From 佐藤健志
少し前になりますが、本年7月19日に寄稿した記事
「保守の対立概念は『反動』なんだってさ!!」では、
わが国の「保守派」と呼ばれる人の中に、対立勢力を「反動」と規定する向きがあることを取り上げました。
https://38news.jp/politics/10800
「反動」の概念は、本質的に「保守」ないし「右翼」としか結びつきません。
よって自分のことを「保守」と規定する人物が、対立勢力(つまり左翼)を「反動」と呼んで批判するのは、
認知的不協和もいいところ、まさに右も左も分かっていない発言です。
しかるに「反動」には、対をなす概念がある。
ずばり「前衛」。
今週はこれについて取り上げましょう。
「前衛」とは読んで字のごとく、前を衛る、すなわち前方の護衛に当たる者。
「行軍の際、本隊の前方にあって進路上の障害を排除し、また、捜索をして本隊戦闘の初動を有利にするなどの任務を帯びる部隊」
というのが『広辞苑』の定義です。
「前衛」にあたる英語「ヴァンガード」(vanguard)も、まったく同じ意味。
vanは、フランス語の avant (=前)から来ていますからね。
ヴァンをガードするから「ヴァンガード」なのです。
芸術の分野でよく使われる「アヴァンギャルド」(avantgarde)は、この言葉のフランス語版。
おそらく「前衛」は、これらを日本語に訳したものでしょう。
しかるに左翼思想の中核をなす進歩主義の考え方では、
人間社会そのものが、より良い状態をめざして行進を続けているようにイメージされます。
となれば、人間社会の行進、ないし行軍にあたっても、
「本隊の前方にあって進路上の障害を排除し、また、捜索をして本隊戦闘の初動を有利にするなどの任務を帯びる部隊」
に該当する存在があるはずではないか?
というわけで、
1)社会変革を率先して担おうとする人々
2)または、そのような妄想に取り憑かれた人々
についても、「前衛」という呼び方がなされるようになりました。
したがって前衛は、もともと左翼の専売特許。
現に日本共産党は『前衛』という機関誌を出しています。
占領中、わが国ではGHQ(占領軍総司令部)による検閲が行われましたが、そのときも『前衛』は
〈同じ共産党が出している新聞『アカハタ』(現・赤旗)と比べても、いっそう先鋭的である〉と見なされました。
誌名に恥じない評価と言うべきでしょう。
裏を返せば「保守前衛」など、本当はありえません。
だとしても、昨今は保守派が左翼を「反動」呼ばわりするご時世。
「左翼反動」が存在するのなら、「保守前衛」が存在して何が悪い!
・・・はたせるかな、保守の側にも、
「自分たちが社会変革を率先して担うのだ」という使命感に取り憑かれているとしか思えない人々が多々見られます。
それどころか、1980年代あたりを境に
〈右のほうが改革(=社会変革)推進に熱心で、左がそれに抵抗する〉
という
「保守前衛 VS 左翼反動」
の構図が成立して久しいのが、わが国の偽らざる現実。
とくに2001年、小泉内閣が誕生したあとは、保守前衛の先鋭ぶりに拍車がかかった感がある。
右と左の区別がつかないと、前と後ろの区別もつかなくなるらしい。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
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真面目な話、こんな使命感、または妄想を抱くと、いろいろ厄介なことが起こります。
〈人間社会はより良い状態をめざして行進を続けている〉
という発想こそ、前衛意識を成立させるうえで必要不可欠なもの。
この行進のことを、ふつう「進歩」と申します。
言い替えれば「進歩」は
1)持続的・系統的な方向性を持った変化であり、
2)当の方向性が「より良い状態」をめざしているもの
と定義できるでしょう。
しかるにお立ち会い。
人間社会はたえず変化していますが、くだんの変化が「進歩」であるとは、決して言い切れません。
第一に社会の変化が、持続的・系統的な方向性を持っているとは限らない。
第二に持続的・系統的な方向性が見られたとしても、それが「より良い状態」をめざしたものとは限らない。
だいたいですな、人間社会が到達すべき「より良い状態」とは何かについて、普遍的な統一見解は存在するのでしょうか?
