コラム

2022年4月9日

【竹村公太郎】沖積平野の文明の物語(その3) ―6,000年の人類の戦いー 

 日本人は河川が運ぶ土砂で沖積平野を形成していった。九州の筑後川下流部の祖先たちは、他に類を見ない奇妙な方法で筑後平野という大地を創っていった。有明海のガタを澱ませる「からみ工法」という手法であった。

 実はこの手法を使って文明を生み出していった人類がいた。古代エジプト人であった。人類最大の沖積平野の創造が5,000年前のエジプトのナイル川で営まれていた。

ナイルデルタの形成
 ピラミッドと言えばカイロ市郊外のギザ台地の3基の巨大ピラミッドを思いだす。しかし、それは、ピラミッド群の主たるものではない。

 ピラミッド群の主たるものは、発見されただけでも80基以上となり、未だ発見されていないものを含めると100基に及ぶ。そして、その約100基のピラミッド群は、全てナイル川の西岸に位置している。

 この配列にこだわった視覚デザイン学の高津道昭筑波大学教授は「ピラミッドはテトラポット」であったと推理し、1992年に「ピラミッドはなぜ造られたか」(新潮選書)を出版した。

 この説は、視覚デザインという思いもかけない観点からの展開であった。ただし、高津教授は土木の専門家ではないため、テトラポットや霞堤(かすみてい)という用語で説明しているが土木工学的には不明確な説明になっている。
 

 私は高津教授の説に賛同し、河川の専門家としてこの説を補強し、完成させていく。

 つまり、「砂漠のピラミッド群は『からみ』であった」

ナイル川西岸の謎
 (図―1)はナイル川西岸のピラミッド群の分布である。このナイル川西岸だけに配置されたのは偶然ではない。それはナイル川西岸が、ピラミッド群を必要とした。

 ナイル川の右岸つまり東岸には、山岳地形が連続している。そのためナイル川東岸の流路は安定している。一方、ナイル川西岸には、アフリカのリビヤ砂漠が広がっている。(図―2)がナイル川周辺の地形図である。

 地形的にナイル川はリビヤ砂漠に向かって西へ西へと逃げていくことになる。リビヤ砂漠に流れ込めば、ナイル川は砂の中に消えてしまう。

 ナイル川はエジプト人に、水と土砂を運んでくれた。特に、ナイル河口デルタの干拓には、どうしても土砂が必要であった。

 そのため、ナイル川が河口の地中海まで到達するよう、西岸の流路を安定させる堤防が必要となった。しかし、目もくらむような長い西岸に堤防など築けない。

 そこで、古代エジプト人たちは、巨大な「からみ」を建設することとした。

ナイル西岸の「からみ」ピラミッド群
 巨大な「からみ」とは100基におよぶピラミッド群であった。ピラミッドを適当な間隔で建設する。毎年、ナイル川の洪水は、上流から土砂を運んでくる。洪水の流速はピラミッド周辺で淀む。流速が低下すればナイル川の土砂は沈降し、ピラミッド周辺に堆積していった。

 (図―3)で、ピラミッド周辺で土砂が堆積する様子を示した。

 何十年間、何百年間で、ピラミッド群周辺に砂が堆積し、砂のマウンドは隣と繋がり、連続した盛土となった。後年、発掘された多くのピラミッド群は全て砂に埋もれていた理由はこのためである。

 古代エジプト人は、ナイル川西岸のピラミッドの「からみ」で堤防を創出した。これによりナイル川は、地中海まで水と土砂を到達させ世界最大の干拓地が形成された。

 そのデルタ干拓でエジプト文明が誕生していった。

 ナイル川西岸の約100基のピラミッド群の目的は説明できた。しかし、やっかいな謎が残った。

それは、カイロ市郊外のギザ台地に建つ3基の巨大ピラミッドの存在である。

 ピラミッド群がナイル川の堤防なら、河口のギザ台地の3基のピラミッドは不必要である。

 あのギザ台地のピラミッドの目的は何か?

 「ナイル川の堤防」では説明できない。

ギザのピラミッドの謎
 ピラミッド群建設の頂点と言われているのが、河口のギザ台地の3基の巨大ピラミッドである。

 BC2520年頃(約4,500年前)から建設されたこの3基のピラミッドは、南北方向に配置されている。北から146mのクフ王のピラミッド、中央が高さ136mのカフラーのピラミッド、一番南が高さ70mのメンカフラーのピラミッドである。中央のカフラーのピラミッドは、高い場所に造られているので一番高く抜きん出ている。

 さらに、ピラミッドの表面は大理石で張られていた。大理石は盗掘にあって一部を除いて大部分は失われてしまった。  (写真―1)は、大理石が張られた空港の床で、鏡のように反射し光っている。

 ピラミッド群の目的がナイル川の堤防なら、ギザ台地のピラミッドは謎だらけとなる。

 これらの謎の答えが、ギザのピラミッドで仲間と一緒に撮った(写真―2)だった。 写真の3基のピラミッドの面は、太陽に反射してそれぞれ異なった光と陰を作っている。

 これがギザのピラミッドの目的であった。

ナイル河口の干潟の登場
 ギザから下流には広大な三角州、いわゆるデルタが広がっている。エジプトの農業の中心地はこのナイルデルタである。
 

 このデルタは、何時ごろ形成されたのか?

