From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
こんにちは~(^_^)/(遅くなりますた…)
最近、米国や英国の保守的な評論家や学者が書いた文章を読んでいると、保守派こそ市場原理主義(新自由主義)から決別すべきだというものがかなり増えてきています。そして、労働者の状況改善にもっと関心を持つべきだという見解も増加しています。
たとえば、最近の『フォーリン・アフェアーズ・リポート』という雑誌(米国の『フォーリン・アフェアーズ』の日本語版)(2021年5月号)には、オレン・キャスという米国の若手保守論客の「新保守主義がなぜ必要か――アメリカ政治再生のカギを握る保守主義の再編」という論説が掲載されていました。
オレン・キャス氏は、1983年生まれで、保守の立場から貧困問題や労働環境の改善を目指す「アメリカン・コンパス」というシンクタンクを運営している若手論客です。2018年に『過去と将来の労働者――米国における労働刷新のヴィジョン』(The Once and Future Worker: A Vision for the Renewal of Work in America (Encounter Books))という本を出版して、話題を呼びました。
キャス氏は、市場を「生産的に人々が協力して取引を行うことを育む、非公式な慣習や公的ルールを整備していくための制度」であるとし、その意味では、保守派と市場経済システムと相性がいいところもあることを認めます。
しかし同時に、キャス氏は、保守派が市場経済に対して懐疑的になるのも十分に自然なことだと述べます。
「市場は人間を物質的利益に、人間関係を取引に還元する。(略)社会を蝕むような行動が報われることもあり、安定したコミュニティの基盤が短期間で突き崩されることもある。例えば、家族を持つ親を二人とも市場でのフルタイム労働に従事させたり、全国から人材をかき集めて多国籍の経済活動のハブに集めたりする。保守派にとって、市場は豊かな社会を維持して発展させるための貴重なメカニズムだが、市場自体が目的であってはならない」。
また、市場が、家庭や地域共同体、あるいは社会の伝統や慣習のような非市場的なものを土台に成り立っている点も忘れてはならないと指摘します。
ですが、市場経済は往々にして行きすぎてしまい、家庭や地域共同体を壊したり、伝統や慣習を存続できなくしてしまったりし、市場経済自体が社会を破壊するようないびつな形でしか機能できなくなりがちです。
実際、下記の記事のなかで、会田弘継氏(青山学院大学教授)が言及しているように、現在では、市場経済の行きすぎが米国で家庭や地域共同体を壊してしまっています。
会田弘継「アメリカが心酔する「新ナショナリズム」の中身――保守主義の「ガラガラポン」が起きている」(『東洋経済オンライン』2019年6月27日)
https://toyokeizai.net/articles/-/288843
米国の保守派にとって、少し前までは「市場経済」と「家庭や地域共同体」こそ、保守派が守るべきものでした。しかし、現在では、この両者は、両立しなくなってしまったのです。
その点を、キャス氏も指摘していると言えます。新自由主義の考え方に基づく市場経済の行きすぎが、家庭や地域共同体といった中間的共同体、ひいては多数の一般国民(庶民層)の生活を壊しているからです。
保守派にとって、「家庭や地域共同体」がより大切なのはいうまでもありません。保守すべき伝統や慣習、なじみ深い生活様式、価値観といったものを、次の世代に継承してく場とは、第一に家庭や地域共同体にほかならないからです。
興味深いことに、キャス氏は保守派の論客ながら、労働組合の再生を訴えています。(キャス氏以外にも、マイケル・リンド氏(テキサス大学教授)など、最近保守派の論客で労働組合の再生に関心を持つ者は多くなっています)。
例えば、キャス氏は次のように書きます。「労働組合は保守派の優先課題でなければならない」。
しかし同時に、現状のアメリカの労働組合活動の実際は、「労働者の生活を向上させるための団体というよりも、民主党の資金調達部門として機能している」と続けています。労組の現状は、労働者の生活を守るという本来の目的ではなく、政治的に偏った活動ばかりしていると批判します。
その点を批判しつつも、キャス氏は、労働組合の本来の理念や役割は大いに評価します。米国社会の再生のために欠かすことはできないと論じます。