なるほど、
平和、自由、民主主義、平等、豊かさといった価値は、かなりの普遍性を獲得していると考えて良いでしょう。
だとしても、
〈それらの価値を実現するためには、どのような社会システムが望ましいか〉について、普遍的な統一見解が存在するとは信じがたい。
だからこそ、かつては自由主義と社会主義が対立し、近年はグローバリズムとナショナリズムが対立しているのではありませんか。
とはいえ、これらを認めてしまったら前衛の基盤が崩壊する。
ゆえに前衛は、ウソであろうが何であろうが、以下の三点を信じ込まなければなりません。
でなければ、やっていられないのです。
1)自分たち前衛がめざしている社会変革が望ましいことについては、誰もが賛成するはずである。
2)ゆえに世の人々は、少なくとも潜在的には、自分たち前衛を応援しているはずである。
3)世の中は遅かれ早かれ、自分たちがめざしている方向へと進むはずである。そのときは、自分たちこそオイシイ思いができる。
要するに前衛は、必然的に自己絶対化をきたすのですよ!!
このような自己絶対化が最初に際立った事例こそ、ご存じ、フランス革命でした。
『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所)
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自己絶対化とは、なかなかに気持ちの良いものであります。
前衛になるのも、そのかぎりでは気持ち良いに違いない。
とくにわが国では、保守政党たる自民党が基本的に政権を担っていますので、「保守前衛」にとっては、上記三点もけっこう満たされます。
ただしそれは、
「前衛勢力が変革に成功した結果として権力を握る」
のではなく
「もともと権力を握っていた勢力が前衛化して変革に走る」
という特殊事情のなせるわざ。
上記三点は、本来めったに満たされないのです。
保守前衛の場合でも、
〈新自由主義的な構造改革+グローバル化〉という、長期にわたって人気を集めた方向性すら、
格差の拡大、あるいは国民の全般的な貧困化という現実の前に、行き詰まりの色を濃くしている。
まして〈戦後体制〉や〈対米従属〉から脱却しようとする方向性など、ロクに支持されていない疑いが強い。
自分たちは受け入れられていない!
この事実を突きつけられたとき、前衛はどうするのか?
反応のパターンはこうなります。
1)受け入れられていないという事実を否認する。
2)自分たちを受け入れないヤツは「反動」、または「抵抗勢力」だということにする。
3)受け入れられていないことは(渋々)認めるが、「それ以上に重要、かつ本質的な真実」(※)を持ち出すことで、論点をすり替えて正当化を図る。
(※)代表例は「歴史の必然」。
そうです。
つまりは炎上によって、みずからの認知的不協和をごまかすのです!!
『対論「炎上」日本のメカニズム』(文春新書)では、「炎上政治」という概念が登場しましたが、
これは「前衛政治」と言い替えることもできるでしょう。
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今やわが国では、保守勢力による左翼政治が展開されているのです。
ではでは♪
<佐藤健志からのお知らせ>
1)前衛意識に駆られて行うかぎり、戦後脱却は良くて見果てぬ夢、悪ければ自滅的失敗に終わるでしょう。詳細はこちらを。
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』(徳間書店)
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2)右と左が、それぞれ「保守前衛」と「左翼反動」に変異し、ねじれまくった堂々めぐりを続けるにいたった構造を論じました。
『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は終わった』(アスペクト)
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3)経世済民の道を邁進するはずだった戦後日本が、ねじれまくった堂々めぐりに陥っていった過程の記録です。
『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』(祥伝社)
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4)保守主義とは本来、自己絶対化の対極にある思想。「保守前衛」が台頭している今こそ、原点を振り返りましょう。
『本格保守宣言』(新潮新書)
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5)「ここで展開される主題は、もしかしたら今のところ、広範な支持を得られないかも知れない。時代の流れに乗るには、少々早すぎるのではということだ」(69ページ)
アメリカ独立の気運を煽ったトマス・ペインも、前衛意識の持ち主でした。
『コモン・センス完全版 アメリカを生んだ「過激な聖書」』(PHP研究所)
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6)そして、ブログとツイッターはこちらをどうぞ。
ブログ http://kenjisato1966.com
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