いえ、私も人様に申せる立場ではないのです。でも、死にたいなんて言わないで・・。 多くの方が、時代においていかれまいと、必死になり過ぎてしまって、立ち止まって考えられなくなっているだけなのかもしれません。
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2015年2月8日 1:21 AM
自国の中で外国の言葉を、こんなにも日常化させようというのは、とても危険な流れですね。 言語は、国力とも関係していると思います。ここは日本なのに日本語より、英語の価値が高まりつつあるのは、日本の力が弱ってきているような気がして、とても危機感を持ちます。 それなのに、外国語の使用を促すような政策は、外国の力が強くなる事を後押しする売国政策ですね。 あまりにも外国の言葉を押し付けられる事に、抵抗や屈辱を感じても良いように思うのですが・・・。国を戦争などで侵略・占領されて、日本語を禁じられたり、占領した国の言葉を使うよう強制させられた事も無く(現状は、それに準じるような状況になりつつあるように感じますが)恵まれていたから、自国の言葉を自由につかえる事が、幸せな事だと気づきにくい・・のかなあ・・。 施先生の仰る通り、グローバル人材は植民地人、かもしれないですね。 私は植民地人にはなりたくないです。
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2015年2月9日 7:26 PM
“日本人の創造の源となるものが日本語だと考えます”その通りだと思います。それぞれの言語にはそれぞれの言語特有の物事のとらえ方があります。だから マンガ (日本語のアニメのこと)とか ウマミとか カイゼンとかケイレツとかの単語が外国語体系の中でもそのまま使われるのです。英語だけペラペラになって、母語である日本語による思考能力が浅薄なら、 英語ペラペラは 薄ペラペラでしかありません。そんな言語能力はグロ−バルンい通用しません。「英語が話せる」ことより 「英語で話す中身」が大切です。単に英語が話せるだけなら 世界中に何億もの人間がいます。日本語独特の思考様式や概念形成を持たない日本人の英語ペラペラの人はグロ−バル社会には必要ありません。
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2015年2月9日 9:34 PM
TOEICとか未だに叫ばれてますけど、あんなテストは700点台あれば十分だと思います。それ以上何を期待してんだってポジショントークかましてる連中に文句言ってやればいいんじゃないすかね。
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2015年2月11日 5:18 AM
日本は科学技術 工業製品 アニメ 日本映画 などにおいて世界に多大な貢献をしてきました いわば欧米人が創造できないことを日本人は創造してきたのだと思います 日本人の創造の源となるものが日本語だと考えます これを手放すことは日本人のアドバンテージを自ら捨て欧米人と同じ土俵で戦ことを意味し 全ての分野で負けることは確実でしょう これは世界の進歩においても大きな損害となります 日本人が第一回からノーベル賞の候補にあがっていたのは何故か?(今の中国や韓国より相対的に国力や設備などの面で劣っていたのにもかかわらずにですよ) なんだか凄い大切なものを手放してるような気がします
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2015年2月11日 6:44 PM
植民人で最も悲惨で哀れなのは、自分が植民地人であることを自覚していない人々なのかもしれません。英語をしゃべり、日本語をしゃべり、日本的価値観をで生活する日本人を馬鹿にし、見下し、遅れていると見下す英語ペラペラの日本人。これは、植民地支配体制で、宗主国に最も有用された植民地人です。これが、グローバル人材です。素朴な疑問ですが、グローバル人材で、なぜ英語なのかと?他にも汎用性がある外国語が数多くあるのに。英語が有用され、日本語など台所で用を足す程度の言語だとみなされるようになれば、英語のできない日本人を英語のできる日本人が馬鹿にし、見下すようになるという醜悪な時代が来るかもしれません。既にの一部の人達は、自分の子供を国際社会に通用する人間を育成するためにと称して、シンガポールやマレーシアなどで教育移住させていますが、外国語はできても日本のことも知らない、日本人的価値観持たない英語ペラペラの人間が育っているようです。そうした子供達は、「日本人」といえるでしょうか?