「組合は典型的な仲介組織であり、市民社会において、一方では原子化された個人、他方では介入的な国家との間でバランスをとる役割を担い、人々が就業したり、転職したりするのを支援し、労働者間の連帯や経営側との関係を形作り、さらには社会的セーフティーネットの一部を管理することもできる」。
キャス氏のような保守派が労働組合に注目し、その必要を訴えるというのは興味深いですね。
私も以前本メルマガ記事でも書きましたように、新自由主義に基づくグローバル化の進展のため、日本を含む現在の先進諸国では、「グローバルな企業関係者や投資家」と「各国の一般国民(庶民)」との間の政治的影響力のバランスが崩れてしまっています。
【施光恒】「多国籍企業中心主義化」と称すべき
https://38news.jp/economy/12450
そして、「グローバルな企業関係者や投資家」の視点から、日本を含む各国の経済政策が作られることが非常に多くなっています。TPPやRCEPなどの貿易協定もそうですし、外国人労働者や移民の受け入れ策もそうです。また、さまざまな制度も、グローバル企業や投資家に都合のいいように不公正に「改革」され続けてきました。
この状態を是正し、経済政策や制度をより公正なものに、つまりもっと一般庶民の側に立ったものにするためには、労働組合をはじめとする様々な中間団体の活性化が必要だというのです。そういう団体がないと、結局、一般庶民の声は、グローバルな企業や投資家らの大きな声にかき消されてしまい、政府に届かないからです。
キャス氏の指摘は、シンプルといえばシンプルですが、基本的にその通りだと思います。
民主主義とは、実際のところ、社会に様々な中間団体が存在することを前提とした制度なのです。
民主主義が発展してきたのは、欧米や日本ですが、欧米も日本も、様々なギルド(職能団体)や組合(労組や協同組合)、業界団体、寄合い、地域共同体といった多様な中間団体が歴史上、自生的に多数発展してきた地域です。(中国やロシアといった大陸国家は、こうした中間団体があまり発展しなかった地域です。この点については、足立啓二氏の『専制国家史論』(ちくま学芸文庫、2018年)などをご覧ください)。
新自由主義者や左派のグローバリストは、労働組合はもとより農協などの協同組合や業界団体を壊してきました。それらが自分たちのビジネスやイデオロギーの邪魔になると察知していたからでしょう。
「ポスト・グローバリズム」の建設的な構想を練っていくためには、労働組合を含む様々な中間的共同体の再生を視野に入れる必要がありそうです。
【施 光恒】米国の保守派と労働組合への3件のコメント
2021年5月15日 8:04 PM
私事で恐縮なんですが、久方ぶりに施先生の地元の福岡にある歓楽街の博多と天神の様子を、この週末に伺っているところで、土曜は西鉄ビルの建て替えも控えている天神界隈の散策を行いましたが、コロナ人災による変わり果てた姿に愕然とさせられまして、明日は博多駅界隈の散策を行う予定です。
さて、昨日も桜の討論番組を拝見してからの感想としても全ては【国際社会の実態が】きちんと認識できなければ、日本国民であれば公的な立場での政治なんて論外だと思うのです。
つまり、国際社会の縮図は主に西欧なんですからその実、近現代史を学べば欧州の実態までも認識でき、英国や仏国は勿論のこと、それ以外にドイツやスイスやオランダやベルギーなどの実態が認識できれば、その大枠のEUの全体像が把握でき、その本拠地やらBISやらバチカンなどを含めた国際社会全体の諜報組織などが認識できるようになりますから右翼、左翼関係なく米国社会の実態までも認識できるようになります。
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2021年5月16日 8:01 AM
奴婢 奴隷
それらは 生かさず 殺さず、、
それが
主たるモノの 極意 かと。。
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2021年5月18日 11:38 PM
>民主主義が発展してきたのは、欧米や日本ですが、欧米も日本も、様々なギルド(職能団体)や組合(労組や協同組合)、業界団体、寄合い、地域共同体といった多様な中間団体が歴史上、自生的に多数発展してきた地域です
正にそれだと思います。中野剛志さんも言ってるけど朝日新聞的なリベラルはそれが分からないから新自由主義に傾くんでしょうねそれでいて民主主義と言ってるのが何とも滑稽です
中間団体があったからこそ民主主義が成り立ってるのにそれをどんどん壊すのは非民主的と言っていいでしょうね
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