 その答えは明らかである。6,000年前のBC4,000年以降である。

 BC4,000年つまり6,000年前、地球は温暖で、海面は約5m高かった。世界各地の沖積平野は、海面下にあり未だ姿を現していなかった。もちろん、ナイルデルタも海面下にあった。 (写真―3)で、現在のナイル河口のデルタと、約6,000年前のデルタが海面下だった状態を示した。
 

 地球の気温は、6,000年前をピークに低下し、海面は次第に降下していった。いわゆる海の後退である。これにより、世界中の河川の河口で、干潟が姿を現わしていった。
 

 ナイル川河口でも巨大な干潟が姿を現し始めた。

 古代エジプト人たちは、この干潟に目を奪われた。荒涼とした砂漠を見慣れていた彼らにとって、干潟は潤いに満ちた天国であった。

 この広大な干潟を自分たちのものにしたい。この干潟を干拓して農作物を得て豊かになる。彼らはこのデルタ干潟を干拓する決意を固めた。

壮大なデルタのランドマーク
 世界各地の干潟で干拓が行われたが、このナイルデルタは際立ってスケールが大きかった。

 ギザからデルタ先端の海岸線まで、直線距離で200km以上に及ぶ。面積は4~5万km2で、九州全体に匹敵する。これほど大規模な干拓は世界広ひといえども他にない。

 さらに、このデルタには葦(あし)が一面に茂っていた。古代エジプト人は、この葦が茂るデルタを「大いなる緑」と呼んでいた。彼らはこの広大な葦に囲まれた干潟で、干拓作業を行っていった。

 デルタでは、水が流れてくる方向が上流とは限らない。葦に囲まれたデルタでは方向感覚が失われる。この葦の広大なデルタでの作業には、絶対に必要なものがあった。それは、方向を見失わない「灯台」であった。
 

 ナイル川西岸のピラミッド群の建設が始まって100年が経過したころ、クフ王はギザの高台でピラミッドの建設を開始した。 (図―4)で、エジプト文明の年代とピラミッド建設・ナイル干潟の関係を示した。

 灯台は、遠くから見通せなければならない。そのため、ギザの高台にピラミッドが建設された。さらに、そのピラミッドは可能な限り高くした。
 

 しかし、何故、ギザのピラミッドは3基も必要だったか?1基で十分だったのではないか?

3基のピラミッド
(写真―2)の写真にその現象が映っていた。写真の3基のピラミッドの面は、それぞれ異なった光と影を見せている。

 ピラミッド1基だと、太陽の位置と見る方向によってピラミッドの面が影になる時間帯がある。それでは灯台の役目を果たさない。

 ピラミッドが3基あれば、どこかの面が太陽の光を受ける。ピカピカの大理石は、鏡のように光を反射させて隣のピラミッドを照らす。3基のピラミッドの光の反射の組み合わせは、複雑なダイヤモンドの光であった。

 キラキラ光るダイヤモンドは、何時でも、何処からでも見れた。その光は、厳しい干拓に従事する古代エジプト人たちを勇気づけた。

 だから、ギザ台地の3基のピラミッドは、
・河口に近い高台の上になければならなかった
・可能な限り高くしなければならなかった
・光の反射のために正確な正四角錐でなければならなかった
・光を反射させるため鏡のような大理石を張る必要があった

 ナイル川西岸の100基のピラミッド群は、ナイル川の堤防を形成した。

 ギザ台地の3基の巨大ピラミッドは、デルタ干拓の灯台であった。

 ピラミッドはエジプト文明誕生と発展のために、絶対に必要なインフラ・ストラクチャーであった。

 人類最初の沖積平野との戦いはナイル川で行われた。古代エジプト人は見事に沖積平野を豊かな大地に変えた。
 

 その4,000年後、ユーラシア大陸の東の海に浮かぶ日本列島で、徳川家康が関東の干潟デルタとの戦いを開始した。そして、その沖積平野との戦いは、日本列島各地へと展開されていった。

(付記)
私はカイロの国際会議でこのピラミッド解釈を発表しました。その時、カイロ大学の教授が手を挙げ「今まで聞いたピラミッド解釈で最も合理的である」と発言されました。

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