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2015年2月12日 3:47 PM
東大理学部化学科の全面英語科の件、本当に情けないです。昔は立派な先生が日本語教科書の作成に尽力していたのに・・・「物理化学実験法」(鮫島實三郎 、裳華房)の初版序文www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-3008-8.htm第一版序言近時本邦國運の隆盛となるにつれて,學術の進歩も大に見るべきものがある.さうして歐洲の二流國にならどうにか負けないだけには學問が進んで來た樣に思はれる.元來我國語は歐米先進國の言葉とは飛びはなれて異ってゐる.これが我々が學問をするのに甚だ不便な點である.(略)けれども日本國民にはやはり日本語の書物や雑誌ばかりで學問が出來ると云ふ事は此上ない結構な,また必要なことである.(略)昭和二年十月 著者識
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2015年2月13日 5:25 PM
「帰途」からの引用を見事この一行にとどめられた点、並なみならぬ心得をお持ちの方と拝見しました。
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2015年2月13日 11:34 PM
あ 「短絡思考」が 「短絡試行」になってました。訂正いたします。
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2015年2月14日 1:13 PM
(長々と失礼しました、これで最後です)注1:念のため断っておきますが、私は日本が覇権的な実力をつけて日本語を世界共通語として各国に押し付けるべきだなどとは微塵も思っていないし、出来るとも思っていません。注2:だいたい、2009年WBCまで、「国際試合だから」という意味不明な理由で鳴り物入りの応援を自粛していて、メジャー側から「自国の文化を披露してくれよ」と言われ2013年から鳴り物入り応援を開始したような国民性を持つ国が、世界を主導するなどと厚かましいにも程がある というものです。
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2015年2月15日 2:44 PM
英語化を吼えてる諮問会議等に参加している人間の国語力と英語力をテストしてみるべきでしょうね。 恐らく国語力も高くないでしょう。英語力も言語学習の定理的に母語が日本語ならそれ以下。 高くない日本語能力以下というこど。 だから 母語が思考能力の基盤であることも認識できない。国語力が弱いとまともな外国語能力もつきません。もちろんここで国語力があるとは 学校の国語のテストの点がいいということではありません。国語力とは国語による思考能力です。これがあって初めて、外国語を学んだときに日本語の強み 弱みも正当に評価できるのです。 英語化を吹聴している人は恐らく国語力も弱いので 単純に日本語と英語が1対1で翻訳可能と思っていると推察されます。だから どちらか流通機会の多い方を学べばよいという短絡試行に陥るのです。私は母語日本語+英仏のトライリンガルですが、英仏の言語を使用するときに日本語で考えてからそれを翻訳していることはありません。そんなこと不可能です。それぞれの言語にそれぞれの思考形式や概念形成がありますから、頭を切り替えて使います。 複数言語を使いこなせている人は皆そうです。
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2015年2月16日 8:52 AM
(さらに続き)自分たちに世界を主導するような実力がなく、また実態としてもそうなっていないのに、あたかも自分たちが世界を主導できる(するつもりである)かのように装うのは、自己欺瞞以外の何物でもありません。 佐藤健志さんの言葉をお借りすれば、こうした自己欺瞞はいたるところで見受けられます。本当は交渉でぼろ負けしているのに「TPP交渉で攻めている」と強弁していること兵站、作戦、兵力いずれも不足が明らかなのに「テロとの戦いを続ける」「テロには断固屈しない」と強がっていること。 実力がないことや負けを素直に認めれば、強くなろうという意識が芽生え、努力を重ねて実際に強くなることもありうるでしょう。対して自己欺瞞は、自分の認識を歪め、自分にとって都合の良い世界観の上に胡坐をかいているだけであり、それ以上の実力を手に入れることは出来ないのです。
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2015年2月18日 4:56 AM
(続き)冒頭の「英語を身に付ける」という発言、「英語が世界共通語なのだから、それを身に付けなければ世界から相手にしてもらえない。」ということを意図しているのでしょう。それは英語を母国語とする人が作り上げた「自らにとって都合がよい」土俵に乗らざるを得ないことを意味します。かかる前提に立てば、英語を世界共通語として使わざるを得ないと認識している時点で、日本(日本人)が世界との競争に勝っていく、世界を主導する などという事はあり得ないと断言できます。本当に「日本人こそが世界を主導する」と意気込むのであれば、その日本人が母国語として利用している日本語こそ、世界共通語としてふさわしい と構え、国際会議や学会等の場でそれを主張していかなければなりません。それも、「こんなことを世界各国の人に対して押し付けるのは失礼だろうな。」「今まで英語が世界共通語として使われてきた実績があり、もう浸透してしまっているのだから今更変えるのは・・・」などと躊躇してはなりません。日本語が世界共通語であることが、さも当たり前であるかのように主張する必要があります。これに対し「そうは言っても、今は英語が世界共通語であり、最新の知見も英語で書かれているものを見なければ手に入らないのだから、まずは英語圏の国が作り上げた土俵に乗らない限り、世界を主導などできないだろう」という反論がありうるでしょう。しかし、仮に世界を主導しようとする気概があるなら「今は仕方ない」という悔しさを胸に秘め、泣く泣くその土俵に乗ったうえで「今に日本語が世界公用語として通用するようにしてやるぞ」と心の中で思い、できることから(例えば、最新の知見を発表する時など、多くの雑誌では英語でしか受け付けていませんが、必ず同内容の日本語版を同時に出す。 そもそも、日本人が行った研究成果や日本人が得た知見を発表するなら、順番としては明らかに日本語→英語 が筋だと思います。)少しずつ実行に移していくべきでしょう。
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2015年2月18日 9:49 PM
「日本人が世界で活躍し、世界との競争に勝っていく、世界を主導するため、世界共通語である英語を身に付け、英語で情報発信できるようにすべきだ。」このように勇ましがるグローバル化原理主義者は施先生が普段指摘される通り、実に多いですね。ですが、英語力を身に着けることと、世界との競争に勝つこととの間には、明確な矛盾が潜んでいることに彼らは気付いているのでしょうか。 現在英語が世界公用語として広く使われている背景は、かつてのローマ帝国支配地域の公用語がラテン語であった例を持ち出すまでもなく、19世紀から20世紀にかけて英語を母国語とするイギリスが、その強大な軍事力をもって世界各国を植民地化し、各植民地で英語を使うよう強要したからに他なりません。イギリスの政治学者、E.Hカーが述べたように、パワー(軍事力、経済力、意見を支配する力)密接不可分であり、軍事力と経済力で世界を圧巻した国が、自らの国に都合よく制度を作ることが出来る。要約すれば「英語を母国語とする国々に実力があったため英語が世界共通語になった」という所ですね。
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2015年2月19日 1:32 AM
考えさせられる内容ですね。英語は話せるに越したことはないと思いますが、英語が良いとなったら猪突猛進のごとく英語のみを中心に考える今の状況は少し恐怖すら感じますね。教育は将来の日本を担うわけですから、日本語を大事にして日本らしい国を考え育んでもらいたいですね。
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2015年2月20日 7:28 AM
話す言葉がいくら豊になっても話す内容は貧しくなっていくと思います。日本語は音読み訓読みあって読み方を学ぶのに時間がかかりますが想像力、連想力等世界有数で頭を使う言語だと思います。読むだけで思考を鍛える訓練になるのです。世界的な名著も多く翻訳されており日本語を勉強するだけで各国の思想に触れることができます。中学で学ぶ英語は英語圏の幼稚園レベルくらいでしょうか?英語のみで議論を深め思考を鍛える人達と2言語を中途半端に学ぶ人達が争えば最初から負け戦だと思います。
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2015年2月21日 1:54 PM
絶望が足りないもっといじめて
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2015年2月23日 8:31 AM
施さまの仰せのとおりです。そもそも言語とはなんぞや?ぼくなりの想いは山ほどありますけれど、、長くなるので今回は割愛させていただきます。理由も述べずに結論を申しあげるのははなはだ傲慢ではございますが、、、英語偏重教育に血道をあげる方々は言語を舐めきっているか言語というものに無知であるかあるいは民を隷民か器の類いにしか見下していない空恐ろしい怪物と感じるしだいでございます。最後に田村隆一の詩の一節「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」を引用してコメントの終わりとさせていただきます。あらあら下手な講演の締めのようになりましたねお赦しあれ。
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2015年2月23日 4:08 PM
タレントのパックンが日本で日本語を学んで日本の習慣に完全に馴染んでしまってアメリカ社会に馴染めなくなってしまったような事を言ってた気がしたな。あの人は思想的にも”日本人化”してますよね。 そういう人をもっと増やして行けたらいいのではないでしょうかね。 英語公用化はやり過ぎだし、かえって英語コンプレックスを生んでしまうのではないでしょうか。最近はグローバル化が民主主義を危うくするって世界中で問題になってるのに政府や財界や官僚は何考えてるんだって感じですよね。
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2015年2月25日 1:25 AM
融合するのもいいけどそん(孫)なんじゃなくてええ子゛ええ子゛って誉められたいだけに特化していくだけなら融合じゃないですよね。最近出身地福岡の何もかもが嫌いになりました。死にたいです、 私はロックを聴くときは日本語のロックを聴いてます。 丸っきりアホなコメント失礼しました。
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2015年2月26日 10:07 PM
施先生の指摘に同感です。植民地と自虐史観の典型ですね英語偏重教育は朝日新聞がインテリの地が落ちたように、その内東京大学もそういう感じしてならないです、東大って学歴偏差値的には日本で一番の大学なんでしょうが変なイデオロギーを持った教授が多いように思います。最近ノーベル賞受賞者も非東大の人が多いですし 感性や独創性が日本人とは違う感じがして、なんか違和感を感じる人が少なくありません。しかもクールジャパンと言いながら英語圏文化を推奨する本末転倒な提案をする有識者というのは学歴は良くても頭が悪い人の典型だなと思いました。ケニアのグギ・ワ・ジオンゴ氏の言葉身にしますね。日本もこういう感性や感覚は大事にするべきだと思います。
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2015年2月27日 10:10 AM
日本国は英語の植民地となったとしても、なんぞ近い将来、中国やロシアの強い影響下に置かれてそうな気がします。そうなると、英語でモノを考えるような馬鹿者は大分困ることになるんじゃないかなぁ、という次第。後は、まぁ、英語が流行ると私にとっては良いこともあります。英語教育を受けた世代には思考の精度において、まず絶対に負けないだろうな、そういう半ば諦観めいた確信でございます。この危機の時代に馬鹿を量産する英語教育なんかやって、日本は本当に亡国に進んでおりますなぁ。
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